ミュージシャンの曽我部恵一が、自身の音楽制作やルーツ、将来挑戦してみたいことなどについて語った。
曽我部が登場したのは、10月15日(土)放送のJ-WAVEの番組『ORIENT STAR TIME AND TIDE』(ナビゲーター:市川紗椰)だ。
曽我部:ようやくベッドから起きられるようになったときに、なにもする気になれなくて。そんなに長いことギターも触っていなくて歌も歌っていないというのは、あんまりないんですよね。ちょっとまたやらないと声とかも出なくなるな、なんて思いながらも「あまり歌う気にならないな」と気力がなくなっていたんです。そんなときに「でもなんか音楽、ちょっとやってみよう」と思って、小さいおもちゃのキーボードみたいなのがあるんですけど、それでフワーッてやってみたのがこのアルバムです。いままでは「こういう曲を作ってみよう」という積極的な気持ちがあったんですけど、それが今回はなくて。あまりなにも考えずに弾いてみたら、こういうものができたという感じで。それを出すつもりは全然なかったんですけど、スタッフに聴かせたら「これいいから出してください」みたいになって「本当?」となって、それで出したという感じです。
市川:音楽に復帰するリハビリ的な感じだったんですね。
曽我部:自分の気持ちは、まさしくそうです。
市川:無意識に出てくるってなんか不思議な状態ですね。
曽我部:ずっと寝てるでしょ? 寝て起きて、こうやってフワーッとやって、疲れてまた寝るんです。だから夢のなかなのか現実なのか。精神的にはその中間ぐらいでしょうね。
市川:これってまさに、コロナがなかったら生まれなかった作品だと思います。実際にこのパンデミックは音楽業界にものすごく影響を与えました。振り返ってみて、特にミュージシャンとしてどういうことを思いましたか?
曽我部:僕自体は、緊急事態宣言になったときに音楽もライブももちろん全部なくなりました。「人前で歌う」という前提がなかったら、やっぱりそんなにやろうという気持ちにならないですね。あと社会が、自分以外のみんなもちょっと落ち込んでいるというか、仕事がなくなったりとか、感染の恐怖があったりとかするから。そういうなかで「音楽になにができるだろう」ということよりも、音楽を作る気持ちに僕はならなかった。
市川:モチベーションということですよね。
曽我部は音楽活動とは別に、下北沢にあるカレーショップ「カレーの店・八月」のオープン準備を進めていたそうだ。しかし準備が出来上がった時期と緊急事態宣言が重なったため、テイクアウトの提供に切り替えてオープンすることにしたのだとか。
曽我部:ひたすら朝からカレーを作ってお店の前に立って「カレーのテイクアウトいかがですか」とか言って(笑)。
市川:曽我部さんが道端でカレーを売っているのを見たらすごくびっくりしますけど。
曽我部:そのころは街に人がほとんどいなかったでしょ?
市川:ゴーストタウンでしたね。
曽我部:遠くから誰かが歩いてくると、100メートルぐらいこっちから声をかけるの。
市川:逃したくないから(笑)。
曽我部:そうしたらたまたまラジオのディレクターさんだったりして「あれ、曽我部くんなにやってるの?」とか言われて(笑)。
市川:うれしいような恥ずかしいような。
曽我部:そうそう。「カレー屋やってるんですよ、買ってくださいよ」と言ったら買ってくれたりしました。
曽我部:テレビの歌番組とかあったでしょ? つけていると歌手が歌っていたから、当時はみんなヒット曲を共有していたんですよね。だからそういうのは自分のルーツにあると思います。中学生ぐらいからはアメリカとかイギリスのヒットチャートみたいなのをみんな聴くようになって。それこそマドンナとかプリンスとかがちょうど出てきたころで、みんな夢中になっていました。僕はちょっとさかのぼってローリング・ストーンズとかビートルズが好きになって、かっこいいなと思って。写真とかを見ると、みんな不良っぽくて。
市川:わかります。かっこいいですよね。
曽我部:この人たちは自由だなと、最初見たときに思ったのね。特にストーンズ。ビートルズは背広を着ていたりとか、ユニフォームがあったけど、ストーンズはメチャクチャだったからね。この人らはすごく自由でいいな、人前に自由な形のまま出てきてふるまって、みんながそれを見て喜んでいる、こんな仕事、自分もやりたいと思って。
市川:プロにつながるのはそういうところなんですね。
曽我部:そうそう。ミュージシャンになりたいなってそのときに思って。
パンクロックも好きで、セックス・ピストルズを聴いていたという曽我部。デビュー当時のサニーデイ・サービスが奏でる音楽が、聴いてきたものとは異なるジャンルなのには、とある理由があるそう。
曽我部:東京でバンドをやっていたんだけど、全然芽が出なくて。うまい人もいい曲を書く人もいっぱいいたんですよ、東京の周りに。これじゃあ自分たちは出ていけないなと思って。変わったこと、誰もやっていないようなタイプの音楽をやらないと目立たないと思って。日本のフォークは当時のバンド界隈では誰もやってなかったんだよね。もっと洋楽っぽかったりかっこいい音楽が多かったんだけど、土着的な日本的なものというのはそんなにやってなかったから、それをやろうと。誰もやっていないから目立つかもしれないといって、フォークみたいなものにいったんです。
市川:それまでフォークは聴くのは聴いていたんですか?
曽我部:そんなに聴いてなかった。だから発見して好きになると同時に、自分たちも始めたという感じ。
市川:それは上京したあとですから、大学?
曽我部:バンドを始めてちょっと経ってからですね。
市川:意外とそういうサウンドに巡り合ったのはあとだったんですね。
曽我部:その前はラップ、ヒップホップが好きだったけど、ヒップホップよりもさらにボカロの曲って、それを飛び越えていまの現代の人が持つ心の状況というか、それをすごい密度でいっているなと思って、おもしろいなと衝撃を受けています。
市川:曽我部さんはボカロのソフトをいじったりするんですか?
曽我部:しないけど、したいです。
市川:してほしいです。
曽我部:歌うのをやめて(笑)。
市川:そうなっちゃうのか(笑)。
曽我部:ボカロ、ちょっとやろうかな。いまからでもできるのかな? アンビエントとかもそうだけど、なんでもやってみようと思っていて。ラップだって演歌だって、好きになったらなんでもトライしたらいいなと思っているから、ボカロのアルバムがひょっとしたら出るかもね。
曽我部:何回か呼ばれて「演技してください」というお仕事はあったんです。映画に出たりとか、このあいだはドラマに出たんですけど、そのときにやるのは大体自分の役なんです。ミュージシャンとか。今後は全然違う役とか、要するに自分から離れている人格というかね、そういうのをやってみたいなと思って。
市川:何役がいちばんやりたいですか?
曽我部:シリアルキラー、殺人鬼ですね。
市川:すごく難しいことを求められる役柄ですよね。
曽我部:死ぬまでに絶対やりたいです。
市川:真逆のものになれるというのは俳優業のひとつの魅力というか醍醐味ですよね。
曽我部:僕も中途半端にしているわけではないんだけど、おもしろいと思いながらも自分で満足できることはできてないから、もうちょっと追及したらもっと楽しい、意味のあるものになっていくんだろうなと思って。機会があったらやってみたいなというのがチャレンジしたいことです。
市川:演じることのどういうところに魅力を感じますか?
曽我部:そこがあまりまだ僕はわかってないんです。
市川:自分に近い役柄をやっているから?
曽我部:そうですし、そこまで数をやっていないから。こういう仕事のおもしろみ、醍醐味というのをわかってないんだと思うんです。だからわかりたいな。
市川:ほかに夢や展望、目標はありますか?
曽我部:夢とか「こういう風になりたいな」ということが、あまり思いつかなくて。ずっと思っているのは「いい音楽を作りたいな」と。いい演奏をしたい、いいライブをしたい。自分が「今日はよかったな」と思えるライブをしたいというだけかな? 家族の幸せとか友人の幸せとか、世界の幸せとかももちろん思うけど、個人的なことでいうと音楽なんですよね。いい曲を1曲でも作りたいなと思っているだけですね。
曽我部の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
ゲストの過去・現在・未来に市川紗椰が迫る、J-WAVE『ORIENT STAR TIME AND TIDE』の放送は毎週土曜日の21時から。
曽我部が登場したのは、10月15日(土)放送のJ-WAVEの番組『ORIENT STAR TIME AND TIDE』(ナビゲーター:市川紗椰)だ。
コロナ禍で感じた「音楽になにができるだろう」
まずは2022年の夏にアルバム『Memories & Remedies』をリリースした曽我部に、「現在」について尋ねることに。曽我部自身が新型コロナウイルスに感染してしまったことが、アルバム制作のきっかけになったそうだ。曽我部:ようやくベッドから起きられるようになったときに、なにもする気になれなくて。そんなに長いことギターも触っていなくて歌も歌っていないというのは、あんまりないんですよね。ちょっとまたやらないと声とかも出なくなるな、なんて思いながらも「あまり歌う気にならないな」と気力がなくなっていたんです。そんなときに「でもなんか音楽、ちょっとやってみよう」と思って、小さいおもちゃのキーボードみたいなのがあるんですけど、それでフワーッてやってみたのがこのアルバムです。いままでは「こういう曲を作ってみよう」という積極的な気持ちがあったんですけど、それが今回はなくて。あまりなにも考えずに弾いてみたら、こういうものができたという感じで。それを出すつもりは全然なかったんですけど、スタッフに聴かせたら「これいいから出してください」みたいになって「本当?」となって、それで出したという感じです。
市川:音楽に復帰するリハビリ的な感じだったんですね。
曽我部:自分の気持ちは、まさしくそうです。
市川:無意識に出てくるってなんか不思議な状態ですね。
曽我部:ずっと寝てるでしょ? 寝て起きて、こうやってフワーッとやって、疲れてまた寝るんです。だから夢のなかなのか現実なのか。精神的にはその中間ぐらいでしょうね。
市川:これってまさに、コロナがなかったら生まれなかった作品だと思います。実際にこのパンデミックは音楽業界にものすごく影響を与えました。振り返ってみて、特にミュージシャンとしてどういうことを思いましたか?
曽我部:僕自体は、緊急事態宣言になったときに音楽もライブももちろん全部なくなりました。「人前で歌う」という前提がなかったら、やっぱりそんなにやろうという気持ちにならないですね。あと社会が、自分以外のみんなもちょっと落ち込んでいるというか、仕事がなくなったりとか、感染の恐怖があったりとかするから。そういうなかで「音楽になにができるだろう」ということよりも、音楽を作る気持ちに僕はならなかった。
市川:モチベーションということですよね。
曽我部は音楽活動とは別に、下北沢にあるカレーショップ「カレーの店・八月」のオープン準備を進めていたそうだ。しかし準備が出来上がった時期と緊急事態宣言が重なったため、テイクアウトの提供に切り替えてオープンすることにしたのだとか。
曽我部:ひたすら朝からカレーを作ってお店の前に立って「カレーのテイクアウトいかがですか」とか言って(笑)。
市川:曽我部さんが道端でカレーを売っているのを見たらすごくびっくりしますけど。
曽我部:そのころは街に人がほとんどいなかったでしょ?
市川:ゴーストタウンでしたね。
曽我部:遠くから誰かが歩いてくると、100メートルぐらいこっちから声をかけるの。
市川:逃したくないから(笑)。
曽我部:そうしたらたまたまラジオのディレクターさんだったりして「あれ、曽我部くんなにやってるの?」とか言われて(笑)。
市川:うれしいような恥ずかしいような。
曽我部:そうそう。「カレー屋やってるんですよ、買ってくださいよ」と言ったら買ってくれたりしました。
サニーデイ・サービスの初期の音楽性の理由は
続いては「過去」について話を聞く。曽我部が子どものころに好きだった音楽は歌謡曲、教会の聖歌、映画音楽だったという。曽我部:テレビの歌番組とかあったでしょ? つけていると歌手が歌っていたから、当時はみんなヒット曲を共有していたんですよね。だからそういうのは自分のルーツにあると思います。中学生ぐらいからはアメリカとかイギリスのヒットチャートみたいなのをみんな聴くようになって。それこそマドンナとかプリンスとかがちょうど出てきたころで、みんな夢中になっていました。僕はちょっとさかのぼってローリング・ストーンズとかビートルズが好きになって、かっこいいなと思って。写真とかを見ると、みんな不良っぽくて。
市川:わかります。かっこいいですよね。
曽我部:この人たちは自由だなと、最初見たときに思ったのね。特にストーンズ。ビートルズは背広を着ていたりとか、ユニフォームがあったけど、ストーンズはメチャクチャだったからね。この人らはすごく自由でいいな、人前に自由な形のまま出てきてふるまって、みんながそれを見て喜んでいる、こんな仕事、自分もやりたいと思って。
市川:プロにつながるのはそういうところなんですね。
曽我部:そうそう。ミュージシャンになりたいなってそのときに思って。
パンクロックも好きで、セックス・ピストルズを聴いていたという曽我部。デビュー当時のサニーデイ・サービスが奏でる音楽が、聴いてきたものとは異なるジャンルなのには、とある理由があるそう。
曽我部:東京でバンドをやっていたんだけど、全然芽が出なくて。うまい人もいい曲を書く人もいっぱいいたんですよ、東京の周りに。これじゃあ自分たちは出ていけないなと思って。変わったこと、誰もやっていないようなタイプの音楽をやらないと目立たないと思って。日本のフォークは当時のバンド界隈では誰もやってなかったんだよね。もっと洋楽っぽかったりかっこいい音楽が多かったんだけど、土着的な日本的なものというのはそんなにやってなかったから、それをやろうと。誰もやっていないから目立つかもしれないといって、フォークみたいなものにいったんです。
市川:それまでフォークは聴くのは聴いていたんですか?
曽我部:そんなに聴いてなかった。だから発見して好きになると同時に、自分たちも始めたという感じ。
市川:それは上京したあとですから、大学?
曽我部:バンドを始めてちょっと経ってからですね。
市川:意外とそういうサウンドに巡り合ったのはあとだったんですね。
ボカロに刺激を受ける
いまでもさまざまなジャンルの音楽に刺激を受けているという曽我部は、最近ボーカロイド曲に注目しているという。曽我部:その前はラップ、ヒップホップが好きだったけど、ヒップホップよりもさらにボカロの曲って、それを飛び越えていまの現代の人が持つ心の状況というか、それをすごい密度でいっているなと思って、おもしろいなと衝撃を受けています。
市川:曽我部さんはボカロのソフトをいじったりするんですか?
曽我部:しないけど、したいです。
市川:してほしいです。
曽我部:歌うのをやめて(笑)。
市川:そうなっちゃうのか(笑)。
曽我部:ボカロ、ちょっとやろうかな。いまからでもできるのかな? アンビエントとかもそうだけど、なんでもやってみようと思っていて。ラップだって演歌だって、好きになったらなんでもトライしたらいいなと思っているから、ボカロのアルバムがひょっとしたら出るかもね。
死ぬまでにやりたい役柄は
「未来」について、今後チャレンジしてみたいことについて問いかけると、曽我部は俳優業への意欲を示した。曽我部:何回か呼ばれて「演技してください」というお仕事はあったんです。映画に出たりとか、このあいだはドラマに出たんですけど、そのときにやるのは大体自分の役なんです。ミュージシャンとか。今後は全然違う役とか、要するに自分から離れている人格というかね、そういうのをやってみたいなと思って。
市川:何役がいちばんやりたいですか?
曽我部:シリアルキラー、殺人鬼ですね。
市川:すごく難しいことを求められる役柄ですよね。
曽我部:死ぬまでに絶対やりたいです。
市川:真逆のものになれるというのは俳優業のひとつの魅力というか醍醐味ですよね。
曽我部:僕も中途半端にしているわけではないんだけど、おもしろいと思いながらも自分で満足できることはできてないから、もうちょっと追及したらもっと楽しい、意味のあるものになっていくんだろうなと思って。機会があったらやってみたいなというのがチャレンジしたいことです。
市川:演じることのどういうところに魅力を感じますか?
曽我部:そこがあまりまだ僕はわかってないんです。
市川:自分に近い役柄をやっているから?
曽我部:そうですし、そこまで数をやっていないから。こういう仕事のおもしろみ、醍醐味というのをわかってないんだと思うんです。だからわかりたいな。
市川:ほかに夢や展望、目標はありますか?
曽我部:夢とか「こういう風になりたいな」ということが、あまり思いつかなくて。ずっと思っているのは「いい音楽を作りたいな」と。いい演奏をしたい、いいライブをしたい。自分が「今日はよかったな」と思えるライブをしたいというだけかな? 家族の幸せとか友人の幸せとか、世界の幸せとかももちろん思うけど、個人的なことでいうと音楽なんですよね。いい曲を1曲でも作りたいなと思っているだけですね。
曽我部の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
ゲストの過去・現在・未来に市川紗椰が迫る、J-WAVE『ORIENT STAR TIME AND TIDE』の放送は毎週土曜日の21時から。
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2022年10月22日28時59分まで
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番組情報
- ORIENT STAR TIME AND TIDE
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毎週土曜21:00-21:54