シンガーソングライターの斉藤和義が、コロナ禍の活動や現在ハマっているギター製作について語った。
斉藤が登場したのは、J-WAVEで放送中の番組『ORIENT STAR TIME AND TIDE』(ナビゲーター:市川紗椰)。オンエアは2月26日(土)。
斉藤は2022年3月5日(土)、6日(日)に東京・両国国技館にて豪華アーティストがギター弾き語りで共演するライブイベント「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2022 supported by 奥村組」に出演する。出演日は5日(土)。
2021年には、およそ6カ月間にわたる全47公演の全国ツアー「斉藤和義 live tour 2021 202020 & 55 stones」を開催。2020年リリースの20枚目のアルバム『202020』と、斉藤の年齢が55歳になったことにちなんで作られた21枚目のアルバム『55 STONES』を提げたツアーだ。
市川:コロナ禍でのツアーでしたが、いかがでしたか?
斉藤:そもそも2020年に予定していたツアーが全部延期になって時間がスッポリ空いちゃったので、家でアルバムを作ったりしていて。もともと予定していたアルバムツアーだったのが、さらに1枚分増えて2枚分のアルバムツアーになりました。
市川:すごく贅沢。
斉藤:だから、それをごちゃまぜにしてやりました。ライブ自体は1年半ぐらい空いていたので、単純にうれしかったですね。
市川:みなさん声出しとかはできない状況でしたが、どんな感じでしたか?
斉藤:声は出せないけど、ちゃんとオーラというか“気”みたいなものはすごく感じました。あと拍手の大きさもそうですけど、長さがジーンときました。いつまでも鳴りやまない感じで。
市川:拍手でしか伝える方法がなかったらすごく長くなっちゃいそうですね、心を込めて。
斉藤:特に前半は数曲やって、ちょっとしゃべるタイミングの前あたりもずっと拍手が鳴っていて。「そんなにしたら泣いちゃう」みたいな気持ちになって(笑)。ちょっと感動しました。
市川:無観客でしたことはあるんですか?
斉藤:1回だけ。直前に緊急事態宣言が出ちゃって、2日あったうちの1日はどうにかやれたけど、もう1日は無観客しか無理だということになって、やりました。だけど俺はもう無観客ではやりたくないって感じでしたね。どこに向けてやっていいのやら、むなしかったです。
市川は「ライブステージは斉藤さんにとってどんな場所ですか?」と訊く。
斉藤:アルバムを作るスタジオの仕事も好きですけど、それをお客さんに披露して聴いてもらってその反応を見ないと、その曲がどれくらい受け入れられたのかわからない。ライブをやってアルバムがひとつ完成した感じになるので。
市川:なるほど。面白いですね。
斉藤:なのでライブをやらないとアルバムができた気がしないですね。
市川:お客さんの反応があって初めてアルバムができあがる。じゃあ2021年の全国ツアーは一気に2枚のアルバムができあがったわけですね。
斉藤:そう、棚ぼた的にね。だから悪いことばっかりじゃなかったなと。ラッキーなところもありました。「アルバム1枚増えちゃった」という感じ。
『202020』と『55 STONES』は、どちらも節目になるアルバムだ。コロナ禍での制作はどのように進んだのだろうか。
斉藤:基本的に家と作業場で、ひとりでずっとやっていて。あんまり最初は曲を作るというわけではなく。家に録音機材は一応持っていたんだけど、機械に弱いので、あまり使い方がよくわからなくて。ただ録音ボタンを押せばいい状態にはなっていたんですけど、この際だから、時間のあるときに機材のことも知りたいなと思って、いじっているうちに録るものがいるなと、適当になんでもいいから録ってみようと思ってやって、それが段々と曲みたいになっていって。
市川:へえ!
斉藤:それで「もうちょっと頑張ればアルバムになるな」と思って。それで途中からアルバム作りに切り替えてやっていった感じでしたね。
【関連記事】斉藤和義の「人生を変えたモノ」は、中学生時代に購入したエレキギター
斉藤:それでコードを覚えたりして「ギターってこういう伴奏ができるんだ」と気がついてからすごく楽しくなってきて。学園祭とかで中学校の友だちとエレキでバンドを組んだり、当時流行っていたコピーバンドをやったりして。学校の体育館みたいなところで、学園祭で演奏したときに「これだ」と思っちゃいましたね。
市川:なにが「これだ」だったんですか?
斉藤:将来ギタリストになりたいと思って。そこからそのままなっちゃいましたね。
市川:そのときのコピーバンドでは、なにをカバーしていたんですか?
斉藤:当時流行っていたオフコースとか。当時ニューミュージックと言われていたようなやつでしたかね。ビートルズは、うちに一時期居候していたおじさんがいて、いま思えば風貌をジョン・レノンそっくりにしていた人で。そのおじさんがビートルズは小学校ぐらいのときからよく聴かせてくれたり、ベストテープを作ってくれたりして。ビートルズは勝手に知っている気になってて、ちゃんとアルバムを通して聴きだしたのは高校を出たころぐらいです。
ザ・ビートルズから影響を受けた斉藤は『ずっと好きだった』のミュージックビデオを「『Get Back』のルーフトップそっくりに作りたい」と思い制作。斉藤の地元である栃木県のアーケードの屋上で録られた映像は、当日が曇りだったこともあり、斉藤は「ロンドンに見えなくもない(笑)」と振り返った。
そんな斉藤がバンドではなくソロで活動するようになった経緯を訊いた。
斉藤:大学に行ったころ、ハーモニカをつけてアコギ1本で自分のオリジナルでブルースっぽい曲をやっている先輩がいて、「そういうのいいな」と思って。その先輩が憂歌団を好きだったから、そういうのがすごく好きになって。ちょうどスティーヴィー・レイ・ヴォーンがデビューして。
市川:ギターがすごいですよね。
斉藤:ね。その流れでジョニー・ウィンターを聴いてみたり。それで改めてローリング・ストーンズとかを聴くと「こんなによかったのか」と、急に好きになっていったんですね。それでバンドもやりたかったんだけど、なかなかメンバーと出会えず、1人でやって。バンドもやってみたものの、なんかうまくいかなくて、「1人でやっておこう」と思ってデビューしたって感じでしたかね。
市川:曲を作るようになったのは?
斉藤:自分で歌う曲を書き出したのは19、20歳ぐらいとかじゃないですかね。
市川:自分で歌うようになったのと同時に書くようになったんですね。
【関連記事】斉藤和義は、なぜソロを選んだ? 奥田民生に、デビューまでの道のりを語る
斉藤:それを家のガレージでずっとやっていて、楽しいんですよ。
市川:何本ぐらいできあがってるんですか?
斉藤:先週ぐらいにベースが1本できあがりました。それは8、9本目ぐらいかもしれないですね。
市川:エレキは作りやすいんですか?
斉藤:作りやすいですよ。
市川:音はちゃんと鳴るものなんですか?
斉藤:一応ちゃんとしますよ。使えるギターが何本かできました。
市川:レコーディングやライブで使ったり?
斉藤:レコーディングで使ってみたり、ライブでもちょっと使ったり。でもやっぱりすごく繊細な楽器なんだとよくわかるんですよね。弦高がちょっとでも高いと弾きづらいから「いいや」ってなっちゃったり。本当によくできているんだなと思います。
市川:作ってみて初めて気づく細かさやこだわりがありそうですね。
斉藤:塗装も、木の道管と言うんですか、人で言う毛穴みたいな、あれを最初にメイクで言うところのコンシーラーをちゃんと最初にやって、目止め作業をしておかないと、最後にいくら塗装してもずっと毛穴ばかりポコポコ出てきちゃって、売り物のようなツヤツヤにはなかなかならなくて。それをいまずっと研究中です。
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斉藤の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
『ORIENT STAR TIME AND TIDE』では、革新的な活動によって各界をけん引している人物をゲストに迎えて、現在の活動はもちろん、これから先どのようなビジョンに向かって進んでいくのかをじっくりと伺っていく。放送は毎週土曜日の21時から。
斉藤が登場したのは、J-WAVEで放送中の番組『ORIENT STAR TIME AND TIDE』(ナビゲーター:市川紗椰)。オンエアは2月26日(土)。
斉藤は2022年3月5日(土)、6日(日)に東京・両国国技館にて豪華アーティストがギター弾き語りで共演するライブイベント「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2022 supported by 奥村組」に出演する。出演日は5日(土)。
ライブをしないとアルバムは完成しない
斉藤は1993年にシングル『僕の見たビートルズはTVの中』でデビュー。その後、『歩いて帰ろう』『歌うたいのバラッド』『ずっと好きだった』『やさしくなりたい』など数々のヒット曲を世に送り出してきた。2021年には、およそ6カ月間にわたる全47公演の全国ツアー「斉藤和義 live tour 2021 202020 & 55 stones」を開催。2020年リリースの20枚目のアルバム『202020』と、斉藤の年齢が55歳になったことにちなんで作られた21枚目のアルバム『55 STONES』を提げたツアーだ。
市川:コロナ禍でのツアーでしたが、いかがでしたか?
斉藤:そもそも2020年に予定していたツアーが全部延期になって時間がスッポリ空いちゃったので、家でアルバムを作ったりしていて。もともと予定していたアルバムツアーだったのが、さらに1枚分増えて2枚分のアルバムツアーになりました。
市川:すごく贅沢。
斉藤:だから、それをごちゃまぜにしてやりました。ライブ自体は1年半ぐらい空いていたので、単純にうれしかったですね。
市川:みなさん声出しとかはできない状況でしたが、どんな感じでしたか?
斉藤:声は出せないけど、ちゃんとオーラというか“気”みたいなものはすごく感じました。あと拍手の大きさもそうですけど、長さがジーンときました。いつまでも鳴りやまない感じで。
市川:拍手でしか伝える方法がなかったらすごく長くなっちゃいそうですね、心を込めて。
斉藤:特に前半は数曲やって、ちょっとしゃべるタイミングの前あたりもずっと拍手が鳴っていて。「そんなにしたら泣いちゃう」みたいな気持ちになって(笑)。ちょっと感動しました。
市川:無観客でしたことはあるんですか?
斉藤:1回だけ。直前に緊急事態宣言が出ちゃって、2日あったうちの1日はどうにかやれたけど、もう1日は無観客しか無理だということになって、やりました。だけど俺はもう無観客ではやりたくないって感じでしたね。どこに向けてやっていいのやら、むなしかったです。
市川は「ライブステージは斉藤さんにとってどんな場所ですか?」と訊く。
斉藤:アルバムを作るスタジオの仕事も好きですけど、それをお客さんに披露して聴いてもらってその反応を見ないと、その曲がどれくらい受け入れられたのかわからない。ライブをやってアルバムがひとつ完成した感じになるので。
市川:なるほど。面白いですね。
斉藤:なのでライブをやらないとアルバムができた気がしないですね。
市川:お客さんの反応があって初めてアルバムができあがる。じゃあ2021年の全国ツアーは一気に2枚のアルバムができあがったわけですね。
斉藤:そう、棚ぼた的にね。だから悪いことばっかりじゃなかったなと。ラッキーなところもありました。「アルバム1枚増えちゃった」という感じ。
『202020』と『55 STONES』は、どちらも節目になるアルバムだ。コロナ禍での制作はどのように進んだのだろうか。
斉藤:基本的に家と作業場で、ひとりでずっとやっていて。あんまり最初は曲を作るというわけではなく。家に録音機材は一応持っていたんだけど、機械に弱いので、あまり使い方がよくわからなくて。ただ録音ボタンを押せばいい状態にはなっていたんですけど、この際だから、時間のあるときに機材のことも知りたいなと思って、いじっているうちに録るものがいるなと、適当になんでもいいから録ってみようと思ってやって、それが段々と曲みたいになっていって。
市川:へえ!
斉藤:それで「もうちょっと頑張ればアルバムになるな」と思って。それで途中からアルバム作りに切り替えてやっていった感じでしたね。
学園祭で演奏して「将来ギタリストなりたい」と思った
斉藤が初めてギターに触ったのは小学6年生のころで、ハマって演奏するようになったのは中学1年生のころからだったそうだ。雑誌の付録の「歌本」で演奏技術を学んでいったという。【関連記事】斉藤和義の「人生を変えたモノ」は、中学生時代に購入したエレキギター
斉藤:それでコードを覚えたりして「ギターってこういう伴奏ができるんだ」と気がついてからすごく楽しくなってきて。学園祭とかで中学校の友だちとエレキでバンドを組んだり、当時流行っていたコピーバンドをやったりして。学校の体育館みたいなところで、学園祭で演奏したときに「これだ」と思っちゃいましたね。
市川:なにが「これだ」だったんですか?
斉藤:将来ギタリストになりたいと思って。そこからそのままなっちゃいましたね。
市川:そのときのコピーバンドでは、なにをカバーしていたんですか?
斉藤:当時流行っていたオフコースとか。当時ニューミュージックと言われていたようなやつでしたかね。ビートルズは、うちに一時期居候していたおじさんがいて、いま思えば風貌をジョン・レノンそっくりにしていた人で。そのおじさんがビートルズは小学校ぐらいのときからよく聴かせてくれたり、ベストテープを作ってくれたりして。ビートルズは勝手に知っている気になってて、ちゃんとアルバムを通して聴きだしたのは高校を出たころぐらいです。
ザ・ビートルズから影響を受けた斉藤は『ずっと好きだった』のミュージックビデオを「『Get Back』のルーフトップそっくりに作りたい」と思い制作。斉藤の地元である栃木県のアーケードの屋上で録られた映像は、当日が曇りだったこともあり、斉藤は「ロンドンに見えなくもない(笑)」と振り返った。
斉藤和義 – ずっと好きだった [Music Video]
斉藤:大学に行ったころ、ハーモニカをつけてアコギ1本で自分のオリジナルでブルースっぽい曲をやっている先輩がいて、「そういうのいいな」と思って。その先輩が憂歌団を好きだったから、そういうのがすごく好きになって。ちょうどスティーヴィー・レイ・ヴォーンがデビューして。
市川:ギターがすごいですよね。
斉藤:ね。その流れでジョニー・ウィンターを聴いてみたり。それで改めてローリング・ストーンズとかを聴くと「こんなによかったのか」と、急に好きになっていったんですね。それでバンドもやりたかったんだけど、なかなかメンバーと出会えず、1人でやって。バンドもやってみたものの、なんかうまくいかなくて、「1人でやっておこう」と思ってデビューしたって感じでしたかね。
市川:曲を作るようになったのは?
斉藤:自分で歌う曲を書き出したのは19、20歳ぐらいとかじゃないですかね。
市川:自分で歌うようになったのと同時に書くようになったんですね。
【関連記事】斉藤和義は、なぜソロを選んだ? 奥田民生に、デビューまでの道のりを語る
ギター作りに夢中! 「ツヤツヤ」を研究中
斉藤が現在ハマっているのは「ギター作り」。昔から好きだったDIYの工具を使い、四角い木から切り出す本格的な作業だ。斉藤:それを家のガレージでずっとやっていて、楽しいんですよ。
市川:何本ぐらいできあがってるんですか?
斉藤:先週ぐらいにベースが1本できあがりました。それは8、9本目ぐらいかもしれないですね。
市川:エレキは作りやすいんですか?
斉藤:作りやすいですよ。
市川:音はちゃんと鳴るものなんですか?
斉藤:一応ちゃんとしますよ。使えるギターが何本かできました。
市川:レコーディングやライブで使ったり?
斉藤:レコーディングで使ってみたり、ライブでもちょっと使ったり。でもやっぱりすごく繊細な楽器なんだとよくわかるんですよね。弦高がちょっとでも高いと弾きづらいから「いいや」ってなっちゃったり。本当によくできているんだなと思います。
市川:作ってみて初めて気づく細かさやこだわりがありそうですね。
斉藤:塗装も、木の道管と言うんですか、人で言う毛穴みたいな、あれを最初にメイクで言うところのコンシーラーをちゃんと最初にやって、目止め作業をしておかないと、最後にいくら塗装してもずっと毛穴ばかりポコポコ出てきちゃって、売り物のようなツヤツヤにはなかなかならなくて。それをいまずっと研究中です。
【関連記事】斉藤和義、ギター作りを語る
斉藤の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
『ORIENT STAR TIME AND TIDE』では、革新的な活動によって各界をけん引している人物をゲストに迎えて、現在の活動はもちろん、これから先どのようなビジョンに向かって進んでいくのかをじっくりと伺っていく。放送は毎週土曜日の21時から。
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市川紗椰