中村正人(DREAMS COME TRUE)と亀田誠治(音楽プロデューサー)による対談が、J-WAVEで7月24日(金・祝)にオンエアされた。タイトルは『J-WAVE SPECIAL iichiko DISTANCE DELIGHT 〜YOU&ME』。長きにわたり音楽シーンの第一線で活躍してきた二人が若い世代の音楽に感じる、「音楽ファンとして嬉しい」こととは? 「サウンド優先になった」と感じる理由を語った。
同番組はオンラインで公開収録され、YouTubeで7月31日(金)までアーカイブを楽しむことができる。
ここではテキストで、対談の様子をお伝えしよう。
中村:うちはすごいですよ。吉田(美和)主催で。
亀田:本当に!?
中村:もう、この期間ずっとやってましたね。もともとは吉田がご家族と始めたんですよ。そうしたらみんな誘われ始めて、入れ代わり立ち代わりでスタッフや俺、親せき家族が(参加して)。でもずっと入ってるんじゃなくて「おかえり~」「これから行くわ」みたいな。
亀田:そういう自由な雰囲気ってありなんですか?
中村:ありです、もちろん! それがリモート飲み。
自粛期間の過ごし方について、「いつもより音楽を聴いた」と二人。亀田は自身が多感な時期にもっとも聴いていた70年代のベストヒットにハマり、運転しながら泣いていたという。そこにはラジオとの深い思い出があった。
亀田:僕、一番多感な時期に聴いたのが76年、77年の頃なの。小学校5、6年生。当時、海外短波放送受信のBCLっていうのがあって。
中村:あったね~! 短波!
亀田:当時大阪に住んでいて、FEN(在日米軍向けラジオ局・現:AFN)をナショナル「クーガー」っていう自分のラジオでキャッチしたわけ。FENのどこかの電波が入ってきて、全米トップ40を聴いて「なんだ、このキラキラした世界は!」って衝撃を受けて、そこから毎週ラジオを聴くようになった。
中村:エアチェックだね。自分でカセット録って。
亀田:そう。それで自分でチャートもメモってたんだけど、自分の好きな曲が2位止まりだったりするわけ(笑)。それが悔しくて自分でオリジナルチャートを作っちゃって。そこで「FM KAMEDA」っていう自分の放送局まで作っちゃったの。
中村:それがあの番組(J-WAVEで過去に放送された『BEHIND THE MELODY~FM KAMEDA』)のオリジナルなの!? 深いね。
亀田:その年の年末には『サタデー・ナイト・フィーバー』とかも入ってくる。『ウイングス U.S.A. ライヴ!!』とかスティーヴィー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』とかね。それが76年、77年。とにかくありとあらゆる音楽がいろんな音楽と影響し合ってて、みんな演奏も曲もいいしさ~! 自分は楽器なんてやってなかったけど、それだけで楽しかった。そういう音楽に56歳になった今年、戻ってる感じかな。
亀田が特に好きなのはヴァン・マッコイ&ザ・ソウル・シティ・シンフォニー『ハッスル』。
亀田:すごく力があるなって思った。この半年間、僕たちが元気をなくしたり気持ちが沈んだりしていた中で、音楽の力って本当にあるんだなって思ったの。
中村:ありますね。しかも音がいいんだよね、70年代は。あれだけの機材でどれだけいい音を録っていたんだろう。
亀田:プレイヤーの腕もいいんじゃないかな。
中村:音が押し出てくるんだよね。難しいことをしてなくてもドーンって。当時はほとんどが同時録音でしょ? オーバー・ダビングは始まっているとは言え、リズムセクションは一発で録ってる。上手すぎるね。ヴァン・マッコイもそうだけど、延々と同じフレーズを3分とか4分も間違えないでずっとやってるよね。今、俺たちはできないんじゃないかな。
亀田:歌詞も意欲的なチャレンジをしているんだけど、なによりもサウンドが「え~!?」「あれ、ドリカムの音が変わった!」と思ったの。どこで聴く音よりも強い。
中村:徹底的に研究しました。BTSの曲を作ってる連中とか片っ端から当たって、配信用の音に長けた日本のエンジニアにお願いした。LDHの音楽をやってる方にもアドバイスをいただいて、削って削って削って……。
亀田:そういうアップデートを怠らないところもドリカムって先駆者だよね。
中村:やっぱりアーティストが主体じゃないですか。器を作ったり下支えしたりする僕も主義主張があって図太い音が好きなんだけど、図太い音を今のフォーマットに入れて結果的に図太く聴こえるようにするには音を削って入れていくしかないと教えてもらいました。
亀田:そうか。これは来週あたりから僕の音が変わるかも(笑)。
中村:あはは(笑)。でもそれは音楽の一つの楽しさだと思うし。今のリスナーはYouTubeベースの音に慣れてる。僕らがキャリアを始めたときもそうだったじゃないですか。テレビが主体ならテレビの音に合わせてやってきた。それと変わらないんだけど、今回は根本からひっくり返すような発想だったんだよね。分厚く太く音を録ればいいと思っていたけど、「今、それはダメです」と言われたときの僕のショゲ方と言ったらなかったよ(笑)。
亀田:オラオラじゃなくて、コンパクトに狙いを定めて作っていく感じだよね。
中村:本当に難しい。でもそういう時代ですよ。
中村と亀田は、共にベーシストであり音楽プロデューサーとしても活躍している。中村は音楽プロデュースの際に自身のベースを「一番ダメ」と自虐的に語ったが、亀田は中村のベースを「素晴らしい」と評する。
亀田:ドリカムの楽曲を聴いていていつも思うのは、すべてが美和さんの歌に向かってスペースが作られていくんですよね。ドリカムのサウンドに僕のベースが乗っちゃったら音同士がぶつかっちゃう。でもマサさん(中村)はグルーブやシンプルなライン。しかも脈々と流れているR&Bやソウルミュージックへのリスペクトも感じるベースサウンドなんですよ。しかも最後は美和さんに向かっていく。すごいベーシストだと思います。
中村は最近、吉田のボーカルと自身のベースがぶつかり合ってしまい、バランスの難しさを感じていたという。しかし、今は70年代や80年代に多かった歌モノ原点となるベースサウンドが再び流行しているために、「ちょっとラクになった」そうだ。そして新曲『YES AND NO』は「俺と吉田のデュエットなの。シンセベースと歌のデュエット」と独自の見解を語った。
亀田:音楽ファンとして、好きで好きでしょうがない。Official髭男dismとKing Gnuも男性ボーカルのレンジが広がったと思う。女子でも出さない領域を使う。King Gnuの場合は常田(大希)さんがオクターブ下も歌うし。昔は曲を作るときに「このキー出ないからもう諦めよう」となっていたところがね。
中村:今はキー関係ないもんね。
亀田:キーを決めなくても歌のほうがキーについてくるという、価値観の逆転が起きた。
中村:サウンド優先だよね。男性ボーカルや男性バンドは今すごく豊作。RADWIMPSの野田(洋次郎)くんあたりが文化のリーダーみたいになって、映画と融合した。今まであまり知らない人たちが多かったバンドが、そのままの主張と態度ではるかに大メジャーになった。これはすごい力。
亀田:我々の若いときの「バンドかくあるべき」「バンドマン武勇伝」みたいなことじゃないですよね。音楽だけで勝負する時代で、僕としては音楽ファンとして嬉しい。あとは年齢感も27歳~28歳の世代。昔のバンドがブレイクする年齢ってもっと若かった。
中村:ティーンエイジとかね。
亀田:今の時代にちゃんとフィジカルもメンタルも成熟したあとの音楽を、アーティストたちが自分で発信してるんじゃないのかな。
一方の中村は、藤井 風やビッケブランカ、Eveといったアーティストの音楽を頻繁に聴いているという。
中村:前は先輩として「若いな」とか「これを続けられるのか」なんてイチャモンをつけてた。でも今の人たちって続ける気もないし、面白いからやってる。俺の偉そうなアドバイスって全然威力を発揮しないの(笑)。でも今の人たちっていいよ。あいみょんとかヨルシカも来てるけど、次は女性バンドが来るでしょう。
亀田:「バンド受難の時代」とか言われてきたけど、もう今は違う。潮目が変わって来てる。
中村:しかもバンドが全部自分でできるわけ。作詞作曲もプログラミングもプロモーションもミュージックビデオも作れる。
亀田:友だちも含めてネットワークがすごいよね。全員がクリエイターだもん。
中村:そうなのよ! しかもお互いが助け合う。俺たちの世代は全然助け合わないもん(笑)。不器用だから「ああ、いいよ。俺が動画やっとくわ」なんてできない、俺はね。だから手伝いたくてもできないんだけど、今の世代ってなんでも軽々とやってのけるんだよね。
亀田:しかも献身的に楽しみながらやるでしょ。
中村:俺なんか見返りばっかり求めてきた人生だからさ。
亀田:あはは(笑)。それが今の子たち、ないんですよね。
中村:だからバーって広がるよね。Eveもミュージックビデオチームと同時に曲を作っていく感じ。ミュージックビデオも新譜の作品。だからコミュニケーションも密接らしいね。
亀田:「仲間と一緒に上がっていこう」という気持ちがすごく尊い感じがするし、そのビジョンも見えているんだと思う。
亀田:ドリカムって30年の歴史の中でヒットソングとポップソングを輩出して、どの曲も頭の中で鳴らせるんですよ。そのドリカムが楽曲を新しい世代に向けて提供してくれているのは、僕が一番やりたい音楽の伝承。
中村:でも、動画の回転数に現れないリスナーや音楽ファンがいる。動画ベースのアーティストも新しいんだけど、我々も諦めないでそういう音楽ファンに対してもしっかりアプローチしていかないといけない。
亀田:本当にその通りですね。回転数には出ないけど音楽そのもののファンがいてくれると、何かのきっかけで動画がドンといったときに全部が引き上げられて、作品すべてだけでなく、関わった人たち全員が幸せになれるよね。
中村:雑な計算だけど、たとえばCDが300万枚売れたとして買った人がそれぞれ10回聴いたら3000万回聴かれたことになるよね。また、レンタルCD屋で借りられて10人が借りたら3000万回が3億回になる。そうすると、音楽を楽しむ方は我々の頃からほぼ数字は変わっていないことになる。そう考えると、我々も3億回聴かれているということを忘れずにいないといけない。それだけのものを作らないといけないと思いました。ジジイの遠吠えですけどね(笑)。
ドリカムは『YES AND NO』とともに、劇場版『G のレコンギスタ』のテーマソング『G』も両A面としてリリースしている。
亀田は自身が監修した子ども向け実用書子ども向け実用書「学校では教えてくれない大切なこと」シリーズの第30巻として『音楽が楽しくなる』(旺文社)を7月20日に発売。また、映画『糸』の応援ソングとして菅田将暉×石崎ひゅーい『糸』もプロデュース。こちらは7月17日に配信リリースがスタートしている。
同番組はオンラインで公開収録され、YouTubeで7月31日(金)までアーカイブを楽しむことができる。
ここではテキストで、対談の様子をお伝えしよう。
■自粛期間中は吉田美和とリモート飲み
中村と亀田は外出自粛期間中も連絡を取り合っていたため、互いに「久々という感じがしないね」と挨拶。その後、焼酎の「いいちこ」で乾杯。亀田の「毎晩、晩ごはんと一緒にお酒が始まる」という話から、中村のリモート飲みの話題で盛り上がった。中村:うちはすごいですよ。吉田(美和)主催で。
亀田:本当に!?
中村:もう、この期間ずっとやってましたね。もともとは吉田がご家族と始めたんですよ。そうしたらみんな誘われ始めて、入れ代わり立ち代わりでスタッフや俺、親せき家族が(参加して)。でもずっと入ってるんじゃなくて「おかえり~」「これから行くわ」みたいな。
亀田:そういう自由な雰囲気ってありなんですか?
中村:ありです、もちろん! それがリモート飲み。
自粛期間の過ごし方について、「いつもより音楽を聴いた」と二人。亀田は自身が多感な時期にもっとも聴いていた70年代のベストヒットにハマり、運転しながら泣いていたという。そこにはラジオとの深い思い出があった。
亀田:僕、一番多感な時期に聴いたのが76年、77年の頃なの。小学校5、6年生。当時、海外短波放送受信のBCLっていうのがあって。
中村:あったね~! 短波!
亀田:当時大阪に住んでいて、FEN(在日米軍向けラジオ局・現:AFN)をナショナル「クーガー」っていう自分のラジオでキャッチしたわけ。FENのどこかの電波が入ってきて、全米トップ40を聴いて「なんだ、このキラキラした世界は!」って衝撃を受けて、そこから毎週ラジオを聴くようになった。
中村:エアチェックだね。自分でカセット録って。
亀田:そう。それで自分でチャートもメモってたんだけど、自分の好きな曲が2位止まりだったりするわけ(笑)。それが悔しくて自分でオリジナルチャートを作っちゃって。そこで「FM KAMEDA」っていう自分の放送局まで作っちゃったの。
中村:それがあの番組(J-WAVEで過去に放送された『BEHIND THE MELODY~FM KAMEDA』)のオリジナルなの!? 深いね。
亀田:その年の年末には『サタデー・ナイト・フィーバー』とかも入ってくる。『ウイングス U.S.A. ライヴ!!』とかスティーヴィー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』とかね。それが76年、77年。とにかくありとあらゆる音楽がいろんな音楽と影響し合ってて、みんな演奏も曲もいいしさ~! 自分は楽器なんてやってなかったけど、それだけで楽しかった。そういう音楽に56歳になった今年、戻ってる感じかな。
亀田が特に好きなのはヴァン・マッコイ&ザ・ソウル・シティ・シンフォニー『ハッスル』。
亀田:すごく力があるなって思った。この半年間、僕たちが元気をなくしたり気持ちが沈んだりしていた中で、音楽の力って本当にあるんだなって思ったの。
中村:ありますね。しかも音がいいんだよね、70年代は。あれだけの機材でどれだけいい音を録っていたんだろう。
亀田:プレイヤーの腕もいいんじゃないかな。
中村:音が押し出てくるんだよね。難しいことをしてなくてもドーンって。当時はほとんどが同時録音でしょ? オーバー・ダビングは始まっているとは言え、リズムセクションは一発で録ってる。上手すぎるね。ヴァン・マッコイもそうだけど、延々と同じフレーズを3分とか4分も間違えないでずっとやってるよね。今、俺たちはできないんじゃないかな。
テレビかYouTubeか…音作りにも変化
ドリカムは7月1日に新曲『YES AND NO』をリリースした。テレビを通して新曲を聴いた亀田は、音の衝撃に仰け反ったという。亀田:歌詞も意欲的なチャレンジをしているんだけど、なによりもサウンドが「え~!?」「あれ、ドリカムの音が変わった!」と思ったの。どこで聴く音よりも強い。
中村:徹底的に研究しました。BTSの曲を作ってる連中とか片っ端から当たって、配信用の音に長けた日本のエンジニアにお願いした。LDHの音楽をやってる方にもアドバイスをいただいて、削って削って削って……。
亀田:そういうアップデートを怠らないところもドリカムって先駆者だよね。
中村:やっぱりアーティストが主体じゃないですか。器を作ったり下支えしたりする僕も主義主張があって図太い音が好きなんだけど、図太い音を今のフォーマットに入れて結果的に図太く聴こえるようにするには音を削って入れていくしかないと教えてもらいました。
亀田:そうか。これは来週あたりから僕の音が変わるかも(笑)。
中村:あはは(笑)。でもそれは音楽の一つの楽しさだと思うし。今のリスナーはYouTubeベースの音に慣れてる。僕らがキャリアを始めたときもそうだったじゃないですか。テレビが主体ならテレビの音に合わせてやってきた。それと変わらないんだけど、今回は根本からひっくり返すような発想だったんだよね。分厚く太く音を録ればいいと思っていたけど、「今、それはダメです」と言われたときの僕のショゲ方と言ったらなかったよ(笑)。
亀田:オラオラじゃなくて、コンパクトに狙いを定めて作っていく感じだよね。
中村:本当に難しい。でもそういう時代ですよ。
中村と亀田は、共にベーシストであり音楽プロデューサーとしても活躍している。中村は音楽プロデュースの際に自身のベースを「一番ダメ」と自虐的に語ったが、亀田は中村のベースを「素晴らしい」と評する。
亀田:ドリカムの楽曲を聴いていていつも思うのは、すべてが美和さんの歌に向かってスペースが作られていくんですよね。ドリカムのサウンドに僕のベースが乗っちゃったら音同士がぶつかっちゃう。でもマサさん(中村)はグルーブやシンプルなライン。しかも脈々と流れているR&Bやソウルミュージックへのリスペクトも感じるベースサウンドなんですよ。しかも最後は美和さんに向かっていく。すごいベーシストだと思います。
中村は最近、吉田のボーカルと自身のベースがぶつかり合ってしまい、バランスの難しさを感じていたという。しかし、今は70年代や80年代に多かった歌モノ原点となるベースサウンドが再び流行しているために、「ちょっとラクになった」そうだ。そして新曲『YES AND NO』は「俺と吉田のデュエットなの。シンセベースと歌のデュエット」と独自の見解を語った。
若い世代の音楽は、どこに魅力を感じる?
話題は、最近の若い世代の音楽について。中村から好きなバンドを訊かれた亀田は、Official髭男dismとKing Gnuの名前を挙げた。亀田:音楽ファンとして、好きで好きでしょうがない。Official髭男dismとKing Gnuも男性ボーカルのレンジが広がったと思う。女子でも出さない領域を使う。King Gnuの場合は常田(大希)さんがオクターブ下も歌うし。昔は曲を作るときに「このキー出ないからもう諦めよう」となっていたところがね。
中村:今はキー関係ないもんね。
亀田:キーを決めなくても歌のほうがキーについてくるという、価値観の逆転が起きた。
中村:サウンド優先だよね。男性ボーカルや男性バンドは今すごく豊作。RADWIMPSの野田(洋次郎)くんあたりが文化のリーダーみたいになって、映画と融合した。今まであまり知らない人たちが多かったバンドが、そのままの主張と態度ではるかに大メジャーになった。これはすごい力。
亀田:我々の若いときの「バンドかくあるべき」「バンドマン武勇伝」みたいなことじゃないですよね。音楽だけで勝負する時代で、僕としては音楽ファンとして嬉しい。あとは年齢感も27歳~28歳の世代。昔のバンドがブレイクする年齢ってもっと若かった。
中村:ティーンエイジとかね。
亀田:今の時代にちゃんとフィジカルもメンタルも成熟したあとの音楽を、アーティストたちが自分で発信してるんじゃないのかな。
一方の中村は、藤井 風やビッケブランカ、Eveといったアーティストの音楽を頻繁に聴いているという。
中村:前は先輩として「若いな」とか「これを続けられるのか」なんてイチャモンをつけてた。でも今の人たちって続ける気もないし、面白いからやってる。俺の偉そうなアドバイスって全然威力を発揮しないの(笑)。でも今の人たちっていいよ。あいみょんとかヨルシカも来てるけど、次は女性バンドが来るでしょう。
亀田:「バンド受難の時代」とか言われてきたけど、もう今は違う。潮目が変わって来てる。
中村:しかもバンドが全部自分でできるわけ。作詞作曲もプログラミングもプロモーションもミュージックビデオも作れる。
亀田:友だちも含めてネットワークがすごいよね。全員がクリエイターだもん。
中村:そうなのよ! しかもお互いが助け合う。俺たちの世代は全然助け合わないもん(笑)。不器用だから「ああ、いいよ。俺が動画やっとくわ」なんてできない、俺はね。だから手伝いたくてもできないんだけど、今の世代ってなんでも軽々とやってのけるんだよね。
亀田:しかも献身的に楽しみながらやるでしょ。
中村:俺なんか見返りばっかり求めてきた人生だからさ。
亀田:あはは(笑)。それが今の子たち、ないんですよね。
中村:だからバーって広がるよね。Eveもミュージックビデオチームと同時に曲を作っていく感じ。ミュージックビデオも新譜の作品。だからコミュニケーションも密接らしいね。
亀田:「仲間と一緒に上がっていこう」という気持ちがすごく尊い感じがするし、そのビジョンも見えているんだと思う。
Youtubeの「再生回数」は聴かれた回数じゃない…見えない数字を忘れない
新しい世代の音楽もシーンを賑わせる今、二人が改めて決意することとは。亀田:ドリカムって30年の歴史の中でヒットソングとポップソングを輩出して、どの曲も頭の中で鳴らせるんですよ。そのドリカムが楽曲を新しい世代に向けて提供してくれているのは、僕が一番やりたい音楽の伝承。
中村:でも、動画の回転数に現れないリスナーや音楽ファンがいる。動画ベースのアーティストも新しいんだけど、我々も諦めないでそういう音楽ファンに対してもしっかりアプローチしていかないといけない。
亀田:本当にその通りですね。回転数には出ないけど音楽そのもののファンがいてくれると、何かのきっかけで動画がドンといったときに全部が引き上げられて、作品すべてだけでなく、関わった人たち全員が幸せになれるよね。
中村:雑な計算だけど、たとえばCDが300万枚売れたとして買った人がそれぞれ10回聴いたら3000万回聴かれたことになるよね。また、レンタルCD屋で借りられて10人が借りたら3000万回が3億回になる。そうすると、音楽を楽しむ方は我々の頃からほぼ数字は変わっていないことになる。そう考えると、我々も3億回聴かれているということを忘れずにいないといけない。それだけのものを作らないといけないと思いました。ジジイの遠吠えですけどね(笑)。
ドリカムは『YES AND NO』とともに、劇場版『G のレコンギスタ』のテーマソング『G』も両A面としてリリースしている。
亀田は自身が監修した子ども向け実用書子ども向け実用書「学校では教えてくれない大切なこと」シリーズの第30巻として『音楽が楽しくなる』(旺文社)を7月20日に発売。また、映画『糸』の応援ソングとして菅田将暉×石崎ひゅーい『糸』もプロデュース。こちらは7月17日に配信リリースがスタートしている。
番組情報
- 『J-WAVE SPECIAL iichiko DISTANCE DELIGHT 〜YOU&ME』
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7月24日(金・祝)18:00-19:55