J-WAVEで放送中の番組『SEIKO SOUND STORAGE』。当番組は、ミュージシャンやスポーツ選手など、各界で活躍するゲストがマンスリーで自らの音楽遍歴を語ります。3月は藤巻亮太さんが登場。3月1日(金)のオンエアでは、幼少期の音楽体験を語りました。
【1回目】藤巻亮太、QUEENを初めて聴いたときの衝撃を語る「いつか“ラプソディ”を作ってみたい」
【2回目】レミオロメン『3月9日』、実は卒業ソングじゃなかった! 藤巻亮太が明かす誕生秘話
【3回目】藤巻亮太「ズタボロに疲れていた」 登山家・野口健との出会いで変わった価値観
【4回目】藤巻亮太、「レミオロメン」という縄で自分を縛りつけていた…変化のきっかけは?
■演歌で育った幼少期
山梨県の甲府盆地で育ち、オシャレな洋楽などとは無縁だったと言う藤巻さん。その中でミュージシャンとして活動を始めるまで、どのように音楽性が磨かれていったのでしょうか。
藤巻:今は東京で暮らしていますけど、当時は今みたいにSNSとか何もない時代ですから、いろんな文化とか情報を知ろうとすると、最初は親が何を聴いていたとか、何を歌ってたかみたいなところからだと思います。僕は同級生とレミオロメンというバンドを組んで、今はソロ活動をしていますが、洋楽の影響をすごく受けているんです。
そう話す藤巻さんですが、中学に上がるころまでは、家庭で演歌がよく流れていたそうです。
藤巻:オシャレな洋楽みたいなのは、家で全く聴いたことがなくて、父親も母親も演歌を歌っていたような気がします。最近NHKの番組で新沼謙治さんと共演したんですけど、『津軽恋女』を歌ってらっしゃって、その生声を聴いたときに「これ、お父さんがめっちゃ歌ってた!」と思い出しました。ものすごく感動したんです。親戚の家に集まって父親が歌っていたのを覚えていて、「いい歌だな」と思っていたんです。それで、新沼さんと写真を撮っていただいて、父親に「この曲、好きだったよね?」とその話をしたら、「俺が歌っていたのはこの曲じゃない」って言われました。
■「ラプソディ」を作ってみたい
藤巻さんが初めてCDを買ったのは、小学校4~5年生のころ。CHAGE and ASKA『no no darlin'』でした。
藤巻:親にCDコンポを買ってもらったんです。「CDも1曲買っていいよ」と言ってくれて、そのとき聴きたいと思って売っていたのが、ちょうどニューリリースだった『no no darlin'』だったんです。
ここで藤巻さんは、「音楽との出会いは、きょうだい構成が大事」と話し始めました。
藤巻:僕は3人きょうだいの長男なんですけど、兄とか姉がいる人のほうが音楽に詳しいんですよね。「お兄ちゃんが聴いてるから」というので、小さい頃から音楽を聴く人が多いと思うんです。僕は兄、姉がいなかったので、音楽に詳しい人から教えてもらっていました。
そして中学2年生のころ、友人からQUEENを教えてもらい、初めて『Bohemian Rhapsody』を聴きます。
藤巻:「すげえ曲だな」と思いました。「ラプソディ」って「狂詩曲」って意味なんですかね。曲がどんどん展開していくんです。J-POPと呼ばれる音楽は、イントロがあってAメロ、Bメロ、サビがきます。それでまた、イントロがあって、今度は2番のAメロ、Bメロ、サビ、そして大サビ、もう1回サビで終わる。なんか「5・7・5・7・7」の短歌っぽいんですけど、「rhapsody」は「5・6・4・8・13」みたいな、よくわかんないけど、その中で高まっていく。
藤巻さんは、いつか「ラプソディ」を作ってみたいと話します。
藤巻:ものすごく自由なんだけど、それらを繋ぐ芯がないとできない曲だと思うんです。そのぐらい強い何かがないと、途中で自分自身を繋ぎ止められなくて分解しちゃうような気がします。
番組では、QUEEN『Bohemian Rhapsody』をオンエア。その後、UKミュージックに傾倒していった藤巻さんは、なかでもRadioheadのアルバム『Ok Computer』に衝撃を受けたと明かしました。
【2回目】レミオロメン『3月9日』、実は卒業ソングじゃなかった! 藤巻亮太
【1回目】藤巻亮太、QUEENを初めて聴いたときの衝撃を語る「いつか“ラプソディ”を作ってみたい」
【2回目】レミオロメン『3月9日』、実は卒業ソングじゃなかった! 藤巻亮太が明かす誕生秘話
【3回目】藤巻亮太「ズタボロに疲れていた」 登山家・野口健との出会いで変わった価値観
【4回目】藤巻亮太、「レミオロメン」という縄で自分を縛りつけていた…変化のきっかけは?
■演歌で育った幼少期
山梨県の甲府盆地で育ち、オシャレな洋楽などとは無縁だったと言う藤巻さん。その中でミュージシャンとして活動を始めるまで、どのように音楽性が磨かれていったのでしょうか。
藤巻:今は東京で暮らしていますけど、当時は今みたいにSNSとか何もない時代ですから、いろんな文化とか情報を知ろうとすると、最初は親が何を聴いていたとか、何を歌ってたかみたいなところからだと思います。僕は同級生とレミオロメンというバンドを組んで、今はソロ活動をしていますが、洋楽の影響をすごく受けているんです。
そう話す藤巻さんですが、中学に上がるころまでは、家庭で演歌がよく流れていたそうです。
藤巻:オシャレな洋楽みたいなのは、家で全く聴いたことがなくて、父親も母親も演歌を歌っていたような気がします。最近NHKの番組で新沼謙治さんと共演したんですけど、『津軽恋女』を歌ってらっしゃって、その生声を聴いたときに「これ、お父さんがめっちゃ歌ってた!」と思い出しました。ものすごく感動したんです。親戚の家に集まって父親が歌っていたのを覚えていて、「いい歌だな」と思っていたんです。それで、新沼さんと写真を撮っていただいて、父親に「この曲、好きだったよね?」とその話をしたら、「俺が歌っていたのはこの曲じゃない」って言われました。
■「ラプソディ」を作ってみたい
藤巻さんが初めてCDを買ったのは、小学校4~5年生のころ。CHAGE and ASKA『no no darlin'』でした。
藤巻:親にCDコンポを買ってもらったんです。「CDも1曲買っていいよ」と言ってくれて、そのとき聴きたいと思って売っていたのが、ちょうどニューリリースだった『no no darlin'』だったんです。
ここで藤巻さんは、「音楽との出会いは、きょうだい構成が大事」と話し始めました。
藤巻:僕は3人きょうだいの長男なんですけど、兄とか姉がいる人のほうが音楽に詳しいんですよね。「お兄ちゃんが聴いてるから」というので、小さい頃から音楽を聴く人が多いと思うんです。僕は兄、姉がいなかったので、音楽に詳しい人から教えてもらっていました。
そして中学2年生のころ、友人からQUEENを教えてもらい、初めて『Bohemian Rhapsody』を聴きます。
藤巻:「すげえ曲だな」と思いました。「ラプソディ」って「狂詩曲」って意味なんですかね。曲がどんどん展開していくんです。J-POPと呼ばれる音楽は、イントロがあってAメロ、Bメロ、サビがきます。それでまた、イントロがあって、今度は2番のAメロ、Bメロ、サビ、そして大サビ、もう1回サビで終わる。なんか「5・7・5・7・7」の短歌っぽいんですけど、「rhapsody」は「5・6・4・8・13」みたいな、よくわかんないけど、その中で高まっていく。
藤巻さんは、いつか「ラプソディ」を作ってみたいと話します。
藤巻:ものすごく自由なんだけど、それらを繋ぐ芯がないとできない曲だと思うんです。そのぐらい強い何かがないと、途中で自分自身を繋ぎ止められなくて分解しちゃうような気がします。
番組では、QUEEN『Bohemian Rhapsody』をオンエア。その後、UKミュージックに傾倒していった藤巻さんは、なかでもRadioheadのアルバム『Ok Computer』に衝撃を受けたと明かしました。
【2回目】レミオロメン『3月9日』、実は卒業ソングじゃなかった! 藤巻亮太
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2020年●●月●●日28時59分まで
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