J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。8月18日(土)のオンエアでは、ジャーナリストの堀 潤さんがゲストに登場。音楽にまつわるエピソードをたっぷり伺いました。
■就職するかバンドを続けるか
番組が始まるなり「僕はバンドマンだった」と話す堀さん。当時は渋谷のライブハウス・Shibuya eggmanでライブをやっていたと振り返ります。
クリス:将来はプロの道に進もうかと思うくらいだったと。
堀:本当に最後、就職するかバンドを続けるかで、僕は奇しくも就職の道を選んでしまいました。その時に、バンドの仲間にどう言おうかと思い悩んで、「話しがあるから」とメンバーで集まったところ、ギタリストから「俺も保険会社に入ることになった」って言われて(笑)。唯一、ちょっと年上のドラマーだけアメリカに渡って、そのあとジャズドラマーになりました。
堀さんがマスコミに興味を持ったきっかけのひとつとして、音楽の影響が大きかったと言います。
堀:「虚像の世界を打ち破りたい!」という感覚はロックが教えてくれましたね。
クリス:核にはロックがあったんですね。
堀:いざというときに、上司に怖じ気づいてものを言わないことをイヤだなと思うのは、「ここで奮い立たないと、俺はロッカーだし」って気持ちがあるから(笑)。
■ヘヴィメタル好きだった母親
そんな堀さんは、小さい頃はとても内気な少年でした。
堀:転校も多かったし、人と話すのは苦手で学校も休みがちで、引きこもりがちでした。母親がピアノの先生をしていて、よく家に生徒が来ていましたね。母はヘヴィメタル好きで、家ではずっと大好きなBOWWOWの曲が流れていました。音大でクラシックを学んだ人間なのかなと思いきや、「やっぱりこれぐらいじゃなきゃ、壊せ! 壊せ!」っていいながらヘヴィメタルを聴いていましたね。
クリス:カッコいいお母さんですね。
堀:X JAPANの『紅』が流行りはじめた時に、母親は真っ先にそのCDを買って大音量で流していました。
クリス:その時、堀さんは何歳くらいだったんですか。
堀:当時は小学校2、3年生くらいでしたね。
■衝撃を受けたTHE MAD CAPSULE MARKETS
堀さんが初めて買ったCDは、坂本龍一さんの『Beauty』。そこからYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に興味を持ち始めたと振り返ります。
堀:ひとりで部屋を暗くしてヘッドホンを着け、打ち込みで音楽を作っていました。そこからギターとかリズムマシンを買いました。
クリス:初めてギターでコピーした曲は?
堀:Mötley Crüe『Live Wire』です。
クリス:バンドをやりはじめたのはいつですか。
堀:中学3年くらいからギターをやって、高校1年でバンドを組みました。THE MAD CAPSULE MARKETSが出はじめた頃で、彼らに衝撃を受けましたね。ちょっとテクノっぽいところもありながら、ロックでパンクで見栄えも刺激的で、この人たちこそモラル社会を壊してくれるんだろうなって思いました。
■音楽でつながるDNA
オンエアでは、2011年の東日本大震災の際に起こった、あるエピソードを教えてくれました。
堀:当時、自分は報道する側にいて「なんでもっとうまく伝えられないんだ!」「なんでこれが言えないんだ!」と思い、その矛先は音楽じゃなく自分のツイッターや取材発信に向きました。(僕の発信が)どんどん尖っていく様子を見て「大丈夫?」「あんまり焦らなくていいんだよ」「気持ちは分かるよ」と支えてくれたのが、THE MAD CAPSULE MARKETSのギタリストだった石垣愛さんと坂本龍一さんでした。全然会ったこともないふたりがツイッターでメッセージを寄せてくれたんです。
クリス:音楽で影響を受けたふたりからメッセージがきたってことは、堀さんと周波数が合ったんでしょうね。
堀:刻み込まれたDNAがこうしてつながり合うんだって、本当にうれしかったですね。ロックとか音楽には「ウソをつかなくていい」とか、「そんなに世の中は正しいことばかりじゃないから、そんなことは全部壊して自分たちでもう1回作ればいい」ということも根底にあるから、好きでよかったなと思います。
ほかにも、音楽とジャーナリズムの関係ついて、SNSなどの自己発信についてなども伺いました。
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【番組情報】
番組名:「SAPPORO BEER OTOAJITO」
放送日時:土曜18時-18時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/otoajito/
■就職するかバンドを続けるか
番組が始まるなり「僕はバンドマンだった」と話す堀さん。当時は渋谷のライブハウス・Shibuya eggmanでライブをやっていたと振り返ります。
クリス:将来はプロの道に進もうかと思うくらいだったと。
堀:本当に最後、就職するかバンドを続けるかで、僕は奇しくも就職の道を選んでしまいました。その時に、バンドの仲間にどう言おうかと思い悩んで、「話しがあるから」とメンバーで集まったところ、ギタリストから「俺も保険会社に入ることになった」って言われて(笑)。唯一、ちょっと年上のドラマーだけアメリカに渡って、そのあとジャズドラマーになりました。
堀さんがマスコミに興味を持ったきっかけのひとつとして、音楽の影響が大きかったと言います。
堀:「虚像の世界を打ち破りたい!」という感覚はロックが教えてくれましたね。
クリス:核にはロックがあったんですね。
堀:いざというときに、上司に怖じ気づいてものを言わないことをイヤだなと思うのは、「ここで奮い立たないと、俺はロッカーだし」って気持ちがあるから(笑)。
■ヘヴィメタル好きだった母親
そんな堀さんは、小さい頃はとても内気な少年でした。
堀:転校も多かったし、人と話すのは苦手で学校も休みがちで、引きこもりがちでした。母親がピアノの先生をしていて、よく家に生徒が来ていましたね。母はヘヴィメタル好きで、家ではずっと大好きなBOWWOWの曲が流れていました。音大でクラシックを学んだ人間なのかなと思いきや、「やっぱりこれぐらいじゃなきゃ、壊せ! 壊せ!」っていいながらヘヴィメタルを聴いていましたね。
クリス:カッコいいお母さんですね。
堀:X JAPANの『紅』が流行りはじめた時に、母親は真っ先にそのCDを買って大音量で流していました。
クリス:その時、堀さんは何歳くらいだったんですか。
堀:当時は小学校2、3年生くらいでしたね。
■衝撃を受けたTHE MAD CAPSULE MARKETS
堀さんが初めて買ったCDは、坂本龍一さんの『Beauty』。そこからYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に興味を持ち始めたと振り返ります。
堀:ひとりで部屋を暗くしてヘッドホンを着け、打ち込みで音楽を作っていました。そこからギターとかリズムマシンを買いました。
クリス:初めてギターでコピーした曲は?
堀:Mötley Crüe『Live Wire』です。
クリス:バンドをやりはじめたのはいつですか。
堀:中学3年くらいからギターをやって、高校1年でバンドを組みました。THE MAD CAPSULE MARKETSが出はじめた頃で、彼らに衝撃を受けましたね。ちょっとテクノっぽいところもありながら、ロックでパンクで見栄えも刺激的で、この人たちこそモラル社会を壊してくれるんだろうなって思いました。
■音楽でつながるDNA
オンエアでは、2011年の東日本大震災の際に起こった、あるエピソードを教えてくれました。
堀:当時、自分は報道する側にいて「なんでもっとうまく伝えられないんだ!」「なんでこれが言えないんだ!」と思い、その矛先は音楽じゃなく自分のツイッターや取材発信に向きました。(僕の発信が)どんどん尖っていく様子を見て「大丈夫?」「あんまり焦らなくていいんだよ」「気持ちは分かるよ」と支えてくれたのが、THE MAD CAPSULE MARKETSのギタリストだった石垣愛さんと坂本龍一さんでした。全然会ったこともないふたりがツイッターでメッセージを寄せてくれたんです。
クリス:音楽で影響を受けたふたりからメッセージがきたってことは、堀さんと周波数が合ったんでしょうね。
堀:刻み込まれたDNAがこうしてつながり合うんだって、本当にうれしかったですね。ロックとか音楽には「ウソをつかなくていい」とか、「そんなに世の中は正しいことばかりじゃないから、そんなことは全部壊して自分たちでもう1回作ればいい」ということも根底にあるから、好きでよかったなと思います。
ほかにも、音楽とジャーナリズムの関係ついて、SNSなどの自己発信についてなども伺いました。
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番組名:「SAPPORO BEER OTOAJITO」
放送日時:土曜18時-18時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/otoajito/
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