氣志團の綾小路 翔が、番組ナビゲーターのSKY-HIとJ-WAVEで対談。東京ドームを目指して駆け抜けたデビュー当時や、活動停止・人気低迷を経て復活を果たした経緯を振り返った。さらに、井ノ原快彦と仲良くなった意外なきっかけや、人生の壁をどう乗り越えてきたかも明かした。
綾小路が登場したのは、8月22日(土)放送のJ-WAVE『DIVE TO THE NEW WORLD』(ナビゲーター:SKY-HI)。国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”するプログラムだ。
綾小路:こんなバンド、はったりだけで来ましたんで。本当に全部インチキで。ただただ、盛って盛って盛って(笑)。演奏なんかも全然できてないですし。ただヤンキーがやらなそうなことをやるっていうことで、普通はスリーコードのロックンロールをやると思いきや、ちょっと七面倒くさいコード進行の曲をわざとやったり。それこそ『One Night Carnival』は、ヤンキーはご法度だった四つ打ちの曲みたいな。
綾小路:ギャップみたいなことでごまかして、「あいつら、実はうまいんじゃないか」とか。全然そんなことないんですけど、雰囲気だけでやってきていたんで、これは必ずバレると。メッキがいつか絶対にはげるんで、そのときはおしまいだから、それまでのあいだにできる限りのこと、やっちゃおうって。
綾小路は、東京ドーム公演を実現すれば「ドームアーティスト」として暮らしていけるのではないかと考え、まずはそこだけを目標にしていたという。
綾小路:普通、ロックバンドは純粋に武道館を目指したりするんですけど、「ドームまでインチキでいいから行こう、3年で行って終わろう」というテーマだったんですね。なんとかごまかしながら2004年11月に東京ドーム公演があったので、そこで終わるはずだったんです。
SKY-HI:それが叶ったとき、どうだったんですか? 東京ドーム公演もそうですし、『NHK紅白歌合戦』にも出られて。
綾小路:そのころはバカなりにいろいろ考えて。我々はメディアに出たらすぐに飽きられるので、音楽番組、バラエティ番組、一切出ないというふうに決めていました。
綾小路:明星さんが、「まあ、鳥肌さんに言われるから観に行ってみよう」と思っていたら、氣志團のライブがとても面白かったと。ちょうどそのとき、フライヤーに「スタッフ募集」と書いてあり、彼女も思うところがあって「このバンド、せっかくここがいいのに、ここがよくない」というのがあったみたいで、「スタッフになりたいんですけど」ってすぐに連絡をくれたんです。でも、僕は明星さんのことはよく存じていなかったので、普通にお姉さんが来たなと思って、ちょっと手伝ってもらったりして。結果的に明星さんがあれよあれよといううちに、いろんなことを広げたんです。明星さんのアドバイスを聞いて、氣志團にいくつもレコード会社が声をかけてくださるようになって。
SKY-HI:具体的にどんなことを言われたんですか?
綾小路:当時、物販とかもメンバーでやっていたんですね。でも、一切そういうプライベートな姿は見せるなと。表に出なきゃいけないものは全部私がやりますんで、と。会場に入ってくる時点から氣志團でいなきゃいけない、と。あとは小道具から何から、明星さんは舞台女優さんだったので「こんなの使っちゃダメだ」とか、衣装に関してももっとキッチリ、きれいにやろうって。それでみんなでアイロンがけを教わったりとか(笑)。
その後デビューが決まりかけたころ、綾小路は明星に「一緒にメジャーへ行かないか?」と声をかけたという。
綾小路:そうしたら一拍おいて、「わかりました。(俳優の)事務所をやめます」と。そうなったときに、彼女の友人たちが「明星、バカなこと言ってんじゃないよ。ちょっと考え直せ」と言ったひとりがイノッチ(井ノ原快彦)で。あと、デビュー前の森山直太朗くん。
SKY-HI:すごいじゃないですか!
綾小路:(ふたりは)当時、明星さんと一緒にお芝居をやられている関係で仲よしだったので、「俳優は続けろ」となって。でも、明星さんは「いや、でももう決めたんだ」と。「氣志團ってどこの馬の骨だよ」と。「1回観に来てよ」と言って、渋谷のクラブでライブをやっているときに観に来てくれたのが、イノッチと直太朗くんと、直太朗くんのパートナーで歌詞を書いている御徒町 凧くん。そんな流れでイノッチとは仲よくなって。そこからの縁で、僕らがいちばん大事なプロモーションをしなきゃいけない時期に、『学校へ行こう!』(TBS系)のスペシャルで全国についてきてくれて一緒にやったりとか。『木更津キャッツアイ』(TBS系)も明星さんがきっかけで出演したんです。
綾小路:そうしたらメンバーが「ガス欠人間」ですよ。
SKY-HI:(笑)。疲れてしまったと。
綾小路:彼らが「俺たちこんな怖いのやりたくない」と言うから「大丈夫だ、あそこまで行ったらあれ食べられるから」と、みんなを無理やり歩かせていたんですけど、ついに「もうテコでも動かんぞ」となったのが2006年。そのときに『氣志團万博』の2回目をやって、僕たちは活動が一気に止まる時期があって。みんな、真面目なんですね。「俺たち、正直、実力も伴ってないのになんで会場がこんなに大きくなっていくのかもわからないし、曲もレベルが低い。休みたいし、練習もしたいし、曲作りしたい」と。でも、僕は「ダメだ。今はまだ走るんだ」と。
そこでバンドは決裂。綾小路はDJ OZMAとして活動を続けながら、メンバーと再び話し合えるまで3年かかったと明かす。
綾小路:みんなも「言ってることがわかった」「俺もごめん、みんなの言ってることがわかった。氣志團をもう1回やろう」と言って。「さっさとDJ OZMAやめてくるわ」って、また氣志團を始めてみたんですけど、神風に乗っていた男が無風になったんです。
SKY-HI:2009年に凪になったんですね。
綾小路:2009年は復活の勢いもあって、まだ自己肯定感に満ちあふれていたんですが、2010年くらいになったら、空席が見えだして。それがどんどん加速していくんです。
SKY-HI:怖いですね。
綾小路:「嘘でしょ、何が起きてるの」みたいな。自分たちのライブのクオリティが下がっているとは全然思っていなかったんですけど、これがもう急激で。2010年のこととか今思い出すと背筋が凍るというか。あっという間に周りから人がいなくなっていく感じもありますし、お声もかからなくなっていきましたね。
SKY-HI:氣志團は「え、そのバンドと!?」みたいな大物対バンを連続して組まれているイメージがありますね。
綾小路:それまで孤立無援のバンドで、デビュー前に一緒にやっていたバンドはみんな解散したりしていたのでシーンがなくて。なので、若い人たちから大先輩まで、お願いということを初めてして組んでもらったんです。これで通用しなかったら、そのときはいさぎよくやめようと思っていました。けれども、こっちも死に物狂いでやったので、ボコボコにされながらも今をときめくすごい人たちにしがみついていって。そうしたら不思議なもので、昭和のヤンキー漫画じゃないですけど、殴り合ったあとに土手で仲よくなるみたいな。初めて僕たちにちょっとずつ同業の友人たちができ始めました。
対バンをきっかけにできた仲間に声をかけ、2012年に再び開催したのが『氣志團万博』だった。
綾小路:「もう少しだけ、その友だちと一緒に何かやってみたい」と思って、みんなに声かけさせてもらったら「力貸すよ」という感じで出てもらえて。もうそのときも連続してやるつもりはなくて、単発のつもりでやったんです。それを今、自転車操業で今日までなんとかやっています。おかげさまで周囲を見渡せたのが2011年くらいで、それまでは自分たちのことで精一杯だったけど、そこからもう1回組み立て直したのが今につながっています。だから、今度は逆にやめられなくなっちゃったというか(笑)。恩返ししなきゃと思って。
番組では、氣志團が7月にデジタル配信リリースした『暴走天使』をオンエアした。
綾小路:僕、ツアーが好きで、とにかくずっとまわり続けたいと思っていて。今もツアーが終わったところなんですけど、とにかく一生まわって、自分たちで活動をしっかり続けていけるようにしたいなというのはあるんです。47都道府県、各地2デイズずつまわるという堅実な夢があるんですよ(笑)。
SKY-HI:いいですね。たぶん1年越しですもんね。
綾小路:そうそう。そういうことを死ぬまで続けながら生きていきたい。あと最近、なぜかここに来て10代とか20代前半の方が観に来てくれるようになったんです。しかも、けっこう海外から観に来てくださる方もいて。たまたまイベントで会話をすることがあったので、「どうやって僕たちを知ってくれたの?」と訊いたら、「コミックとアニメ」だと。忍者や侍の感じで「かつて実在はした、でも今はいないもの」にヤンキーが入っているみたいで。それを漫画や映画で観て、「日本にはどうやら本当にああいった髪型、服装をした人間たちがいたらしい」という流れで調べてくれて、わざわざ日本に来るついでにライブを観に来てくれたり。
SKY-HI:すごいですね。
綾小路:それがやっぱりうれしくて。「よし、ちゃんと僕たちも、自分たちから海外もまわれるように頑張ろう、具体的にちょっと動いてみよう」というのが、今のひとつの新しい挑戦ですね。
『DIVE TO THE NEW WORLD』では、毎回ゲストに「思いどおりにいかないときや、目の前に大きな壁が立ちはだかったとき、どうやって乗り越えるか?」という質問を投げかけている。
綾小路:「これは登れない」となったら、ずっとその壁沿いにひたすら歩き続けて「いや、どうも先に行けないぞ」となれば「掘るか」という感じで、「下から行ったら行けんじゃねえか」とか。どうしても僕たちの能力だと越えられない壁って今までも何度もあったので、乗り越えないで済む方法をみんなで考えたり。ひとりではとてもじゃないけど無理なので集団で、という感じかもしれません。
SKY-HI:すごいなと思います、本当に。なんか「らしさ」と「強さ」が両方込められていて。
綾小路:本当に、「諦める能力を持ってない」というか。諦める能力を持っていたら、もうちょっといいところに行けていた可能性もあるなってたまに思うんですけどね。
氣志團は11月7日(土)・8日(日)に幕張メッセ国際展示場4~7ホールで「氣志團万博2026 ~房総爆音リゾート~」を開催する。
氣志團の最新情報は公式サイトまで。
『DIVE TO THE NEW WORLD』は国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”していくプログラム。放送は毎週土曜23時から。
綾小路が登場したのは、8月22日(土)放送のJ-WAVE『DIVE TO THE NEW WORLD』(ナビゲーター:SKY-HI)。国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”するプログラムだ。
ドームまでインチキでいいから行こう
氣志團は1997年結成、2001年デビュー。綾小路は、当時を「全部インチキ」と表現する。綾小路:こんなバンド、はったりだけで来ましたんで。本当に全部インチキで。ただただ、盛って盛って盛って(笑)。演奏なんかも全然できてないですし。ただヤンキーがやらなそうなことをやるっていうことで、普通はスリーコードのロックンロールをやると思いきや、ちょっと七面倒くさいコード進行の曲をわざとやったり。それこそ『One Night Carnival』は、ヤンキーはご法度だった四つ打ちの曲みたいな。
氣志團 / One Night Carnival 2013 -Full ver-
綾小路は、東京ドーム公演を実現すれば「ドームアーティスト」として暮らしていけるのではないかと考え、まずはそこだけを目標にしていたという。
綾小路:普通、ロックバンドは純粋に武道館を目指したりするんですけど、「ドームまでインチキでいいから行こう、3年で行って終わろう」というテーマだったんですね。なんとかごまかしながら2004年11月に東京ドーム公演があったので、そこで終わるはずだったんです。
SKY-HI:それが叶ったとき、どうだったんですか? 東京ドーム公演もそうですし、『NHK紅白歌合戦』にも出られて。
綾小路:そのころはバカなりにいろいろ考えて。我々はメディアに出たらすぐに飽きられるので、音楽番組、バラエティ番組、一切出ないというふうに決めていました。
バンドの転機となった明星真由美、井ノ原快彦との出会い
インディーズ時代の氣志團は、お笑い芸人・鳥肌 実とよく対バンしていたという。そのころ、鳥肌に頼まれてライブを観に来たのが、鳥肌の友人で舞台俳優の明星真由美だった。綾小路:明星さんが、「まあ、鳥肌さんに言われるから観に行ってみよう」と思っていたら、氣志團のライブがとても面白かったと。ちょうどそのとき、フライヤーに「スタッフ募集」と書いてあり、彼女も思うところがあって「このバンド、せっかくここがいいのに、ここがよくない」というのがあったみたいで、「スタッフになりたいんですけど」ってすぐに連絡をくれたんです。でも、僕は明星さんのことはよく存じていなかったので、普通にお姉さんが来たなと思って、ちょっと手伝ってもらったりして。結果的に明星さんがあれよあれよといううちに、いろんなことを広げたんです。明星さんのアドバイスを聞いて、氣志團にいくつもレコード会社が声をかけてくださるようになって。
SKY-HI:具体的にどんなことを言われたんですか?
綾小路:当時、物販とかもメンバーでやっていたんですね。でも、一切そういうプライベートな姿は見せるなと。表に出なきゃいけないものは全部私がやりますんで、と。会場に入ってくる時点から氣志團でいなきゃいけない、と。あとは小道具から何から、明星さんは舞台女優さんだったので「こんなの使っちゃダメだ」とか、衣装に関してももっとキッチリ、きれいにやろうって。それでみんなでアイロンがけを教わったりとか(笑)。
その後デビューが決まりかけたころ、綾小路は明星に「一緒にメジャーへ行かないか?」と声をかけたという。
綾小路:そうしたら一拍おいて、「わかりました。(俳優の)事務所をやめます」と。そうなったときに、彼女の友人たちが「明星、バカなこと言ってんじゃないよ。ちょっと考え直せ」と言ったひとりがイノッチ(井ノ原快彦)で。あと、デビュー前の森山直太朗くん。
SKY-HI:すごいじゃないですか!
綾小路:(ふたりは)当時、明星さんと一緒にお芝居をやられている関係で仲よしだったので、「俳優は続けろ」となって。でも、明星さんは「いや、でももう決めたんだ」と。「氣志團ってどこの馬の骨だよ」と。「1回観に来てよ」と言って、渋谷のクラブでライブをやっているときに観に来てくれたのが、イノッチと直太朗くんと、直太朗くんのパートナーで歌詞を書いている御徒町 凧くん。そんな流れでイノッチとは仲よくなって。そこからの縁で、僕らがいちばん大事なプロモーションをしなきゃいけない時期に、『学校へ行こう!』(TBS系)のスペシャルで全国についてきてくれて一緒にやったりとか。『木更津キャッツアイ』(TBS系)も明星さんがきっかけで出演したんです。
「神風に乗った男」が無風になった
さらに勢いを増していく氣志團。そんななか、綾小路は気志團を「もう少し続けたい」という欲が生まれてしまったと当時を振り返る。綾小路:そうしたらメンバーが「ガス欠人間」ですよ。
SKY-HI:(笑)。疲れてしまったと。
綾小路:彼らが「俺たちこんな怖いのやりたくない」と言うから「大丈夫だ、あそこまで行ったらあれ食べられるから」と、みんなを無理やり歩かせていたんですけど、ついに「もうテコでも動かんぞ」となったのが2006年。そのときに『氣志團万博』の2回目をやって、僕たちは活動が一気に止まる時期があって。みんな、真面目なんですね。「俺たち、正直、実力も伴ってないのになんで会場がこんなに大きくなっていくのかもわからないし、曲もレベルが低い。休みたいし、練習もしたいし、曲作りしたい」と。でも、僕は「ダメだ。今はまだ走るんだ」と。
そこでバンドは決裂。綾小路はDJ OZMAとして活動を続けながら、メンバーと再び話し合えるまで3年かかったと明かす。
綾小路:みんなも「言ってることがわかった」「俺もごめん、みんなの言ってることがわかった。氣志團をもう1回やろう」と言って。「さっさとDJ OZMAやめてくるわ」って、また氣志團を始めてみたんですけど、神風に乗っていた男が無風になったんです。
SKY-HI:2009年に凪になったんですね。
綾小路:2009年は復活の勢いもあって、まだ自己肯定感に満ちあふれていたんですが、2010年くらいになったら、空席が見えだして。それがどんどん加速していくんです。
SKY-HI:怖いですね。
綾小路:「嘘でしょ、何が起きてるの」みたいな。自分たちのライブのクオリティが下がっているとは全然思っていなかったんですけど、これがもう急激で。2010年のこととか今思い出すと背筋が凍るというか。あっという間に周りから人がいなくなっていく感じもありますし、お声もかからなくなっていきましたね。
対バンをきっかけにできた仲間と『氣志團万博』
その後、テレビ局からのオファーがあったこともあり、状況を変えるべく積極的にバラエティ番組にも出演するが、次第に弱気になり、「バンドを辞めたい」と考えるようになったという。それでも、「ライブだけは強いバンドだった」と証明するため、氣志團は2011年に約30本の対バンイベントを企画した。SKY-HI:氣志團は「え、そのバンドと!?」みたいな大物対バンを連続して組まれているイメージがありますね。
綾小路:それまで孤立無援のバンドで、デビュー前に一緒にやっていたバンドはみんな解散したりしていたのでシーンがなくて。なので、若い人たちから大先輩まで、お願いということを初めてして組んでもらったんです。これで通用しなかったら、そのときはいさぎよくやめようと思っていました。けれども、こっちも死に物狂いでやったので、ボコボコにされながらも今をときめくすごい人たちにしがみついていって。そうしたら不思議なもので、昭和のヤンキー漫画じゃないですけど、殴り合ったあとに土手で仲よくなるみたいな。初めて僕たちにちょっとずつ同業の友人たちができ始めました。
対バンをきっかけにできた仲間に声をかけ、2012年に再び開催したのが『氣志團万博』だった。
綾小路:「もう少しだけ、その友だちと一緒に何かやってみたい」と思って、みんなに声かけさせてもらったら「力貸すよ」という感じで出てもらえて。もうそのときも連続してやるつもりはなくて、単発のつもりでやったんです。それを今、自転車操業で今日までなんとかやっています。おかげさまで周囲を見渡せたのが2011年くらいで、それまでは自分たちのことで精一杯だったけど、そこからもう1回組み立て直したのが今につながっています。だから、今度は逆にやめられなくなっちゃったというか(笑)。恩返ししなきゃと思って。
番組では、氣志團が7月にデジタル配信リリースした『暴走天使』をオンエアした。
暴走天使
綾小路の「壁の乗り越え方」とは?
SKY-HIは、今後のキャリアやこれから見据えていることについて尋ねた。綾小路:僕、ツアーが好きで、とにかくずっとまわり続けたいと思っていて。今もツアーが終わったところなんですけど、とにかく一生まわって、自分たちで活動をしっかり続けていけるようにしたいなというのはあるんです。47都道府県、各地2デイズずつまわるという堅実な夢があるんですよ(笑)。
SKY-HI:いいですね。たぶん1年越しですもんね。
綾小路:そうそう。そういうことを死ぬまで続けながら生きていきたい。あと最近、なぜかここに来て10代とか20代前半の方が観に来てくれるようになったんです。しかも、けっこう海外から観に来てくださる方もいて。たまたまイベントで会話をすることがあったので、「どうやって僕たちを知ってくれたの?」と訊いたら、「コミックとアニメ」だと。忍者や侍の感じで「かつて実在はした、でも今はいないもの」にヤンキーが入っているみたいで。それを漫画や映画で観て、「日本にはどうやら本当にああいった髪型、服装をした人間たちがいたらしい」という流れで調べてくれて、わざわざ日本に来るついでにライブを観に来てくれたり。
SKY-HI:すごいですね。
綾小路:それがやっぱりうれしくて。「よし、ちゃんと僕たちも、自分たちから海外もまわれるように頑張ろう、具体的にちょっと動いてみよう」というのが、今のひとつの新しい挑戦ですね。
『DIVE TO THE NEW WORLD』では、毎回ゲストに「思いどおりにいかないときや、目の前に大きな壁が立ちはだかったとき、どうやって乗り越えるか?」という質問を投げかけている。
綾小路:「これは登れない」となったら、ずっとその壁沿いにひたすら歩き続けて「いや、どうも先に行けないぞ」となれば「掘るか」という感じで、「下から行ったら行けんじゃねえか」とか。どうしても僕たちの能力だと越えられない壁って今までも何度もあったので、乗り越えないで済む方法をみんなで考えたり。ひとりではとてもじゃないけど無理なので集団で、という感じかもしれません。
SKY-HI:すごいなと思います、本当に。なんか「らしさ」と「強さ」が両方込められていて。
綾小路:本当に、「諦める能力を持ってない」というか。諦める能力を持っていたら、もうちょっといいところに行けていた可能性もあるなってたまに思うんですけどね。
氣志團は11月7日(土)・8日(日)に幕張メッセ国際展示場4~7ホールで「氣志團万博2026 ~房総爆音リゾート~」を開催する。
氣志團の最新情報は公式サイトまで。
『DIVE TO THE NEW WORLD』は国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”していくプログラム。放送は毎週土曜23時から。
番組情報
- DIVE TO THE NEW WORLD
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毎週土曜23:00-23:54