原田郁子が、共同プロデューサーを務めた二階堂和美のニューアルバム『潮汐』の制作について語った。
原田が登場したのは、クリス智子がお届けする『TALK TO NEIGHBORS』。この番組は毎週ひと組、クリスがいま声を届けたい人を迎える30分のトークプログラム。月曜から木曜はラジオでオンエアし、翌金曜には放送した内容に加えて、限定トークも含むポッドキャストを配信している。
この記事では、19日のオンエア(ポッドキャストのエピソード1)をテキストで紹介する。
・ポッドキャストページ
原田は、シンガーソングライター・二階堂和美が1月21日(水)にリリースする14年ぶりのオリジナルアルバム『潮汐』で、共同プロデューサーを担当している。
クリス:12月の二階堂さんのライブに(原田)郁子ちゃんがサプライズゲストとして登場して、パフォーマンスもすばらしかったです。
原田:思い出すだけで鳥肌が立つようなライブでしたよね。
クリス:アルバムのプロデュースはどうでしたか?
原田:プロデュースって言うのもおこがましいんですけど、要するに相談役と見守り役になるというか。もともと、二階堂さんのプロジェクトが始まっているところに呼んでいただいたかたちだったから、「なんでも自分が手伝えることはやるよ」って言って、二階堂さんがいま住んでる広島に何度も通って録音していきました。
クリス:二階堂さんは現在、僧侶でもあるんですよね。おうちのお寺も継ぎながら、音楽活動も久々にということで。数年前にご主人が他界されて。
クリスは、原田と二階堂の出会いについて尋ねる。
原田:一方的にファンで(二階堂の音楽を)聴いてたんですけど、東日本大震災があった2011年に出されていた『にじみ』というアルバムが本当にすばらしくて。ライブを観に行って、共通の方に紹介してもらったっていうのが最初ですね。「プロジェクトFUKUSHIMA!」っていう福島で大友良英さんがやったイベントとかで何度かお会いする機会があって。数えるほどしかないんだけど、彼女から届くメッセージ、「郁子ちゃんがやっていることがすごくいいと思うよ」ということとかをポツポツ言ってくれて。「アルバムを手伝ってほしい」ってメールをいただいて、「何がなんでもこれはやらなくては」と思いました。
原田:二階堂さんは、ガンジー(ガンジー西垣/二階堂敦)さんという大事なパートナーを亡くされて。そのあと、お葬式には伺ったけれども、ちゃんといま住んでいるおうちと完成したスタジオに行ったのは初めてのタイミングで。そのときは「何か手伝ってほしい」って連絡をもらっていて、「じゃあ、まずは行くね」ってことで訪ねて。なかなか普段は通さないっていう、お寺さんの奥の奥の、自分たちが子どもと住んでるスペースの台所まで入らせてもらって、一緒にごはんを食べました。二階堂さんのお母さんも一緒に住んでらっしゃるから、サポート体制はあるけれど、まあ、彼女の日々の忙しさが想像を超えていたんですよね。お母さんもしながらお寺のこともやるっていうのが、「自分がぼんやりしてるうちに、いったいいくつのことをやってるんだろう」って。ひと息つけるときがないかもなっていうのは頭の片隅にあって。私はプライベートスタジオの一角で寝させてもらうので、「じゃあ、おやすみ」とひとりでスタジオのほうに帰ったんですよね。
原田はスタジオにあったグランドピアノになんとなく座ったという。
原田:誰もいなくて。そうしたら、ちょうど私の右側にガンジーさんのウッドベースがあって、「ガンジーさんどう? 遊びたいよね」という感じで。ガンジーさんのリズムって、独特の“タメ”があるんですよね。あんなベースって世界中で誰も弾けないような、1音と1音の間にすごくグルーヴがある人で。「遊びたいよね」って思っていたら、ラテンのピアノが思い浮かんで。その晩に『あれもこれも』の冒頭と歌詞も全部できて。「これはちょっとわからないけど録音しておこう」ってデモにして。ほかにも、二階堂さんが依頼してceroの髙城(晶平)さんや、キセルの辻村(豪文)さんに曲を書いてもらっていたんですよね。そのデモは作り始めてたから、(『あれもこれも』は)「ちょっと毛並みが違うかも」と(笑)。でも、結果的には「三田村管打団?」という、すばらしいビッグバンドのみんなと録音してアルバムのなかに入りました。
クリス:そういう想いがあったんですね。
原田:想いというか、体が勝手に動いて。目に見えてるものが曲のなかに入ってる感じですね。
原田:バンドの形態で、たとえばハナレグミの初期のバンドであるとか、一緒に携わりながら「こういうのどう?」とアイデアを出して一緒に作っていくということはあったけど、1音も出さずに歌い手の人がやりたいかたちを実現していくっていうのは初めての経験で、すごく感動していました。(二階堂は)とんでもない歌い手なんですよ。
クリス:ライブでも、ちょっととんでもなかったです。初めての経験はどうだったんですか?
原田:広島に住んでるピアニストの(黒瀬)みどりさんが、ガンジーさんが亡くなったあとも二階堂さんと二人三脚で。それまでは3人でライブをすることが多かったけど、ふたりになってからもお寺のライブをずっとやっていて。そのふたりきりのデモを聴いたときに、音自体が震えてるというか。悲しいとかそういうことだけでは言えない、いろんな時間がそこにある気がして。「このふたりの音を世界に届けるにはどうしたらいいか考えなくっちゃ」と感じて、それが届くにはどうしたらいいんだろうって。まだ人の前に持って出られないものが、音のなかに入ってたから、「うわ」って思って。でも、二階堂さん自身は「いやいや、これは」って言っていて。これが人前に出せるものなのかって判断は本人にはつかないと思うから、まずはスタジオの火を灯すところから始めて、そこで音が鳴るっていうことをエンジニアさんと試しながら「こんな音も鳴ったよ」とか「ここでドラムを叩くとこんな感じだね」とか。でも、ずっとガンジーさんはいる、存在として。
原田は、二階堂のさまざまな想いが込められた曲を、作品として世のなかに出せるものにしていった過程を語った。
原田:クラムボンっていうバンドで、特に録音というものをものすごく鍛えられて。何回も何回も練習して、大きなレコード会社が持ってるスタジオで、すごく調整されたグランドピアノで「はい、どうぞ」っていうレコーディングもデビュー当時にさせていただいたり。小淵沢で寝泊まりしながら、音も全部入っちゃうような、そういう録音もしてた時期があったり。あとは、ソロで初めて完全に家でヘッドホンをしながら歌うっていう宅録もしたり。自分のなかにいろんな経験があったから、二階堂さんがまずはこの曲をどうしたいかっていうことにもずっと耳を澄ませて、「きっとこっちの方向かな」って思ったら、ススって黒子のように(笑)。
クリス:「こちらじゃないですか?」って先回りして。
原田:そうそう。「ちょっとコーヒーを飲んでて」と言って、そのあいだにススって(笑)。『BILLIE』って曲があるんですけど。
原田:これは、たぶんテイク1だったと思うんです。バンドで予定していた曲はなんとか録れていて。そうしたら、メンバーのひとりが「この曲もさらってきたんだけど」って言ったので、「じゃあ、やってみる?」の流れで演奏が始まりかけたんです。だから、「ちょっと待って!」ってエンジニアさんと猛ダッシュで録音の準備をして。そういうふうにしないと間に合わなくて。
クリス:「産まれる、産まれる!」って(笑)。
原田:そのテイク1のすばらしさも経験として知っていて。絶対に戻れないから、そこを逃しちゃいけないって。それがすごく面白かったですね。
原田郁子の最新情報はクラムボンの公式サイトまで。
クリス智子がお届けする『TALK TO NEIGHBORS』は、J-WAVEで月曜~木曜の13時よりオンエア。ポッドキャストでも配信中。
原田が登場したのは、クリス智子がお届けする『TALK TO NEIGHBORS』。この番組は毎週ひと組、クリスがいま声を届けたい人を迎える30分のトークプログラム。月曜から木曜はラジオでオンエアし、翌金曜には放送した内容に加えて、限定トークも含むポッドキャストを配信している。
ポッドキャストで全編配信中
原田郁子が登場したのは2026年1月19日(月)~22日(木)。アナログレコードについて、クラムボンのメンバーが出会った当時のこと、歌詞に限らず詩や随筆など「文章の世界」など、クリス智子にたっぷりと語った。全編ポッドキャストで配信中。この記事では、19日のオンエア(ポッドキャストのエピソード1)をテキストで紹介する。
・ポッドキャストページ
僧侶でもある二階堂和美から届いたメッセージ
原田は1995年にクラムボンを結成、99年にデビュー。ソロとしても活動を重ね、さまざまなミュージシャンとの共作、ナレーション、舞台音楽など幅広いジャンルで活動している。原田は、シンガーソングライター・二階堂和美が1月21日(水)にリリースする14年ぶりのオリジナルアルバム『潮汐』で、共同プロデューサーを担当している。
クリス:12月の二階堂さんのライブに(原田)郁子ちゃんがサプライズゲストとして登場して、パフォーマンスもすばらしかったです。
原田:思い出すだけで鳥肌が立つようなライブでしたよね。
クリス:アルバムのプロデュースはどうでしたか?
原田:プロデュースって言うのもおこがましいんですけど、要するに相談役と見守り役になるというか。もともと、二階堂さんのプロジェクトが始まっているところに呼んでいただいたかたちだったから、「なんでも自分が手伝えることはやるよ」って言って、二階堂さんがいま住んでる広島に何度も通って録音していきました。
クリス:二階堂さんは現在、僧侶でもあるんですよね。おうちのお寺も継ぎながら、音楽活動も久々にということで。数年前にご主人が他界されて。
クリスは、原田と二階堂の出会いについて尋ねる。
原田:一方的にファンで(二階堂の音楽を)聴いてたんですけど、東日本大震災があった2011年に出されていた『にじみ』というアルバムが本当にすばらしくて。ライブを観に行って、共通の方に紹介してもらったっていうのが最初ですね。「プロジェクトFUKUSHIMA!」っていう福島で大友良英さんがやったイベントとかで何度かお会いする機会があって。数えるほどしかないんだけど、彼女から届くメッセージ、「郁子ちゃんがやっていることがすごくいいと思うよ」ということとかをポツポツ言ってくれて。「アルバムを手伝ってほしい」ってメールをいただいて、「何がなんでもこれはやらなくては」と思いました。
亡くなった二階堂和美の夫を思いながらピアノを弾いた
二階堂のアルバム『潮汐』には、原田が作詞作曲した『あれもこれも』も収録されている。その誕生秘話を原田はこう語った。原田:二階堂さんは、ガンジー(ガンジー西垣/二階堂敦)さんという大事なパートナーを亡くされて。そのあと、お葬式には伺ったけれども、ちゃんといま住んでいるおうちと完成したスタジオに行ったのは初めてのタイミングで。そのときは「何か手伝ってほしい」って連絡をもらっていて、「じゃあ、まずは行くね」ってことで訪ねて。なかなか普段は通さないっていう、お寺さんの奥の奥の、自分たちが子どもと住んでるスペースの台所まで入らせてもらって、一緒にごはんを食べました。二階堂さんのお母さんも一緒に住んでらっしゃるから、サポート体制はあるけれど、まあ、彼女の日々の忙しさが想像を超えていたんですよね。お母さんもしながらお寺のこともやるっていうのが、「自分がぼんやりしてるうちに、いったいいくつのことをやってるんだろう」って。ひと息つけるときがないかもなっていうのは頭の片隅にあって。私はプライベートスタジオの一角で寝させてもらうので、「じゃあ、おやすみ」とひとりでスタジオのほうに帰ったんですよね。
原田はスタジオにあったグランドピアノになんとなく座ったという。
原田:誰もいなくて。そうしたら、ちょうど私の右側にガンジーさんのウッドベースがあって、「ガンジーさんどう? 遊びたいよね」という感じで。ガンジーさんのリズムって、独特の“タメ”があるんですよね。あんなベースって世界中で誰も弾けないような、1音と1音の間にすごくグルーヴがある人で。「遊びたいよね」って思っていたら、ラテンのピアノが思い浮かんで。その晩に『あれもこれも』の冒頭と歌詞も全部できて。「これはちょっとわからないけど録音しておこう」ってデモにして。ほかにも、二階堂さんが依頼してceroの髙城(晶平)さんや、キセルの辻村(豪文)さんに曲を書いてもらっていたんですよね。そのデモは作り始めてたから、(『あれもこれも』は)「ちょっと毛並みが違うかも」と(笑)。でも、結果的には「三田村管打団?」という、すばらしいビッグバンドのみんなと録音してアルバムのなかに入りました。
クリス:そういう想いがあったんですね。
原田:想いというか、体が勝手に動いて。目に見えてるものが曲のなかに入ってる感じですね。
1音も出さずに、歌い手がやりたいことをかたちにする
原田は、クラムボンやソロでの活動と今回のサポート活動とでは、どのような違いを感じているのだろうか。原田:バンドの形態で、たとえばハナレグミの初期のバンドであるとか、一緒に携わりながら「こういうのどう?」とアイデアを出して一緒に作っていくということはあったけど、1音も出さずに歌い手の人がやりたいかたちを実現していくっていうのは初めての経験で、すごく感動していました。(二階堂は)とんでもない歌い手なんですよ。
クリス:ライブでも、ちょっととんでもなかったです。初めての経験はどうだったんですか?
原田:広島に住んでるピアニストの(黒瀬)みどりさんが、ガンジーさんが亡くなったあとも二階堂さんと二人三脚で。それまでは3人でライブをすることが多かったけど、ふたりになってからもお寺のライブをずっとやっていて。そのふたりきりのデモを聴いたときに、音自体が震えてるというか。悲しいとかそういうことだけでは言えない、いろんな時間がそこにある気がして。「このふたりの音を世界に届けるにはどうしたらいいか考えなくっちゃ」と感じて、それが届くにはどうしたらいいんだろうって。まだ人の前に持って出られないものが、音のなかに入ってたから、「うわ」って思って。でも、二階堂さん自身は「いやいや、これは」って言っていて。これが人前に出せるものなのかって判断は本人にはつかないと思うから、まずはスタジオの火を灯すところから始めて、そこで音が鳴るっていうことをエンジニアさんと試しながら「こんな音も鳴ったよ」とか「ここでドラムを叩くとこんな感じだね」とか。でも、ずっとガンジーさんはいる、存在として。
原田は、二階堂のさまざまな想いが込められた曲を、作品として世のなかに出せるものにしていった過程を語った。
原田:クラムボンっていうバンドで、特に録音というものをものすごく鍛えられて。何回も何回も練習して、大きなレコード会社が持ってるスタジオで、すごく調整されたグランドピアノで「はい、どうぞ」っていうレコーディングもデビュー当時にさせていただいたり。小淵沢で寝泊まりしながら、音も全部入っちゃうような、そういう録音もしてた時期があったり。あとは、ソロで初めて完全に家でヘッドホンをしながら歌うっていう宅録もしたり。自分のなかにいろんな経験があったから、二階堂さんがまずはこの曲をどうしたいかっていうことにもずっと耳を澄ませて、「きっとこっちの方向かな」って思ったら、ススって黒子のように(笑)。
クリス:「こちらじゃないですか?」って先回りして。
原田:そうそう。「ちょっとコーヒーを飲んでて」と言って、そのあいだにススって(笑)。『BILLIE』って曲があるんですけど。
原田:これは、たぶんテイク1だったと思うんです。バンドで予定していた曲はなんとか録れていて。そうしたら、メンバーのひとりが「この曲もさらってきたんだけど」って言ったので、「じゃあ、やってみる?」の流れで演奏が始まりかけたんです。だから、「ちょっと待って!」ってエンジニアさんと猛ダッシュで録音の準備をして。そういうふうにしないと間に合わなくて。
クリス:「産まれる、産まれる!」って(笑)。
原田:そのテイク1のすばらしさも経験として知っていて。絶対に戻れないから、そこを逃しちゃいけないって。それがすごく面白かったですね。
原田郁子の最新情報はクラムボンの公式サイトまで。
クリス智子がお届けする『TALK TO NEIGHBORS』は、J-WAVEで月曜~木曜の13時よりオンエア。ポッドキャストでも配信中。
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