篠原ともえが語る、吉田拓郎やシンディ・ローパーとの思い出。人生に寄り添ってきた音楽は?

デザイナー/アーティストの篠原ともえが亀田誠治とJ-WAVEで対談。篠原が人生に寄り添ってきた音楽を語った。

篠原が登場したのは、9月21日(日)放送のJ-WAVE『DEFENDER BLAZE A TRAIL』(ナビゲーター:亀田誠治)。毎回、音楽を愛するゲストを迎え、その人生に寄り添ってきた音楽の話を伺うプログラムだ。

タイムレスで心を震わせる曲

篠原ともえは1995年に歌手デビュー。2025年にデビュー30周年を迎えた。当初は歌手として活躍していたが、現在はデザイナー、アーティストとして活動の幅を広げている。

番組では、ゲストの人生に寄り添ってきた音楽を聴きながら、そこにどのようなエピソードがあるのか、話を訊いていく。まず、篠原は1曲目に電気グルーヴの『虹』をセレクトした。

虹 (Original Mix)

篠原:篠原はデビューが16歳。高校2年生のときだったんですけど、デビュー曲は電気グルーヴの石野卓球さんプロデュースだったんです。90年代、プロデュースの波があって、TK(小室哲哉)サウンドで篠原涼子さんがデビューされたり、奥田民生さんのプロデュースでPUFFYがデビューされたり。私は中学3年生のときに歌のオーディションを受けて、ソニーの新人開発部というところで歌のレッスンをして。

亀田:僕はそこに(デモテープを)何回も持って行って落ちたよ。

篠原:えー! デビューできるのはひと握りだから、私は本当に大きなチャンスをいただいたなと思って。デビューができるかわからなかったときに、卓球さんにお目にかかる機会があって、何人かのなかから選んでもらってデビューが決まりました。あらゆる曲があるなかで、電気グルーヴって尖ったイメージがあったんだけど、『虹』を聴いたときにこんなメロディアスでタイムレスで心を震わせる曲を作られたことも感動だったし、フェスで聴いたんですよ。レーザーと光のなかで「こんなかっこいいグループに私はめぐり会えて、お仕事できて幸せだな」って思えた曲でした。

吉田拓郎との思い出。最初は逃げられていたけど…

続いて、篠原は吉田拓郎とLOVE2 ALL STARSの『全部だきしめて』をセレクトした。

全部だきしめて

篠原:デビューしてから90年代の音楽テレビ番組で『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系)のレギュラーが決まったんです。音楽界の巨匠である吉田拓郎さんとKinKi Kids(現・DOMOTO)がMCをする話題になった番組でした。そのなかで篠原がコーナーを持たせてもらって、ブレイクというか、大きいきっかけだったんですよね。ただ、当時、拓郎さんが篠原に会ってびっくりしちゃったみたいで(笑)。

亀田:どうびっくりしたの?

篠原:元気すぎるから。目が合うと走って逃げるんです。なんで逃げちゃうんだろう? やっぱり巨匠なので、みなさんお会いすると腫れものに触るようなんだけど、篠原は友だちになりたかったから。

亀田:友だち(笑)。

篠原:遠くで見つけたら走って追いかけて。最初、拓郎さんには「あの子がいるなら番組を降りる」くらいまで言われちゃったんですよ。でも、私は乗り越えるわけです。きっと照れてるんだろうって(笑)。拓郎さんの楽屋に入れてもらえなかったんだけど、番組の途中くらいで、「あれ、篠原、なんでいないの?」「あの子、連れてきて」って。「いるとうるさいんだけど、いないとさみしいんだよな。俺の隣に連れてきて」って言われて「拓郎さんー!」ってそこで誤解が解けたというか。

亀田:文字どおり「全部だきしめて」だね。

シンディ・ローパーのステージに上がったら…

篠原が「不可能かもしれない」と思ったことに挑み、そしてそれを乗り越えて実現したとき、そんな瞬間に背中を押してくれた1曲を訊くと、シンディ・ローパーの『Girls Just Want To Have Fun』と答えた。

Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun (Official Video)

篠原:これは初めて聴いた洋楽に近いと思うんですけど、小学生のときにバレエを習っていたんですね。そこではジャズダンスも習っていて、その発表会で踊った楽曲がこの曲でした。いまでも鮮明に覚えているんですけど、この曲で衣装を華やかにまとってスポットライトを浴びたときに「私はこのエンタメの世界で輝いていこう」って決心ができたんです。

亀田:決心したんだ。

篠原:小学4年生のときに、はっきりと思ったんです。だから、そのスイッチを押してくれた曲でした。いま思うと、そのときはこの曲のアレンジが好きで聴いていたんですけど、これって女性の社会進出を応援する賛歌の曲なんです。自分も女性として、自分のものづくりを世に放っていく立場として指針になる楽曲だなって感じたんですよね。それからシンディ・ローパーさんの曲をすごく聴くようになって。シンディ・ローパーさんが出るフェスを観に行ったんです。そうしたらこの曲を歌ってくれて、最後リフレインするところで、オーディエンスをステージに上げちゃうの! それで篠原も上がって、一緒に歌って。そのあとに一緒にお食事をする機会をいただいたんです。

その後、篠原はシンディ・ローパーと焼き肉を食べに行ったという。

篠原:そのころは20代で、舞台のお仕事をいただいて。ステージが変わるというか、自分のエンタメの世界の表現が変わっていくとき。でも不安で。シンディ・ローパーさんもブロードウェイの舞台『三文オペラ』のジェニー役で賞をお獲りになったり、彼女自身も変化していったタイミングで。私も偶然『三文オペラ』の舞台でポリー役をやる予定、「その舞台が決まってるんだけどすごく不安」と伝えたらしっかりと聞いてくれて。「絶対、大丈夫よ。歌は心だから、ハートがあれば大丈夫なの。舞台も歌も変わらないのよ」って、すごく丁寧に私の手を取って話してくれたんです。それがものすごい力になって。小学生のときに憧れていたシンディ・ローパーさんが言ってくれるなら私は大丈夫だっていう力をもらった。そんな機会がありました。

ものづくりのスイッチが完全に入った1曲

篠原が最後に紹介したのは、本田ゆかと羽鳥美保のユニット、チボ・マットの『Working for Vacation』だった。

Working for Vacation

篠原:チボ・マットはニューヨークで活躍されたユニットなんです。20歳のころにニューヨークへひとり旅に行くきっかけになりました。女性がトラックを作るっていう姿に憧れて、私も当時、自分で楽曲を作っていたんです。音楽ってちょっと男性社会みたいなところがあるなかで、女性が音を作って届けるっていう、ものづくりのスイッチが完全に入った。そういうアイデアを届けたいなって確信になった女性ユニットだったんです。

コラボレーション作品は大きな挑戦だった

「人生に寄り添ってきた音楽」を紹介してきた篠原は、11月9日(日)まで上野の森美術館で開催中の、正倉院初の体験型展覧会「正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-」のコラボレーションアーティストのひとりとして参加している。

篠原:「正倉院展」は毎年、奈良県で開催しているのですが、宝物をアートやデジタルで展開し、新しい感覚でお楽しみいただこうというのがこの展覧会です。コラボレーションアーティストとして音楽部門は亀田さんが担当されています。私はファッション部門で、宝物をドレスに見立てた美しい作品をお届けしています。

亀田:本当に美しい。

篠原:その空間に亀田さんの音楽が流れているんですよね。

亀田は現代の技術で1,300年前の楽器が奏でる音と、現代の音とをまさしく融合させた作品『光』を作成した。

亀田:正倉院の歴史を未来へ光のように届けていきたい、正倉院にある素敵な宝物たちにずっと光を当て続けたいっていう想いもありますけど、聖武天皇のお妃・光明皇后の光をとって、愛の歌を作りたくて。

篠原:それで『光』なんですね! そういったアーカイブを宮内庁の正倉院事務所の方が私たちに託してくれたのもすごいことだし、本当に大きな挑戦でしたよね。

亀田:教科書ではみんな見たことがあるっていうんだけど、実際に触れたり見たりすることってなかなかできない。篠原さんの今回作った作品も未来に残していくために、若い世代の人たちにも触れてもらうっていう。

篠原:そうなんです。五感で感じることができる力になれたらいいなと思っています。

篠原ともえの最新情報は公式サイトまで。
「正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-」の最新情報は展覧会公式サイトまで。

『DEFENDER BLAZE A TRAIL』では、音楽を愛するゲストを迎え、人生に寄り添ってきた音楽、困難を乗り越えるときに出会った音楽について語り合う。オンエアは毎週日曜21時から。
番組情報
DEFENDER BLAZE A TRAIL
毎週日曜
21:00-21:54

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