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阿蘇の温泉「奇跡の湯」は、なぜそう呼ばれる? “自然と人の共存”を現地で学ぶ

阿蘇の温泉「奇跡の湯」は、なぜそう呼ばれる? “自然と人の共存”を現地で学ぶ

世界最大級のカルデラを有する熊本県・阿蘇。自然がもたらす恩恵と脅威、両方を享受しながらこの地に暮らす人々から学ぶべき、生き方のヒントとは何か――。今回、放送作家の小山薫堂と、シンガー・ソングライターのおおはた雄一が、現地取材を通して紐解いた。

取材の模様を伝えたのは、11月23日に放送された番組『J-WAVE SPECIAL TSUCHIYA EARTHOLOGY 9』(ナビゲーター:小山薫堂/高島彩)。阿蘇の雄大な自然と寄り添って生きる人々へのインタビューを通じて、自然との共生を考えるプログラムであり、ポッドキャストでも配信中だ。

・ポッドキャストページ

阿蘇の草原は“人間と自然の合作”

阿蘇を代表する絶景の一つといえば、雄大な草原の景色だ。どこまでも続く緑の大海原は、人の手が加わっていない完全な自然物のように見える。しかし、実は毎年春に野へ火を放ち、植生を焼き払う「野焼き」によって、その景観が保たれているという。野焼きを主導しているのは、草原クリエイターの増井太樹さん。草原を使って新しい価値の創造を目指し、日々活動する人物だ。

小山:草原は「勝手に存在しているもの」という印象を持っていましたが、人が野焼きをしないといけないものなんですね。

増井:そうなんです。年間でいうと、地元の人とボランティアの方合わせて1万人くらいで作業をし、野焼きによって草原を守っています。もしも火を放たなければ、草原は瞬く間に藪になってしまうんです。

小山:知りませんでした。ということは、阿蘇の草原は、人間が定住し始めてから今のような形に変わった……と考えられるのでしょうか?

増井:その可能性は高いです。一説には、1万3000年ほど前から阿蘇には草原があると言われています。縄文時代の人たちは、狩猟をするためにおそらくこの場所で火を使っていました。その後、弥生時代になって稲作の文化が根付くと、田んぼの肥料として、草原の草を使い始めたとされています。そんなわけでこの草原は、長年かけて形成された“人間と自然の合作”と言えるかもしれません。

悠久の時の中で、人と自然の調和により育まれた阿蘇の草原だが、今、この美しい風景が失われつつあるという。

増井:現在2万2千ヘクタールほどの広さがある阿蘇の草原ですが、100年前に比べると、半分程度に面積が小さくなってしまいました。

小山:その原因は何なのでしょうか?

増井:草原を有効活用するという名目のもと、植林が進み、一部が人工林に変わってしまったのです。それに、地元の方々の間では「草原を維持するのが大変」という話も出ています。このため、30年後にはさらに今の半分以下の面積となり、細切れの草原しか残らないと予測されているんです。そんなわけで、一面に広がる大草原を未来に残せるか否かは、今の時代の僕たちに懸っていると思っています。

野焼きの知られざるメリットとは?

なお、「野焼き」がもたらす効果は、一般的に広く知られているとは言い難い。その知られざるメリットを、草原クリエイターの口から説明してもらった。
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左:小山薫堂、中央:草原クリエイター 増井太樹さん、右:おおはた雄一

小山:素人目線で考えると、野焼きをすると地表に生い茂る植物はもちろん、地中にある種子まで燃えてしまうのかな?と思ってしまいます。

増井:いや、実はそんなこともないんです。野焼きはサーッと火が通っていき、一か所が燃える時間は3分くらい。長く同じ場所が燃え続けることはなく、地面の中にほとんど影響を与えません。なので、植物の種や根は地中で生き残り、次の年に一斉に芽吹くことができるというわけです。逆に野焼きしている最中より、野焼きをした後のほうが地中の温度が上がります。なぜかというと、焼けて黒くなった地表が太陽光を吸収するからです。ちょうど春先は温度が日中に上がり、夜に下がるという日が続く。こういった温度の変化を地中の種が受けると、「春が来たな」となり、芽が出やすくなる。なので、野焼きをやったほうが植物の発芽が促されるという効果があるんですよ。

小山:なるほど。謎が解けました。今まで不思議だったんですよね。全部、燃えちゃうんじゃないかなって。ちなみに、野焼きによってCO2がたくさん発生し、環境に悪影響を及ぼすということはないのでしょうか?

増井:当然ながら、野焼きをすればCO2が発生しますが、焼け跡からはすぐに植物が生えてきます。私たちはその生えた分だけを毎年繰り返し燃やしているため、一年間植物が吸収したCO2がそのまま空気中に排出されるだけ、という理屈になる。つまり実質的に、CO2はプラスマイナスゼロなんです。他方、土の中まで見てみると、少し事情が変わってくる。燃えた草は炭として地面に堆積し、さらに土の中では、地中深くに張り巡らされた根が腐って炭素を発生させます。そんなわけで、CO2が地下にどんどん蓄積されていく。ある研究結果によると、阿蘇全体で排出されるCO2の1.7倍を草原が吸収しているのではないかとも言われています。

また、草原があることで人の暮らしにも好影響を与えており、その一つが“水の恵み”だと、増井さんは続ける。

増井:阿蘇は年間降水量が約3,000mmに達する地域です。この草原に降った雨は土の中に蓄えられ、ゆるやかに河川へと送り出されます。また、福岡方面に流れる筑後川、大分方面に流れる大野川など、九州における6つの一級河川が阿蘇を源流としているので、降った雨が九州の人たちの喉を潤し、産業を活性化させているということになります。ちなみに、これだけ雨が降る土地ですから、土砂崩れをはじめとした災害のリスクはどうしても避けられません。しかし、森が崩れると木なども流されてくる恐れがありますが、草原の場合はその心配がない。このように水源かん養や災害リスクの観点から、草原も意外と人の暮らしの役に立っているんです。

カルデラに人々が暮らす理由

阿蘇の自然を理解する上で、やはり、火山を学ぶことは外せない。そこで小山とおおはたは、阿蘇山火口のほど近くに建つ「阿蘇火山博物館」を訪れ、学芸員の豊村克則さんから話を聞くことにした。東西18㎞、南北25㎞と世界最大級の規模を誇る阿蘇のカルデラ(火山の活動によって陥没した地形のこと)。その中には、約5万人が暮らしているというが、なぜ人々は、噴火のリスクが常に付きまとうカルデラ内に住み始めたのだろうか?
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手前が火山博物館 学芸員 豊村 克則さん

豊村:阿蘇カルデラには、少なくとも千年前、長く見積もれば1万年前から人が住んでいたとされています。理由としては、カルデラ形成によってできた広くて平らな土地が定住に適していたからです。もう一つは水の存在です。日本は世界的に見て雨が降りやすい国ですが、その雨の多い日本において阿蘇は平均降水量の2倍に及ぶ雨が降ります。実はこれには火山が関わっていまして。偏西風が吹くとき、熊本県内にある金峰山と阿蘇山と2段階の山のせいで2回空気が上昇し、雲ができやすくなるんですね。雲ができれば、むろん、雨が降る。そして、降り注いだ先には火山が出した溶岩が堆積している。そのため、地下が天然の浄水所となっていて、飲み水には困らなかったというわけです。

小山:よく熊本は「火と水の国」と呼ばれますけど、まさに火山が人々の暮らしを支えているのですね。逆に火山によって、人間は様々なリスクを負っているとも思うのですが。

豊村:たしかにそうですね。特にこの10年で水害、噴火、地震と、様々な災害が阿蘇で起こりました。火山は常に噴火のリスクと隣り合わせで、おまけに土地は酸性で農作物が育ちにくい。正直なところ、生活に不向きな場所と言わざるを得ません。しかしながら阿蘇の人たちは、水や土地の改良を繰り返し、火山の良い面と悪い面、両方としっかりと向き合い共存している。私は阿蘇の外から来た人間なのですが、傍から見ていて、阿蘇の人たちは自然への畏れをすごく持っているように思います。

阿蘇に湧く“奇跡の湯”

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火山が人に与える恩恵と言えば、温泉も忘れてはならない。阿蘇には、熊本県内における温泉総数の約4割を占める約550ヵ所の源泉があり、古くから湯治場としても愛され、与謝野鉄幹・晶子夫妻や、夏目漱石、種田山頭火なども訪れたことがあるという。

そんな数多ある温泉の中で、今回、小山たっての希望で訪れたのが、地獄温泉 青風荘の「すずめの湯」だ。2人肩を並べて湯に浸かると、小山は「いや~、気持ちいいですね」といい、おおはたは「まさか薫堂さんとは入れFるとは(笑)」と笑うなどし、旅の疲れを癒す。

湯から上がった後は、地獄温泉青風荘・副社長の河津謙二さんが、同温泉が「奇跡の湯」と言われる理由について教えてくれた。


小山:もうずっと入っていたくなるくらい、本当にいいお湯でした。「すずめの湯」には、あつ湯とぬる湯の2種類がありましたが、どうやって温度を変えているんですか?

河津:あれは自然のままなんですよ。湧き方で温度が違うんです。

小山:では、源泉が2つあるということですか?

河津:そうです。本来であれば、火山性の温泉はものすごく高温です。ところが、すずめの湯では、地下で冷泉も湧いています。この2つの源泉が自然に調合され、ちょうど人が入れる温度になっているんです。

おおはた:不思議ですね~。

河津:そこが奇跡の湯と言われる所以です。
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熊本地震被害から得た教訓

小山が地獄温泉青風荘に来たかった理由は、単にあつ湯とぬる湯を楽しみに来ただけではない。同施設は、2016年4月14日に発生した熊本地震で甚大な被害を被った。ここまで復興するに至った裏では、どんな苦労があったのか――。それを当事者の口から聞くことが大きな目的だったのだ。

小山:2016年の熊本地震のとき、どれくらいの被害があったのですか?

河津:地震で倒壊するような被害はなかったのですが、基礎はすべてやられ、道路が寸断されていたので、ヘリコプターで避難しました。被災当時、従業員・お客さん含めて70名ほどが施設にいたため、大きなヘリが何回も往復していたことを覚えています。避難する直前に温泉を見て回ったら、平時と変わらず湧いていました。この温泉さえどうにか残っていれば、どういうかたちであれ復活できる……。そんな思いで、いったんこの場を離れました。しかし同年6月、地震で地盤が緩んだところに大雨が降り、土石流が発生したんですよ。それで建物の8割くらいが完全使えなくなってしまいました。

小山:地震で倒壊というよりは、その後の土石流で……。

河津:そうですね。山が崩れたために建物がダメージを受け、計画がガラッとくるってしまいました。

小山:現在の状態に復旧するまでにかなりの時間を要したと推察します。

河津:はい。すずめの湯が復活するまでに丸3年、宿泊施設ができるまでに4年はかかっています。

小山:火山のおかげでこの温泉が出ているわけですが、火山活動によって地震が起こるわけじゃないですか。被害に遭ったときにどんなお気持ちでしたか?

河津:あれほどの地震が起きるとは思っていませんでしたから、やはり最初は落ち込みましたよ。ですが、この阿蘇は自然とともにある土地。温泉をはじめ、水、食、風景など、多彩な恩恵がある分、そういうこともあるという覚悟が、私含め、阿蘇に住んでいる人には身に付いているように感じます。今回の地震を通し、自然を大切にしつつ、しっかりと向き合って付き合うべきだと、今まで以上に強く感じるようになりました。
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地獄温泉 清風荘 河津 謙二さん

このほか番組では、ジオリブ研究所の所長・巽好幸さんによる地形が文化形成にどのような影響を与えているのかをテーマにしたスタジオトークや、おおはたによる今回の旅を振り返っての生演奏も披露された。

J-WAVEで不定期オンエアする特別番組『J-WAVE SPECIAL TSUCHIYA EARTHOLOGY』は、過去の放送回がポッドキャストで楽しめる。

(構成=小島浩平)

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番組情報
J-WAVE SPECIAL TSUCHIYA EARTHOLOGY 9
11月23日
ここに時間→18:00-19:55