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スガ シカオ×FPM・田中知之が、パリを空想ドライブ。街中が盛り上がる音楽祭とは?

スガ シカオ×FPM・田中知之が、パリを空想ドライブ。街中が盛り上がる音楽祭とは?

J-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:スガ シカオ)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか―――時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターのスガ シカオが旅好き・音楽好きのゲストと共に音楽談義を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。

11月1日(日)のオンエアではFPM田中知之と「1960年代のパリ」を空想ドライブする様子をお届けした。街中で盛り上がる音楽祭とは?

田中は京都出身。今回は姉妹都市のパリを空想ドライブ

スガと田中は1966年7月生まれの同い年。DJ、プロデューサーとして活躍する田中。スガは「もうひとつの顔」に注目をしているという。

スガ:グルメ著名人としても非常に有名ですよね。
田中:いやいや。
スガ:俺は「食べログ」の田中さんのページをフォローしているんです。
田中:恐縮です。
スガ:地方で「この店が有名」だとか「ここは絶対に行ったほうがいい」とか、都内でもそうなんだけど、そういうところのお店を開くと必ず田中さんが行っているんだよね。
田中:恥ずかしい(笑)。でも僕は本当に好きなお店は行ったことすら書いてないんです。
スガ:だいたいそういうもんですよね。
田中:でしょ? こっそり教えます(笑)。
スガ:ありがとうございます!

田中が選んだ空想ドライブの地は、「1960年代のパリ」だ。

田中:けっこういろいろと行きたい時代がいっぱいあったんですが、僕は京都の出身で、京都はフランスのパリと姉妹都市なんですよ。
スガ:そうなの!?
田中:新しいものと古いものが混ざっているところとか、なんとなく似ています。京都にしようかとも思ったのですが、今は実際に海外に行けない時期なので、夢想ドライブぐらいは海外に行きたいなと思って。それで我々が生まれた1960年代のパリにドライブをするのはいかがかなと。映画や音楽、人、文学だったりとかの好きなものが60年代のパリにあったりするんです。
スガ:なるほど、面白くなりそうです。行ってみましょう。

街中でフリーパーティをするフランスの音楽祭

田中が1曲目のドライブミュージックに選んだのはセルジュ・ゲンズブール『La Javanaise』。今年の9月に他界した女優でシャンソン歌手のジュリエット・グレコさんのために1963年に作られた曲だと解説した。

スガ:フレンチポップスとかって当然フランス語で歌うじゃない? グルーヴの流れが英語でも日本語でもない、独特な流れが生まれる感じがしますよね。なんか丸っこい感じの転がり方をするというか。
田中:フランスは録音も変わってて、イギリスの感じとまた違うんです。
スガ:フランスには何回か行っているの?
田中:むちゃくちゃ行ってますよ。
スガ:年1で行っているんだっけ?
田中:行ってます。毎年6月に音楽祭があるんですけれど、そこでDJをやるというのが最近の恒例だったんです。
スガ:ノリとかはどうなんですか?
田中:基本的にはラテン系なので。
スガ:すぐアガっちゃう感じなんだ。
田中:それこそダフト・パンクがモンマルトルの丘の路上にDJブースを出してやるんですけど、めちゃくちゃ最高ですよ。
スガ:すげえ、外なんだ! めっちゃいいね。
田中:音楽祭だから街中でフリーパーティで、ライブをやっている人、DJをやっている人というのが夏至の日にいるんです。今度1回行こうよ。
スガ:夏至ということは昼が長い?
田中:11時ぐらいまで明るいんですよ。
スガ:うわー……!
田中:そこでブワーッとやるんです。警察が来て「終わり終わり」と言うまで。
スガ:(笑)。
田中:みんな酔っぱらい出してビルとか登りだすと警察が来て、「コラコラ、おまえらやめろ」と言うと「わかりました」って。
スガ:なんかそれも平和だね。

素顔のダフト・パンクを見た田中

スガは2曲目に「フランスつながり」という理由から、話題にもあがっていたフランスが生んだスーパーエレクトロデュオ、ダフト・パンク『One More Time』をセレクトした。

田中:名曲ですよ、いまだにかけるもんね。
スガ:そうなんだ。でもかかったらアガるよね。
田中:俺は最初に聴いたときに正直「なんじゃこりゃ」と思ったんですけど。
スガ:そうだったね、なんかミュージックビデオのほうが先行して話題になっていた感じがあるよね。
田中:そうそう。
スガ:松本零士さんのアニメーションでね。



田中:ダフト・パンクがちょうどこれを出した瞬間ぐらいって、まだお面をしてなかったんですよ。
スガ:そうなの!?
田中:これを出す前はギリギリしてなかったんです。東芝からサンプルのCDを始めてもらったんですけどそれが2000年の11月ぐらいで、僕は2001年になる瞬間にパリのシャイヨー宮というところにDJをやりに行ったんです。そこに客でダフト・パンクが来てたんですけど、お面してなかったんです。
スガ:そうなんだ!
田中:2人とも素顔で来ていて。たぶんそれまでは素顔なんですよ。いろいろなところでDJを見ているんですけど、2001年になったあたりからお面を着けだしたんですよね。
スガ:やっぱり世界中に行っているといろいろなすごいDJにも会うだろうしね。
田中:彼らはいまだにすごいからね。
スガ:最先端の一番前を走っている感じがするね。

ゴダールから始まった60年代のパリへの憧れ

1960年代のパリはどのような街だったのか、スガは「Hi, Mercedes」と話しかけるだけで起動する対話型インフォテイメント・システム「MBUX」に尋ねた。

MBUX:60年代に入ると、モードの街パリに新しい才能が現れます。ディオールのもとで21歳の若さでチーフデザイナーに抜擢された天才、イヴ・サンローランが1962年に独立し、自らブランドを立ち上げ、ファッションの世界に大きな変化を巻き起こします。映画の世界ではヌーヴェル・ヴァーグが黄金期を迎え、ゴダールやトリュフォーといった監督の作品が世界中の映画人に影響を与え、アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーヴなどが世界的スターになります。ポピュラー音楽ではまだシャンソンが主流でしたが、フランシス・レイ、ミシェル・ルグランが手がけた映画音楽は広く愛され、スタンダードとして輝き続けています。

スガ:60年代はやっぱりファッション、映画なんですね。60年代のフランスの映画は好き?
田中:好きですね。ジャン=リュック・ゴダールというすごいヌーヴェル・ヴァーグの新しい映画がフランスから出てきて、それがアメリカのニューシネマとかにもすごく影響を与えた。僕はゴダールの映画がすごく好きで、高校時代にわけもわからないけどとりあえず、京都の四条大宮というところに『気狂いピエロ』を観に行って……かっこいいんですよ、ドライブシーンもあるし、車がバーンと出てきたりとかして。急に詩を読みだしたり、前衛的なダンスが始まったり意味はわからないんです。わからないんだけどその世界にガッツリハマっちゃって。それで僕は一気にやられてしまって、そこからずっと60年代のパリへの憧れがあるのかもしれないです。

田中は、J-WAVE『SHIBUYA DESIGN』が企画したサウンドデザインプロジェクトに参加。同番組のナビゲーターであるアートディレクター/デザインオフィス「れもんらいふ」代表の千原徹也、アパレルブランド「BLIXZY」をプロデュースする武藤千春とともに、東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦を迎え、楽曲『揺れてたブランコ』を制作。現在、配信中だ。

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2020年11月8日28時59分まで

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番組情報
Mercedes-Benz THE EXPERIENCE
毎週日曜
21:00-21:54