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世界を旅したロバート・ハリス「石田純一と同じ女の子を追いかけました(笑)」

世界を旅したロバート・ハリス「石田純一と同じ女の子を追いかけました(笑)」

J-WAVEの番組『GOLDEN PASS』(ナビゲーター:藤田琢己)。5月26日(日)のオンエアでは、作家、旅人として活躍するロバート・ハリスさんを迎えて、奇想天外な人生を振り返りました。

ロバート・ハリスさんは1948年、横浜市出身。高校時代から国内、海外をヒッチハイクで旅をして、大学卒業後に東南アジアを放浪。バリ島で1年過ごしたあと、オーストラリアに渡り、1988年までの16年間滞在。シドニーで書店兼画廊「EXILES」を経営します。そののち、映画やテレビなどの制作スタッフとして活躍し帰国。1992年からはJ-WAVEのナビゲータも担当しました。現在は作家としても活躍しています。


■行き先はヒッピーまかせ

藤田:初めての海外はどちらに?
ハリス:シベリア鉄道に乗ってロシアに行き、そこからスウェーデンに渡り、3週間ほどバイトをしました。世界中からヒッピーが集まっていて、彼らの話を聞いていると「インドもいいな」「アフガニスタンもいいな」「イスタンブールも行きたい」と思ったから、ヒッチハイクでヨーロッパ、中東を縦断してインドまで行っちゃったんです。

当時は今みたいに情報もありません。

ハリス:トルコとイランの国境が開いているかどうかも分からなくて、向こうから来る旅人に訊くんです。すると「昨日は開いてたけど、今日はどうかな」なんて言われて、行ったら閉まってたりするんです。情報がないから毎日が冒険でしたね。例えば、アフガニスタンはバスも汽車もないんです。旅人が集まって車を借りないといけない。カブールまでドライバー付きのジープで行って、着いたらそこがすごくいい街で、ヒッピーがたくさん集まっていて、ヒッピーしか泊まらないホテルもあって、そこでビートルズの『Sgt. Pepper's』が一日中流れていたんです。当時は発売されたばかりだったから、そこで初めて聴きました。

こうして、世界を旅することの面白さを知ったハリスさん。なかでもインドのカルカッタでは印象的な出会いがあったそうです。

ハリス:安宿に泊まっていたときに、庭に雑誌『ナショナルジオグラフィック』が置いてあったんです。それに「50歳の冒険家が100の冒険を叶えた」という記事があって「面白い」と思って、僕も1週間くらいかけて、人生でやりたいことを100個書きました。これから社会のレールに乗るのもつまらないと思って、自分のブループリントを作りたかったんです。
藤田:例えばどんなことを書いたんですか?
ハリス:「旅人の集まるカフェをやる」「悟りを開く」「大学で1000冊の本を読む」「人妻と恋をする」「ファッションモデルと付き合う」とか、好き勝手に書こうと思って(笑)。書き出していたら、自分はサラリーマンには向いてないこと、長いスパンでは日本には住めないこと、ものを書くのが好きで、旅が好きで、波乱万丈に生きたいことが自分で分かったんです。何年もかけて、100のうち85くらいは叶いました。自分がやりたいことを書くのは、すごくいいことだと思います。


■再び海外へ

順風満帆にみえますが、壁にぶつかることもあったそうです。

ハリス:大学を卒業するちょっと前に、執筆活動を家でやってたんですけど、作家になりたいのに、何を書けばいいのか分からなくて葛藤がありました。英語を教えてお金を貯めたり、遊んでたりもしてたけど、寝る間を惜しんでたから精神的、肉体的に疲れていたようで、ある日、急に鬱っぽくなったんです。急に家に閉じこもって、これはヤバいと思って、卒業したら日本を出るしかないと思いました。
藤田:まずはどちらに行こうと?
ハリス:一番安いので、アジアに行こうと思いました。アジアから逆回りでヨーロッパに行こうと思って、貨物船を見つけてインドに向かってたけど、まだまだ落ち込みが激しかったんです。落ち込んでるときに旅をしてはダメですね。まわりに友だちとか親とかがいないから、今まで経験したことがない恐怖心が襲ってきてヤバいと思ってました。そういう顔をしてたら、一緒にいたヒッピーに「その顔でインドに行くのはヤバいよ」って言われました。「どこ行けばいい?」って訊いたら「バリ島っていう、旅人に優しい島がある」って言ったんです。70年代当時は、日本人はバリ島なんて聞いたことなかったけど、それでバリ島に行きました。

そのままバリ島に居を構え、今度はオーストラリアで16年を過ごします。その理由は……。

ハリス:バリで落ち込みから立ち直ろうと思って、滝に打たれたり、瞑想をしたりいろいろあがきました。でも治らないので、オーストラリアだったら近いし、英語圏だし、バイトでもして1年いようと思って、シドニーに行ったんです。シドニーは丘が多くて港があって横浜に似てました。いい街で、気づいたら16年いましたね(笑)。
藤田:(笑)。なぜそんなに長く?
ハリス:オーストラリアが気に入って、気がついたらいろいろな面白いことをやってたんです。まずはセラピーをやって落ち込みから立ち直りました。セラピーってすごいと思ったから、セラピストになりました。その頃には書くのを封印しようと思って、そのまま27年間封印しましたね。
藤田:そうなんですね。
ハリス:大きな書店で働いたら偉くなって、書店のマネージャーになっちゃったんです。スーツで通っていたら、ある日「俺は社会人になってしまっている。俺は旅人でヒッピーなんだから、これではいけない」と思って1年働いて辞表を出しました。

そしてハリスさんは「自分の書店を構える」ことも夢のひとつだったため、古い書店を購入。「EXILES」という店を構えます。

ハリス:いろんな人種が集まるような、街の宿り木のような場所になりました。シドニーの文化が面白い時期で、芸文化もすごくあったし、アンダーグラウンドの劇団もいて、みんなが仲間で僕のブックショップに集まってきましたね。詩に関するラジオ番組もやってました。

「EXILES」には映画『マッド・マックス』のジョージ・ミラー監督も来ていました。そのことが次に繋がりました。

ハリス:書店を閉じた後、まずはテレビ局で日本映画の字幕の仕事を、4年ほどやってました。やっているうちにジョージ・ミラーがテレビシリーズを作ることになりました。日本の捕虜収容所の話で「お前が監督補佐をやってくれ」と言われて、2年間働きました。日本の主役は、まだ売れてない頃の石田純一さんだったんです。
藤田:そうなんですか!
ハリス:彼とは親友になりました。彼も僕もギャンブルが強かったけど、僕のほうが少し強かったから、いつもカモにしてました(笑)。彼は1年ぐらいオーストラリアにいて、同じ女の子を追いかけたりしました(笑)。

「大切なのはインプットとアウトプットのバランス」というハリスさん。映画を観たり、小説を読んだりして、いろいろなものを吸収しながら、いつか自分でも発信できるのが理想だと話しました。

2018年には小説『JJ 横浜ダイアリーズ』を出版。1960年代の横浜を舞台にした青春恋愛小説です。三部作になる予定で、現在は続編を執筆中です。こちらも楽しみですね。

【番組情報】
番組名:『GOLDEN PASS』
放送日時:日曜 23時-24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/goldenpass/

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