J-WAVEの番組『GOLDEN PASS』(ナビゲーター:藤田琢己)。世界の流れがグローバルに進んでいる今、これからの日本、そして世界を牽引していく若者たちを応援する番組です。5月19日(日)のオンエアでは、独自のダンススタイルと圧倒的な存在感で活躍する、ダンサーの菅原小春さんをゲストに迎え、お送りしました。
■ダンスを始めたきっかけは?
菅原さんは1992年、千葉県出身の27歳。幼少期にダンスを始め、10代のときに様々なダンスコンテストで優勝し、早くから注目を集めます。高校卒業後にLAにダンス留学。そこで独自のダンススタイルが高く評価され、海外でも一目置かれる存在に。様々なジャンルに独自のメソッドを融合させたスタイルで世界的に注目を集め、これまで数えきれないほどのトップアーティストたちと共演を果たしています。
菅原さんがダンスを始めたきっかけは、小さい頃からの家庭環境にあります。菅原さんの父親が大の音楽好きで、2階にあった仕事場でも、家族の食事の時間でもずっとラジオから音楽が流れていたそうです。音楽とダンスに興味を持った菅原さんは、「そんなに好きなら……」と近所のダンススクールに通わせてもらうことに。そこからダンスコンテストに参加するようになります。
菅原:小中高は地方も東京もいろんなコンテストに出て、優勝っていう結果が出て。そうすると「優勝するってコツがあるな」と思い、それを掴んできちゃうんですよ。だけど、高校生くらいのときに、ダンスの「こうすれば優勝できる、タイトルをもらえる」っていうのが嫌になって。
小さい頃から父親から「おまえはここにいちゃダメだから、海外へ行け。世界に行かないとダメだ」と言われていた菅原さん。優勝を重ねることに意味を見いだせなくなり、ついにアメリカ行きを決めます。
菅原:「世界なんだな」というのが、ずっとアバウトにあったんです。勝ちや結果を残すことは良いことで、続いてきたことだったけど、やっぱりそれを感じすぎちゃって。自分がそのタイトルを持って「さてどうしよう?」ってなったときに、何もできない自分になってしまっていることが嫌になって。父の「世界」っていう言葉を思い出して、「とにかく行こう!」と思いました。
LAに行こうと思ったものの、問題はその費用。「いま行きたい!」と思っているのに、その気持ちを抑えてアルバイトをする時間がもったいないと考えた菅原さんは、祖父に頼み込むことに。一度は断られたものの、いとこの結婚式で全力のダンスを披露しました。
菅原:そしたら何も言わず、お金を渡してくれて。「行ってこい」って言ってくれたんです。それで「よし! それなら思い切りやってこよう!」と、そのお金を握りしめて行きました。
■生徒なのに先生を任される実力
アメリカにダンス留学生として行ったばかりの頃、英語がわからなかった菅原さん。そのため、オーディションの情報すら触れることができなかったといいます。菅原さんの場合は、先生にダンスを見てもらうことで実力を評価され、ショーに出させてもらったり、ときにはその先生が行けなくなったワークショップに、「俺の代わりに小春行って」と先生代行を任されるまでに。そのうち、ヨーロッパをはじめ、世界中から声がかかるようになりました。
菅原:それを5、6年やってました。
藤田:アーティストと共演とか、今みたいに菅原さんがステージに立つのはそのあとなんですか?
菅原:そのあとです。誰も見向きもしてくれませんでしたから、日本では(笑)。
藤田:そうなんですね。
菅原:だけどやっぱり海外に出るパワーっていうのがすごくて、その5、6年の間で、私の映像がぐるりと一周まわって誰かに届いたのか、最初はCMだったり広告だったり。踊るってことがフレッシュだったみたいで、最初はそこから始まり、徐々に日本での露出がすごく増えて。
オーディションを受けることはあまりなかった菅原さんですが、歌手のリアーナが来日した際には、オーディションを受けたと振り返ります。
藤田:結局、その座を掴むんですよね?
菅原:はい。
藤田:(笑)。
菅原:だってできると思うんですもん。「絶対、私でしょ」って思う。だって、そうなんですよ……って、「思いは招く」ですね、私は。
藤田:すごい……!
自分の掴みたいものへ体当たりで挑み、今なおチャレンジを続けている菅原さんに、「海外で成功するためにはどんな秘訣が必要ですか?」とぶつけると、改めて「『思い』です!」と言い切りました。菅原さん流の生きる哲学が垣間見えたオンエアとなりました。
【この記事の放送回をradikoで聴く】
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【番組情報】
番組名:『GOLDEN PASS』
放送日時:日曜 23時-24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/goldenpass/
■ダンスを始めたきっかけは?
菅原さんは1992年、千葉県出身の27歳。幼少期にダンスを始め、10代のときに様々なダンスコンテストで優勝し、早くから注目を集めます。高校卒業後にLAにダンス留学。そこで独自のダンススタイルが高く評価され、海外でも一目置かれる存在に。様々なジャンルに独自のメソッドを融合させたスタイルで世界的に注目を集め、これまで数えきれないほどのトップアーティストたちと共演を果たしています。
菅原さんがダンスを始めたきっかけは、小さい頃からの家庭環境にあります。菅原さんの父親が大の音楽好きで、2階にあった仕事場でも、家族の食事の時間でもずっとラジオから音楽が流れていたそうです。音楽とダンスに興味を持った菅原さんは、「そんなに好きなら……」と近所のダンススクールに通わせてもらうことに。そこからダンスコンテストに参加するようになります。
菅原:小中高は地方も東京もいろんなコンテストに出て、優勝っていう結果が出て。そうすると「優勝するってコツがあるな」と思い、それを掴んできちゃうんですよ。だけど、高校生くらいのときに、ダンスの「こうすれば優勝できる、タイトルをもらえる」っていうのが嫌になって。
小さい頃から父親から「おまえはここにいちゃダメだから、海外へ行け。世界に行かないとダメだ」と言われていた菅原さん。優勝を重ねることに意味を見いだせなくなり、ついにアメリカ行きを決めます。
菅原:「世界なんだな」というのが、ずっとアバウトにあったんです。勝ちや結果を残すことは良いことで、続いてきたことだったけど、やっぱりそれを感じすぎちゃって。自分がそのタイトルを持って「さてどうしよう?」ってなったときに、何もできない自分になってしまっていることが嫌になって。父の「世界」っていう言葉を思い出して、「とにかく行こう!」と思いました。
LAに行こうと思ったものの、問題はその費用。「いま行きたい!」と思っているのに、その気持ちを抑えてアルバイトをする時間がもったいないと考えた菅原さんは、祖父に頼み込むことに。一度は断られたものの、いとこの結婚式で全力のダンスを披露しました。
菅原:そしたら何も言わず、お金を渡してくれて。「行ってこい」って言ってくれたんです。それで「よし! それなら思い切りやってこよう!」と、そのお金を握りしめて行きました。
■生徒なのに先生を任される実力
アメリカにダンス留学生として行ったばかりの頃、英語がわからなかった菅原さん。そのため、オーディションの情報すら触れることができなかったといいます。菅原さんの場合は、先生にダンスを見てもらうことで実力を評価され、ショーに出させてもらったり、ときにはその先生が行けなくなったワークショップに、「俺の代わりに小春行って」と先生代行を任されるまでに。そのうち、ヨーロッパをはじめ、世界中から声がかかるようになりました。
菅原:それを5、6年やってました。
藤田:アーティストと共演とか、今みたいに菅原さんがステージに立つのはそのあとなんですか?
菅原:そのあとです。誰も見向きもしてくれませんでしたから、日本では(笑)。
藤田:そうなんですね。
菅原:だけどやっぱり海外に出るパワーっていうのがすごくて、その5、6年の間で、私の映像がぐるりと一周まわって誰かに届いたのか、最初はCMだったり広告だったり。踊るってことがフレッシュだったみたいで、最初はそこから始まり、徐々に日本での露出がすごく増えて。
オーディションを受けることはあまりなかった菅原さんですが、歌手のリアーナが来日した際には、オーディションを受けたと振り返ります。
藤田:結局、その座を掴むんですよね?
菅原:はい。
藤田:(笑)。
菅原:だってできると思うんですもん。「絶対、私でしょ」って思う。だって、そうなんですよ……って、「思いは招く」ですね、私は。
藤田:すごい……!
自分の掴みたいものへ体当たりで挑み、今なおチャレンジを続けている菅原さんに、「海外で成功するためにはどんな秘訣が必要ですか?」とぶつけると、改めて「『思い』です!」と言い切りました。菅原さん流の生きる哲学が垣間見えたオンエアとなりました。
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番組名:『GOLDEN PASS』
放送日時:日曜 23時-24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/goldenpass/
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