J-WAVEで放送中の番組『STEP ONE』(ナビゲーター:サッシャ・増井なぎさ)のワンコーナー「BEHIND THE SCENE」。4月30日(火)のオンエアでは、平成30年間のJ-POP 10大ニュースを音楽プロデューサーの冨田明宏さんと振り返りました。
■小室哲哉が画期的だった理由
まずは10位から4位を発表。
第10位:『イカ天』、ホコ天、ビジュアル系 空前のバンドブーム
第9位:群雄割拠のアイドル戦国時代
第8位:AIR JAM世代でインディーズに脚光
第7位:新たな文化を生んだ渋谷系ムーブメント
第6位:重要バンドの仕掛け人・ 小林武史プロデュース
第5位:90年代を席巻! 小室ファミリーがメガヒット連発
第4位:突如現れた1998年デビューの才能たち
さっそく10位から振り返りました。
冨田:テレビ番組から発信されてバンドがメジャーになっていきました。たま、BEGIN、シャ乱Qなどは『イカ天』(TBS『三宅裕司のいかすバンド天国』)出身です。
サッシャ:『イカ天』がなかったら、つんく♂さんがデビューしていないから、モーニング娘。も出てこなかったんですよね。
冨田:「ホコ天(歩行者天国)」からメジャーデビューをしたケースもありました。プリンセス プリンセス『ダイヤモンド』は平成元年のヒット曲です。1991年頃には510組のバンドがメジャーデビューしています。当時はバブル期でCDも売れて、メーカーにもお金があって、どんどんデビューさせたいという流れがありました。ビジュアル系でいえばX JAPANも1989年にメジャーデビューアルバム『BLUE BLOOD』をリリースしています。
9位「群雄割拠のアイドル戦国時代」について、冨田さんはこう語ります。
冨田:アイドルの中でも、AKB48系の初期メンバーは「ハロプロ(ハロー!プロジェクト)」の影響からメンバーになった人が非常に多いです。
サッシャ:そう考えると、これも『イカ天』につながってくるんですよね。
冨田:意外と、人脈というかファミリーツリーみたいなものがつながっていることが多いです。“ファミリー”といえば、小室ファミリーの安室奈美恵さんは2018年9月に引退しましたね。ホームページも閉鎖されて、ゆっくりと平成が終わっていくことを体感した人も多かったんじゃないかと思います。
8位「AIR JAM世代でインディーズに脚光」についてサッシャは「ライブのほかにブランド『DEVILOCK』と組んだりもしましたよね。MONGOL800がたくさんCDを売って、レーベルに所属しなくてもヒットしたのは衝撃的でした」と話します。
冨田:インディーズのカルチャーは昔からありましたが、パンクだったり、ストリートカルチャーと結びついて、ここまで巨大なムーブメントになったのは非常に大きかったと思います。WANIMAはHi-STANDARDの横山 健さんがやっているレーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」からリリースされていて、パンクやメロコア、ハードコアといったカルチャーがまだ続いてるのも、AIR JAM世代で盛り上がったおかげだと思います。
さらに、4位「突如現れた1998年デビューの才能たち」を振り返り、「1998年は宇多田ヒカルさん、椎名林檎さん、aikoさんがデビューした年」と解説。
冨田:J-POPにとって1番大きいのは、J-WAVEでかけても違和感がないポップスが増えてきたことだと思います。宇多田ヒカルさん、椎名林檎さん、aikoさんがデビューした頃に、いろいろな人たちがアーティストと呼ばれるようになってきました。それまではシンガーとか歌手と呼ばれていて、自分で作詞作曲、セルフプロデュースまでするアーティスト的な活動をするようになってきたのが、98年組のみなさんさんから、より活発的になっていきました。それまでは、提供を受けた曲を歌っていたんです。
サッシャ:それでいえば、90年代半ばに小室ファミリーがヒットしたときに、小室さんが日本に初めてプロデューサーを明記する文化を持ってきたんです。それまでは職業としての作詞家や作曲家が作ったものを歌手が歌っていた歌謡曲の文化から、「この人のプロデュースだからこのアーティストを聴く」という、そこからアーティストそのものの自己プロデュースにつながっていくというふうになりましたよね。
冨田:ヨーロッパでは、ストック・エイトキン・ウォーターマンとかカイリー・ミノーグとかをプロデュースしていたチームがあって、小室さんはそのビジネスモデルというか、プロデュースモデルをよく参考にしていたみたいです。小室さんとしては、音楽を作ってカラオケで歌ってもらうまでをプロデュースだと考えていました。カラオケで歌うみなさんにとっては、音楽的な知識とか、そういったものではなく、歌いやすさ、ノリやすさが大事。ダンスミュージックのなかに歌いやすいメロディがある、というところまでのプロデュースを考えていたのは画期的でした。
■フェスを楽しむ文化の定着
ここからはトップ3の発表です。
第3位:国内でロックフェスが定着
第2位:ネットから新世代アーティストが出現
冨田さんは3位「国内でロックフェスが定着」について触れ、「フジロック(FUJI ROCK FESTIVAL)」が1997年から始まり、初回は嵐にみまわれ、2日目は開催されなかった出来事を紹介。
冨田:その後、「RISING SUN ROCK FESTIVAL」「SUMMER SONIC」と、続々とロックフェスが始まり、音楽の楽しみ方がかなり変わりました。それまでは海外フェスのように寝転がりながら音楽を楽しむようなカルチャーは日本になかったのに、一気に定着したんです。しかも、「フジロック」や「サマソニ」などで流れるかっこいい音楽を、バンドやアーティストも考え始めたり、音楽のスタイルも少し変わっていくような、非常に大きな出来事だったと思います。
サッシャ:僕も「サマソニ」のMCを初年度からやっていますが、この20年で文化がすごく変わりました。みんながフェス慣れしていなかったところから始まって、昔はMCをやっていて「こうするといいですよ」って楽しみ方のガイドをしてたんです。今はそういうことを言う必要性もないです。
冨田:「サマソニ」は今やポップカルチャーの見本市みたいになっていて、昔では考えられないほどアイドルがたくさん出たり、さまざまなアーティストが文化を発信する場所になっていて、フェスの形も何十年かで変わってきた印象がありますね。
サッシャ:アーティスト目的ではなく「このフェスだから行く」という文化になったのも大きいですよね。
いよいよ1位の発表です。
第1位:日本中に衝撃! 国民的アイドル「SMAP」解散
SMAPは1988年に結成され、1991年にデビューを果たし、2016年に解散しました。
冨田:平成とともに駆け抜けたアイドルグループです。解散が決まったときはNHKでニュース速報のテロップが出て、一挙手一投足が連日メディアで報道され、大規模なCD購買運動も起こりました。『世界に一つだけの花』は300万枚を超える売り上げになり、平成において最も売れた曲になりました。安倍晋三首相が「令和」に込めた思いを語ったときに、歌詞を引用していて、国民の誰もが浮かべる曲。この曲を生み出したアイドルグループが平成の終わりを目前に解散していて、未だに影響力がある。これはすごいニュースだったと思います。
サッシャ:そう考えると、槇原敬之さんもすごいですよね。
冨田:ソロでたくさんのヒットを生み出しながら、提供曲としてもこれだけの名曲を生み出していると考えると、彼もすごいと思います。「ナンバーワンじゃなくてオンリーワンでいい」という言葉に励まされた人も多いと思うんです。
サッシャ:昭和的価値観のナンバーワンからオンリーワンという平成の価値観になっていくというのもありますね。
新たに始まる令和では、どんな音楽ニュースが生まれるのでしょうか。
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【番組情報】
番組名:『STEP ONE』
放送日時:月・火・水・木曜 9時-13時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/stepone/
■小室哲哉が画期的だった理由
まずは10位から4位を発表。
第10位:『イカ天』、ホコ天、ビジュアル系 空前のバンドブーム
第9位:群雄割拠のアイドル戦国時代
第8位:AIR JAM世代でインディーズに脚光
第7位:新たな文化を生んだ渋谷系ムーブメント
第6位:重要バンドの仕掛け人・ 小林武史プロデュース
第5位:90年代を席巻! 小室ファミリーがメガヒット連発
第4位:突如現れた1998年デビューの才能たち
さっそく10位から振り返りました。
冨田:テレビ番組から発信されてバンドがメジャーになっていきました。たま、BEGIN、シャ乱Qなどは『イカ天』(TBS『三宅裕司のいかすバンド天国』)出身です。
サッシャ:『イカ天』がなかったら、つんく♂さんがデビューしていないから、モーニング娘。も出てこなかったんですよね。
冨田:「ホコ天(歩行者天国)」からメジャーデビューをしたケースもありました。プリンセス プリンセス『ダイヤモンド』は平成元年のヒット曲です。1991年頃には510組のバンドがメジャーデビューしています。当時はバブル期でCDも売れて、メーカーにもお金があって、どんどんデビューさせたいという流れがありました。ビジュアル系でいえばX JAPANも1989年にメジャーデビューアルバム『BLUE BLOOD』をリリースしています。
9位「群雄割拠のアイドル戦国時代」について、冨田さんはこう語ります。
冨田:アイドルの中でも、AKB48系の初期メンバーは「ハロプロ(ハロー!プロジェクト)」の影響からメンバーになった人が非常に多いです。
サッシャ:そう考えると、これも『イカ天』につながってくるんですよね。
冨田:意外と、人脈というかファミリーツリーみたいなものがつながっていることが多いです。“ファミリー”といえば、小室ファミリーの安室奈美恵さんは2018年9月に引退しましたね。ホームページも閉鎖されて、ゆっくりと平成が終わっていくことを体感した人も多かったんじゃないかと思います。
8位「AIR JAM世代でインディーズに脚光」についてサッシャは「ライブのほかにブランド『DEVILOCK』と組んだりもしましたよね。MONGOL800がたくさんCDを売って、レーベルに所属しなくてもヒットしたのは衝撃的でした」と話します。
冨田:インディーズのカルチャーは昔からありましたが、パンクだったり、ストリートカルチャーと結びついて、ここまで巨大なムーブメントになったのは非常に大きかったと思います。WANIMAはHi-STANDARDの横山 健さんがやっているレーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」からリリースされていて、パンクやメロコア、ハードコアといったカルチャーがまだ続いてるのも、AIR JAM世代で盛り上がったおかげだと思います。
さらに、4位「突如現れた1998年デビューの才能たち」を振り返り、「1998年は宇多田ヒカルさん、椎名林檎さん、aikoさんがデビューした年」と解説。
冨田:J-POPにとって1番大きいのは、J-WAVEでかけても違和感がないポップスが増えてきたことだと思います。宇多田ヒカルさん、椎名林檎さん、aikoさんがデビューした頃に、いろいろな人たちがアーティストと呼ばれるようになってきました。それまではシンガーとか歌手と呼ばれていて、自分で作詞作曲、セルフプロデュースまでするアーティスト的な活動をするようになってきたのが、98年組のみなさんさんから、より活発的になっていきました。それまでは、提供を受けた曲を歌っていたんです。
サッシャ:それでいえば、90年代半ばに小室ファミリーがヒットしたときに、小室さんが日本に初めてプロデューサーを明記する文化を持ってきたんです。それまでは職業としての作詞家や作曲家が作ったものを歌手が歌っていた歌謡曲の文化から、「この人のプロデュースだからこのアーティストを聴く」という、そこからアーティストそのものの自己プロデュースにつながっていくというふうになりましたよね。
冨田:ヨーロッパでは、ストック・エイトキン・ウォーターマンとかカイリー・ミノーグとかをプロデュースしていたチームがあって、小室さんはそのビジネスモデルというか、プロデュースモデルをよく参考にしていたみたいです。小室さんとしては、音楽を作ってカラオケで歌ってもらうまでをプロデュースだと考えていました。カラオケで歌うみなさんにとっては、音楽的な知識とか、そういったものではなく、歌いやすさ、ノリやすさが大事。ダンスミュージックのなかに歌いやすいメロディがある、というところまでのプロデュースを考えていたのは画期的でした。
■フェスを楽しむ文化の定着
ここからはトップ3の発表です。
第3位:国内でロックフェスが定着
第2位:ネットから新世代アーティストが出現
冨田さんは3位「国内でロックフェスが定着」について触れ、「フジロック(FUJI ROCK FESTIVAL)」が1997年から始まり、初回は嵐にみまわれ、2日目は開催されなかった出来事を紹介。
冨田:その後、「RISING SUN ROCK FESTIVAL」「SUMMER SONIC」と、続々とロックフェスが始まり、音楽の楽しみ方がかなり変わりました。それまでは海外フェスのように寝転がりながら音楽を楽しむようなカルチャーは日本になかったのに、一気に定着したんです。しかも、「フジロック」や「サマソニ」などで流れるかっこいい音楽を、バンドやアーティストも考え始めたり、音楽のスタイルも少し変わっていくような、非常に大きな出来事だったと思います。
サッシャ:僕も「サマソニ」のMCを初年度からやっていますが、この20年で文化がすごく変わりました。みんながフェス慣れしていなかったところから始まって、昔はMCをやっていて「こうするといいですよ」って楽しみ方のガイドをしてたんです。今はそういうことを言う必要性もないです。
冨田:「サマソニ」は今やポップカルチャーの見本市みたいになっていて、昔では考えられないほどアイドルがたくさん出たり、さまざまなアーティストが文化を発信する場所になっていて、フェスの形も何十年かで変わってきた印象がありますね。
サッシャ:アーティスト目的ではなく「このフェスだから行く」という文化になったのも大きいですよね。
いよいよ1位の発表です。
第1位:日本中に衝撃! 国民的アイドル「SMAP」解散
SMAPは1988年に結成され、1991年にデビューを果たし、2016年に解散しました。
冨田:平成とともに駆け抜けたアイドルグループです。解散が決まったときはNHKでニュース速報のテロップが出て、一挙手一投足が連日メディアで報道され、大規模なCD購買運動も起こりました。『世界に一つだけの花』は300万枚を超える売り上げになり、平成において最も売れた曲になりました。安倍晋三首相が「令和」に込めた思いを語ったときに、歌詞を引用していて、国民の誰もが浮かべる曲。この曲を生み出したアイドルグループが平成の終わりを目前に解散していて、未だに影響力がある。これはすごいニュースだったと思います。
サッシャ:そう考えると、槇原敬之さんもすごいですよね。
冨田:ソロでたくさんのヒットを生み出しながら、提供曲としてもこれだけの名曲を生み出していると考えると、彼もすごいと思います。「ナンバーワンじゃなくてオンリーワンでいい」という言葉に励まされた人も多いと思うんです。
サッシャ:昭和的価値観のナンバーワンからオンリーワンという平成の価値観になっていくというのもありますね。
新たに始まる令和では、どんな音楽ニュースが生まれるのでしょうか。
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『STEP ONE』
放送日時:月・火・水・木曜 9時-13時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/stepone/