音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」
「ステージ4の下咽頭がん」克服のHermann H.&The Pacemakers・岡本洋平、復活までの心境を語る

「ステージ4の下咽頭がん」克服のHermann H.&The Pacemakers・岡本洋平、復活までの心境を語る

J-WAVEがいま注目するさまざまなトピックをお届けする日曜夜の番組『J-WAVE SELECTION』。12月2日(日)のオンエアは、ステージ4の下咽頭がんからの復活を果たしたHermann H.&The Pacemakers(以下、ヘルマン)のフロントマンである岡本洋平さんのストーリーを追いました。番組タイトルは「NEVER DIE YOUNG ~岡本洋平復活までの道のり」です。

岡本さんが下咽頭がんと宣告されたのは2016年。ライブで復活を遂げたのは2018年。2年間のインタビューやライブリハ後の音声などの記録を通して、病気との闘いや、音楽にどん欲に挑戦していく彼の姿をお伝えします。


■GOING・松本「大丈夫?」とは訊けなくて…

番組のナビゲーターを務めたのは、GOING UNDER GROUNDの松本素生。GOINGとヘルマンはデビューのタイミング近く、「テレビ収録やフェス出演で一緒になったりしたんですけど、ライバル心がすごすぎて言葉は交わしたことがなかった」とのこと。松本さんの番組に岡本さんが出演したことをきっかけに交流が生まれ、一昨年ステージを共にしました。その一週間後に、下咽頭がんを患っていたことが発表されました。

松本:ショックで、「大丈夫?」っていう電話もかけられなかったですね。大丈夫と言えないのは、洋平くんがいちばんよくわかった上での発表だったと思うし……。「なんて声かければいいんだろう」というのが実際の気持ち。実は、僕はひとり、バンドの親しいミュージシャンを亡くしているんです。その傷が癒える前に洋平くんのことがあったんで……本当にショックだったし、言葉をかけられない自分にイライラした。「絶対に復活してほしい」という気持ちがありました。


■がんと闘いにいく前に決めたことは

2016年9月にステージ4の下咽頭がんと宣告され、一切の音楽活動を離れ闘病生活に入った岡本さん。どんな思いを抱えていたのでしょうか。退院して半年後の2017年6月に行われた、岡本さんへのインタビューをお届けします。聞き手は、ヘルマンのギター・平床政治さんです。

平床:入院生活って長くなかったのかな?
岡本:予定通り3カ月間だった。
平床:今日は退院して半年経ったよね。いまの気持ちから教えてくれるかな。
岡本:退院して半年経って、いろいろと回復しているわけだけど、不安でいっぱいだよね。これはしょうがないと思うんだけど。下咽頭がんと呼ばれる喉のがんがわかったときはステージ4だった。このがんがみつかるときは、だいたいそのステージになっている場合が多いから、それですぐ入院治療になって。
平床:その過程では、放射線とか抗がん剤とかいろんな治療があるけど、それは一通りやり尽くしたの?
岡本:全部やったよね。放射線治療と、抗がん剤治療と科学療法を併用して。俺がラッキーだったのは、全ての抗がん剤が一発で全部ハマったこと。これからどうなるかわからないけど、とりあえず相当よくないところから、またゼロに戻れたことには感謝だね。
平床:声を出すことが大変な時期があって、いまはまだ歌う段階じゃないんだよね?
岡本:まず半年間は歌わないでくれって言われてる。そのくらいは少なくとも休ませろってことなんだと思う……声帯のクリニックにも行って、声帯の状態も問題なく復活してると言われているけど、まだちょっと自分なりに出にくいところとか、コントロールできないところはある。来週にまた検診があって、そこで問題なければ、ずっと歌わないように我慢してきたけど、ちょっとずつ自分なりに歌い始めようかなと。でも、相当なダメージをくらっているから、時間をかけて喉を作り直すしかないと思うんだよね。歌うとなると……俺がいちばんよくわかってるけど。

ステージ4の下咽頭癌で余命1年と宣告されたときの心境を、こう振り返ります。

岡本:宣告を受けて、「意味わかんねえ」ってことが、いちばん最初にあって。家族のことだったりもあるけども……なんだろうね。生きられたとしても、声を失ったり歌えなくなったりするのは「果たして何なんだろう」という気持ちがあって。真っ白というか。でも、病気と闘いにいく前に決めたんだよね。好きなことを好きなだけやる、って。
平床:そうね。腹くくってやってたからね。
岡本:いちばんデカいのは、死ぬかもしれないってこと。次は、喉が戻らないかもしれないこと。そうなったら、本当に生きている意味がわからないから。外に出るのもイヤになっちゃって、だからみんなに毎日家に来てもらってワイワイやったの。

平床さんは当時の岡本さんについて、「いまを楽しむことに頑張っているように見えた」と話します。

平床:みんなが一緒にいる今の時間を大切に楽しむぜ、みたいな。一方で、ひとりになったときはつらかったと思うのよ。
岡本:そうだね。いまだにそうだしね。たとえばこうやって話していると、ひとごとみたいに話しているんだよね。だけど、とてつもなく絶望してしまうときもあるわけで。楽しもうと思って外に出て、自分のなかで病気のことがフラッシュバックして急に絶望したりする。それは自分もイヤだし、楽しかったはずの場所を空気悪くしちゃう場合もあるかもしれないし。いろんなことがあって、勝手にヘコんでどうしようもない顔で1日を過ごしているときもあって、家族にも悪いなって思うこともあったけど、ダメなときはダメで。
平床:まあ、そうだよな。
岡本:何かのきっかけで「俺はまだいける」っていうピースを探しながらいつも生きているような。
平床:これからは絶望してしまう瞬間をどんどん減らしていければいいよね。


■病気をしたからといって違う人間になるわけじゃない

オンエアでは、復活して初のリハーサル後のバーベキューの様子も流れました。岡本さんは音出しをした感想を「やっぱ、いいよね。特別どうってこともないのが、バンドなんだなって。すげえ、超楽しかったということもなく。延長線上で演奏したってだけで」と話します。淡々とした口調ですが、染み入るような喜びが伝わってきます。

その音源を聴いた松本さんは、こう語りました。

松本:ステージ4のがんを宣告されて、命の期限までわかってしまって……健康な人は年老いてから考えることを、がんがみつかった時点で全部考えたと思うんですよね。でも、BBQの様子では、意外と普通だったっていうか、病気したから違う人間になったわけじゃないというリアルさに、胸が震えました。

「なんて言うんだろうな……」と、言葉を探す松本さん。同じバンドマンだからこそ感じることがあったようです。

松本:たとえば、もし自分がバンドをやっていなくて、彼の家族だったとしたら、「もう喉を使う仕事をしないでほしい」と。バンドをまた始めると聞いたら「えっ?」となってもおかしくないと思うんですよ。でも、そこも、命の期限を自分のなかで考えて、それでもバンドをやりたいっていう……なんて言ったらいいのかな。バンドって基本、誰からもやってくれと頼まれてないことなんで。僕もバンドマンだからわかるんですけど、もう、業っていうか。リハで音出しをしたあとの岡本くん、ピカピカの声をしてますよね。「あ、この人やっぱりバンドマンだな」と思った。あのときの嬉しそうな声は忘れられないし、あれが全てなんだろうなと、バンドマン目線で聴いていて思いました。


■ライブは、自分との闘いだった

岡本さんの退院後に初となるリハーサルは、2017年7月に行われました。その1年後に復活ライブをすることを決定。

平床:ライブの日程が決まって、リハーサルを重ねて上手くいっているにせよ、気持ちはつくっていたと思うよね。そのときのことを思い出せる?
岡本:俺のなかではライブのできは置いておいたとしても、やらないとはじまらないから。だから日にちを決めてライブをやるってことがあった。やらないよりはやったことのほうが頑張ったなって。
平床:1回でもやらないと、次に進めないからね。

そして2018年7月、東京キネマ倶楽部で2日間にわたり復活ライブを行いました。岡本さん自ら声をかけ、ゆかりのあるバンドマンが駆けつけました。GOING UNDER GROUNDも出演しています。

松本:我々も声をかけてもらって、非常に嬉しかったですね。「病気が治ったから飲もうよ」とかじゃなくて、GOING UNDER GROUNDの看板を出して、ステージで会いたいって思ってたから。「負けてたまるか」「絶対にヘルマンよりいいライブをやる」っていう気持ちでした。自分たちも20年止まらずにやっているという自負があるから、それを洋平くんに見てもらいたいし、刺激を受けてもらえればいいなと。ヘルマンのライブは、洋平くんの気持ちもわかっていたし……不安と期待が入り混じった気持ちで、自分たちの出番が終わったあとに待っていました。

ライブの直前、岡本さんはどんな気持ちを抱いていたのでしょうか。平床さんが訊きます。

平床:ライブの直前はどんな気持ちだった?
岡本:いちばんは「自分との闘い」って気持ちが大きかったかな。病気になって、そんな自分にもう一度勝ちにいかないと。そうしないと病気が治ったとしても、俺は負けながら生きるような気がしていたから。

ライブ中に、岡本さんは客席に向けてこう話しました。

岡本:今日、伝えられたことが、どれくらいあるのかはわからないのですが……。生きていると、いきなり「あなた、明日ないから」と言われることがある。だけど、俺はすごく思ってたの。入院していたときに、SNSとかでみんなが応援してくれているという気持ちが本当に力になった。病院ではずっとひとりだった。治療して楽なときばかりじゃなかったけど、ふと、みんなが「頑張れ」とか言ってくれたり。俺は本当にそれがあったから死ななかったと思うんだよね。うそみたいな話かもしれないけど「あなた、このままだと1年もたないですよ」って言われて。でも、こんなに最高の場所がある。それは、みんなの力だったんです。本当にありがとうございます。

ステージを観ていた松本さんは……。

松本:洋平くんのなかで、歌いながら安心したり不安になったりしたと思う。そういう顔をして歌っていました。でも、その姿がたまらなくかっこよかったし、ヘルマンの音楽をより好きになった瞬間でした。完成されたモノもかっこいいけれど、揺れ動きながら120%の自分を出していくかっこよさもあると思ってるんで。これからが楽しみだし、僕らも負けないように。来年は、満を持してツーマンライブとかやりたいね。いい友人、いいライバルがそばにいてくれるなというのが、今の気持ちです。


■「今までどおりの俺」になるために

岡本さんは復活までの道のりを振り返り、最後にこうコメントしました。

岡本:現状、俺はがんという病気をなんとか乗り越えられたけども、本当にすごく単純で、「克服しました」「治しました」「どんなにつらくても頑張るんだ」という気持ちじゃなくて、「いままで通りの俺に戻りたいんだ」って思いで治療した。だから、これからは静かに丁寧に生きますってバカみたいなことじゃなくて、俺は岡本洋平という人間で、俺が俺らしくいるために必要なパーツが人生にはあるから。それを失うのがイヤだった。なんとしても今まで通り生きたかった。

ステージ4の下咽頭がんから復活を遂げた岡本さん。その言葉は、静かな力に満ちていました。オンエアでは、ライブ音源もたっぷりお届けしています。ぜひ、radikoでお聴きください。

この記事の放送回をradikoで聴く
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。

【番組情報】
番組名:『J-WAVE SELECTION』
放送日時:毎週日曜 22時-22時54分
オフィシャルサイト: https://www.j-wave.co.jp/original/jwaveplus/

この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。

  • 新規登録簡単30
  • J-meアカウントでログイン
  • メールアドレスでログイン