J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:藤田琢己)。11月27日(火)のオンエアでは、DAOKOとのコンビでお届けしました。
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は、今年で結成40周年を迎えるYMOこと、イエロー・マジック・オーケストラを特集。
【1回目】伝説の音楽グループ・YMOを大特集! 「イエロー・マジック」の意味とは?
細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんの3人で結成された、テクノ音楽の元祖とも称される、日本が世界に誇る音楽グループ、イエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)は、1978年のグループ結成から今年で40周年を迎えました。
DAOKOは世代は違うものの、父の影響やテクノ好きということもあり、今でもレコードで聴いているそう。その魅力について「あの時代、こういうのあったよね」みたいな古さは感じられず、時代を超えた新しさ、ユニークさがあると言います。
そんなYMOの歴史について、1日目は1978年のデビューから1979年の2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされたところまでを紹介。2日目はその続きから。
■先に海外で話題に
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』をリリース後、YMOはすぐに初のワールドツアーを行います。この時、ツアーを一緒に回っていたメンバーは、矢野顕子さん、渡辺香津美さん、そして「4人目のYMO」といわれた松武秀樹さん。このツアー中に同作が国内で大ヒットし、帰国したときに彼らはスターになっていました。
ほとんどのアーティストは、国内でヒットを出し、人気を得てから海外ツアーを行うことが多かったのですが、当時のスタッフが「YMOの音楽は国内よりも海外で人気が出る!」と見越してのことだったそう。その戦略は結果的に大成功となりました。
海外ではテレビやラジオなど多くのライブ番組が組まれ、東洋の未知なる国からやってきた若者たちは、オーディエンスの反応に媚を売ることなく黙々と演奏。そのパフォーマンスに加え、当時「人民服風」と表現された赤いコスチュームなどそのビジュアルも話題に。ロンドン、パリ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.、ボストン、そして凱旋公演となった中野サンプラザと、追加公演を含めた計11公演は大成功をおさめました。
■ヘアスタイル「テクノカット」も大流行
YMOはツアーの終了とともに、海外でヒットした日本人アーティストとして、逆輸入的に日本での人気が爆発。80年代当時、原宿を中心に若者の間で流行っていた竹の子族が、こぞってYMOの『ライディーン』で踊っていたそうです。さらにYMOメンバーがしていた、モミアゲを剃って襟足を刈り上げた「テクノカット」が大流行。音楽だけでなく、そのスタイルも当時の小学生から大人まで、まさに社会現象として受け入れられるほどになりました。
■伝説のラジオ番組とタッグ、さらにヒット!
そして1980年3月から初の国内ツアーをスタート。確固たる人気を確立したYMOはこの年の6月に3枚目のアルバム『増殖』をリリースします。このアルバムは当時、人気を博していた伝説のラジオ番組『スネークマンショー』とタッグを組んだ作品です。
『スネークマンショー』はラジオDJの小林克也さん、音楽プロデューサー・放送作家の桑原茂一さん、俳優の伊武雅刀さんを中心に、音楽とショートコントを織り交ぜた人気番組でした。この番組の大ファンだった高橋幸宏さんが細野晴臣さんに聴かせたところ、とても気に入り「じゃあアルバムでやるか」とこのコラボが決まりました。アルバムでは番組と同じスタイルで、曲の間にショートコントが挟み込まれるという演出になっています。
藤田:そもそもは実験的なニュアンスを込めたユニットととしてスタートしていた、という歴史を1日目に紹介したんですけども、まさにその面白いと思ったものを自分たちの中に取り入れるという、イエロー・マジック・オーケストラらしい挑戦的なアルバムでした。
このアルバムはオリコン・アルバムチャートで1位を獲得。前作に続き2作連続1位となる大ヒットとなりました。『増殖』をリリース後、YMOは再び海外ツアーへと向かいます。最初の海外ツアーよりさらに大規模となり、全8カ国19公演を周りました。
その間には1971年から2006年まで放送されていた、アメリカの超人気ダンス音楽番組『ソウル・トレイン』に日本人アーティストとして初めて出演。その映像はネットでも見ることができます。若かりし頃のメンバーを見てみたいという方はぜひ探してみてください。
このワールドツアーのファイナルは、日本に凱旋しての日本武道館公演。こちらはなんと4日間連続公演! 時代の寵児となったYMOは、その翌年1981年に4枚目のスタジオ・アルバム『BGM』で大きな転換期を迎えます。これには「音を出す機材の変化」が大きく関わっています。
【3回目】YMOはヒップホップシーンにも影響? 世界の音楽に与えた影響
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ『radiko.jpプレミアム』(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は『radiko.jpタイムフリー』機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は、今年で結成40周年を迎えるYMOこと、イエロー・マジック・オーケストラを特集。
【1回目】伝説の音楽グループ・YMOを大特集! 「イエロー・マジック」の意味とは?
細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんの3人で結成された、テクノ音楽の元祖とも称される、日本が世界に誇る音楽グループ、イエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)は、1978年のグループ結成から今年で40周年を迎えました。
DAOKOは世代は違うものの、父の影響やテクノ好きということもあり、今でもレコードで聴いているそう。その魅力について「あの時代、こういうのあったよね」みたいな古さは感じられず、時代を超えた新しさ、ユニークさがあると言います。
そんなYMOの歴史について、1日目は1978年のデビューから1979年の2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされたところまでを紹介。2日目はその続きから。
■先に海外で話題に
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』をリリース後、YMOはすぐに初のワールドツアーを行います。この時、ツアーを一緒に回っていたメンバーは、矢野顕子さん、渡辺香津美さん、そして「4人目のYMO」といわれた松武秀樹さん。このツアー中に同作が国内で大ヒットし、帰国したときに彼らはスターになっていました。
ほとんどのアーティストは、国内でヒットを出し、人気を得てから海外ツアーを行うことが多かったのですが、当時のスタッフが「YMOの音楽は国内よりも海外で人気が出る!」と見越してのことだったそう。その戦略は結果的に大成功となりました。
海外ではテレビやラジオなど多くのライブ番組が組まれ、東洋の未知なる国からやってきた若者たちは、オーディエンスの反応に媚を売ることなく黙々と演奏。そのパフォーマンスに加え、当時「人民服風」と表現された赤いコスチュームなどそのビジュアルも話題に。ロンドン、パリ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.、ボストン、そして凱旋公演となった中野サンプラザと、追加公演を含めた計11公演は大成功をおさめました。
■ヘアスタイル「テクノカット」も大流行
YMOはツアーの終了とともに、海外でヒットした日本人アーティストとして、逆輸入的に日本での人気が爆発。80年代当時、原宿を中心に若者の間で流行っていた竹の子族が、こぞってYMOの『ライディーン』で踊っていたそうです。さらにYMOメンバーがしていた、モミアゲを剃って襟足を刈り上げた「テクノカット」が大流行。音楽だけでなく、そのスタイルも当時の小学生から大人まで、まさに社会現象として受け入れられるほどになりました。
■伝説のラジオ番組とタッグ、さらにヒット!
そして1980年3月から初の国内ツアーをスタート。確固たる人気を確立したYMOはこの年の6月に3枚目のアルバム『増殖』をリリースします。このアルバムは当時、人気を博していた伝説のラジオ番組『スネークマンショー』とタッグを組んだ作品です。
『スネークマンショー』はラジオDJの小林克也さん、音楽プロデューサー・放送作家の桑原茂一さん、俳優の伊武雅刀さんを中心に、音楽とショートコントを織り交ぜた人気番組でした。この番組の大ファンだった高橋幸宏さんが細野晴臣さんに聴かせたところ、とても気に入り「じゃあアルバムでやるか」とこのコラボが決まりました。アルバムでは番組と同じスタイルで、曲の間にショートコントが挟み込まれるという演出になっています。
藤田:そもそもは実験的なニュアンスを込めたユニットととしてスタートしていた、という歴史を1日目に紹介したんですけども、まさにその面白いと思ったものを自分たちの中に取り入れるという、イエロー・マジック・オーケストラらしい挑戦的なアルバムでした。
このアルバムはオリコン・アルバムチャートで1位を獲得。前作に続き2作連続1位となる大ヒットとなりました。『増殖』をリリース後、YMOは再び海外ツアーへと向かいます。最初の海外ツアーよりさらに大規模となり、全8カ国19公演を周りました。
その間には1971年から2006年まで放送されていた、アメリカの超人気ダンス音楽番組『ソウル・トレイン』に日本人アーティストとして初めて出演。その映像はネットでも見ることができます。若かりし頃のメンバーを見てみたいという方はぜひ探してみてください。
このワールドツアーのファイナルは、日本に凱旋しての日本武道館公演。こちらはなんと4日間連続公演! 時代の寵児となったYMOは、その翌年1981年に4枚目のスタジオ・アルバム『BGM』で大きな転換期を迎えます。これには「音を出す機材の変化」が大きく関わっています。
【3回目】YMOはヒップホップシーンにも影響? 世界の音楽に与えた影響
【この記事の放送回をradikoで聴く】
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【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
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