J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:藤田琢己)。9月3日(月)のオンエアでは、emmaとのコンビでお送りしました。
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は、9月8日に「ク(9)レ(0)バ(8)」の日を迎えるKREVAさんを特集! 日本を代表するヒップホップ・アーティストと言っても過言ではないKREVAさん。本人のコメントも交え、これまでの軌跡を追います。
【1回目】KREVAは高校生の頃から…同級生・藤田琢己が明かす、シビれるエピソード
【2回目】KREVA「草野マサムネさんが歌ったらヤバいって、勝手に思ってる曲があった」
【3回目】KREVAが「ラップの上達」を感じたとき…テクニックを明かす
【4回目】KREVA「悩み事があるなら…」 聞けば納得の考え方とは?
■MCバトルで3年連続、日本一!
KREVAさんといえば、1997年から行われている日本のヒップホップの殿堂「BBOY PARK」でのMCバトルで3年連続日本一の栄冠に輝く実績を持っています。現在に至るまでこの記録は塗り替えられていません。その卓越したラップスキルについて、KREVAさん本人はこう語ります。
KREVA:ラップを始めたきっかけは、中学生くらいのときにダンスブームが始まってて、それに乗ってダンスに興味を持って、その流れからDJにいって、DJの機材が揃ったらやっぱり次にやるのはラップでしょ、という感じで始めました。
実は、藤田とKREVAさんは高校の同級生。ふたりは仲が良く、KREVAさんのDJで藤田がラップをしたこともあるとか。
藤田によると、KREVAさんは高校生のときからすでにフリースタイルでラップをやっていたそうです。
高校卒業後、慶應義塾大学に進学したKREVAさん。在学中の1995年に小学校からの幼馴染みCUEZEROとユニットBY PHAR THE DOPESTを結成。アンダーグラウンドでの活動をスタートします。
1stアルバム『BY PHAR THE DOPEST』を発表し、高い評価を得ましたが、CUEZEROがヒップホップ修行のために単身ニューヨークに渡ったため、それぞれの道を進むことに。
■KICK THE CAN CREWがブレイク! メジャーでも存在感を放つ
1997年にLITTLE、MCUと共にKICK THE CAN CREWを結成。KICK THE CAN CREWではラッパーとしてだけではなく、ほぼすべての曲のトラックメイキングを担当。一方、この頃にダンスやMCなどヒップホップの総合イベント「BBOY PARK」のMCバトルで3年連続、日本一の称号を獲得します。
アンダーグラウンドで活躍しながら、KICK THE CAN CREWとしてメジャーデビューも果たし、2002年には『マルシェ』でNHK紅白歌合戦に出場しました。
藤田:すごいですよね。アンダーグラウンドで圧倒的なスキルを見せつつも、メジャーで紅白に出るという、なかなか成し遂げられないことを成し遂げてる。
■KREVAがソロ活動を始めた理由は
2004年6月、7年間に渡るKICK THE CAN CREWの活動休止後、KREVAさんはソロ活動に入ります。自らを「新人KREVA」と称してスタートしたソロ活動。自身の誕生日6月18日にインディーズで『希望の炎』を限定リリース。そして9月8日にはシングル『音色』でメジャーデビューしました。そして同年11月に、1stフルアルバム『新人クレバ』をリリース。ソロ活動への当時の思いをKREVAさん本人はこう語ります。
KREVA:ソロを始めるきっかけになったのは曲で。インディーズで出した『希望の炎』、それから『音色』っていうのを完全にひとりで作り上げて、これはなんとか世に出したいっていう思いがソロ活動に繋がりました。曲に込めた思いというか、曲が持ってた力もすごい強いなと思ってます。
KICK THE CAN CREWが世間に広く知られると当時に、「KICK THE CAN CREWだから聴かないという人もいるだろう」という思いがあった打ち明けるKREVAさん。
KREVA:たとえばCDが売れるとしても、近くて100万枚。日本の人口は1億何千万人いるわけで、“違う100万枚”がいけるんじゃないかなっていう気持ちがありました。ソロになったときは。
その後、2006年に2ndアルバム『愛・自分博』をリリース。邦楽ヒップホップソロアーティスト初のオリコン・ウィークリーチャート1位を獲得しました。曲作りについて、こう話します。
KREVA:ずっとおもしろかったですね。曲作りがおもしろくなかった時期はないです。(KICK THE CAN CREWで)リリックは3人で、自分が歌うところは自分で書いて、サビはみんなで作ってという作業をしてたのに比べたら大変だったのかもしれないですけど、自分はけっこうメロディが浮かんでくるタイプだったんで、それをそのまま活かすことができる機会が増えたので、そこは楽しかったです。
『愛・自分博』では、KICK THE CAN CREW時代を含めて、初めて自分の制作ではないトラックでKREVA名義の曲『国民的行事』を収録。こちらのトラックはEVISBEATSが手がけています。
KREVAさん自身も次々にトラックを作っていましたが、「あれもやろう、これもやろう」と先のことばかりを考えてしまって、かえって地に足がついていない状態に。それを見直す気持ちで『国民的行事』の歌詞を書いたのだとか。
藤田:自分たちだけで全部作っている意識があったけれども、見渡せば全国にいっぱい仲間がいて、やることがいっぱいある。ちゃんとひとつひとつやっていかなきゃ、とふと気づいた、ということなんですね。
そんな教訓を胸に抱いたKREVAさんは、ヒップホップ・ソロアーティストでは初となる全国ホールコンサートを実施。日本武道館2DAYS、さいたまスーパーアリーナ2DAYS、大阪城ホール、横浜アリーナ2DAYS公演など数々を成功させていきます。
そんなKREVAさんは、どんな人柄なのでしょうか。emmaが「KREVAさんの秘密ってなんかありますか?」と藤田に訊ねると……。
藤田:曲がったことが大嫌い! ずっとフェア。体育祭のときにバンっ! って背中を叩かれて、「フェアに行こうぜ」って。
emma:おー! カッコいい! それなかなか言えないですよ!
藤田:シビれた(笑)。あのときから印象はずっと変わらないです。
1日目はここまで。続きはこちら。
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ『radiko.jpプレミアム』(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は『radiko.jpタイムフリー』機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は、9月8日に「ク(9)レ(0)バ(8)」の日を迎えるKREVAさんを特集! 日本を代表するヒップホップ・アーティストと言っても過言ではないKREVAさん。本人のコメントも交え、これまでの軌跡を追います。
【1回目】KREVAは高校生の頃から…同級生・藤田琢己が明かす、シビれるエピソード
【2回目】KREVA「草野マサムネさんが歌ったらヤバいって、勝手に思ってる曲があった」
【3回目】KREVAが「ラップの上達」を感じたとき…テクニックを明かす
【4回目】KREVA「悩み事があるなら…」 聞けば納得の考え方とは?
■MCバトルで3年連続、日本一!
KREVAさんといえば、1997年から行われている日本のヒップホップの殿堂「BBOY PARK」でのMCバトルで3年連続日本一の栄冠に輝く実績を持っています。現在に至るまでこの記録は塗り替えられていません。その卓越したラップスキルについて、KREVAさん本人はこう語ります。
KREVA:ラップを始めたきっかけは、中学生くらいのときにダンスブームが始まってて、それに乗ってダンスに興味を持って、その流れからDJにいって、DJの機材が揃ったらやっぱり次にやるのはラップでしょ、という感じで始めました。
実は、藤田とKREVAさんは高校の同級生。ふたりは仲が良く、KREVAさんのDJで藤田がラップをしたこともあるとか。
藤田によると、KREVAさんは高校生のときからすでにフリースタイルでラップをやっていたそうです。
高校卒業後、慶應義塾大学に進学したKREVAさん。在学中の1995年に小学校からの幼馴染みCUEZEROとユニットBY PHAR THE DOPESTを結成。アンダーグラウンドでの活動をスタートします。
1stアルバム『BY PHAR THE DOPEST』を発表し、高い評価を得ましたが、CUEZEROがヒップホップ修行のために単身ニューヨークに渡ったため、それぞれの道を進むことに。
■KICK THE CAN CREWがブレイク! メジャーでも存在感を放つ
1997年にLITTLE、MCUと共にKICK THE CAN CREWを結成。KICK THE CAN CREWではラッパーとしてだけではなく、ほぼすべての曲のトラックメイキングを担当。一方、この頃にダンスやMCなどヒップホップの総合イベント「BBOY PARK」のMCバトルで3年連続、日本一の称号を獲得します。
アンダーグラウンドで活躍しながら、KICK THE CAN CREWとしてメジャーデビューも果たし、2002年には『マルシェ』でNHK紅白歌合戦に出場しました。
藤田:すごいですよね。アンダーグラウンドで圧倒的なスキルを見せつつも、メジャーで紅白に出るという、なかなか成し遂げられないことを成し遂げてる。
■KREVAがソロ活動を始めた理由は
2004年6月、7年間に渡るKICK THE CAN CREWの活動休止後、KREVAさんはソロ活動に入ります。自らを「新人KREVA」と称してスタートしたソロ活動。自身の誕生日6月18日にインディーズで『希望の炎』を限定リリース。そして9月8日にはシングル『音色』でメジャーデビューしました。そして同年11月に、1stフルアルバム『新人クレバ』をリリース。ソロ活動への当時の思いをKREVAさん本人はこう語ります。
KREVA:ソロを始めるきっかけになったのは曲で。インディーズで出した『希望の炎』、それから『音色』っていうのを完全にひとりで作り上げて、これはなんとか世に出したいっていう思いがソロ活動に繋がりました。曲に込めた思いというか、曲が持ってた力もすごい強いなと思ってます。
KICK THE CAN CREWが世間に広く知られると当時に、「KICK THE CAN CREWだから聴かないという人もいるだろう」という思いがあった打ち明けるKREVAさん。
KREVA:たとえばCDが売れるとしても、近くて100万枚。日本の人口は1億何千万人いるわけで、“違う100万枚”がいけるんじゃないかなっていう気持ちがありました。ソロになったときは。
その後、2006年に2ndアルバム『愛・自分博』をリリース。邦楽ヒップホップソロアーティスト初のオリコン・ウィークリーチャート1位を獲得しました。曲作りについて、こう話します。
KREVA:ずっとおもしろかったですね。曲作りがおもしろくなかった時期はないです。(KICK THE CAN CREWで)リリックは3人で、自分が歌うところは自分で書いて、サビはみんなで作ってという作業をしてたのに比べたら大変だったのかもしれないですけど、自分はけっこうメロディが浮かんでくるタイプだったんで、それをそのまま活かすことができる機会が増えたので、そこは楽しかったです。
『愛・自分博』では、KICK THE CAN CREW時代を含めて、初めて自分の制作ではないトラックでKREVA名義の曲『国民的行事』を収録。こちらのトラックはEVISBEATSが手がけています。
KREVAさん自身も次々にトラックを作っていましたが、「あれもやろう、これもやろう」と先のことばかりを考えてしまって、かえって地に足がついていない状態に。それを見直す気持ちで『国民的行事』の歌詞を書いたのだとか。
藤田:自分たちだけで全部作っている意識があったけれども、見渡せば全国にいっぱい仲間がいて、やることがいっぱいある。ちゃんとひとつひとつやっていかなきゃ、とふと気づいた、ということなんですね。
そんな教訓を胸に抱いたKREVAさんは、ヒップホップ・ソロアーティストでは初となる全国ホールコンサートを実施。日本武道館2DAYS、さいたまスーパーアリーナ2DAYS、大阪城ホール、横浜アリーナ2DAYS公演など数々を成功させていきます。
そんなKREVAさんは、どんな人柄なのでしょうか。emmaが「KREVAさんの秘密ってなんかありますか?」と藤田に訊ねると……。
藤田:曲がったことが大嫌い! ずっとフェア。体育祭のときにバンっ! って背中を叩かれて、「フェアに行こうぜ」って。
emma:おー! カッコいい! それなかなか言えないですよ!
藤田:シビれた(笑)。あのときから印象はずっと変わらないです。
1日目はここまで。続きはこちら。
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ『radiko.jpプレミアム』(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は『radiko.jpタイムフリー』機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/