J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:藤田琢己)。3月25日(月)のオンエアでは、emmaとのコンビでお届けしました。
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は現在、TOC五反田メッセで企画展が行われているザ・ローリング・ストーンズを特集します。
1962年に結成され、今年でなんと活動歴が57年にもなるイギリスのレジェンドバンド、ザ・ローリング・ストーンズ。現在のメンバーはミック・ジャガー(Vo)、キース・リチャーズ(Gt)、ロン・ウッド(Gt)、チャーリー・ワッツ(Dr)の4人。今まで一度も解散することなく半世紀以上も第一線を走り続ける、まさに生きる伝説です。
■「あなたの娘さんを彼らと交際させられますか?」
1950年代から60年代。当時、アメリカの黒人音楽だったR&Bは海を超え、イギリスの若者たちを夢中にさせていました。もともと幼馴染だったミックとキースもR&Bに夢中になり、バンドを結成します。初代のバンドリーダーだったブライアン・ジョーンズを加え、バンド名は敬愛するブルースマン、マディ・ウォーターズの曲名から「ザ・ローリング・ストーンズ」としました。
1962年には、ロンドンにあるマーキー・クラブで初ライブを開催。翌年1963年にはデッカ・レコードから、シングル『Come On』でメジャーデビュー。オリジナルのメンバーは、ボーカルのミック・ジャガー、ギター・ボーカルのキース・リチャーズ、ギターのブライアン・ジョーンズ、ベースのビル・ワイマン、ドラムのチャーリー・ワッツ。
前年にデビューしていたザ・ビートルズがスーツ姿で紳士的なスタイルだったのに対し、ザ・ローリング・ストーンズのイメージは不良。当時のマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムの計算により、若者のヒーローだったザ・ビートルズに対し、アンチヒーローとして世に出たのです。
このときのキャッチコピーは「あなたの娘さんを彼らと交際させられますか?」というもの。この戦略は功を奏し、彼らは若者たちから熱狂的な支持を受け、一躍人気バンドへと成長します。
1964年のデビューアルバム『The Rolling Stones』はほとんどがブルースのカヴァーでしたが、やがてザ・ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーのように、キースとミックもオリジナルの楽曲を共作していきます。そして1965年には、バンドの運命を決定づける『(I Can't Get No) Satisfaction』をリリースします。
emmaが「あらゆる曲の中で一番好きです!」と断言するこの曲は、ザ・ローリング・ストーンズでもっとも有名な1曲と言っても過言ではないナンバーです。不満を歌にしたこの曲がなぜ若者に受けるのか、と問いかけられたミックは、若者は自分たちを牛耳っている上の世代に不満を持っているからだ、と答えたそうです。そしてアメリカでも4週連続1位になる大ヒットを記録します。
「不良のアイコン」というイメージ戦略で若者の気持ちを代弁し、支持されるようになったザ・ローリング・ストーンズ。彼らのライブはステージに観客が上がり込んだり、暴動が起こるなど、若者がエネルギーを爆発させる場所となります。
■バンドを次々と襲う悲劇
順調に活動を続けていた彼らですが、60年代後半に突入すると、バンドに影が差し込みます。薬物がバンド内で蔓延したことにより、ミックとキースは一時刑務所へ。リーダーのブライアンは現場に来なかったり、まともに演奏すらできない状態に。『Paint It, Black』では、インドの楽器シタールを取り入れるなど、マルチプレイヤーとしてバンドのサウンドに彩りを加えていたブライアンでしたが、次第にバンド活動への興味を失っていきます。
ミックとキースは、苦渋の決断でそんなブライアンをバンドから追放。精神的に落ちていったブライアンは、バンドを離れたあと、1969年7月に自宅のプールで水死体として発見されました。
ブライアンの死に落ち込んだメンバーでしたが、バンドの悪夢はこの後も続くことに。同じく1969年の12月6日、彼ら主催のコンサート「オルタモント・フリーコンサート」が、カリフォルニア州リバモアのオルタモント・スピードウェイで開催されました。
30万から50万人の人が押し寄せたと言われるこの無料コンサート。開催日ギリギリに会場が決まり、警察も十分に対応できないため、バンドは警備要員としてバイカーギャング集団「ヘルズ・エンジェルス」を雇うことでコンサートを成立させようと考えました。しかし多くの人が押し寄せ、もみくちゃとなった会場はいたるところで暴動が起き、その度にヘルズ・エンジェルスが暴力で押さえつけるという悲惨な状態に。あまりに混乱が続くため、演奏は中断。メンバーが、ケンカをやめるまで演奏をしないと言っても、暴動は止まりませんでした。
ついには銃を取り出した観客を、ヘルズ・エンジェルスが殺傷してしまうという事件にまで発展。このことは今でも「オルタモントの悲劇」として語り継がれています。
不良のアイコンとしてデビューし、60年代を駆け抜けたザ・ローリング・ストーンズは、数々の事件を巻き起こしながらも、なんとか体勢を保ちながら活動を継続。悪名高きバンドとして世間に知られる存在に。バンドはそのスピードをさらに加速させながら70年代に向かいます。
バンドはブライアン・ジョーンズの空いた穴を埋めるために、若き天才ギタリスト、ミック・テイラーをバンドに加入させ、70年代へ突入していきます。というところで1日目はここまで! 気になる70年代の活動は、特集2回目の3月26日(火)の放送をお楽しみに!
また現在、ザ・ローリング・ストーンズの壮大な歴史を振り返る企画展「Exhibitionism-ザ・ローリング・ストーンズ展」が、TOC五反田メッセにて開催中です。興味のある方はぜひ足を運んでみてください。5月6日(月・休)までの開催です。
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ『radiko.jpプレミアム』(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は『radiko.jpタイムフリー』機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は現在、TOC五反田メッセで企画展が行われているザ・ローリング・ストーンズを特集します。
1962年に結成され、今年でなんと活動歴が57年にもなるイギリスのレジェンドバンド、ザ・ローリング・ストーンズ。現在のメンバーはミック・ジャガー(Vo)、キース・リチャーズ(Gt)、ロン・ウッド(Gt)、チャーリー・ワッツ(Dr)の4人。今まで一度も解散することなく半世紀以上も第一線を走り続ける、まさに生きる伝説です。
■「あなたの娘さんを彼らと交際させられますか?」
1950年代から60年代。当時、アメリカの黒人音楽だったR&Bは海を超え、イギリスの若者たちを夢中にさせていました。もともと幼馴染だったミックとキースもR&Bに夢中になり、バンドを結成します。初代のバンドリーダーだったブライアン・ジョーンズを加え、バンド名は敬愛するブルースマン、マディ・ウォーターズの曲名から「ザ・ローリング・ストーンズ」としました。
1962年には、ロンドンにあるマーキー・クラブで初ライブを開催。翌年1963年にはデッカ・レコードから、シングル『Come On』でメジャーデビュー。オリジナルのメンバーは、ボーカルのミック・ジャガー、ギター・ボーカルのキース・リチャーズ、ギターのブライアン・ジョーンズ、ベースのビル・ワイマン、ドラムのチャーリー・ワッツ。
前年にデビューしていたザ・ビートルズがスーツ姿で紳士的なスタイルだったのに対し、ザ・ローリング・ストーンズのイメージは不良。当時のマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムの計算により、若者のヒーローだったザ・ビートルズに対し、アンチヒーローとして世に出たのです。
このときのキャッチコピーは「あなたの娘さんを彼らと交際させられますか?」というもの。この戦略は功を奏し、彼らは若者たちから熱狂的な支持を受け、一躍人気バンドへと成長します。
1964年のデビューアルバム『The Rolling Stones』はほとんどがブルースのカヴァーでしたが、やがてザ・ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーのように、キースとミックもオリジナルの楽曲を共作していきます。そして1965年には、バンドの運命を決定づける『(I Can't Get No) Satisfaction』をリリースします。
emmaが「あらゆる曲の中で一番好きです!」と断言するこの曲は、ザ・ローリング・ストーンズでもっとも有名な1曲と言っても過言ではないナンバーです。不満を歌にしたこの曲がなぜ若者に受けるのか、と問いかけられたミックは、若者は自分たちを牛耳っている上の世代に不満を持っているからだ、と答えたそうです。そしてアメリカでも4週連続1位になる大ヒットを記録します。
「不良のアイコン」というイメージ戦略で若者の気持ちを代弁し、支持されるようになったザ・ローリング・ストーンズ。彼らのライブはステージに観客が上がり込んだり、暴動が起こるなど、若者がエネルギーを爆発させる場所となります。
■バンドを次々と襲う悲劇
順調に活動を続けていた彼らですが、60年代後半に突入すると、バンドに影が差し込みます。薬物がバンド内で蔓延したことにより、ミックとキースは一時刑務所へ。リーダーのブライアンは現場に来なかったり、まともに演奏すらできない状態に。『Paint It, Black』では、インドの楽器シタールを取り入れるなど、マルチプレイヤーとしてバンドのサウンドに彩りを加えていたブライアンでしたが、次第にバンド活動への興味を失っていきます。
ミックとキースは、苦渋の決断でそんなブライアンをバンドから追放。精神的に落ちていったブライアンは、バンドを離れたあと、1969年7月に自宅のプールで水死体として発見されました。
ブライアンの死に落ち込んだメンバーでしたが、バンドの悪夢はこの後も続くことに。同じく1969年の12月6日、彼ら主催のコンサート「オルタモント・フリーコンサート」が、カリフォルニア州リバモアのオルタモント・スピードウェイで開催されました。
30万から50万人の人が押し寄せたと言われるこの無料コンサート。開催日ギリギリに会場が決まり、警察も十分に対応できないため、バンドは警備要員としてバイカーギャング集団「ヘルズ・エンジェルス」を雇うことでコンサートを成立させようと考えました。しかし多くの人が押し寄せ、もみくちゃとなった会場はいたるところで暴動が起き、その度にヘルズ・エンジェルスが暴力で押さえつけるという悲惨な状態に。あまりに混乱が続くため、演奏は中断。メンバーが、ケンカをやめるまで演奏をしないと言っても、暴動は止まりませんでした。
ついには銃を取り出した観客を、ヘルズ・エンジェルスが殺傷してしまうという事件にまで発展。このことは今でも「オルタモントの悲劇」として語り継がれています。
不良のアイコンとしてデビューし、60年代を駆け抜けたザ・ローリング・ストーンズは、数々の事件を巻き起こしながらも、なんとか体勢を保ちながら活動を継続。悪名高きバンドとして世間に知られる存在に。バンドはそのスピードをさらに加速させながら70年代に向かいます。
バンドはブライアン・ジョーンズの空いた穴を埋めるために、若き天才ギタリスト、ミック・テイラーをバンドに加入させ、70年代へ突入していきます。というところで1日目はここまで! 気になる70年代の活動は、特集2回目の3月26日(火)の放送をお楽しみに!
また現在、ザ・ローリング・ストーンズの壮大な歴史を振り返る企画展「Exhibitionism-ザ・ローリング・ストーンズ展」が、TOC五反田メッセにて開催中です。興味のある方はぜひ足を運んでみてください。5月6日(月・休)までの開催です。
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ『radiko.jpプレミアム』(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は『radiko.jpタイムフリー』機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/