フェンシング・太田雄貴「コンタクトレンズを落としちゃって」…人生で一番泣いた瞬間を語る

J-WAVEの番組『SEIKO SOUND STORAGE』。ミュージシャンやスポーツ選手など、各界で活躍するゲストがマンスリーで登場します。5月のマンスリーゲストは、公益社団法人 日本フェンシング協会会長・太田雄貴さんです。

【1回目】フェンシング・太田雄貴「五輪で初メダリストになるのは僕だ」…練習を重ねた少年時代を振り返る 
【2回目】スポーツで「ゾーン」に入るとどうなる? フェンシング・太田雄貴が、その感覚を語る
【3回目】フェンシング・太田雄貴、オリンピックのメダル獲得を経て…「団体で成果を出す」喜びを語る

5月25日(金)のオンエアでは、引退後のお話から東京オリンピックへの思い、そして人生で一番涙した体験を語りました。

■引退を決意

太田さんは、2016年リオデジャネイロオリンピックを最後に引退しました。

2015年の世界選手権で優勝し、世界ランキング2位でリオデジャネイロオリンピックに挑むことになった太田さん。しかし、結果はまさかの初戦敗退でした。太田さんは当時の気持ちを以下のように振り返ります。

太田:自分自身でも本当に失望したし、今はだいぶなくなったんですけど、1年間ぐらいは夢でもうなされました。ファンのみならずスポンサーのみなさんの期待を裏切ってしまったということ。悲願の金メダルを取ろうとここまでやってきたので、すごく残念で、ものすごく悔しかったのを覚えてます。

その一方で、「やれることは全部やった」という思いもあったと言う太田さん。30歳まで現役を続けられたことに、親を含めてこれまで携わってくれたすべての人たちに感謝し、引退を決意しました。

■東京オリンピックに向けて

現在は日本フェンシング協会会長として、フェンシングを普及させる活動を行っています。これまでの人生で一番涙した瞬間は、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定した瞬間だったと話します。

太田:東京オリンピック招致は、なんだかんだ言って、登壇する8人にかかるプレッシャーってすごく大きかったんですね。負けたら帰ったときに「空港でえらい目に遭うのかなぁ」とか思いながら、本当にプレッシャーの中で戦いながら、大会の招致を成功させることになりました。

太田さんは、記者会見の中で「次世代に」とよく口にしていました。それは、日本に住む子どもたちがオリンピックを通してポジティブな経験ができれば、日本全体が元気に明るくなると信じているからだと、太田さんは言います。

東京オリンピックの開催が決まったときに太田さんは号泣。そのときのエピソードを明かしました。

太田:泣きすぎてコンタクトレンズを落としちゃって、片方が見えなくて。しばらくは、メディア周りのプレスカンファレンス(記者発表会)は、前が見えてなかったんですけど、嬉しかったですね。

東京オリンピックに向けて、太田さんは「フェンシングをより身近に、カジュアルにできるような環境の整備と、楽しみ方をどう伝えていくかが課題」と話します。また、人を応援するということがどれだけ自分にとってポジティブな働きをするのかを、フェンシングを通して伝えていきたい、と語りました。

太田:ひとりでも多くの方に会場に足を運んでいただいて、満員のお客さんの前で日本人選手が活躍をする。これが東京オリンピックでの、フェンシングにとっての目標だと思っています。それと同時に、どこかオリンピックが他人事だったり、自分に関係ないことだと思うのではなく、ぜひ“自分事”にしてほしいなと思っています。

フェンシングは幕張メッセで行われることが決まっています。ぜひ会場に足を運んでみてください。

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【番組情報】
番組名:『SEIKO SOUND STORAGE』
放送日時:金曜 24時-24時30分
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/soundstorage/

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