J-WAVE『POP OF THE WORLD』×TISSOTの公開収録にDa-iCEの花村想太が登場。歌手を目指したきっかけや結成秘話、ターニングポイントとなった『CITRUS』の制作秘話を語った。
花村が登場したのは、9月26日(土)放送のJ-WAVE『POP OF THE WORLD』(ナビゲーター:ハリー杉山、川口ゆりな)の期間限定コーナー「TISSOT TIMELESS MOMENTS」。この日は、9月18日に実施した公開収録の模様をお届けした。
今年で結成15周年を迎えたDa-iCE。公開収録では、これまでの活動を振り返りながら、音楽やダンスへの思い、現在に至るまでの歩みなど、花村の素顔に迫るさまざまな話を聞いた。
川口:花村さんは、もともと歌やダンスの仕事がしたいと思っていたんですか?
花村:そうですね。口に出したのは15歳ぐらいのときですが、それまでも歌やダンスを仕事にしたいというか、いつか歌って踊れるようになりたいと思っていたけれど、人には言えない時期がありました。15歳のときに初めて人前で歌って、そのときの反応を見て「歌手になろう」と決めたんですよね。
川口:人前で歌おうと思ったきっかけは、何かあったんですか?
花村:修学旅行みたいな行事で、有志が歌う企画があったんです。それまでも僕、廊下でずっと歌っていたんですよ。
川口:学校の廊下で?
花村:そうです。休み時間とかに歩きながら、めちゃくちゃでかい声で歌っていたんです(笑)。ずっと歌っていたので、「歌っているやつだ」みたいなのはあったと思うんです。でも、ちゃんと聴いてもらうことって、なかなかないじゃないですか。企画で僕は4番目ぐらいに歌ったんです。10人ぐらい歌っていて、10人目が終わったときに、名指しで「花村!」ってアンコールをもらったんですよ。それで「僕はやっぱり歌手になるんだ」と思いました。
川口:運命を感じられたんですね。
花村:高校受験のために勉強していたけれど、高校に行かず、そのまま音楽の道を志すようになりました。
川口:すさまじい覚悟ですね。
花村:今だったら「やめておけ」って言いますけどね(笑)。
川口:それぐらいの熱量があったからこそ、今があるのかなと思います。
花村:本当に、今の若い子たちみたいにすごく歌がうまかったわけじゃないんですよ。だから、何も知らずに当時の花村少年を見て、歌を聴いたとしても「歌手はもうちょっと先でもできると思うで」と言うと思います。相当努力しないと厳しい少年だったと思います。そういった面でいうと、「僕は努力してきたんだな」と思うときもあります。
その後、約2年間にわたってレッスンを続けるなかで、デビューの話が持ち上がることも3、4回あったという。ソロデビューの話や、大手事務所からの移籍の誘いなど、さまざまな話があったものの、いずれも実現には至らなかった。
花村:「自分はやっぱり無理なのかな」と思っているときに、すごく“偉いっぽい人”から「ダンスボーカルグループを作るけど、君どう?」って言われたんです。
川口:偉いっぽい人(笑)。
花村:もうひとりのボーカルもいて、パフォーマーが3人。5人組でツインボーカルのグループを組んで、「俺がデビューさせたる」みたいな感じだったんですよ。でも、会議室でふたを開けてみたら、その偉いっぽい人が平社員だったんです。ただの、ほかのアーティストさんの現場マネージャーが勝手に新しいグループを作ったんですよ。それがDa-iCEです。新しく勝手に作っちゃったもんだから、むしろ怒られているぐらい。
川口:黙って作ったんですか!?
花村:そうです。「俺、作りたい!」という感じで。当時は、ダンスボーカルグループを作っても、なかなか活躍できないと言われていた時期だったので、「そんなことに時間を使っているぐらいだったら、ちゃんと自分のアーティストをマネジメントしろよ」みたいな感じで怒られていたんですよ。しかも活動費なんてなくって。僕ら5人とそのマネージャーさんの6人で、上司の方に「今年1年の活動費をください」と直談判しに行ったんです。「出せるわけがないだろう」と言われました。
川口:そうだったんですね。
花村:それで、その平社員の人のポケットマネーで1年間活動して、(最終的には)日本武道館まで連れて行ってくれたんです。その人は、そのあと違う事務所に羽ばたいていきましたが、今は個人事業主という感じで、その人が僕のソロの担当をやってくれているんですよ。
川口:また巡り合って。素敵なご縁ですね!
番組では、花村想太の『キミヲサガシテタ』をオンエアした。
花村:僕は毎回、新曲が好きなんですよ。曲が出るたびに「これなら売れる」と言い続けてきたんです。そんな感じで10年やってきて、(2020年11月に)『CITRUS』が出たんですが、僕は「これは売れへん」と思っていたんですよ(笑)。
川口:そうなんですか?
花村:ドラマの主題歌だったんですけど、僕らのグループってコンペで曲を選ぶんですよ。自分たちが曲を書いたりして、そのコンペでドラマのみなさんに選んでいただくんです。僕も書きましたし、メンバーの工藤(大輝)も書きました。ほかのアーティストさんの曲も並べて全力投球したんですが、全部却下になったんですよ。それで「もう1回ください」と言われて、また違うものを作ったんです。工藤さんと僕で書き直して提出したんですが、アップテンポの曲を求められていて。僕らは「アップテンポのロックな曲を作ればいいんだ」と解釈していたんですが、選ばれたのがロックバラードだったんです。
川口:なるほど。
花村:「ダンスボーカルグループでロックバラードは無理でしょ。どうやって踊るん?」みたいな流れがあったんですが、曲は好きだったので残していました。だから、最初はミュージックビデオも作らなかったんです。
川口:そうなんですか!
花村:「リリックビデオでいいんじゃないですか」みたいな感じだったんですが、「なんかじわじわ来ているぞ!」という評価になって。今までの曲と違うなってことで、急いでミュージックビデオを作りました。
川口:反応を見て、慌てて作ったんですね。
花村:そうなんです。だから、いまだに先に出しているリリックビデオのほうが再生されているんですよね(笑)。自分たちにとってもすごく特別な曲で、それが出たのがコロナ禍だったんです。仕事がなくなってから、じわじわ売れてきたんですよ。『CITRUS』は2021年の日本レコード大賞を受賞するんですが、ヒットするまで丸1年ぐらいかかったんですよね。
川口:長期的なヒットだったんですね。
花村:そのヒットがなければ、もしかしたらDa-iCEって本当に仕事がなかったので、どうなっていたかわからないです。道に迷いそうなところを助けてくれた曲なんです。今でも15年間、メンバーが変わらずにいられたのはすべての曲のおかげですが、なかでも『CITRUS』は大きかったんじゃないかなと思いますね。
Da-iCEの最新情報は公式サイトまで。
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〈photoアンザイミキ〉
花村が登場したのは、9月26日(土)放送のJ-WAVE『POP OF THE WORLD』(ナビゲーター:ハリー杉山、川口ゆりな)の期間限定コーナー「TISSOT TIMELESS MOMENTS」。この日は、9月18日に実施した公開収録の模様をお届けした。
廊下で歌い続けた少年が歌手を目指すまで
J-WAVE『POP OF THE WORLD』は、9月18日にニコラス・G・ハイエックセンター14階「シテ・ドゥ・タン・ギンザ」にて、Da-iCEの花村想太をゲストに迎えた公開収録を実施。今年で結成15周年を迎えたDa-iCE。公開収録では、これまでの活動を振り返りながら、音楽やダンスへの思い、現在に至るまでの歩みなど、花村の素顔に迫るさまざまな話を聞いた。
川口:花村さんは、もともと歌やダンスの仕事がしたいと思っていたんですか?
花村:そうですね。口に出したのは15歳ぐらいのときですが、それまでも歌やダンスを仕事にしたいというか、いつか歌って踊れるようになりたいと思っていたけれど、人には言えない時期がありました。15歳のときに初めて人前で歌って、そのときの反応を見て「歌手になろう」と決めたんですよね。
川口:人前で歌おうと思ったきっかけは、何かあったんですか?
花村:修学旅行みたいな行事で、有志が歌う企画があったんです。それまでも僕、廊下でずっと歌っていたんですよ。
川口:学校の廊下で?
花村:そうです。休み時間とかに歩きながら、めちゃくちゃでかい声で歌っていたんです(笑)。ずっと歌っていたので、「歌っているやつだ」みたいなのはあったと思うんです。でも、ちゃんと聴いてもらうことって、なかなかないじゃないですか。企画で僕は4番目ぐらいに歌ったんです。10人ぐらい歌っていて、10人目が終わったときに、名指しで「花村!」ってアンコールをもらったんですよ。それで「僕はやっぱり歌手になるんだ」と思いました。
花村:高校受験のために勉強していたけれど、高校に行かず、そのまま音楽の道を志すようになりました。
川口:すさまじい覚悟ですね。
花村:今だったら「やめておけ」って言いますけどね(笑)。
川口:それぐらいの熱量があったからこそ、今があるのかなと思います。
花村:本当に、今の若い子たちみたいにすごく歌がうまかったわけじゃないんですよ。だから、何も知らずに当時の花村少年を見て、歌を聴いたとしても「歌手はもうちょっと先でもできると思うで」と言うと思います。相当努力しないと厳しい少年だったと思います。そういった面でいうと、「僕は努力してきたんだな」と思うときもあります。
「活動費ゼロ」から始動したDa-iCE
Da-iCEがどのように結成されたのかを尋ねると、花村はavexのオーディションでグランプリを獲得したことが始まりだったと振り返った。その後、約2年間にわたってレッスンを続けるなかで、デビューの話が持ち上がることも3、4回あったという。ソロデビューの話や、大手事務所からの移籍の誘いなど、さまざまな話があったものの、いずれも実現には至らなかった。
花村:「自分はやっぱり無理なのかな」と思っているときに、すごく“偉いっぽい人”から「ダンスボーカルグループを作るけど、君どう?」って言われたんです。
川口:偉いっぽい人(笑)。
花村:もうひとりのボーカルもいて、パフォーマーが3人。5人組でツインボーカルのグループを組んで、「俺がデビューさせたる」みたいな感じだったんですよ。でも、会議室でふたを開けてみたら、その偉いっぽい人が平社員だったんです。ただの、ほかのアーティストさんの現場マネージャーが勝手に新しいグループを作ったんですよ。それがDa-iCEです。新しく勝手に作っちゃったもんだから、むしろ怒られているぐらい。
花村:そうです。「俺、作りたい!」という感じで。当時は、ダンスボーカルグループを作っても、なかなか活躍できないと言われていた時期だったので、「そんなことに時間を使っているぐらいだったら、ちゃんと自分のアーティストをマネジメントしろよ」みたいな感じで怒られていたんですよ。しかも活動費なんてなくって。僕ら5人とそのマネージャーさんの6人で、上司の方に「今年1年の活動費をください」と直談判しに行ったんです。「出せるわけがないだろう」と言われました。
川口:そうだったんですね。
花村:それで、その平社員の人のポケットマネーで1年間活動して、(最終的には)日本武道館まで連れて行ってくれたんです。その人は、そのあと違う事務所に羽ばたいていきましたが、今は個人事業主という感じで、その人が僕のソロの担当をやってくれているんですよ。
川口:また巡り合って。素敵なご縁ですね!
番組では、花村想太の『キミヲサガシテタ』をオンエアした。
キミヲサガシテタ
『CITRUS』がコロナ禍のDa-iCEを支えた
Da-iCEとして15年間活動してきたなかで、「これならやっていける」と手応えを感じたターニングポイントについても尋ねた。楽曲や出来事など、活動を続けていくうえで転機となったのは、大ヒットを記録した楽曲『CITRUS』の誕生だったという。Da-iCE /「CITRUS」(日本テレビ系日曜ドラマ「極主夫道」主題歌) Music Video
川口:そうなんですか?
川口:なるほど。
花村:「ダンスボーカルグループでロックバラードは無理でしょ。どうやって踊るん?」みたいな流れがあったんですが、曲は好きだったので残していました。だから、最初はミュージックビデオも作らなかったんです。
川口:そうなんですか!
花村:「リリックビデオでいいんじゃないですか」みたいな感じだったんですが、「なんかじわじわ来ているぞ!」という評価になって。今までの曲と違うなってことで、急いでミュージックビデオを作りました。
川口:反応を見て、慌てて作ったんですね。
花村:そうなんです。だから、いまだに先に出しているリリックビデオのほうが再生されているんですよね(笑)。自分たちにとってもすごく特別な曲で、それが出たのがコロナ禍だったんです。仕事がなくなってから、じわじわ売れてきたんですよ。『CITRUS』は2021年の日本レコード大賞を受賞するんですが、ヒットするまで丸1年ぐらいかかったんですよね。
川口:長期的なヒットだったんですね。
花村:そのヒットがなければ、もしかしたらDa-iCEって本当に仕事がなかったので、どうなっていたかわからないです。道に迷いそうなところを助けてくれた曲なんです。今でも15年間、メンバーが変わらずにいられたのはすべての曲のおかげですが、なかでも『CITRUS』は大きかったんじゃないかなと思いますね。
Da-iCEの最新情報は公式サイトまで。
【TISSOT TIMELESS MOMENTS】 9月18日(金)に開催された 公開収録の模様をお届け Da-iCE #花村想太 さんが語るタイムマネジメント radikoアプリでお聴きください https://t.co/GAdRyd2BJO @Da_iCE_SOTA @Da_iCE_STAFF #Da_iCE #popjwave #jwave #川口ゆりな https://t.co/RIlf5hqjjh
— POP OF THE WORLD (@pop_813) October 7, 2026
〈photoアンザイミキ〉
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