株式会社ブリヂストン
坪井慶介と柿谷曜一朗──日本サッカー界に偉大な足跡を残したレジェンドが、J-WAVEで対談した。スペインの優勝で幕を閉じた北中米ワールドカップの総括に、日本代表を率いた森保一監督にまつわる裏話、さらには、現役時代のエピソードなどについても語った。
この内容をお届けしたのは、8月11日(火・祝)放送のJ-WAVE『J-WAVE SPECIAL REGNO THE GREAT HISTORY』(ナビゲーター:nico)。偉大な歴史を築いたトップアスリートが思い出の地を、ブリヂストンのフラッグシップタイヤ「REGNO」を装着した車両でのドライブで巡りながら、そのヒストリーを語るスペシャルプログラムだ。
現在、ポッドキャストとしてディレクターズ・カット版を配信中だ。ここでは、トーク内容の一部をご紹介する。
日本サッカー界のレジェンドであると同時に、永遠のサッカー少年でもある2人が邂逅すれば、今夏世界中を熱狂させた北中米W杯について語り合わずにはいられない。大会期間中、坪井は日本で試合中継の解説を務め、一方の柿谷は現地で精力的に取材を行っていた。スペインの優勝で幕を閉じた今大会を彼らはどう見たのか。
柿谷:まずは、何と言ってもW杯ですよね。坪井さんは今大会を見てどんな印象を持ちましたか?
坪井:優勝したのはもちろんスペインだったけど、何だかんだメッシ中心の大会だったような気がする。
柿谷:いや本当に! メッシって、この20年くらいサッカー界のトップに君臨していて、毎年のように「もう終わった」と言われながらも、ずっと活躍し続けてますよね。
坪井:この20年でサッカーの戦術が進化して、今はインテンシティ(プレーの強度)や攻守の切り替えの早さなどが求められる時代になったよね。だから正直なところ、大会開幕前「メッシは通用しないんじゃないか?」と思ってたんだよ。ところがふたを開けてみたら、全然点とるし、メッシには関係なかったよね。
柿谷:メッシを勝たせるために一致団結して戦ったアルゼンチン代表には感動しました。そのメッシにボールさえまともに渡さず、アルゼンチンを抑えて優勝したスペイン代表は見事でしたね。
坪井:スペインは際立った「個」を要しながらも、組織力を発揮できるという現代サッカーの在り方を今大会で示した気がする。
柿谷:アスリート能力に頼り過ぎず、根本的なサッカーのうまさや技術がすべて詰まったチームでしたよね。
坪井:単純に「強くなった」と感じたな。特に、グループリーグ第2戦のチュニジア戦。あれは「強者の戦い方」だったと思うよ。日本がW杯に出場し始めた頃は、全ての試合に100%の力で臨まなければならないくらい必死だった。だけど、チュニジア戦に関しては先を見据えるような戦い方ができていたよね。
柿谷:余裕を感じさせる試合運びでしたよね。「これはいけるぞ!」と思わせてくれたからこそ、ブラジル戦は……。
坪井:曜一朗は現地で観てたんだよね。ブラジル戦の雰囲気はどうだった?
柿谷:ブラジルのホームでやっているような雰囲気で「ここはブラジルだな」と思うくらいでした。
坪井:そうだったんだ。たしかに、画面越しでも黄色いユニフォームを着ているサポーターが多かったように見えたし、相当アウェイなんだろうなと思っていたけど、現地での体感はもっとすごかったんだね……!
柿谷:前半に佐野海舟選手がゴールを決めて、1-0で迎えた後半戦は「日本が守りに入った」「受け身になった」とよく批判されますが、そうせざるを得なかったという表現が正しいかもしれません。それくらいブラジルの選手たちとブラジルサポーターたちには「残り45分で逆転すればいいんでしょ?」というムードがあって、すごく不気味でしたね。
柿谷:W杯中、森保監督と会話する機会が何度かあったんですけど、そのときに実はノートを見せてもらったんです。
坪井:ええっ!? あの、森保さんが試合中に書いてるやつ!? それ超貴重だね!
柿谷:そうなんですよ。ただ、この話はここではしませんけど(笑)。
坪井:いや、何でだよ(笑)。それ聞きたい人たくさんいるよ!?
柿谷:(笑)。もちろん試合の流れを読んで、「この選手に何分に起きたこのプレーについてこういうふうに伝えよう」みたいなことが簡潔に書かれてあったんですけど、森保さんって常にポジティブな言葉を自分に言い聞かせていると思うんですよね。そういった素敵な言葉を並べて、常に前向きになれるようなノートでした。
坪井:SNSだと「デスノートなんじゃないか」なんて言われてたけど(笑)。
柿谷:デスノートではなかったです(笑)。試合の展開によっては、監督とはいえ熱くなることもあるじゃないですか。そんなときに、ノートを見て心を落ち着かせているんだろうなという印象を僕は受けました。
一方の柿谷は、4歳でセレッソの下部組織に所属し、中学2年の時点でU-18チームの練習に参加、2006年に当時クラブ史上最年少の16歳でプロ契約を獲得、日本代表では各年代のエース格として目覚ましい活躍を見せるなど、早くから将来を嘱望されるエリート中のエリートだった。そんな「天才」の名を欲しいままにしていた柿谷だったが、プロデビューして間もない頃、同世代の怪物2人の登場によりその自信は大きく揺らぐことになる。
柿谷:当時「香川真司」の名前って、そこまで知られていなかったと思うんですよ。何なら僕のほうが、名前が売れていたくらいでしたから。
坪井:たしかに。
柿谷:あの頃の僕は「同世代に敵なし」みたいなムーブをかまして「香川って誰やねん!?」という態度を取っていました。でも、今振り返ってみれば、もっと真司くんに対してライバル心を持てばよかったと思うんですよ。本当は認めるべきなのに、目を瞑って、見て見ぬふりをしていたんです。そうしている間にどんどん差をつけられていきました。真司くんのすごさに気付いたときが、僕が人生で初めてサッカーから目を背けた瞬間だったんです。
坪井:そうだったんだ……。香川真司の登場によって逆境が訪れたわけだけど、それをどうやって乗り越えたの?
柿谷:いや、自分では超えられなかったんです。とにかく、明らかにレベルアップし続ける真司くんの活躍からは目を逸らしていました。そこに追い打ちをかけるように、乾貴士が入団してきたんです。
坪井:また天才が現れたわけだ。
柿谷:そうなんです。天才が2人現れたから、もうどうしようもありません。拗ねて、やさぐれて、練習さえもしたくない。サポーターの方たちはユース上がりの僕を息子のように思って応援してくれているのに、「どうせ俺のプレーより香川と乾のプレーがみたいんでしょ?」っていう、超ひねくれ者に変身していました(笑)。でも、それも仕方ないというか。真司くんと乾くんは結果も出すし、チームを勝たせるし、人にも好かれる。もう文句のつけようがない。あの2人を見ていると、自分のサッカーを否定されているような気持になったんです。一方の僕はといえば、点は取らないし、チームを勝たせられないし、おまけに遅刻もしてプロ意識もない(笑)。自分から真逆の方向に陥っていき、セレッソにいられなくなったところで、徳島ヴォルティスが拾ってくれました。
坪井:セレッソから徳島ヴォルティスに期限付き移籍してたよね。
柿谷:はい。徳島ヴォルティスで美濃部直彦監督(当時)に出会わなければ、選手としてそのまま終わっていたと思います。また、当時のキャプテンに倉貫一毅さんがいたことも大きかったです。一毅さんは、くすぶっている僕に対していつも優しい言葉をかけてくれました。その反面、試合中に僕が相手選手に対してリスペクトのない行動・プレーをしたときには「お前がこれからもっと有名になりたいんやったら、このままじゃアカン!」って叱ってくれたりしました。
坪井:徳島では本当に人との出会いに恵まれたんだね。
その道すがらでは、同スタジアムでクラブのレジェンド・小野伸二の海外移籍前最終戦を観戦したことによりレッズへの入団を決意したというエピソードを披露した。続いて運転を代わった柿谷が向かったのは、東京都小金井市、小平市、西東京市、武蔵野市にまたがる都立公園「小金井公園」。妻の実家に程近く、子どもたちとよく遊びに行くというなじみ深い場所を目指しながら、妻と交際に至った経緯について語る場面もあった。
このほか、坪井がディフェンダーとして守備の楽しさに目覚めたきっかけや、柿谷がセレッソ大阪の下部組織入りを決めた理由、創造性豊かなプレーのルーツ、さらには、現役引退後の生活、今後の目標など様々なトークを展開した。
また、ブリヂストンのフラッグシップタイヤ「REGNO」を装着した車を運転していたこともあって、「REGNO」の静粛性や乗り心地のよさを体感しつつ、話題は「最初に運転した車」へと波及。柿谷は運転免許を取ったばかりの18~19歳頃に中古車センターへ行き、「一番速そうだったから」という理由で180万円のBMWを購入したと明かした。一方の坪井は、浦和レッズのパートナー企業が三菱自動車である関係から、赤いボディカラーの「三菱エアトレック」を手に入れたと振り返った。
ポッドキャストでは、オンエアでは話しきれなかったトークも楽しめる。
■ポッドキャストページ
https://j-wave.podcast.sonicbowl.cloud/podcast/4006072f-6286-4933-a8e6-00866de1b7de/
■番組公式サイト
https://www.j-wave.co.jp/holiday/20260320_sp/
(構成=小島浩平)
坪井慶介と柿谷曜一朗──日本サッカー界に偉大な足跡を残したレジェンドが、J-WAVEで対談した。スペインの優勝で幕を閉じた北中米ワールドカップの総括に、日本代表を率いた森保一監督にまつわる裏話、さらには、現役時代のエピソードなどについても語った。
この内容をお届けしたのは、8月11日(火・祝)放送のJ-WAVE『J-WAVE SPECIAL REGNO THE GREAT HISTORY』(ナビゲーター:nico)。偉大な歴史を築いたトップアスリートが思い出の地を、ブリヂストンのフラッグシップタイヤ「REGNO」を装着した車両でのドライブで巡りながら、そのヒストリーを語るスペシャルプログラムだ。
現在、ポッドキャストとしてディレクターズ・カット版を配信中だ。ここでは、トーク内容の一部をご紹介する。
北中米W杯で改めて感じたメッシのすごさ
2002年に入団した浦和レッドダイヤモンズの最終ラインにルーキーイヤーから長らく君臨し、2006年ドイツW杯でも守備の要として躍動した坪井と、2006年に弱冠16歳でセレッソ大阪のトップチームとプロ契約を結び、創造性溢れるプレーの数々で「ジーニアス=天才」の異名を誇った、2014年ブラジルW杯戦士の柿谷。日本サッカー界のレジェンドであると同時に、永遠のサッカー少年でもある2人が邂逅すれば、今夏世界中を熱狂させた北中米W杯について語り合わずにはいられない。大会期間中、坪井は日本で試合中継の解説を務め、一方の柿谷は現地で精力的に取材を行っていた。スペインの優勝で幕を閉じた今大会を彼らはどう見たのか。
柿谷:まずは、何と言ってもW杯ですよね。坪井さんは今大会を見てどんな印象を持ちましたか?
坪井:優勝したのはもちろんスペインだったけど、何だかんだメッシ中心の大会だったような気がする。
柿谷:いや本当に! メッシって、この20年くらいサッカー界のトップに君臨していて、毎年のように「もう終わった」と言われながらも、ずっと活躍し続けてますよね。
坪井:この20年でサッカーの戦術が進化して、今はインテンシティ(プレーの強度)や攻守の切り替えの早さなどが求められる時代になったよね。だから正直なところ、大会開幕前「メッシは通用しないんじゃないか?」と思ってたんだよ。ところがふたを開けてみたら、全然点とるし、メッシには関係なかったよね。
柿谷:メッシを勝たせるために一致団結して戦ったアルゼンチン代表には感動しました。そのメッシにボールさえまともに渡さず、アルゼンチンを抑えて優勝したスペイン代表は見事でしたね。
坪井:スペインは際立った「個」を要しながらも、組織力を発揮できるという現代サッカーの在り方を今大会で示した気がする。
柿谷:アスリート能力に頼り過ぎず、根本的なサッカーのうまさや技術がすべて詰まったチームでしたよね。
柿谷が現地で感じた、日本-ブラジル戦の異様な雰囲気
W杯の話題になったからには、ベスト32で大会を去ることになった日本代表について触れないわけにはいかない。サムライブルーOBとして後輩たちの戦いぶりに何を思ったのか。坪井:単純に「強くなった」と感じたな。特に、グループリーグ第2戦のチュニジア戦。あれは「強者の戦い方」だったと思うよ。日本がW杯に出場し始めた頃は、全ての試合に100%の力で臨まなければならないくらい必死だった。だけど、チュニジア戦に関しては先を見据えるような戦い方ができていたよね。
柿谷:余裕を感じさせる試合運びでしたよね。「これはいけるぞ!」と思わせてくれたからこそ、ブラジル戦は……。
坪井:曜一朗は現地で観てたんだよね。ブラジル戦の雰囲気はどうだった?
柿谷:ブラジルのホームでやっているような雰囲気で「ここはブラジルだな」と思うくらいでした。
坪井:そうだったんだ。たしかに、画面越しでも黄色いユニフォームを着ているサポーターが多かったように見えたし、相当アウェイなんだろうなと思っていたけど、現地での体感はもっとすごかったんだね……!
柿谷:前半に佐野海舟選手がゴールを決めて、1-0で迎えた後半戦は「日本が守りに入った」「受け身になった」とよく批判されますが、そうせざるを得なかったという表現が正しいかもしれません。それくらいブラジルの選手たちとブラジルサポーターたちには「残り45分で逆転すればいいんでしょ?」というムードがあって、すごく不気味でしたね。
【坪井慶介・柿谷曜一朗】 ワールドカップは結局メッシが中心 / ブラジルを本気にさせた日本代表 / 森保監督のノートには何が書いてある? / 本田圭佑さんの解説は面白い
森保監督がノートに綴っていたこととは?
サッカー日本代表を率いる森保監督は、試合中にノートを取る姿が頻繁に中継カメラに捉えられ、その度に「何を書いているのか?」と話題になる。そんな“森保ノート”の中身を、柿谷はW杯期間中に見る機会があったようだ。柿谷:W杯中、森保監督と会話する機会が何度かあったんですけど、そのときに実はノートを見せてもらったんです。
坪井:ええっ!? あの、森保さんが試合中に書いてるやつ!? それ超貴重だね!
柿谷:そうなんですよ。ただ、この話はここではしませんけど(笑)。
坪井:いや、何でだよ(笑)。それ聞きたい人たくさんいるよ!?
柿谷:(笑)。もちろん試合の流れを読んで、「この選手に何分に起きたこのプレーについてこういうふうに伝えよう」みたいなことが簡潔に書かれてあったんですけど、森保さんって常にポジティブな言葉を自分に言い聞かせていると思うんですよね。そういった素敵な言葉を並べて、常に前向きになれるようなノートでした。
坪井:SNSだと「デスノートなんじゃないか」なんて言われてたけど(笑)。
柿谷:デスノートではなかったです(笑)。試合の展開によっては、監督とはいえ熱くなることもあるじゃないですか。そんなときに、ノートを見て心を落ち着かせているんだろうなという印象を僕は受けました。

香川真司&乾貴士の登場で揺らいだ天才の自信
共に日本代表の主力として活躍した2人だが、そのキャリアの初期は対照的だ。坪井はプロを目指して法政大学のセレクションに参加するも落選し、高校の監督のツテで、福岡大学に入学。大学入学後もプロのスカウトの目にはなかなか止まらず、また、アンダー世代の日本代表に召集されることもなく「いつか見返してやる」という反骨精神のもとスキルを磨き、プロになれると確信したのは大学4年生の夏だったという。一方の柿谷は、4歳でセレッソの下部組織に所属し、中学2年の時点でU-18チームの練習に参加、2006年に当時クラブ史上最年少の16歳でプロ契約を獲得、日本代表では各年代のエース格として目覚ましい活躍を見せるなど、早くから将来を嘱望されるエリート中のエリートだった。そんな「天才」の名を欲しいままにしていた柿谷だったが、プロデビューして間もない頃、同世代の怪物2人の登場によりその自信は大きく揺らぐことになる。
柿谷:当時「香川真司」の名前って、そこまで知られていなかったと思うんですよ。何なら僕のほうが、名前が売れていたくらいでしたから。
坪井:たしかに。
柿谷:あの頃の僕は「同世代に敵なし」みたいなムーブをかまして「香川って誰やねん!?」という態度を取っていました。でも、今振り返ってみれば、もっと真司くんに対してライバル心を持てばよかったと思うんですよ。本当は認めるべきなのに、目を瞑って、見て見ぬふりをしていたんです。そうしている間にどんどん差をつけられていきました。真司くんのすごさに気付いたときが、僕が人生で初めてサッカーから目を背けた瞬間だったんです。
坪井:そうだったんだ……。香川真司の登場によって逆境が訪れたわけだけど、それをどうやって乗り越えたの?
柿谷:いや、自分では超えられなかったんです。とにかく、明らかにレベルアップし続ける真司くんの活躍からは目を逸らしていました。そこに追い打ちをかけるように、乾貴士が入団してきたんです。
坪井:また天才が現れたわけだ。
柿谷:そうなんです。天才が2人現れたから、もうどうしようもありません。拗ねて、やさぐれて、練習さえもしたくない。サポーターの方たちはユース上がりの僕を息子のように思って応援してくれているのに、「どうせ俺のプレーより香川と乾のプレーがみたいんでしょ?」っていう、超ひねくれ者に変身していました(笑)。でも、それも仕方ないというか。真司くんと乾くんは結果も出すし、チームを勝たせるし、人にも好かれる。もう文句のつけようがない。あの2人を見ていると、自分のサッカーを否定されているような気持になったんです。一方の僕はといえば、点は取らないし、チームを勝たせられないし、おまけに遅刻もしてプロ意識もない(笑)。自分から真逆の方向に陥っていき、セレッソにいられなくなったところで、徳島ヴォルティスが拾ってくれました。
坪井:セレッソから徳島ヴォルティスに期限付き移籍してたよね。
柿谷:はい。徳島ヴォルティスで美濃部直彦監督(当時)に出会わなければ、選手としてそのまま終わっていたと思います。また、当時のキャプテンに倉貫一毅さんがいたことも大きかったです。一毅さんは、くすぶっている僕に対していつも優しい言葉をかけてくれました。その反面、試合中に僕が相手選手に対してリスペクトのない行動・プレーをしたときには「お前がこれからもっと有名になりたいんやったら、このままじゃアカン!」って叱ってくれたりしました。
坪井:徳島では本当に人との出会いに恵まれたんだね。
思い出の地にまつわるエピソードや初めて運転した車など……様々なトークを展開
今回の番組のコンセプトは、思い出の地をドライブで巡りながら、それぞれのヒストリーを語るという内容。まずは坪井の運転で、2002年から2014年まで13年間プレーした浦和レッドダイヤモンズの本拠地「浦和駒場スタジアム」へ。
このほか、坪井がディフェンダーとして守備の楽しさに目覚めたきっかけや、柿谷がセレッソ大阪の下部組織入りを決めた理由、創造性豊かなプレーのルーツ、さらには、現役引退後の生活、今後の目標など様々なトークを展開した。
また、ブリヂストンのフラッグシップタイヤ「REGNO」を装着した車を運転していたこともあって、「REGNO」の静粛性や乗り心地のよさを体感しつつ、話題は「最初に運転した車」へと波及。柿谷は運転免許を取ったばかりの18~19歳頃に中古車センターへ行き、「一番速そうだったから」という理由で180万円のBMWを購入したと明かした。一方の坪井は、浦和レッズのパートナー企業が三菱自動車である関係から、赤いボディカラーの「三菱エアトレック」を手に入れたと振り返った。
ポッドキャストでは、オンエアでは話しきれなかったトークも楽しめる。
■ポッドキャストページ
https://j-wave.podcast.sonicbowl.cloud/podcast/4006072f-6286-4933-a8e6-00866de1b7de/
■番組公式サイト
https://www.j-wave.co.jp/holiday/20260320_sp/
(構成=小島浩平)
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