シンガーソングライターの紫 今(むらさき いま)が、自身の音楽ルーツや楽曲制作の背景について語った。
紫が登場したのは、3月14日(土)放送のJ-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』(ナビゲーター:水野良樹)。“今”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求するプログラムだ。なお、番組はSpotifyなどのポッドキャストでも聴くことができる。
・ポッドキャストページ
そんな紫に音楽のルーツを尋ねた。
紫:いわゆる地元のお祭りで歌ったりしていて、小さいころから歌ってました。
水野:目立つことは好きでしたか?
紫:そうですね、好きだったかもしれません。
水野:どの段階から「作る」になっていったのでしょうか。
紫:小さいころから、紙に自分の詞みたいなのを書いたりはしてました。高校生ぐらいのときにギターを始めて、そこから弾き語りで曲を作ってみたりはしていたんです。本格的に作曲をスタートしたっていう自覚が生まれたのは、コロナ禍ぐらいにDTMを始めたところからです。私にとって納得できる曲というものを完成させたのが、DTMを始めたときです。
水野:今の音源を聴かせていただくと、弾き語りでスタートした人には見えないというか。多ジャンルにおよぶから、弾き語りを始めたころにご自身のなかで「本当はもっとこんなことをやりたいのに」というイメージがあったのでしょうか。
紫:弾き語りをやっていた当時も、いわゆるボーカロイドの曲やK-POPが好きだったんです。あれって弾き語りで作れない曲ばかりで。自分でオリジナルの曲を作っていたときも、あのサウンド感が頭のなかに流れていたので、その電子音や「ここでピアノが」というのが、作品としてかたちにできない。アウトプットできないもどかしさ、みたいなものを弾き語り作曲のときに感じていて。DTMを始めてやっと「あ、これだ。私の頭のなかに流れていたものは」と、90パーセントぐらいかたちにできるようになりました。
水野:ボカロ文化というと、僕らの世代からすると「ついこないだやん」みたいな(笑)。そういう感じになるぐらい、最近のことかなと思ったりもするんです。紫さんにとっては影響を受けた音楽を具体的に挙げたりできますか?
紫:幼少期にさかのぼると、母がゴスペルをやっていて。ジャンベというアフリカの太鼓があるんですが、父がそれのストリートミュージシャンをやっていたんですよ。夫婦そろってアフリカンミュージックとかファンク、ソウル、ブラックミュージック、レゲエとかが好きで。バンドみたいなのを家族や友だちとやってたり、アフリカの国歌をみんなで歌ったりして、そこに私も一緒に参加するみたいな。子ども用のジャンベやマラカスもあって、それを叩いたりしていたのが本当にルーツの始まりの音楽です。
水野:めちゃくちゃほかの友だちとは違う音楽性じゃないですか? クラスで流行っているものとは全然違いますよね。いわゆるJ-POPやボカロといった、日本で流行っているみたいなのも、普通に聴いてはいたんですか?
紫:聴いてました。NHKの『天才てれびくん』とか、『プリキュア』のオープニング、エンディングとかも好きでした。J-POPでいうと両親が小室哲哉さん、THE BLUE HEARTSさん、忌野清志郎さんあたりが世代で、LINDBERGさんとかがCDで流れてて。いろいろ聴いてました。
水野:紫さんの歌詞はインパクトがすごくあると思いますが、歌詞の世界観みたいなのはどこがスタートだったのでしょうか。
紫:DTMでビートというものが存在し始めて、そこで韻を踏む気持ちよさとかビートに合わせるグルーヴを言葉で作り出す「音ハメ」の気持ちよさみたいなのに目覚めて。言葉遊びみたいなところから歌詞を音で楽しむ視点が、たぶんDTMを始めてビートという概念に出会って、歌詞もそういう方向で進化していった感じです。
水野:短いスパンで発展していってますが、技術習得できるものなんですか?
紫:ラップとかは全然聴いて育ってきていなくて。なんなら、高校生ぐらいまで「韻を踏む」という言葉の意味がわからなくて。「韻を踏むってなに?」と友だちに訊いたりしてたんです。最初に曲を作った『ゴールデンタイム』という曲で、気づいたら韻を踏んでいて「これか! 楽しいな」みたいな。
水野:「これが韻なのね」ってあとあと気づいたと。
紫:そんな感じでした。
水野:自然に楽しんでやっているうちに、どんどんと発展していったというか、伸びていったというタイプなんですね。
水野:すごい反応が返ってきますよね。それまで紫さんのことを知らなかった人たちが「この子なんなんだ」「この曲なんなんだ」って、ワーッとくるじゃないですか。渦中にいた自分としてはなにを思ってましたか。
紫:最初に『ゴールデンタイム』を出したときは、曲として成立しているのかすら不安だったんです。自分のなかではわりと王道から外れているものを作ったという感覚があったので。これってアレンジもそうだし、DTMとしても曲としても「成立してるのかな?」みたいな。酷いものになっちゃっていないか、私はいいと思うけどでもな……みたいな気持ちで出したら「すごくいい」みたいにコメントしてもらって。それで「あ、よかったぁ」となってた感じです。
水野:そこでの経験は、次の作品にはつながっていきましたか?
紫:たしかに、そのあとに出した『凡人様』という曲は『ゴールデンタイム』でやったことから、自分のオリジナリティを自分で分析して「もう1回やるんだけど、新しい一面も見せる」みたいなところはありました。『ゴールデンタイム』で1回なんかわからないけどアウトプットをして自分のオリジナリティを教えてもらった、みたいな感覚でした。
水野:その最初の段階から客観的にご自身を俯瞰で見て、「これをやったから次はこうだな」というちょっと冷静になる視点をなぜ持っていたんでしょうか。
紫:私は小さいころからたぶんそういう性格なんです。どこか冷静だし、自分を俯瞰して見ているところがあって。どちらかというと無計画な人間ではありますが、紫 今というアーティストをすごく大事にしたいなというか、慎重に活動していきたい、みたいなところもあって。ちゃんと「紫 今の歴史」みたいなのを長い目で見て、「こういう面をこのタイミングで出すべきだな」とか「こういう曲をこのタイミングでリリースしたほうが、長い目で見ていいな」みたいなのはありました。
紫:ライブを本格的に始めて、もともと眠っていたいちばん核の部分が目覚めた感じが自分のなかではあって。それこそ『ゴールデンタイム』だったり、リリースしていた曲やSNSで話題になっていた楽曲というのは、どちらかというとストリーミングを意識していて。みんなが日常のなかで、スマホのスピーカーやイヤホンで聴くときにすばらしいもの、というのを目指していたんです。
自分のなかのK-POPやボカロのルーツを引き出しとして出し続け、ライブでは自身のルーツとなる音楽が覚醒していったそう。
紫:それこそ、アフリカ音楽やゴスペルとかのバイブスみたいなものが、フェスとかのライブで自分の武器になることに気づいて。ライブの回数を重ねるごとに、小さいころにお父さんとお母さんと一緒になにも考えずにジャンベを叩きながら、ゴスペルやアフリカ音楽を歌っていた5歳の自分をステージで出せるようになってきたんです。それで逆に、「リリースする曲にもうちょっとジャンベの音を入れてみよう」とか、私が多ジャンルなので対バンもいろいろなジャンルの人とやらせていただいて。みんな違う音楽のルーツを持ってやっていて、刺激もたくさんもらいました。DTM、アレンジもライブもそうだし、いろいろな面でどんどん吸収して影響を受けているなという意識はあります。
水野:どんどん循環していきそうですよね。ライブでの経験でほかのジャンルの人とのつながりができると、それを全部受け入れることができるアーティストだから。どんどん自分の音源に取り入れることができるという意味では、全部循環していくからどんどん大きくなっちゃいますね。
紫:私は負けず嫌いというか、変なところがストイックで。たとえば、ライブでこういうことをやりたい、じゃあそういう曲を作らなきゃ。じゃあそういう曲を作れるだけの実力、作曲者としての実力が必要だし、難しい曲を作ったらそれを歌えるだけの歌手としての実力も必要だし。そして今度はこういうMVを作りたい。プロデュースやディレクションとなったら、それを表現できる表現力、被写体としてカメラで映ったときの表情といったものもやれるようにならなきゃいけない。ライブでもその表情ができるようになって……みたいな。いろいろなことをやっている分、いろいろな人格があるから「もっとやれるよなお前」みたいな(笑)。いろいろな自分が切磋琢磨しています。
紫 今の最新情報は公式サイトまで。
“今”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求する番組『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』は、毎週土曜21時から放送。
紫が登場したのは、3月14日(土)放送のJ-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』(ナビゲーター:水野良樹)。“今”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求するプログラムだ。なお、番組はSpotifyなどのポッドキャストでも聴くことができる。
・ポッドキャストページ
頭の中で流れていたのは、弾き語りで作れない曲だった
作詞・作曲・編曲・アートワーク、MVプロデュースまでを一貫して手がける、23歳の新世代クリエイターである紫。『ゴールデンタイム』『魔性の女A』『ウワサのあの子』などの楽曲、ファーストアルバム『eMulsion』などが国内外でバイラルヒットを果たしている。2026年3月、いきものがかりのコラボアルバム『いきものがかり meets 2』に参加し、独自の解釈で名曲『YELL』をカバーした。そんな紫に音楽のルーツを尋ねた。
YELL
水野:目立つことは好きでしたか?
紫:そうですね、好きだったかもしれません。
水野:どの段階から「作る」になっていったのでしょうか。
紫:小さいころから、紙に自分の詞みたいなのを書いたりはしてました。高校生ぐらいのときにギターを始めて、そこから弾き語りで曲を作ってみたりはしていたんです。本格的に作曲をスタートしたっていう自覚が生まれたのは、コロナ禍ぐらいにDTMを始めたところからです。私にとって納得できる曲というものを完成させたのが、DTMを始めたときです。
水野:今の音源を聴かせていただくと、弾き語りでスタートした人には見えないというか。多ジャンルにおよぶから、弾き語りを始めたころにご自身のなかで「本当はもっとこんなことをやりたいのに」というイメージがあったのでしょうか。
紫:弾き語りをやっていた当時も、いわゆるボーカロイドの曲やK-POPが好きだったんです。あれって弾き語りで作れない曲ばかりで。自分でオリジナルの曲を作っていたときも、あのサウンド感が頭のなかに流れていたので、その電子音や「ここでピアノが」というのが、作品としてかたちにできない。アウトプットできないもどかしさ、みたいなものを弾き語り作曲のときに感じていて。DTMを始めてやっと「あ、これだ。私の頭のなかに流れていたものは」と、90パーセントぐらいかたちにできるようになりました。
水野:ボカロ文化というと、僕らの世代からすると「ついこないだやん」みたいな(笑)。そういう感じになるぐらい、最近のことかなと思ったりもするんです。紫さんにとっては影響を受けた音楽を具体的に挙げたりできますか?
紫:幼少期にさかのぼると、母がゴスペルをやっていて。ジャンベというアフリカの太鼓があるんですが、父がそれのストリートミュージシャンをやっていたんですよ。夫婦そろってアフリカンミュージックとかファンク、ソウル、ブラックミュージック、レゲエとかが好きで。バンドみたいなのを家族や友だちとやってたり、アフリカの国歌をみんなで歌ったりして、そこに私も一緒に参加するみたいな。子ども用のジャンベやマラカスもあって、それを叩いたりしていたのが本当にルーツの始まりの音楽です。
水野:めちゃくちゃほかの友だちとは違う音楽性じゃないですか? クラスで流行っているものとは全然違いますよね。いわゆるJ-POPやボカロといった、日本で流行っているみたいなのも、普通に聴いてはいたんですか?
紫:聴いてました。NHKの『天才てれびくん』とか、『プリキュア』のオープニング、エンディングとかも好きでした。J-POPでいうと両親が小室哲哉さん、THE BLUE HEARTSさん、忌野清志郎さんあたりが世代で、LINDBERGさんとかがCDで流れてて。いろいろ聴いてました。
「韻を踏む」楽しさに気づいた
紫は印象的な歌詞の世界観をどのように作り上げていったのか、経緯について明かした。水野:紫さんの歌詞はインパクトがすごくあると思いますが、歌詞の世界観みたいなのはどこがスタートだったのでしょうか。
紫:DTMでビートというものが存在し始めて、そこで韻を踏む気持ちよさとかビートに合わせるグルーヴを言葉で作り出す「音ハメ」の気持ちよさみたいなのに目覚めて。言葉遊びみたいなところから歌詞を音で楽しむ視点が、たぶんDTMを始めてビートという概念に出会って、歌詞もそういう方向で進化していった感じです。
水野:短いスパンで発展していってますが、技術習得できるものなんですか?
紫:ラップとかは全然聴いて育ってきていなくて。なんなら、高校生ぐらいまで「韻を踏む」という言葉の意味がわからなくて。「韻を踏むってなに?」と友だちに訊いたりしてたんです。最初に曲を作った『ゴールデンタイム』という曲で、気づいたら韻を踏んでいて「これか! 楽しいな」みたいな。
紫 今 - ゴールデンタイム / Mulasaki Ima - Golden Time (MUSIC VIDEO)
紫:そんな感じでした。
水野:自然に楽しんでやっているうちに、どんどんと発展していったというか、伸びていったというタイプなんですね。
アウトプットをしながら自らスタイルを確立
『ゴールデンタイム』や『凡人様』といった曲でインターネット上で知名度を高めていった紫。自分なりの解釈でスタイルを確立していったという。水野:すごい反応が返ってきますよね。それまで紫さんのことを知らなかった人たちが「この子なんなんだ」「この曲なんなんだ」って、ワーッとくるじゃないですか。渦中にいた自分としてはなにを思ってましたか。
紫:最初に『ゴールデンタイム』を出したときは、曲として成立しているのかすら不安だったんです。自分のなかではわりと王道から外れているものを作ったという感覚があったので。これってアレンジもそうだし、DTMとしても曲としても「成立してるのかな?」みたいな。酷いものになっちゃっていないか、私はいいと思うけどでもな……みたいな気持ちで出したら「すごくいい」みたいにコメントしてもらって。それで「あ、よかったぁ」となってた感じです。
水野:そこでの経験は、次の作品にはつながっていきましたか?
紫:たしかに、そのあとに出した『凡人様』という曲は『ゴールデンタイム』でやったことから、自分のオリジナリティを自分で分析して「もう1回やるんだけど、新しい一面も見せる」みたいなところはありました。『ゴールデンタイム』で1回なんかわからないけどアウトプットをして自分のオリジナリティを教えてもらった、みたいな感覚でした。
紫 今 - 凡人様 / Mulasaki Ima - Bonjin-sama (MUSIC VIDEO)
紫:私は小さいころからたぶんそういう性格なんです。どこか冷静だし、自分を俯瞰して見ているところがあって。どちらかというと無計画な人間ではありますが、紫 今というアーティストをすごく大事にしたいなというか、慎重に活動していきたい、みたいなところもあって。ちゃんと「紫 今の歴史」みたいなのを長い目で見て、「こういう面をこのタイミングで出すべきだな」とか「こういう曲をこのタイミングでリリースしたほうが、長い目で見ていいな」みたいなのはありました。
アフリカ音楽やゴスペルのバイブスが、自分の武器になる
当初は、自身のアーティストとしての方針を詳細に決めていたという紫だが、「なにが起きるかわからない」と感じてからは柔軟に考えるようになったという。リアルの現場でライブをするようになってからは、大いに刺激を受けるようになっていったと話す。紫:ライブを本格的に始めて、もともと眠っていたいちばん核の部分が目覚めた感じが自分のなかではあって。それこそ『ゴールデンタイム』だったり、リリースしていた曲やSNSで話題になっていた楽曲というのは、どちらかというとストリーミングを意識していて。みんなが日常のなかで、スマホのスピーカーやイヤホンで聴くときにすばらしいもの、というのを目指していたんです。
自分のなかのK-POPやボカロのルーツを引き出しとして出し続け、ライブでは自身のルーツとなる音楽が覚醒していったそう。
紫:それこそ、アフリカ音楽やゴスペルとかのバイブスみたいなものが、フェスとかのライブで自分の武器になることに気づいて。ライブの回数を重ねるごとに、小さいころにお父さんとお母さんと一緒になにも考えずにジャンベを叩きながら、ゴスペルやアフリカ音楽を歌っていた5歳の自分をステージで出せるようになってきたんです。それで逆に、「リリースする曲にもうちょっとジャンベの音を入れてみよう」とか、私が多ジャンルなので対バンもいろいろなジャンルの人とやらせていただいて。みんな違う音楽のルーツを持ってやっていて、刺激もたくさんもらいました。DTM、アレンジもライブもそうだし、いろいろな面でどんどん吸収して影響を受けているなという意識はあります。
水野:どんどん循環していきそうですよね。ライブでの経験でほかのジャンルの人とのつながりができると、それを全部受け入れることができるアーティストだから。どんどん自分の音源に取り入れることができるという意味では、全部循環していくからどんどん大きくなっちゃいますね。
紫:私は負けず嫌いというか、変なところがストイックで。たとえば、ライブでこういうことをやりたい、じゃあそういう曲を作らなきゃ。じゃあそういう曲を作れるだけの実力、作曲者としての実力が必要だし、難しい曲を作ったらそれを歌えるだけの歌手としての実力も必要だし。そして今度はこういうMVを作りたい。プロデュースやディレクションとなったら、それを表現できる表現力、被写体としてカメラで映ったときの表情といったものもやれるようにならなきゃいけない。ライブでもその表情ができるようになって……みたいな。いろいろなことをやっている分、いろいろな人格があるから「もっとやれるよなお前」みたいな(笑)。いろいろな自分が切磋琢磨しています。
紫 今の最新情報は公式サイトまで。
“今”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求する番組『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』は、毎週土曜21時から放送。
番組情報
- Samsung SSD CREATOR'S NOTE
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毎週土曜21:00-21:54