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「吾輩は羊羹好な猫である」—夏目漱石の息遣いを感じる仙台の旅。日本を巡る作家が魅力を語る

“東北一の都市”として愛される宮城県・仙台に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。

この内容をお届けしたのは、J-WAVEのワンコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。放送日は2025年11月17日(月)〜11月20日(木)。同コーナーでは、独自の文化のなかで育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口さんが解説する。ここではその内容をテキストで紹介。

また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが実際に仙台を訪れ、そこで営む人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。

・ポッドキャストページ

気仙沼はサメの水揚げ量で日本一

宮城県のほぼ中央に位置し、伊達政宗公の時代から、東北地方の中心都市として発展してきた仙台市。杜の都・仙台には、歴史や自然などを楽しめる観光地も豊富。仙台グルメとしては、牛タンをはじめ、笹かまぼこ、ずんだ餅、せり鍋などが有名だ。

山口:仙台、おいしいものがたくさんありますが、僕は仙台でフカヒレスープを頂いてきました。フカヒレ、おいしいですね。サメの中でも大型のものをフカと呼ぶそうです。フカは漢字で書くと「魚へん」に「養」です。メスのフカは体の中で子供を大きくなるまで育てるから、魚へんに養うという漢字が当てられたそうです。

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宮城県北部の気仙沼はサメの水揚げ量で日本一と言われています。昔からサメ漁が盛んだったそうです。このサメのヒレを乾燥させて最高級のフカヒレにするんですね。

江戸時代はそういった漁港で採れたものを中国に輸出していたそうだ。

山口:それが莫大なお金になっていました。仙台藩は頭がいいんです。実際には、幕府に対して「我々は60万石しかありません」と言いながら、フカヒレを中国に輸出したお金で40万石ぐらいの予備費みたいなものが入ってきていたんです。伊達政宗、伊達じゃありませんね。

フカヒレはコラーゲンたっぷりで食べるとお肌がプルプルになる感じがいたします。お肌だけではなく、骨とか筋も滑らかになると聞きます。昔の中国の皇帝もフカヒレを食べていたそうなので、お肌プルンプルンだったのでしょうね。

サメの歯は何列にも並んでいる。そしてどんどん生え変わっていくという。

山口:サメの歯はまるで使い捨ての武器です。自分が持っている力を歯に集中させて、なんでもかんでも目の前にあるものをかじって食べていく。映画「ジョーズ(Jaws)」を覚えていらっしゃいますか? あの巨大サメもすごかったでしょう。船まで噛み砕いていましたから。巨大ホホジロザメの恐怖。浮き袋がないサメはずっと泳ぎ、動き続けていないといけないんだそうです。

山口さんは以下の言葉を紹介した。

「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんなことでもしなさい」

山口:これはシャネル(CHANEL)の創設者であるココ・シャネルが残した言葉です。サメはヒレという翼を大きく羽ばたかせながら、海の中を泳いでいます。そのサメのヒレをいただくと、自分にも大きなヒレ・翼が生えてきて、もっと遠くへと飛んでいけるような、元気をもらえる気がします。

そんな、フカヒレスープはおいしいです。中華料理の高級食材です。噛むごとに繊維がほぐれて、スープのおいしさが滲み出てきます。そして、体があたたまります。噛めば噛むほど旨味が出るーー。これって人生と同じではないでしょうか。

ただディナーで食べるとフカヒレはやっぱり高い。フカヒレラーメンなどをランチで食べるのがお得ですね。お昼にフカヒレを食べて、大きなヒレを自らの背中につけて、午後の仕事も勢いよく行っていきたいものです。

なぜ仙台に「漱石文庫」が? 空襲から原稿を守った弟子の思い

山口さんは「仙台といえば夏目漱石です」と切り出す。

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山口:「どうして?」と仰る方もいらっしゃるでしょう。だって漱石が住んでいたのは、東京ですものね。しかし現在、漱石が所蔵していた本や原稿は全て、東北大学の付属図書館に「漱石文庫」という名前で保管されています。

「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」。漱石はこのように現在にも残る小説を書いた人として知られています。この小説、皆が今でも解るというのは、つまり漱石の日本語はまだまだ生き残っているということ。漱石こそ、今の日本語の基礎を作った人なんです。

漱石が持っていた本や原稿が東北大学に所蔵されているのは、漱石の弟子である小宮豊隆が尽力したおかげだそうだ。

山口:小宮さんは漱石の名前を後世にも残そうと尽力した方です。漱石が持っていたものを自分が奉職していた東北帝国大学に「東京から持ってきた方がいいんじゃないか」と助言し、そして納めた人なのです。

その後、小宮さんは東北帝国大学の図書館長になりました。小宮さんは昭和18年から19年3月までの期間で、漱石の本などを少しずつ東京から仙台へと移していきます。本は約3000冊、ノートは数えきれないほどたくさんあると言われていました。しかし、小宮さんのこの判断がとっても良かったんですよね。

というのも、昭和20年3月に東京大空襲が起きてしまい、漱石の家は焼失してしまったのです。小宮さんが行動したことで、漱石のメモやノートは現在でも見られるようになっているのです。

仙台には「白松がモナカ本舗」という老舗の和菓子店がある。

山口:そこには「吾輩は羊羹好な猫である」という羊羹が売ってありました。この羊羹は2022年、東北大学創立115周年、そして総合大学100周年の記念に企画されて作られたものです。そして、現在でも売っています。売上金の一部は漱石文庫の保存に活用されているそうです。

そう思うとこの羊羹が買いたくなりますね。羊羹は漱石の大好物でした。そのことも羊羹の箱の裏に詳しく書いてあります。興味ある方は是非手に取って、読んでみてください。

職人の個性が光る寿司─仙台で味わう秋の蛤

山口さんは仙台でおいしい蛤のお椀を食べたそうだ。

山口:蛤のお吸い物にちょっとだけ胡椒をかけていただくと、ほわっと春の雰囲気がしますよね。でも、秋の蛤もおいしい。なんといっても「浜の栗」ですからね。仙台のお寿司屋さんの方が「蛤は秋もおいしいんですよ」と教えてくださいました。

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「いわ貴」さんという仙台のお寿司屋さんです。「この蛤はどこで採れたもの?」と聞くと、「七ヶ浜です」と教えてくださいました。8月に解禁になったものでしたが、お椀を開けても蛤の身がないんです。「身は?」と聞くと「後の楽しみですよ」という答えが返ってきました。すると最後に煮蛤を出してくださいました。

煮蛤は山口さんの故郷・長崎の味なのだそうだ。

山口:僕が小さい頃に住んでいた長崎県・大島。現在は西海市になっていますが、ここに「蛤浜海水浴場」と言う、遠浅の海水浴場がありました。そこの砂地を足でグリグリとしていると蛤に当たるんです。

小さい頃の僕は足の先でつまみ上げて袋に入れていました。持ちきれないくらいの蛤を採っていたのです。それを母が網焼きにしてくれました。ただ小さい頃だったので、網焼きなんかは食べられても1個か2個程度です。なので母は残った蛤を煮蛤にしてくれました。煮蛤、とってもおいしいですよね。

山口さんは2025年、若いお寿司職人さんとの出会いがあったそうだ。

山口:1人は京都府・天橋立にいた宮前さんという方です。しかし宮前さんは僕にお寿司を握ってはくれませんでした。イタリアンなんかを作りながら、「お寿司、楽しいんですよね」と言って、エア握りをしていました。左手で俵を作って、右手でネタを乗せて、僕の目の前に置くんです。

宮前さんはニコニコ、ニコニコとしていて、お寿司を握るのが楽しくてしかたがない様子でした。でも、だからこそ、今はあえて修行のために本当の寿司は握らないんだと宮前さんは言うのです。

仙台では若い職人の岩井貴之さんという方が本当に握ってくださいました。眉を八の字にして、お腹に力を入れて握ってくださいました。宮前さんのニコニコとした姿とは反対でしたが、非常においしかったです。力がこもった寿司、力を抜いた寿司、お寿司の握る過程は様々ですね。

山口さんは寿司のシャリのサイズは昼と夜で変わってくると話す。

山口:お寿司屋さんのランチ営業はシャリの量が多いんです。お寿司屋さんに行くと「お客さんシャリは大にしますか? 普通? それとも小ですか?」と聞かれることがありますね。聞いてくれないとするならば、お昼は大体シャリ大です。そして夜はシャリ小。何故かというと、お昼は早くお客さんにお腹いっぱいになってもらって、回転を早くしたいからです。

一方で夜はシャリ小にして、どんどんお酒を飲んでもらいたい。これはお寿司屋さんの握りの知恵ですね。もちろんランチでもシャリ小にすることもできます。シャリを小にしてもらって、ランチでもたくさんのおいしいネタをお腹いっぱい食べるというのはいかがでしょうか。

それにしても、僕がお寿司屋さんで最後に頂きたいのは煮蛤。煮鮑もありますが、個人的には煮蛤には敵いません。寒い冬、“栗(蛤)”の季節はまだまだ続きます。

(構成=中山洋平)

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