脚本家の福田 靖と松下奈緒がJ-WAVEで対談。福田が、脚本家になるきっかけを通じて、人生の分岐点について語った。
ふたりがトークを展開したのは、11月7日(金)放送のJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』(ナビゲーター:松下奈緒)だ。毎月ひとりのゲストを迎え、成功の背景にある「決断」「迷い」「出会い」を掘り下げながら、「人生の分岐点」について語り合う30分。音楽とともに、ライフデザインのヒントを届けていく。
番組では、毎週月曜7時に再編集版ポッドキャストを配信中。
・ポッドキャストページ
【インタビュー】松下奈緒が語る、大杉 漣や神田正輝などの先輩から学んだこと。“壁の乗り越え方”も聞いた
福田は、1995年に脚本家デビュー。ドラマ『HERO』『海猿』『龍馬伝』など数多くの話題作を手がける、日本を代表する脚本家のひとり。松下も、福田が手がけた連続テレビ小説『まんぷく』、そして2025年9月まで放送していた『大追跡~警視庁SSBC強行犯係』に出演している。
『KENEDIX CROSSROADS』では人生の分岐点=クロスロードを探っていく。今回のテーマは「脚本家・福田 靖が生まれたクロスロード」。
松下:福田さんは1995年にドラマ『BLACK OUT』で脚本家デビューされたんですよね。
福田:2025年で30周年になりますね。
松下:おめでとうございます。
福田:ありがとうございます。自分ではクリエーターの才能にあふれていると思ったことがないので、よく30年続いたなっていう。ありがたい、みたいな感じですね。
松下:もともと脚本家になりたかったんですか?
福田:まったく。僕は山口県で育って東京の大学に来たんですけど、不真面目な学生だったので、途中で退学しちゃって。なんのプランもなく辞めて何をしようかなって考えたときに、芝居をやろうと思ったんですね。高校で演劇部に入っていて。
松下:じゃあ、もともと俳優さん?
福田:いや、劇団を作るからには、小さな劇団だし、自分も出なきゃいけないなって思ってたんだけど、やっぱり脚本を書いて演出してみたいと思ったんですね。それを23歳で始めて、すごく楽しかったんです。全然お金にならなくて、ずっとアルバイトをしながらだったんですけど、楽しい日々はあっという間に過ぎて。気が付いたら10年経って30いくつになっていて。
「あれ、自分33歳だけど、まだアルバイトして貧乏で、大丈夫か」と我に返ったという福田。本当に不安になったと、当時を振り返る。
福田:劇団員もみんな同じように歳を取って「みんなどうするんだろう」って。自分が責任を負わなきゃいけない。ときどき、劇団員のお父さま・お母さまが劇場に来られて、「うちの子はどうなるんですか?」って言われるんですよね。でも、答えようがないような状況がだんだん起きてきて、「もう無理かも」と。10年やって芽が出ないから。そうしたら、たまたまテレビ局のプロデューサーさんが作品をご覧になって、声をかけてくださったんです。それで「とにかく生活のためになんでもやります!」って入ったのが脚本だったんですね。
松下:劇団はそのあとも続いたんですか?
福田:脚本の仕事をした時点で、自分はこれをやろうって。
松下:劇団ではなく、脚本でいこうと。
福田:ただ、売れない劇団にテレビ局のプロデューサーさんがいらっしゃることが普通はあり得ないことで。たまたま出ていた役者のなかにテレビでちょっとした役をやった方がいて、その人が無謀にも「観に来てください」って声をかけて。「じゃあ、観に行ってやるか」って。実際に観られたら、「この作品を書いた福田 靖はテレビに向いてるかもな」と思われたみたいなんです。それで楽屋に尋ねて来られて「テレビドラマを書いてみませんか?」というようなことになるわけもなく。
松下:えっ、そこではならなかったんですね。
福田:その人は思っただけで帰っちゃったんです。僕はその方が来たことも知らずに、またアルバイトに戻って「どうなるんだろう……」って日々を送っていました。
福田:あのテレビ局のプロデューサーさんたちが六本木界隈で業界の方たちとお酒を飲んでいるときに、「最近、面白いの観た?」みたいな会話で「いつだったか、こういう芝居を観たな」ってあの方がおっしゃったら、たまたまそのなかに僕のことを知っている方がいらっしゃって。「その人、知ってる。会わせてあげるよ」って言ったらしく。僕のところにテレビ朝日のプロデューサーさんが「あなたの芝居を観て面白いって言ってる方がいるから、会わせてあげる」って言って、僕がわけもわからず行って名刺をいただいたんです。そのときに「テレビドラマを書いてみる気はありますか?」って。向こうは会っちゃったもんだから、しかたなく。
松下:そんなことないですよ(笑)。
福田:本当に社交辞令でおっしゃったと思うんですね。僕は、実はテレビドラマを全然観てなかったんですけど、そのときはなんでもやりますって名刺をいただいて、僕の人生が変わると思ったんですね。そうしたら、その方は名刺を渡したことをすっかり忘れていて。
そんなこととはつゆ知らず、福田は数カ月間、プロデューサーからの電話をずっと待っていたという。
福田:そうするとまた奇跡が起こって。その方がドラマをやるときに監督さんがものすごく凝り性で、「俺がやりたいドラマはこうなんだ」って言われるけど現場のみんなにはその意図がわからない。脚本家が書けませんって降りてしまって、第1話の撮影に入らないと間に合わない。「誰かいないか」って片っ端から脚本家に連絡をして、とうとう誰もいなくて書いたこともない僕のことを思い出して、電話してきたんです。「とにかくすぐにタクシーで来てください」って言われて、お金ないのにタクシーでテレビ朝日に行って(笑)。会議室に行ったら深刻な顔で打ち合わせをしているんですよね。僕は呼ばれたのに隅の席に座らされて、発言もできずただ聞いてるだけ。打ち合わせが終わって、まだいらっしゃった脚本家の方が首をかしげながら泣きそうな顔で出て行って。監督さんはぶぜんとした顔で出て行って。僕を呼んだプロデューサーさんが「いま、お聞きになってだいたいおわかりになりました?」「なんとなくイメージがあれば、紙1枚あらすじを書いてもらえるとありがたいんですけど」って。
松下:けっこう、むちゃ振りですね(笑)。
福田:でも、「まったく期待はしていません」って顔でおっしゃったんですね。僕は家に帰って「あの人が言ってたのはこういうことじゃないかな」っていうことを書いて送ったら、すぐに電話がかかってきて「タクシーに乗って来てください」って(笑)。それで行ったら、今度は監督さんの目の前に座らされて「これは近いよ」って。「ただ、ここはこう変えて」って言われて「3日で本(※脚本のこと)、書ける?」って言われたんです。それで「わかりました」って言ったら監督さんは帰っていかれてプロデューサーが「よかった、よかった! 福田さん、よろしくお願いします」って。僕は「ここで頑張らずに、いつ頑張る」みたいな感じで。ここがターニングポイントになると思います。
福田:最後に「福田さん、これ決定稿、第1話です」って。それが先ほどお話に出た『BLACK OUT』でした。脚本家って、小説家と違って自分の世界ばかり書けない。だから、医者ものもやれば警察もの、学園もの、ファミリーもの、そういったいろんなものを要求されるので、10年にいろんなアルバイトをしてきたことが、ものすごく活きましたね。
松下:意味のある10年だったんですね。
福田:でも、あの3日間です。人生最大の本気は。
松下:それから、その監督さんとかプロデューサーさんにはお会いしました?
福田:監督さんとは最近お会いしてないですけど、プロデューサーは『大追跡~警視庁SSBC強行犯係』のプロデューサーさんです。
松下:ええ! 黒田(徹也)さん?
福田:まだ若き日の黒田さんで、そこからずっと縁が続いています。
松下:黒田さんが福田さんを若いときから知ってるってチラッと聞いたことがあって、それがいまつながりました。
福田:そもそも、才能があったとは全然思えないんですよ。30代で何も実績もないオールドルーキーなわけで。僕が自分で褒めてあげたいのは、まさにいまおっしゃった30いくつにもなってまだ柔軟でいられたことですね。素直に聞き入れて、言われたとおりにやってみようって。
松下:30代だとプライドもあるし、いままでやってきたこともあるから「(舞台の世界をやってるんだから)テレビの世界なんて」って考えがちになりそうですけど、そこでまわりの人たちを信じてやってみようって思える考え方が素敵ですね。
福田:自分に自信がなかったんじゃないですか(笑)。
松下:そこから30年が経ちましたが、20代のころの自分にいま声をかけるとしたら?
福田:「君がやってることは、いまとんちんかんな方向に行ってるけど(笑)、無駄にはならないよ」って。
松下:無駄なことではないですよ。日本中、世界中を魅了されていますから。
福田 靖の最新情報は公式サイトまで。
毎月ひとりのゲストを迎え、「人生の分岐点」について語り合うJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』は毎週金曜24時30分からオンエア。
ふたりがトークを展開したのは、11月7日(金)放送のJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』(ナビゲーター:松下奈緒)だ。毎月ひとりのゲストを迎え、成功の背景にある「決断」「迷い」「出会い」を掘り下げながら、「人生の分岐点」について語り合う30分。音楽とともに、ライフデザインのヒントを届けていく。
番組では、毎週月曜7時に再編集版ポッドキャストを配信中。
・ポッドキャストページ
楽しい日々はあっという間に…我に返った33歳
番組スタート時のインタビューで、「俳優さんはもちろんですが、脚本家の方のお話に興味があります」と話していた松下。念願が叶った今回、福田の話をじっくりと掘り下げていった。【インタビュー】松下奈緒が語る、大杉 漣や神田正輝などの先輩から学んだこと。“壁の乗り越え方”も聞いた
福田は、1995年に脚本家デビュー。ドラマ『HERO』『海猿』『龍馬伝』など数多くの話題作を手がける、日本を代表する脚本家のひとり。松下も、福田が手がけた連続テレビ小説『まんぷく』、そして2025年9月まで放送していた『大追跡~警視庁SSBC強行犯係』に出演している。
『KENEDIX CROSSROADS』では人生の分岐点=クロスロードを探っていく。今回のテーマは「脚本家・福田 靖が生まれたクロスロード」。
松下:福田さんは1995年にドラマ『BLACK OUT』で脚本家デビューされたんですよね。
福田:2025年で30周年になりますね。
松下:おめでとうございます。
福田:ありがとうございます。自分ではクリエーターの才能にあふれていると思ったことがないので、よく30年続いたなっていう。ありがたい、みたいな感じですね。
松下:もともと脚本家になりたかったんですか?
福田:まったく。僕は山口県で育って東京の大学に来たんですけど、不真面目な学生だったので、途中で退学しちゃって。なんのプランもなく辞めて何をしようかなって考えたときに、芝居をやろうと思ったんですね。高校で演劇部に入っていて。
松下:じゃあ、もともと俳優さん?
福田:いや、劇団を作るからには、小さな劇団だし、自分も出なきゃいけないなって思ってたんだけど、やっぱり脚本を書いて演出してみたいと思ったんですね。それを23歳で始めて、すごく楽しかったんです。全然お金にならなくて、ずっとアルバイトをしながらだったんですけど、楽しい日々はあっという間に過ぎて。気が付いたら10年経って30いくつになっていて。
「あれ、自分33歳だけど、まだアルバイトして貧乏で、大丈夫か」と我に返ったという福田。本当に不安になったと、当時を振り返る。
福田:劇団員もみんな同じように歳を取って「みんなどうするんだろう」って。自分が責任を負わなきゃいけない。ときどき、劇団員のお父さま・お母さまが劇場に来られて、「うちの子はどうなるんですか?」って言われるんですよね。でも、答えようがないような状況がだんだん起きてきて、「もう無理かも」と。10年やって芽が出ないから。そうしたら、たまたまテレビ局のプロデューサーさんが作品をご覧になって、声をかけてくださったんです。それで「とにかく生活のためになんでもやります!」って入ったのが脚本だったんですね。
松下:劇団はそのあとも続いたんですか?
福田:脚本の仕事をした時点で、自分はこれをやろうって。
松下:劇団ではなく、脚本でいこうと。
福田:ただ、売れない劇団にテレビ局のプロデューサーさんがいらっしゃることが普通はあり得ないことで。たまたま出ていた役者のなかにテレビでちょっとした役をやった方がいて、その人が無謀にも「観に来てください」って声をかけて。「じゃあ、観に行ってやるか」って。実際に観られたら、「この作品を書いた福田 靖はテレビに向いてるかもな」と思われたみたいなんです。それで楽屋に尋ねて来られて「テレビドラマを書いてみませんか?」というようなことになるわけもなく。
松下:えっ、そこではならなかったんですね。
福田:その人は思っただけで帰っちゃったんです。僕はその方が来たことも知らずに、またアルバイトに戻って「どうなるんだろう……」って日々を送っていました。
奇跡が繰り返して…「3日で脚本、書ける?」
その数カ月後、「奇跡が起こった」と福田は言う。福田:あのテレビ局のプロデューサーさんたちが六本木界隈で業界の方たちとお酒を飲んでいるときに、「最近、面白いの観た?」みたいな会話で「いつだったか、こういう芝居を観たな」ってあの方がおっしゃったら、たまたまそのなかに僕のことを知っている方がいらっしゃって。「その人、知ってる。会わせてあげるよ」って言ったらしく。僕のところにテレビ朝日のプロデューサーさんが「あなたの芝居を観て面白いって言ってる方がいるから、会わせてあげる」って言って、僕がわけもわからず行って名刺をいただいたんです。そのときに「テレビドラマを書いてみる気はありますか?」って。向こうは会っちゃったもんだから、しかたなく。
松下:そんなことないですよ(笑)。
福田:本当に社交辞令でおっしゃったと思うんですね。僕は、実はテレビドラマを全然観てなかったんですけど、そのときはなんでもやりますって名刺をいただいて、僕の人生が変わると思ったんですね。そうしたら、その方は名刺を渡したことをすっかり忘れていて。
そんなこととはつゆ知らず、福田は数カ月間、プロデューサーからの電話をずっと待っていたという。
福田:そうするとまた奇跡が起こって。その方がドラマをやるときに監督さんがものすごく凝り性で、「俺がやりたいドラマはこうなんだ」って言われるけど現場のみんなにはその意図がわからない。脚本家が書けませんって降りてしまって、第1話の撮影に入らないと間に合わない。「誰かいないか」って片っ端から脚本家に連絡をして、とうとう誰もいなくて書いたこともない僕のことを思い出して、電話してきたんです。「とにかくすぐにタクシーで来てください」って言われて、お金ないのにタクシーでテレビ朝日に行って(笑)。会議室に行ったら深刻な顔で打ち合わせをしているんですよね。僕は呼ばれたのに隅の席に座らされて、発言もできずただ聞いてるだけ。打ち合わせが終わって、まだいらっしゃった脚本家の方が首をかしげながら泣きそうな顔で出て行って。監督さんはぶぜんとした顔で出て行って。僕を呼んだプロデューサーさんが「いま、お聞きになってだいたいおわかりになりました?」「なんとなくイメージがあれば、紙1枚あらすじを書いてもらえるとありがたいんですけど」って。
松下:けっこう、むちゃ振りですね(笑)。
福田:でも、「まったく期待はしていません」って顔でおっしゃったんですね。僕は家に帰って「あの人が言ってたのはこういうことじゃないかな」っていうことを書いて送ったら、すぐに電話がかかってきて「タクシーに乗って来てください」って(笑)。それで行ったら、今度は監督さんの目の前に座らされて「これは近いよ」って。「ただ、ここはこう変えて」って言われて「3日で本(※脚本のこと)、書ける?」って言われたんです。それで「わかりました」って言ったら監督さんは帰っていかれてプロデューサーが「よかった、よかった! 福田さん、よろしくお願いします」って。僕は「ここで頑張らずに、いつ頑張る」みたいな感じで。ここがターニングポイントになると思います。
10年間のアルバイト生活が脚本に活きた
必死で脚本を書き、プロデューサーに送った福田。そこから何度も修正を繰り返した。福田:最後に「福田さん、これ決定稿、第1話です」って。それが先ほどお話に出た『BLACK OUT』でした。脚本家って、小説家と違って自分の世界ばかり書けない。だから、医者ものもやれば警察もの、学園もの、ファミリーもの、そういったいろんなものを要求されるので、10年にいろんなアルバイトをしてきたことが、ものすごく活きましたね。
松下:意味のある10年だったんですね。
福田:でも、あの3日間です。人生最大の本気は。
松下:それから、その監督さんとかプロデューサーさんにはお会いしました?
福田:監督さんとは最近お会いしてないですけど、プロデューサーは『大追跡~警視庁SSBC強行犯係』のプロデューサーさんです。
松下:ええ! 黒田(徹也)さん?
福田:まだ若き日の黒田さんで、そこからずっと縁が続いています。
松下:黒田さんが福田さんを若いときから知ってるってチラッと聞いたことがあって、それがいまつながりました。
30代でも「柔軟さ」を持ち続ける大切さ
福田の驚きの経緯を聞いた松下は、「福田さんのすごいところは、30代になってもいろんなことを柔軟に受け止められること」と表現する。福田:そもそも、才能があったとは全然思えないんですよ。30代で何も実績もないオールドルーキーなわけで。僕が自分で褒めてあげたいのは、まさにいまおっしゃった30いくつにもなってまだ柔軟でいられたことですね。素直に聞き入れて、言われたとおりにやってみようって。
松下:30代だとプライドもあるし、いままでやってきたこともあるから「(舞台の世界をやってるんだから)テレビの世界なんて」って考えがちになりそうですけど、そこでまわりの人たちを信じてやってみようって思える考え方が素敵ですね。
福田:自分に自信がなかったんじゃないですか(笑)。
松下:そこから30年が経ちましたが、20代のころの自分にいま声をかけるとしたら?
福田:「君がやってることは、いまとんちんかんな方向に行ってるけど(笑)、無駄にはならないよ」って。
松下:無駄なことではないですよ。日本中、世界中を魅了されていますから。
福田 靖の最新情報は公式サイトまで。
毎月ひとりのゲストを迎え、「人生の分岐点」について語り合うJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』は毎週金曜24時30分からオンエア。
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