
近藤真彦が、最近購入した思い入れのある車や、レーサーにのめり込んだきっかけ、精力的に続ける歌手活動について語った。
近藤が登場したのは、3月20日(木・祝)放送のJ-WAVE『J-WAVE HOLIDAY SPECIAL JAPAN SMART DRIVER presents DRIVING YOUR LIFE!』(ナビゲーター:小山薫堂、クリス智子)。「スマートドライバー精神」を持つゲストを迎え、ドライブや車にまつわる話をお届けしたスペシャルプログラムだ。
近藤:見つけたマーチが(CMと同じ)赤だったので「よし!」と思ったんですけど、オートマチックだったんですよ。オートマは嫌だってことでマニュアルを探して、それで白のマーチを見つけ、今、移植計画をしています。
小山:2台を1台にするわけですね。
近藤:当時、マーチって新車で90万円前後だったんですけど、今回買った赤いマーチは230万で。値段を見てびっくりして。
小山:存在しているだけでも奇跡なんですよね。
近藤:そうなんです。手に入れたらずっと大事にしようと思って。今、僕は日産自動車大学校の生徒たちとレースの仕事をしていまして、日本に5校あるんですけど、そこに赤と白のマーチがたらい回しにされて、ピカピカになって今年の暮れには僕の手元に帰ってくる予定です。
小山:ちなみに白いマーチはいくらだったんですか?
近藤:100万円台でしたね。ギヤボックスだけ移植すればいいと思っていたんですけど、実はマニュアルはマニュアルのギヤボックスを組んだエンジンに育ってしまっていて、オートマはオートマのエンジンに育ってしまっているので、ギヤボックスだけ変えるとエンジンとギヤボックスのマッチングが悪くて。
小山:ここにも「マッチ」が(笑)。
近藤:そこで、白いマーチのエンジンとギヤボックスをそのまま赤に移植する。
小山:それを日産自動車大学校の方がやるわけですね。
クリス:それくらいするって、あの頃の車に対する思い入れがとても強いということですよね。
近藤:思い入れもありますし、お金だけじゃ手に入らないものなのでね。
近藤:2000年に自分の会社を作ると同時にレーシングチームを作りました。当初、アイドル系の人物がオーナーのチームには、メカニックもドライバーもなかなか来てくれなくて。さすがにプロ集団なので。
クリス:近藤さんは15歳でデビューされて、比較的早いうちにレースのほうにも進まれたんですよね。
近藤:20歳過ぎた頃にレーサーになろうと思って。その年齢は普通から考えたら遅いんですけど。
小山:きっかけは?
近藤:マーチですね。富士スピードウェイに連れて行ってもらって、そこで日本一になったレーサーの星野一義さんに会って刺激を受けて。
小山:じゃあ、あのマーチのCMをやっていなかったら……。
近藤:今の自分はなかったですね。
クリス:でも「レースは危ないからやめなさい」って話はなかったんですか?
近藤:僕、オートバイも乗っていまして。当時、何百円かで首都高で3時間くらい走れたんです。風を切ったりトンネル入ったり。ちょっとストレスがあったのかなって。たとえば、『ザ・ベストテン』が終わったあとに、オートバイで首都高に乗っていましたね。でも、これをあまりやらせておくと危ないし、僕が「サーキットに行きたい」って言っていたので、それならサーキットで走ったほうが安全だからって。そこがきっかけでしたけど、ここまでハマると思ってなかったですね。
近藤がレースにのめり込むようになったのは、ある出来事がきっかけだった。
近藤:本格的なレースに出させてもらったときに、30台中30位くらい、ビリだったんですね。アマチュアの草レースみたいなもので、30代、40代のおなかの出たおじさんたちがパツパツのレーシングスーツを着て、そのおじさんたちに見事に負けたんです。それが悔しくてね。当時、俺は根性とか度胸が足りないのかなって思っていたけど、逆効果で、「根性は出さないほうがいい、度胸もいらない。それよりも賢く運転しなさい」って教えていただいて。ちょっと引くことを覚えたらタイムが速くなるって。
小山:人生に通じるものがあるかもしれないですね。
近藤:僕はアマチュアドライバーで、スポンサーをいろいろお願いしてレースに出ていたんですけど、車から降りるってときにそのスポンサーたちからお預かりしたお金を後輩たちの育成へとスイッチして。そこで会社を作って、「KONDO RACING」を作りました。
小山:なるほど。
近藤:チームが強くなると日産、トヨタ、ホンダが応援してくれるようになって。そのお金を惜しみなく後輩たちに使うとまた強くなる。
小山:ご自身で乗ることは、もうないんですか?
近藤:ないですね。でも、2024年に「レースビジネスで頭がいっぱいになってるから」って、豊田章男さんのレーシングプロジェクトの24時間レースに出させてもらって。「たまにはレーサーやりなよ」と言われて、ヘルメットをかぶってハンドルを握ってトラックに入っていくと「本当のレースの楽しさはここだ!」ってわかるんですね。ビジネスばっかり考えてるけど、そうじゃない。俺の原点はハンドルを握ることだって。
近藤:(ライブを)60本やって。
小山:還暦で60本のライブってすごいですね。
近藤:60本目が誕生日の7月19日で武道館が取れたんですよ。バースデー武道館ライブを最後に60歳になりました。
小山:還暦間近のファンも増えていましたか?
近藤:今、追加公演とかもやっているんですけど、同級生かちょっと下くらいの女性が(来てくれます)。最近は当時来られなかった男性が来てくれたり、マッチの歌を歌いづらかった人が、カラオケに行ってガンガン歌って(笑)。そういうおじさんたちも来てくれますね。
小山:親子で来て、お子さんもファンになることもあるんじゃないですか?
近藤:ありますね。うちのマネージャーに小学生の子どもが、風呂場で裸で『ギンギラギンにさりげなく』とか『ケジメなさい』を歌ってるとか。その映像が送られてくるんですよ(笑)。
クリス:最高ですね(笑)。お忙しいなか、とはいえ体が資本ですからね。
近藤:ライブをやっているとトレーニングができなくなっちゃうんです。疲れすぎて。
小山:そういう合間に車に乗っているわけですか?
近藤:そうですね。GT-Rを2年くらい前に購入しまして。
小山:車をたくさん買う人ですね(笑)。
近藤:車しか趣味がないですから。
小山:今、いちばん好きなドライブコースはどこですか?
近藤:鎌倉、江ノ島のあたりがいちばん気持ちいいですね。サーファーたちを見ながら。
近藤真彦の最新情報は、公式サイトまで。
近藤が登場したのは、3月20日(木・祝)放送のJ-WAVE『J-WAVE HOLIDAY SPECIAL JAPAN SMART DRIVER presents DRIVING YOUR LIFE!』(ナビゲーター:小山薫堂、クリス智子)。「スマートドライバー精神」を持つゲストを迎え、ドライブや車にまつわる話をお届けしたスペシャルプログラムだ。
当時は90万円くらいだったけど…
近藤は、1980年代に「マッチのマーチ」として人気を博した日産マーチのCMに出演。最近、その当時の車を購入したという。近藤:見つけたマーチが(CMと同じ)赤だったので「よし!」と思ったんですけど、オートマチックだったんですよ。オートマは嫌だってことでマニュアルを探して、それで白のマーチを見つけ、今、移植計画をしています。
小山:2台を1台にするわけですね。
近藤:当時、マーチって新車で90万円前後だったんですけど、今回買った赤いマーチは230万で。値段を見てびっくりして。
小山:存在しているだけでも奇跡なんですよね。
近藤:そうなんです。手に入れたらずっと大事にしようと思って。今、僕は日産自動車大学校の生徒たちとレースの仕事をしていまして、日本に5校あるんですけど、そこに赤と白のマーチがたらい回しにされて、ピカピカになって今年の暮れには僕の手元に帰ってくる予定です。
小山:ちなみに白いマーチはいくらだったんですか?
近藤:100万円台でしたね。ギヤボックスだけ移植すればいいと思っていたんですけど、実はマニュアルはマニュアルのギヤボックスを組んだエンジンに育ってしまっていて、オートマはオートマのエンジンに育ってしまっているので、ギヤボックスだけ変えるとエンジンとギヤボックスのマッチングが悪くて。
小山:ここにも「マッチ」が(笑)。
近藤:そこで、白いマーチのエンジンとギヤボックスをそのまま赤に移植する。
小山:それを日産自動車大学校の方がやるわけですね。
クリス:それくらいするって、あの頃の車に対する思い入れがとても強いということですよね。
近藤:思い入れもありますし、お金だけじゃ手に入らないものなのでね。
『ザ・ベストテン』後はバイクに乗って首都高へ
近藤は芸能活動と並行して、レーシングチーム「KONDO RACING」のオーナー兼監督を務めている。近藤:2000年に自分の会社を作ると同時にレーシングチームを作りました。当初、アイドル系の人物がオーナーのチームには、メカニックもドライバーもなかなか来てくれなくて。さすがにプロ集団なので。
クリス:近藤さんは15歳でデビューされて、比較的早いうちにレースのほうにも進まれたんですよね。
近藤:20歳過ぎた頃にレーサーになろうと思って。その年齢は普通から考えたら遅いんですけど。
小山:きっかけは?
近藤:マーチですね。富士スピードウェイに連れて行ってもらって、そこで日本一になったレーサーの星野一義さんに会って刺激を受けて。
小山:じゃあ、あのマーチのCMをやっていなかったら……。
近藤:今の自分はなかったですね。
クリス:でも「レースは危ないからやめなさい」って話はなかったんですか?
近藤:僕、オートバイも乗っていまして。当時、何百円かで首都高で3時間くらい走れたんです。風を切ったりトンネル入ったり。ちょっとストレスがあったのかなって。たとえば、『ザ・ベストテン』が終わったあとに、オートバイで首都高に乗っていましたね。でも、これをあまりやらせておくと危ないし、僕が「サーキットに行きたい」って言っていたので、それならサーキットで走ったほうが安全だからって。そこがきっかけでしたけど、ここまでハマると思ってなかったですね。
近藤がレースにのめり込むようになったのは、ある出来事がきっかけだった。
近藤:本格的なレースに出させてもらったときに、30台中30位くらい、ビリだったんですね。アマチュアの草レースみたいなもので、30代、40代のおなかの出たおじさんたちがパツパツのレーシングスーツを着て、そのおじさんたちに見事に負けたんです。それが悔しくてね。当時、俺は根性とか度胸が足りないのかなって思っていたけど、逆効果で、「根性は出さないほうがいい、度胸もいらない。それよりも賢く運転しなさい」って教えていただいて。ちょっと引くことを覚えたらタイムが速くなるって。
小山:人生に通じるものがあるかもしれないですね。
近藤:僕はアマチュアドライバーで、スポンサーをいろいろお願いしてレースに出ていたんですけど、車から降りるってときにそのスポンサーたちからお預かりしたお金を後輩たちの育成へとスイッチして。そこで会社を作って、「KONDO RACING」を作りました。
小山:なるほど。
近藤:チームが強くなると日産、トヨタ、ホンダが応援してくれるようになって。そのお金を惜しみなく後輩たちに使うとまた強くなる。
小山:ご自身で乗ることは、もうないんですか?
近藤:ないですね。でも、2024年に「レースビジネスで頭がいっぱいになってるから」って、豊田章男さんのレーシングプロジェクトの24時間レースに出させてもらって。「たまにはレーサーやりなよ」と言われて、ヘルメットをかぶってハンドルを握ってトラックに入っていくと「本当のレースの楽しさはここだ!」ってわかるんですね。ビジネスばっかり考えてるけど、そうじゃない。俺の原点はハンドルを握ることだって。
還暦バースデーライブは武道館で
2024年に還暦を迎えた近藤は、歌手活動も精力的に行っている。近藤:(ライブを)60本やって。
小山:還暦で60本のライブってすごいですね。
近藤:60本目が誕生日の7月19日で武道館が取れたんですよ。バースデー武道館ライブを最後に60歳になりました。
小山:還暦間近のファンも増えていましたか?
近藤:今、追加公演とかもやっているんですけど、同級生かちょっと下くらいの女性が(来てくれます)。最近は当時来られなかった男性が来てくれたり、マッチの歌を歌いづらかった人が、カラオケに行ってガンガン歌って(笑)。そういうおじさんたちも来てくれますね。
小山:親子で来て、お子さんもファンになることもあるんじゃないですか?
近藤:ありますね。うちのマネージャーに小学生の子どもが、風呂場で裸で『ギンギラギンにさりげなく』とか『ケジメなさい』を歌ってるとか。その映像が送られてくるんですよ(笑)。
クリス:最高ですね(笑)。お忙しいなか、とはいえ体が資本ですからね。
近藤:ライブをやっているとトレーニングができなくなっちゃうんです。疲れすぎて。
小山:そういう合間に車に乗っているわけですか?
近藤:そうですね。GT-Rを2年くらい前に購入しまして。
小山:車をたくさん買う人ですね(笑)。
近藤:車しか趣味がないですから。
小山:今、いちばん好きなドライブコースはどこですか?
近藤:鎌倉、江ノ島のあたりがいちばん気持ちいいですね。サーファーたちを見ながら。
近藤真彦の最新情報は、公式サイトまで。
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2025年3月27日28時59分まで
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番組情報
- J-WAVE HOLIDAY SPECIAL JAPAN SMART DRIVER presents DRIVING YOUR LIFE!
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2025年3月20日(木・祝)9:00-17:55
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小山薫堂、クリス智子