人気モデルが飲食店バイトを続ける理由とは? 前田エマが語る「人間性を問われる」感覚の大切さ

モデルの前田エマが、「学校を辞めたかった」という高校生の頃のエピソードや、飲食店でのアルバイトを学生時代から続ける理由、大人になってから韓国への語学留学を決意したきっかけなどについて語った。

前田は1992年神奈川県生まれ。モデル業のほか、エッセイや小説の執筆をし、さらにはポッドキャスト番組のナビゲーター、アート関連のキュレーターを務めるなどマルチに活躍する人物だ。

前田が登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。

・ポッドキャストページはこちら

芸大進学のきっかけとなった父の助言

六本木ヒルズを出発した「BMW iX1 xDrive30 xLine」。その車中で前田は、自身の活動における原点について語り始めた。

芸術祭の企画などアート関連イベントの裏方業務に従事する両親のもとに生まれた彼女は、幼少期から親の仕事現場でアーティストのパフォーマンスを見学し、美術館に連れて行ってもらうなど、アートを身近に感じながら育ったという。最初の転機となったのは、高校生時代。通っていた高校が肌に合わず、毎日「学校を辞めたい」と思っていた折、父親から言われたある一言がきっかけとなった。

前田:父から「学校以外で居場所を見つけなさい」と言われたんです。そこで、ファッション雑誌を読んだり、名画座で様々な映画を観たり、美術館へ通ったりするようになりました。そんなことをしているうちに「私はモノづくりがしたいのかな」と思い始め、美術予備校に通うことにしたんです。美術予備校では、私が知らない音楽やカルチャー、小説を愛好し、また、ファッションにしても自分を表現する手段として楽しんでいる子たちが多く、「こんな世界があるんだ!」と驚いたことを覚えています。そんな環境で学んでいるうちに、自分で何かを表現したいというよりは、アーティストやデザイナーに将来なる友人たちのそばにいたい、出会いたいという気持ちが大きくなり、美術大学への憧れを強めていきました。

池袋の芸大・美大受験予備校「すいどーばた美術学院」を経て、東京造形大学へ進学した前田は、「すべての基本は絵だ」という父親のアドバイスに従い油絵を専攻。在学中には、ワークショップ参加時に写真家から声を掛けられたことで、今も続けるモデル業を開始した。さらにこの時期、オーストリアのウィーンへ留学したこともまた、彼女の人生にとって大きな意味を持つ出来事となった。
前田:英語が得意だったので、英語圏の国へ留学したかったのですが、学校の留学プログラムに落ちてしまいました。翌年再チャレンジするにあたり、「ドイツ語圏だったらあまり人気がないだろう」と予想し、ウィーンを選んだんです。すごくダメダメな理由ですよね(笑)。でも、ヨーロッパへ行きたかった理由はほかにもあって。というのも、他国で暮らす同世代の学生たちはどんなことを考えて、どういう生き方をしているか、自分の目で見てみたかったんです。そういった意味で留学中に印象的だった出来事が、隣の国で起こった政治関連のニュースを学校の友人たちが頻繁に語り合っていたことです。私はこれまで海外のニュースをどこか遠くに感じていたのですが、彼らにとって隣国の出来事は自分事なんですよね。島国である日本と地続きのヨーロッパ。ニュースや時事問題との距離感にハッとしたのは、私のなかで大きな体験でした。

飲食でのアルバイトは学生時代から継続

大学卒業後、モデル業に加えて文章も得意だったことから、アートや旅を題材とした体験をテキストで綴る仕事にも取り組むようになった前田。その表現活動はさらなる広がりを見せ、2022年6月には自身初の小説を上梓することになった。

前田:初めて出版した小説『動物になる日』(ミシマ社)には2本のお話が収録されています。1つが表題作の「動物になる日」で、もう1つはうどん屋で働く女性を主人公にした「うどん」。私は学生時代から今に至るまで飲食店でのアルバイトを続けていて。そこでは、老若男女誰もがご飯の前で平等になる感じや、その人の根幹みたいなものが食事を通して見えてきて面白いんですよね。飲食店での仕事は毎日同じことの繰り返しですが、私が日頃お店で体感している「仕事を繰り返すことの美しさ」を表現したいと考えていたんです。そんなあるとき、出版社の方からエッセイ本執筆の依頼をいただきました。でも、私が考えていたことは小説でしか表せないから「小説を書かせてもらえませんか?」とお願いして、了承をいただきました。そのあと、4年ほどかけて書き上げた2編の小説を収めたのが「動物になる日」になります。表題作「動物になる日」は「うどん」の主人公の幼少期の話です。「うどん」を執筆するなかで、「この主人公はどういう幼少期を過ごしたのか」と想像するようになって、そのことも小説にしたいと思って書きました。

前田は、「うどん」のアイデアのもとになった飲食店でのアルバイトを今も続けている。当初はお金を稼ぐために始めたというこの仕事を、多様な表現活動と並行して継続する理由は何なのだろうか?

前田:私は今、名前が出る仕事をしていますが、飲食店では「店員A」でしかありません。「自分がなくなる感覚」を味わうとともに、店員としてどれだけ高いパフォーマンスができるのか、また、お客さんへ的確な対応ができるのかで、自分の人間性を日々問われている気がするんです。それが私にとってすごく大切で。「自分を超えた先」みたいなものはこの仕事でしか得られないことですから、できる限り続けていきたいです。私が働く飲食店には、ご飯を食べ始めたばかりの赤ちゃんからご老人まで、幅広い年齢の方がいらっしゃいます。まるで、人生というドラマの一瞬を見ているような気分です。飲食店ではお客さんの名前はもちろん、年齢も家族構成もわかりません。そういった様々な人たちの前でどう振る舞えるのかということに毎日ワクワクしています。

「第4次韓流ブーム」のときに韓国に惹かれ留学を決意

前田の好奇心はとどまることを知らない。新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年。膨大なおうち時間のなかで彼女は、韓国カルチャーへ急速に惹かれるようになる。

前田:当時、ステイホーム期間中の娯楽として動画配信サービスの需要が高まったのを追い風に、韓国ドラマを楽しむ「第4次韓流ブーム」が巻き起こりましたが、ミーハーな私はまんまとそれに乗っかりました(笑)。韓国のコンテンツに親しむなかで、もっとも衝撃的だったのは、K-POPアイドルが歌う楽曲の歌詞のなかに、1980年に起こった市民による民主化を求める蜂起「光州事件」についての一節があったこと。日本では芸能人が政治や歴史問題について発言するのはある種タブー視されていますが、なぜ韓国ではそれが可能なのかと興味を持ちました。そこから映画や小説で「光州事件」を深堀していき、どうしてこの国では40数年前の社会問題が表現に落とし込まれているんだろうとますます気になっていき、ついには「これは韓国に住むしかない」となり、留学することを決めたんです。
留学先に選んだのは、ソウルにある延世大学運営の語学学校でした。授業は午前中だけでしたが、毎日宿題が多く、ヒーヒー言いながらやっていましたね(笑)。先生曰く、コロナ禍前は日本や中国といったアジア人の生徒が目立っていたようです。ですが、パンデミック期間中に映画『パラサイト 半地下の家族』やK-POPが世界的にヒットしたことで、ヨーロッパやアメリカをはじめとした様々な国から生徒が来ていました。

語学学校が休みの日には、現地のおいしいものを食べに行ったり、美術館に訪れたりしていたという前田。また「光州事件」が起こった5月18日には、現場となった光州広域市まで足を運び、追悼式典の会場近くで過ごしたりもしたそうだ。

韓国への“ワクワク”が詰まったガイド本も出版

こうした韓国での異文化体験は、思わぬ仕事に繋がっていく。ある日、前田が韓国に語学留学していることを知った編集者から、韓国カルチャーのガイドブック執筆のオファーが舞い込んだのだ。当初は自分の知識の浅さから及び腰だったものの、「自分には一体何ができるのか」と熟考した上で、引き受けることにしたという。

前田:現在、日本で売られている多くの韓国ガイドブックでは、最新のトレンドや流行っているお店の情報などを載せていますが、私が現地で生活していて魅力を感じたのは、いくつもの工程を経て作られるキムチ、マッコリといった伝統食や、若手作家が現代風にアレンジした「白磁」をはじめとした伝統と新しさが融合した工芸品でした。こういった面を紹介することならできるのではないか、いや、してみたいと思い、お引き受けすることにしたんです。ガイドブックを作るにあたっては、韓国に行くチャンスがないけど行ってみたい人が見てワクワクした気持ちになれるよう、韓国の雰囲気が感じられる写真を掲載することにこだわりました。
前田が取材・執筆した韓国のカルチャーガイドブック『アニョハセヨ韓国』(三栄)では、アート、工芸、映画、音楽、文学の紹介から、最先端のヘアメイクを施したフォトシューティング、伝統の料理、お菓子まで、彼女が韓国で体感した様々な興味・関心事が詰め込まれている。
このようにモデルだけでなく、小説・エッセイの執筆など幅広く活動する前田の根本にあるのは「自分が感じたワクワクを伝えたい」との想いだという。そんな彼女にとっての「未来への挑戦」とは?

前田:コロナ禍のとき、わからないものが目の前に現れたことで、私たちは他人に対して攻撃的になり、価値観の違う人を排除したい気持ちに駆られてしまいました。これからの未来、ウイルスだけではなく、たとえば戦争もそうですが、わからないもの、価値観の違う相手に出会ったときにどうすればその人のことを理解し、攻撃しない心でいられるかを最近よく考えています。なので、私自身は未来に向けてたくさんの人の話を聞き、本を読むなどして自分の心の判断基準を作り上げ、他人を受け入れる心を醸成していきたいと思っています。

(構成=小島浩平)

関連記事