社会起業家の西側愛弓さんが、活動の原点にある大学時代のエピソードや活動の裏にある葛藤、今後のビジョンなどについて語った。
西側さんは1995年生まれ、兵庫県出身。環境に優しいサステナブルなファッションブランドの経営をする傍ら、フィリピンのストリートチルドレンをサポートするNPO法人を運営する人物だ。
西側さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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西側:私にはもともと「自分でファッション雑誌を作ってみたい」という夢がありました。とはいえ、当時普通の大学一年生でしたから、資金があるわけでも、助けてくれる仲間がいるわけでもありません。そこで「ストリートスナップであれば、自分一人でお金をかけずにできるのではないか?」と思い立ち、ニューヨークファッションウィークに合わせて、購入した小さなカメラを携えて渡米したんです。でも、いざスナップを撮るとなると、勇気が出なくて。恥ずかしいし、怖いし、どう思われるか気にしてしまい、不安で押しつぶされそうでした。なので、せっかく一生懸命お金を貯めて9日間の旅に出たのに、はじめの4~5日は1枚もスナップ写真を撮れず、「私、何しに来たんだろう……」とへこんでいました。ちょうど同じ時期、ブルックリンでファッションの展示会が開催されていて。気分転換にその展示会へ足を運ぶと、現地のストリートフォトグラファーが「君のファッションの写真を撮っていいか」と声かけてくれました。これに応じ、「私はあなたのように、ニューヨークの人たちの写真を撮りたいからここに来た。でも、難しくてできていない」と片言の英語で伝えたら、「じゃあ、僕の横に立って写真を撮らないか?」と提案してくれたんです。「いいんですか!?」と。彼が声の掛け方や写真の撮り方を教えてくれたおかげで、この日からスナップ写真が撮れるようになりました。
西側:「Charmer」は全部で3号発行したのですが、Illustratorのスキルがなかったため、第1号と第2号はWordで作成しました。そうやって出来上がったデータを印刷会社さんに持って行き、「少なくても作っていただけますか?」と交渉したことを覚えています。当時、大学生だったこともあって、門前払いを食らうことも多くて。そんな中でも、大阪のある印刷会社の方が「君、面白いね」と対応してくださいました。当時は学生で本当にお金がなく、正直大赤字でした。それでも、家族や友人、ネットで私のことを知ってくださった方が応援してくれて、クラウドファンディングも活用してどうにか雑誌を発行することができた。この時に何にも代えがたい自信がついたと同時に、夢を描くこと、叶えていくことの楽しさと有難さを実感しましたね。
こうして多くの人の助けを得て雑誌を発行するという夢を叶えた西側さんだが、活動を続ける中でもう一つの大きな目標ができたのは、大学3年生、20歳のときだった。
西側:「Charmer」の制作にあたってファッションの写真を撮りに様々な国で貧乏旅をしていた頃、現地では決まって安宿に宿泊していました。そのときに感じたのは、華やかな街と自分の泊まっている宿のギャップです。旅をする中で、ボロボロの服しか着られない子どもたちがこれほどいるのかと世界の格差問題を目の当たりにし、ファッションを好きになれたことは当たり前ではないと気が付きました。私はファッションが好きで、夢を持って旅をしたことから人生が拓けていった。だからこそ、今度は私自身がファッションを通して誰かに夢を届けられる人になりたいと思ったんです。そこで、ファッションを楽しめない子どもたちがいる国はどこかと調べていたら、フィリピンのマニラに30万人のストリートチルドレンがいると知りました。そしてマニラに拠点を置き、子どもたちに対してファッションを通した活動を行うようになりました。
西側:計画性なく思い付きで始めた活動でしたが、子どもたちの喜ぶ姿を見たときに「これは続けないといけない」と思ったんですよね。ランウェイを歩くのは、マニラのスラムで暮らす子どもたち。中には自分に自信が持てない子やあまり人前に出たがらない子もいました。でも、衣装を着てヘアメイクをし、ランウェイを歩いたら、あれだけ恥ずかしがっていたり、嫌がっていたりしたのに、みんな人が変わったかのように堂々と生き生きと歩いていたんです。ファッションショーを終えると、みんな涙ぐみ「次はいつあるの?」と駆け寄ってきてくれて。あのときのシーンは今でも鮮明に覚えていますし、あのときに活動を続けていきたいし、意義あるものにしていきたいと決意しました。
西側さんが設立したNPO法人「DEAR ME」は、これまでにマニラで10回のファッションショーを開催。ランウェイを歩くストリートチルドレンの生き生きとした表情が活動のエネルギー源となっているという。その活動をサポートするのが、学生たちで構成されたボランティアスタッフだ。
西側:今、ボランティアスタッフとして50名ほどの学生が参加してくれています。みんなには、一緒に活動してもらうことで学校の授業では味わえない、人生の挑戦する楽しさ、自分の挑戦によって誰かの笑顔を作れることの喜びを感じられるような体験をしてもらえたらと思っています。多くの人は大人になると社会に出て、会社に就職し、営利を求めて仕事をしていく。それも重要なことですが、非営利の活動は学生のときにしかなかなか取り組めません。だからこそ、社会に出るまでの間に非営利活動の中から、将来の大切な気付きを得て欲しい。そんな思いでみんなと関わっています。
西側:ファッションを通して社会問題を解決するような事業をしたいと思っていたので、ブランド「coxco(ココ)」を立ち上げました。コンセプトは「服の形をしたメディア」。単にお洋服を作って売るのではなく、一つひとつのモノづくりに対して様々な社会的メッセージを込めたい、思いを伝えていきたいという考えのもと、ブランドを始動させました。「coxco」というブランド名は、Co-creation × Communicationの頭文字から取っています。Co-creationは「共創」という意味で、みんなでより良い社会を創るCommunicationがココ(here)から生まれるようにという願いを込めて名付けました。
ファッション産業は今、すべての産業の中で2番目に環境破壊をしていると言われています。それくらい、大量に生産されては大量に廃棄されてしまう現実がある。私もブランドでモノづくりするにあたり、ファッションで社会を前進させたいからこそ、この業界の課題に向き合っていきたい。そんな考えから「coxco」のお洋服は、オーガニックコットンやペットボトル、衣類の再生素材、残布など、廃棄される予定だった環境配慮型素材を使用することを徹底しています。基本的には受注生産による小ロット生産の売り切り型で、廃棄ゼロを目指して取り組んでいるんです。
西側:ファッションショーをしても、子どもたちの人生や未来が変わるわけではありません。ショーが終わったら、またみんなスラムに戻っていきます。そのスラムに戻っていく後ろ姿を見るのがつらかった。みんなが喜んでくれるから続けたいけど、本当にこの活動は意義があるのか? 自分のエゴになっていないか? ……そんな自問自答を繰り返す中で、着目したのが教育と雇用であり、ファッションショーを入り口としてその先に教育と雇用を作り出していくために「coxco Lab」を作りました。実際に今、「coxco Lab」1期生の生徒で「coxco」の社員として働いている子もいて。このように、どんどん雇用の枠を広げたいと思っています。あとは日本で将来働きたいと言っている子もいるので、「coxco」だけではなく、縫い子さん不足が全国的に進む日本の縫製工場さんとも繋げていきたいです。
ファッションを通して社会課題と向き合い、様々なアクションを起こし続ける西側さん。彼女にとって「未来への挑戦=FORWARDISM」とは?
西側:私には、誰もが平等に夢を描いて努力できる社会を作るという夢があります。今はご縁があってフィリピンで長らく活動していますが、将来的には様々な国で営利・非営利のビジネスを広げていきたいと考えていて。また、ビジネスの領域もファッションだけではなく、たとえばスポーツやお料理など幅広い領域に展開してもいい。そんなふうに、あらゆる興味関心事に対して、みんなが熱中できるよう背中を押す事業を今後も手掛けていきたいです。
西側さんは1995年生まれ、兵庫県出身。環境に優しいサステナブルなファッションブランドの経営をする傍ら、フィリピンのストリートチルドレンをサポートするNPO法人を運営する人物だ。
西側さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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ストリートスナップを撮るため18歳で単身ニューヨークへ
六本木ヒルズを出発した「BMW iX1 xDrive30 xline」。その車中にて西側さんは、幼少期からのファッション好きが高じて、大学1年生、18歳の時にある行動を起こしたと語り始めた。西側:私にはもともと「自分でファッション雑誌を作ってみたい」という夢がありました。とはいえ、当時普通の大学一年生でしたから、資金があるわけでも、助けてくれる仲間がいるわけでもありません。そこで「ストリートスナップであれば、自分一人でお金をかけずにできるのではないか?」と思い立ち、ニューヨークファッションウィークに合わせて、購入した小さなカメラを携えて渡米したんです。でも、いざスナップを撮るとなると、勇気が出なくて。恥ずかしいし、怖いし、どう思われるか気にしてしまい、不安で押しつぶされそうでした。なので、せっかく一生懸命お金を貯めて9日間の旅に出たのに、はじめの4~5日は1枚もスナップ写真を撮れず、「私、何しに来たんだろう……」とへこんでいました。ちょうど同じ時期、ブルックリンでファッションの展示会が開催されていて。気分転換にその展示会へ足を運ぶと、現地のストリートフォトグラファーが「君のファッションの写真を撮っていいか」と声かけてくれました。これに応じ、「私はあなたのように、ニューヨークの人たちの写真を撮りたいからここに来た。でも、難しくてできていない」と片言の英語で伝えたら、「じゃあ、僕の横に立って写真を撮らないか?」と提案してくれたんです。「いいんですか!?」と。彼が声の掛け方や写真の撮り方を教えてくれたおかげで、この日からスナップ写真が撮れるようになりました。
初めての雑誌作りで感じた、夢を叶えることの楽しさ
初めて訪れた海外、それもファッションの本場・ニューヨークでストリートスナップを撮影した西側さん。この成功体験により自信を掴み、以降ニューヨークとロンドンを軸に、フランス、スペイン、モロッコ、ベルギー、香港、台湾、タイ、スリランカ、メキシコ、キューバ、ボリビアなどを一人旅してストリートスナップを撮っていく。これらのスナップ写真は、西側さんが発行する雑誌「Charmer」に掲載するためのものだったが、大学生で経験した初めての雑誌作りについて「資金面・編集面すべて大変でした」と述懐する。西側:「Charmer」は全部で3号発行したのですが、Illustratorのスキルがなかったため、第1号と第2号はWordで作成しました。そうやって出来上がったデータを印刷会社さんに持って行き、「少なくても作っていただけますか?」と交渉したことを覚えています。当時、大学生だったこともあって、門前払いを食らうことも多くて。そんな中でも、大阪のある印刷会社の方が「君、面白いね」と対応してくださいました。当時は学生で本当にお金がなく、正直大赤字でした。それでも、家族や友人、ネットで私のことを知ってくださった方が応援してくれて、クラウドファンディングも活用してどうにか雑誌を発行することができた。この時に何にも代えがたい自信がついたと同時に、夢を描くこと、叶えていくことの楽しさと有難さを実感しましたね。
西側:「Charmer」の制作にあたってファッションの写真を撮りに様々な国で貧乏旅をしていた頃、現地では決まって安宿に宿泊していました。そのときに感じたのは、華やかな街と自分の泊まっている宿のギャップです。旅をする中で、ボロボロの服しか着られない子どもたちがこれほどいるのかと世界の格差問題を目の当たりにし、ファッションを好きになれたことは当たり前ではないと気が付きました。私はファッションが好きで、夢を持って旅をしたことから人生が拓けていった。だからこそ、今度は私自身がファッションを通して誰かに夢を届けられる人になりたいと思ったんです。そこで、ファッションを楽しめない子どもたちがいる国はどこかと調べていたら、フィリピンのマニラに30万人のストリートチルドレンがいると知りました。そしてマニラに拠点を置き、子どもたちに対してファッションを通した活動を行うようになりました。
ストリートチルドレンをモデルに起用したファッションショーを開催
着飾ることを知らないフィリピン・マニラのストリートチルドレンに、ファッションで夢と勇気を与えるべく、西側さんは子どもたちのファッションショーを企画する。初めてのフィリピン、初めてのボランティア活動、初めてのファッションショー…。初めて尽くしでノウハウもない中、仲間を集め、アパレル会社からの協力を取り付け、マニラでの連携先を見つけ、なんとか手探りで開催にこぎつけた。苦労して実現に至ったファッションショーでは、子どもたちのとびきりの笑顔が待っていた。西側:計画性なく思い付きで始めた活動でしたが、子どもたちの喜ぶ姿を見たときに「これは続けないといけない」と思ったんですよね。ランウェイを歩くのは、マニラのスラムで暮らす子どもたち。中には自分に自信が持てない子やあまり人前に出たがらない子もいました。でも、衣装を着てヘアメイクをし、ランウェイを歩いたら、あれだけ恥ずかしがっていたり、嫌がっていたりしたのに、みんな人が変わったかのように堂々と生き生きと歩いていたんです。ファッションショーを終えると、みんな涙ぐみ「次はいつあるの?」と駆け寄ってきてくれて。あのときのシーンは今でも鮮明に覚えていますし、あのときに活動を続けていきたいし、意義あるものにしていきたいと決意しました。
西側さんが設立したNPO法人「DEAR ME」は、これまでにマニラで10回のファッションショーを開催。ランウェイを歩くストリートチルドレンの生き生きとした表情が活動のエネルギー源となっているという。その活動をサポートするのが、学生たちで構成されたボランティアスタッフだ。
西側:今、ボランティアスタッフとして50名ほどの学生が参加してくれています。みんなには、一緒に活動してもらうことで学校の授業では味わえない、人生の挑戦する楽しさ、自分の挑戦によって誰かの笑顔を作れることの喜びを感じられるような体験をしてもらえたらと思っています。多くの人は大人になると社会に出て、会社に就職し、営利を求めて仕事をしていく。それも重要なことですが、非営利の活動は学生のときにしかなかなか取り組めません。だからこそ、社会に出るまでの間に非営利活動の中から、将来の大切な気付きを得て欲しい。そんな思いでみんなと関わっています。
ファッションブランド「coxco(ココ)」に込めた思い
西側さんは神戸の大学を卒業後に上京し、大手IT企業の広告部門にて2年働いたのち退職。大好きなファッションを仕事にするため、自身のブランド「coxco(ココ)」を立ち上げる。同ブランドのコンセプトとブランド名の由来とは?西側:ファッションを通して社会問題を解決するような事業をしたいと思っていたので、ブランド「coxco(ココ)」を立ち上げました。コンセプトは「服の形をしたメディア」。単にお洋服を作って売るのではなく、一つひとつのモノづくりに対して様々な社会的メッセージを込めたい、思いを伝えていきたいという考えのもと、ブランドを始動させました。「coxco」というブランド名は、Co-creation × Communicationの頭文字から取っています。Co-creationは「共創」という意味で、みんなでより良い社会を創るCommunicationがココ(here)から生まれるようにという願いを込めて名付けました。
ファッション産業は今、すべての産業の中で2番目に環境破壊をしていると言われています。それくらい、大量に生産されては大量に廃棄されてしまう現実がある。私もブランドでモノづくりするにあたり、ファッションで社会を前進させたいからこそ、この業界の課題に向き合っていきたい。そんな考えから「coxco」のお洋服は、オーガニックコットンやペットボトル、衣類の再生素材、残布など、廃棄される予定だった環境配慮型素材を使用することを徹底しています。基本的には受注生産による小ロット生産の売り切り型で、廃棄ゼロを目指して取り組んでいるんです。
教育と雇用を生み出す取り組み
西側さんの社会を前進させるための活動は、ファッションブランドの運営のみに留まらない。2023年2月には、マニラにファッションスクール「coco lab (ココ・ラボ)」を開校。同校では、ファッションショーに参加したストリートチルドレンとその母親などを対象に縫製やデザインを教えているという。西側:ファッションショーをしても、子どもたちの人生や未来が変わるわけではありません。ショーが終わったら、またみんなスラムに戻っていきます。そのスラムに戻っていく後ろ姿を見るのがつらかった。みんなが喜んでくれるから続けたいけど、本当にこの活動は意義があるのか? 自分のエゴになっていないか? ……そんな自問自答を繰り返す中で、着目したのが教育と雇用であり、ファッションショーを入り口としてその先に教育と雇用を作り出していくために「coxco Lab」を作りました。実際に今、「coxco Lab」1期生の生徒で「coxco」の社員として働いている子もいて。このように、どんどん雇用の枠を広げたいと思っています。あとは日本で将来働きたいと言っている子もいるので、「coxco」だけではなく、縫い子さん不足が全国的に進む日本の縫製工場さんとも繋げていきたいです。
西側:私には、誰もが平等に夢を描いて努力できる社会を作るという夢があります。今はご縁があってフィリピンで長らく活動していますが、将来的には様々な国で営利・非営利のビジネスを広げていきたいと考えていて。また、ビジネスの領域もファッションだけではなく、たとえばスポーツやお料理など幅広い領域に展開してもいい。そんなふうに、あらゆる興味関心事に対して、みんなが熱中できるよう背中を押す事業を今後も手掛けていきたいです。