木村カエラが2005年から2008年にナビゲーターを担当した『OH! MY RADIO』が、10月6日(日)に『J-WAVE SELECTION 20th KAELA OH! MY RADIO RETURNS』と題し一夜限りで復活した。
J-WAVE NEWSでは、この放送を記念してインタビューを実施。今年デビュー20周年を迎えた木村カエラに、ラジオの楽しさや、歌と真摯に向き合ってきた20年間のことなど話を伺った。「自分の軸が見当たらなくなっちゃった時期もありました」と語る木村が、葛藤を乗り越えて、今見ている風景とは?(J-WAVE NEWS編集部)
当時のジングルや、コーナーの私の声にリバーブがかかったものを聴いたら、すごく懐かしくて! 当時と同じスタッフのみなさんが揃ってくれたので、「あの頃はふざけ倒していたよね!」と盛り上がりました。ノリもぜんぜん変わっていないし、すごくおもしろくて、ラジオってやっぱり楽しいなって思いましたね。だって、一人で自由に話していいものだから(笑)。
「今日のホームラン」は素敵なメッセージをたくさんいただきました。久しぶりだったからか、「本当に20年間ありがとう!」というような真面目なメッセージも多かったんですけど、昔と変わらず、いい意味でふざけた内容のものもあって(笑)。そんなメッセージに私が「そうだよね!」とコメントをするスタジオの雰囲気は当時のままで、本当に楽しかったです。「もし毎週やっていたら、もっと気の抜けたメッセージもたくさん届いて、今回とはまた違った楽しみが生まれるんだろうな」なんて想像したし、そんなラジオの雰囲気が好きだとあらためて思いました。
──ナビゲーターを務めていた当時を振り返って、どう感じますか?
夜型の番組で、しかも22時開始から27時開始まで時期によってバラバラだったので、当時は完全に夜型の生活になっていました。朝方に仕事を終えてまた夕方から仕事を始める、みたいな。ラジオ中心に生活が回っていたので、そのスケジュールだと今は無理だなって(笑)。でも、楽しい思い出がたくさんあります。時代的なことで言うと、当時はXなどSNSがない時代だったので、自由度が本当に高かった! 逆に今回は「この言葉は表現を変えたほうがいいよな」などの学びがあって、20年の活動の中でいろんなことが大きく変わったな、ということにもおもしろさを感じました。だからこそ、昔と一緒の感覚で楽しくラジオができたことが最高だなって。とてもいい時間を過ごせました。
──自身のキャリアを振り返って、ラジオに出演することで得られたものはありますか?
返事の瞬発力! 『OH! MY RADIO』は生放送だったので、すぐ返事をしなきゃいけないじゃないですか。メッセージに対して的確な言葉を早く思い浮かべなきゃいけない。そういう瞬発力は、ラジオをやるうちに身につきました。あとは、文章を読み上げることも上手になったと思います。初めて見る文章でも、パッと全体図で見られるようになって。ラジオからいろんなことを学ばせていただいているなと。
──きっと、トークスキルもアップされたんじゃないかと思います。
そうですね。もともとラジオが好きだったので、学ぶ姿勢がすごくあったんです。どうやったら聴いている人が楽しいのか、自分であとから放送を聴いて「もっとテンポよく話したほうがいいな」などと考えたりしていました。今は以前ほどテレビに出演しないんですけど、出るとなったら楽しく喋れるので、そこはラジオで学ばせていただいたことが大きな力になっている気がします。
──カエラさんにとってラジオはどういう存在だったんですか?
自分の言葉で自分の気持ちを直接伝える場所ですかね。ましてや生放送だとカットできないじゃないですか。その感じがすごく好きだった。20年の活動の中で、自分の言葉やイメージが一人歩きしていって、「これは違うな」と思うこともあったんです。私には私の考えがあるから、好きなもの、嫌いなものをはっきりと伝えられる場の一つとして、ラジオはすごく大事な場所だったなと思います。
──当時を思い出しながら、当時と同じスタッフでラジオができる。それが楽しいと感じたということで、余計に今後もラジオがやりたくなったのでは?
そうなんですよ〜! 今も楽しいって本当にいいことだなって思います。ラジオってライブと似ているところがあると思っていて。例えば、私がアルバムを出したあと、聴いた方の返事を直接的に聞けるのがライブなんです。ラジオは、その感じに近くて、繋がっている感じがあるんですよ。リスナーの方から、今どんなことに悩んでいて、どんなことに向かって頑張っているかとか、会話のようなメッセージが届いて、そういうことを聞けるだけで繋がっている気がするんです。
繋がる感覚は私にとって大切なことで。自分が歌を歌っている理由のひとつは「誰かに届けよう」という思いだから、自分のことだけ考えていても曲は作れないので、繋がりが生まれるラジオはやっぱりいいものだなって思うんです。繋がることで、「この曲を作ってよかったな」と思える。答え合わせの場があるというのは本当に大事なことだなと感じました。
「もう20年か!」という感じであまり実感はないんだけど、やっぱり月日として、20年ってすごく長いじゃないですか。遡ってみると本当にいろんなことがあって、この何年間は記憶がないということもあるんです。この時期はつらかった、この時期はすごく楽しかったとか、ざっくりは覚えているんですけど、自分が一番好きなものが歌だったから、歌を続けるためにはどうしていったらいいのか、それしか考えてない20年間だったなと思います。
続けるために自分が何をすればいいのか、続けるからには人をびっくりさせたいし、刺激を与えないと先に進めない。乗り越えた壁をさらにまた乗り越えていかないといけない。同じことをやっていても飽きられてしまうから、自分の目標は常に次へ次へ、高いところに持っていく。それがつらいこともあったけど、音楽を続けるためには絶対的に必要なことでした。ましてや私は目立ちたがり屋だから、お客さんがいないと無理! とにかくそういう風に歩んできた20年でした。歌を続けたいから、努力する。でも、きっとこの気持ちに終わりはないし、歌を続けたいと思っている限りずっと続いて、気づいたら30年、40年となっているのかなと思います。自分にとって一番大事なものを近くに置いておきたいというか、歌は離れたら困るものという気持ちがあります。
──音楽がやりたい、好きという気持ちが原動力だったんですね。
そうですね。大好きな人と一緒にいたいと思ってその人を大事にするのと同じというか、その感覚とすごく近いのかなって思います。
──カエラさんは、過去のインタビューで「デビューしてすぐ、大人たちから『女性アーティストが10年続けるのは大変だ』と言われた」と話しているのを拝見したことがあります。20年というのは、その倍です。
そうなんですよ。「見たか‼」っていう気持ちがあります(笑)。でも、あのときにそうやって言われたことは、自分にとって頑張る理由になったんです。私は負けず嫌いだから「見てろよ!」となったし、10年続けたときも「よし!」と思ったし。それで気づいたら20年経っていて、「あれ?」みたいな不思議な感じはありましたけど、本当にありがたいなってすごく思います。
──9月25日にリリースされたEP『F(U)NTASY』に収録されている「Twenty」の歌詞にカエラさんの20年が詰まっているなと感じました。Wikipediaに掲載されている名前の由来が違うことを今だから言える、という部分とか。
「Twenty」の歌詞は、カッコいい・カッコ悪いとかではなく、今しか言えないこと、今の本音みたいなものを伝えるのが一番いいと思って、最終的にあの形に辿り着いたんです。どこか恥ずかしさもあったんだけど、最近テレビ番組やラジオで曲をかけてもらったものを聴くと、この曲で良かったなって。だって、今しか歌えない曲ですしね(笑)。
──このタイミングで「Twenty」のような楽曲を制作して歌うって、きっととても幸せなことですよね。
幸せです。だって自分が頑張ってこなかったら言えない歌詞だと思うし。だから、よく自分頑張ったなって思います。もちろん応援してくれる人がいてくれて、ここに立つことが出来ているんですけどね。
ぜんぜん! もう、ただ必死で。今もそうなんですけど、私ってあまり未来のことを考えないんです。今だけを見る。だからデビュー当初は、こんな未来は想像もできなかったですね。そもそも、本当はバンドの女の子としてデビューしたかったんですよ。もともとそういう活動をしていたので。それがソロでデビューして、木村カエラという名前で活動すること自体、自分の予想とは違うんです。
──なるほど。
デビュー当時はメディア露出も活発にしていたので、当時から見てくださっている人は、私が変わっている人間だって知っていると思うんです(笑)。モヒカンになったり、口が悪かったり。でも、『Butterfly』しか知らない方は、私に“おとなしい女の人”という印象があると思う。それがすごくおもしろい。そう考えると、20年を迎えた今、私は何をやってもいいと思うんです。
──それは、カエラさんの過去を知らない世代も多くなってきたから?
そう! デビューしたあとに生まれた人もたくさんいますよね。私のことを知らないということは、何をやってもいいんですよ! 20年経ったからこそ、また自由になれる。もう一度同じことをしてもいいくらい、きっとまたゼロから始まることができる、それって最高だなって。
──以前は、いかがでしたか?
10周年くらいのときは、周りが持つイメージが『Butterfly』の木村カエラと、イケイケな木村カエラとで、真っ二つに割れたんですよね。だから、すごく作品が作りづらくなって。例えばロックをやると「これは、木村カエラじゃなくない?」みたいな受け止め方をする人もいるけれど、「もともとこっちなんだけどな」みたいな(笑)。自分の軸が見当たらなくなっちゃった時期もありました。20年経って、ようやく抜けたなという感覚はあります。元の自分に戻れるというか。それもあって、今はすごく楽ですね。
──では、これからはもっと自由なカエラさんになっていく。
なると思います! 喋り方とかも、もともとこういう感じなんだけど、「え、生意気」と思われてしまうことも昔はあって。でも、ラジオは自分の声を届けられるから、本当の自分を伝えられる。だから、ラジオが自分にとってすごく大事だという話に繋がってくるんです。
──ちなみに、軸が見当たらなくなったときはどうやって解決されたんですか?
ちょうど結婚や出産をした時期でもあったから子どもを一番に考えていて、自分と向き合う時間がそもそもなくて。だから、いいタイミングで子どもを授かっていたりしていたなと思います。時間があったら、きっと考え過ぎちゃったと思うし。
ただ、インプットする時間がなくて、空っぽになったんですよね。もともとは常にアイデアが出てきたのに、まったく浮かばなくなったんです。「まずいな」と思っているタイミングで、『NIKKI』(2020年に刊行した日記形式エッセイ)を書くお話がきたり、その直後にコロナ禍がやってきたりして。そうすると結局、歌いたい、歌いたい、歌いたいって気持ちになりました。インプットする時間もたくさんありましたし、またそこから復活していったのかな。
そのときはつらかったんですけど、今こうやって振り返ってみると、全てはなるようになっていて、自分がそのとき気づかなかっただけなんだなと。人生は回っている。真面目に向き合ったからこそ、今こういうふうに考えられるんだなとも思います。
──そういう経験も、カエラさんは歌にすることができる。
そうですね。歌に全部変えてきました。自分が悩んでいた時期、自分がもやもやして自分の中から何も出てこないときもあったけど、人間だからそんなときは絶対あるんですよね。「楽しくない」とか「毎日何をやっているのかワケがわからない」とか「笑ってない」とか、そういう時間って誰にでもある。そういうときに歌詞を書くと真面目になっちゃうんですけど、それもそれでいいなと思えるんです。つらいこともあったけど、これからはもっと楽しくなるぞって思います。
──素敵ですね。20年を迎えてもなお楽しいことがたくさんある!
今からも、すごく楽しいのかなと思っています。
──そんな今のカエラさんを楽しめる武道館公演が10月26日に控えています。どのようなライブになりそうですか?
このあいだ選曲していたんですけど絞りきれなくて、「1日の公演じゃ足りない」と思ったほど。そう思える曲をたくさん生み出せたことが幸せです。
その楽曲たちは、20年間という、ひとりの人間が生まれてから成人するまでの期間で生まれたものです。ライブに来てくれる方の人生とともに作ってきた曲たちでもあります。どんなときに私の曲を聴いてきたかは人ぞれぞれだけど、例えば「このとき、こういう人と付き合っていたな」とか、きっといろんなことを思い浮かべると思うんです。だから武道館では、思い出のアルバムをめくるようなライブがしたい。そのうえで「今がめっちゃ楽しいよね!」とみんなで共感し合えるような内容になればと思っています。
(取材・文=笹谷淳介)
J-WAVE NEWSでは、この放送を記念してインタビューを実施。今年デビュー20周年を迎えた木村カエラに、ラジオの楽しさや、歌と真摯に向き合ってきた20年間のことなど話を伺った。「自分の軸が見当たらなくなっちゃった時期もありました」と語る木村が、葛藤を乗り越えて、今見ている風景とは?(J-WAVE NEWS編集部)
ラジオが「大事な場所」だった理由
──久しぶりの『OH! MY RADIO』はいかがでしたか? 名物コーナー「今日のホームラン」が復活しましたね。当時のジングルや、コーナーの私の声にリバーブがかかったものを聴いたら、すごく懐かしくて! 当時と同じスタッフのみなさんが揃ってくれたので、「あの頃はふざけ倒していたよね!」と盛り上がりました。ノリもぜんぜん変わっていないし、すごくおもしろくて、ラジオってやっぱり楽しいなって思いましたね。だって、一人で自由に話していいものだから(笑)。
「今日のホームラン」は素敵なメッセージをたくさんいただきました。久しぶりだったからか、「本当に20年間ありがとう!」というような真面目なメッセージも多かったんですけど、昔と変わらず、いい意味でふざけた内容のものもあって(笑)。そんなメッセージに私が「そうだよね!」とコメントをするスタジオの雰囲気は当時のままで、本当に楽しかったです。「もし毎週やっていたら、もっと気の抜けたメッセージもたくさん届いて、今回とはまた違った楽しみが生まれるんだろうな」なんて想像したし、そんなラジオの雰囲気が好きだとあらためて思いました。
──ナビゲーターを務めていた当時を振り返って、どう感じますか?
夜型の番組で、しかも22時開始から27時開始まで時期によってバラバラだったので、当時は完全に夜型の生活になっていました。朝方に仕事を終えてまた夕方から仕事を始める、みたいな。ラジオ中心に生活が回っていたので、そのスケジュールだと今は無理だなって(笑)。でも、楽しい思い出がたくさんあります。時代的なことで言うと、当時はXなどSNSがない時代だったので、自由度が本当に高かった! 逆に今回は「この言葉は表現を変えたほうがいいよな」などの学びがあって、20年の活動の中でいろんなことが大きく変わったな、ということにもおもしろさを感じました。だからこそ、昔と一緒の感覚で楽しくラジオができたことが最高だなって。とてもいい時間を過ごせました。
──自身のキャリアを振り返って、ラジオに出演することで得られたものはありますか?
返事の瞬発力! 『OH! MY RADIO』は生放送だったので、すぐ返事をしなきゃいけないじゃないですか。メッセージに対して的確な言葉を早く思い浮かべなきゃいけない。そういう瞬発力は、ラジオをやるうちに身につきました。あとは、文章を読み上げることも上手になったと思います。初めて見る文章でも、パッと全体図で見られるようになって。ラジオからいろんなことを学ばせていただいているなと。
──きっと、トークスキルもアップされたんじゃないかと思います。
そうですね。もともとラジオが好きだったので、学ぶ姿勢がすごくあったんです。どうやったら聴いている人が楽しいのか、自分であとから放送を聴いて「もっとテンポよく話したほうがいいな」などと考えたりしていました。今は以前ほどテレビに出演しないんですけど、出るとなったら楽しく喋れるので、そこはラジオで学ばせていただいたことが大きな力になっている気がします。
──カエラさんにとってラジオはどういう存在だったんですか?
自分の言葉で自分の気持ちを直接伝える場所ですかね。ましてや生放送だとカットできないじゃないですか。その感じがすごく好きだった。20年の活動の中で、自分の言葉やイメージが一人歩きしていって、「これは違うな」と思うこともあったんです。私には私の考えがあるから、好きなもの、嫌いなものをはっきりと伝えられる場の一つとして、ラジオはすごく大事な場所だったなと思います。
──当時を思い出しながら、当時と同じスタッフでラジオができる。それが楽しいと感じたということで、余計に今後もラジオがやりたくなったのでは?
そうなんですよ〜! 今も楽しいって本当にいいことだなって思います。ラジオってライブと似ているところがあると思っていて。例えば、私がアルバムを出したあと、聴いた方の返事を直接的に聞けるのがライブなんです。ラジオは、その感じに近くて、繋がっている感じがあるんですよ。リスナーの方から、今どんなことに悩んでいて、どんなことに向かって頑張っているかとか、会話のようなメッセージが届いて、そういうことを聞けるだけで繋がっている気がするんです。
繋がる感覚は私にとって大切なことで。自分が歌を歌っている理由のひとつは「誰かに届けよう」という思いだから、自分のことだけ考えていても曲は作れないので、繋がりが生まれるラジオはやっぱりいいものだなって思うんです。繋がることで、「この曲を作ってよかったな」と思える。答え合わせの場があるというのは本当に大事なことだなと感じました。
歌を続けていくために。終わりのない愛と努力
──カエラさんはデビュー20周年ということで、アーティストとして成人式を迎えたことになります。今の率直なお気持ちを教えていただけますか?「もう20年か!」という感じであまり実感はないんだけど、やっぱり月日として、20年ってすごく長いじゃないですか。遡ってみると本当にいろんなことがあって、この何年間は記憶がないということもあるんです。この時期はつらかった、この時期はすごく楽しかったとか、ざっくりは覚えているんですけど、自分が一番好きなものが歌だったから、歌を続けるためにはどうしていったらいいのか、それしか考えてない20年間だったなと思います。
続けるために自分が何をすればいいのか、続けるからには人をびっくりさせたいし、刺激を与えないと先に進めない。乗り越えた壁をさらにまた乗り越えていかないといけない。同じことをやっていても飽きられてしまうから、自分の目標は常に次へ次へ、高いところに持っていく。それがつらいこともあったけど、音楽を続けるためには絶対的に必要なことでした。ましてや私は目立ちたがり屋だから、お客さんがいないと無理! とにかくそういう風に歩んできた20年でした。歌を続けたいから、努力する。でも、きっとこの気持ちに終わりはないし、歌を続けたいと思っている限りずっと続いて、気づいたら30年、40年となっているのかなと思います。自分にとって一番大事なものを近くに置いておきたいというか、歌は離れたら困るものという気持ちがあります。
──音楽がやりたい、好きという気持ちが原動力だったんですね。
そうですね。大好きな人と一緒にいたいと思ってその人を大事にするのと同じというか、その感覚とすごく近いのかなって思います。
──カエラさんは、過去のインタビューで「デビューしてすぐ、大人たちから『女性アーティストが10年続けるのは大変だ』と言われた」と話しているのを拝見したことがあります。20年というのは、その倍です。
そうなんですよ。「見たか‼」っていう気持ちがあります(笑)。でも、あのときにそうやって言われたことは、自分にとって頑張る理由になったんです。私は負けず嫌いだから「見てろよ!」となったし、10年続けたときも「よし!」と思ったし。それで気づいたら20年経っていて、「あれ?」みたいな不思議な感じはありましたけど、本当にありがたいなってすごく思います。
──9月25日にリリースされたEP『F(U)NTASY』に収録されている「Twenty」の歌詞にカエラさんの20年が詰まっているなと感じました。Wikipediaに掲載されている名前の由来が違うことを今だから言える、という部分とか。
「Twenty」の歌詞は、カッコいい・カッコ悪いとかではなく、今しか言えないこと、今の本音みたいなものを伝えるのが一番いいと思って、最終的にあの形に辿り着いたんです。どこか恥ずかしさもあったんだけど、最近テレビ番組やラジオで曲をかけてもらったものを聴くと、この曲で良かったなって。だって、今しか歌えない曲ですしね(笑)。
──このタイミングで「Twenty」のような楽曲を制作して歌うって、きっととても幸せなことですよね。
幸せです。だって自分が頑張ってこなかったら言えない歌詞だと思うし。だから、よく自分頑張ったなって思います。もちろん応援してくれる人がいてくれて、ここに立つことが出来ているんですけどね。
「20年経ったからこそ、また自由になれる」
──デビュー当初こういう未来を想像されていましたか?ぜんぜん! もう、ただ必死で。今もそうなんですけど、私ってあまり未来のことを考えないんです。今だけを見る。だからデビュー当初は、こんな未来は想像もできなかったですね。そもそも、本当はバンドの女の子としてデビューしたかったんですよ。もともとそういう活動をしていたので。それがソロでデビューして、木村カエラという名前で活動すること自体、自分の予想とは違うんです。
──なるほど。
デビュー当時はメディア露出も活発にしていたので、当時から見てくださっている人は、私が変わっている人間だって知っていると思うんです(笑)。モヒカンになったり、口が悪かったり。でも、『Butterfly』しか知らない方は、私に“おとなしい女の人”という印象があると思う。それがすごくおもしろい。そう考えると、20年を迎えた今、私は何をやってもいいと思うんです。
──それは、カエラさんの過去を知らない世代も多くなってきたから?
そう! デビューしたあとに生まれた人もたくさんいますよね。私のことを知らないということは、何をやってもいいんですよ! 20年経ったからこそ、また自由になれる。もう一度同じことをしてもいいくらい、きっとまたゼロから始まることができる、それって最高だなって。
──以前は、いかがでしたか?
10周年くらいのときは、周りが持つイメージが『Butterfly』の木村カエラと、イケイケな木村カエラとで、真っ二つに割れたんですよね。だから、すごく作品が作りづらくなって。例えばロックをやると「これは、木村カエラじゃなくない?」みたいな受け止め方をする人もいるけれど、「もともとこっちなんだけどな」みたいな(笑)。自分の軸が見当たらなくなっちゃった時期もありました。20年経って、ようやく抜けたなという感覚はあります。元の自分に戻れるというか。それもあって、今はすごく楽ですね。
──では、これからはもっと自由なカエラさんになっていく。
なると思います! 喋り方とかも、もともとこういう感じなんだけど、「え、生意気」と思われてしまうことも昔はあって。でも、ラジオは自分の声を届けられるから、本当の自分を伝えられる。だから、ラジオが自分にとってすごく大事だという話に繋がってくるんです。
──ちなみに、軸が見当たらなくなったときはどうやって解決されたんですか?
ちょうど結婚や出産をした時期でもあったから子どもを一番に考えていて、自分と向き合う時間がそもそもなくて。だから、いいタイミングで子どもを授かっていたりしていたなと思います。時間があったら、きっと考え過ぎちゃったと思うし。
ただ、インプットする時間がなくて、空っぽになったんですよね。もともとは常にアイデアが出てきたのに、まったく浮かばなくなったんです。「まずいな」と思っているタイミングで、『NIKKI』(2020年に刊行した日記形式エッセイ)を書くお話がきたり、その直後にコロナ禍がやってきたりして。そうすると結局、歌いたい、歌いたい、歌いたいって気持ちになりました。インプットする時間もたくさんありましたし、またそこから復活していったのかな。
そのときはつらかったんですけど、今こうやって振り返ってみると、全てはなるようになっていて、自分がそのとき気づかなかっただけなんだなと。人生は回っている。真面目に向き合ったからこそ、今こういうふうに考えられるんだなとも思います。
──そういう経験も、カエラさんは歌にすることができる。
そうですね。歌に全部変えてきました。自分が悩んでいた時期、自分がもやもやして自分の中から何も出てこないときもあったけど、人間だからそんなときは絶対あるんですよね。「楽しくない」とか「毎日何をやっているのかワケがわからない」とか「笑ってない」とか、そういう時間って誰にでもある。そういうときに歌詞を書くと真面目になっちゃうんですけど、それもそれでいいなと思えるんです。つらいこともあったけど、これからはもっと楽しくなるぞって思います。
──素敵ですね。20年を迎えてもなお楽しいことがたくさんある!
今からも、すごく楽しいのかなと思っています。
──そんな今のカエラさんを楽しめる武道館公演が10月26日に控えています。どのようなライブになりそうですか?
このあいだ選曲していたんですけど絞りきれなくて、「1日の公演じゃ足りない」と思ったほど。そう思える曲をたくさん生み出せたことが幸せです。
その楽曲たちは、20年間という、ひとりの人間が生まれてから成人するまでの期間で生まれたものです。ライブに来てくれる方の人生とともに作ってきた曲たちでもあります。どんなときに私の曲を聴いてきたかは人ぞれぞれだけど、例えば「このとき、こういう人と付き合っていたな」とか、きっといろんなことを思い浮かべると思うんです。だから武道館では、思い出のアルバムをめくるようなライブがしたい。そのうえで「今がめっちゃ楽しいよね!」とみんなで共感し合えるような内容になればと思っています。
(取材・文=笹谷淳介)