内田也哉子が、自身の子ども時代や両親のこと、コロナ禍での子育てについて語った。
内田が登場したのは、クリス智子がお届けする『TALK TO NEIGHBORS』。この番組は毎週1組、クリスが今会いたい人、声を聞きたい人を迎えてお届けする30分のトークプログラム。月曜から木曜はラジオでオンエアされ、翌金曜日には放送された内容に加えて、限定トークも含むポッドキャストが配信される。
ここでは初回となった4月1日(月)のオンエアをテキストで紹介する。
最初の話題は「人生の転機」について。クリスは「自分で舵を取って進むほうではなく、来たものをどうしていこうかと考えるタイプ」と話すと、内田も「似ているかもしれない」と同調する。
内田:自分から何か目標とか夢を持って進んで来たという実感は、残念ながら1回もなく(笑)。私は個性的な父と母のもとで生まれ育ったので、どうしても受け身にならざるを得なかった人生でしたね。
クリス:内田裕也さんと樹木希林さんですからね。
内田:両親は離婚はしていなかったけどずっと別居をしていて、どきどき訪れる父が大変情熱的で、結果破天荒で(笑)。今思うと面白かったと思えるけど、その渦中にいる子どものときはいろいろ思い悩むこともありましたね。母に対しても、別々に暮らしながらも夫婦である、あるいは家族であるってことをそこまで尊重するのかってことを問いただしてみたりと、いろんな葛藤があって。
内田は9歳から10歳でニューヨークの郊外で暮らした経験があり、「日本にいると、どうしても両親が芸能人というある種のカラーコンタクトを通して見られることが多かった」と語る一方で「でも外国に行くと、何者でもないすがすがしさがあった」と当時の心境を口にする。
内田:すごく楽だったし、その両方の世界を私に授けてくれたっていうのは母にすごく感謝しています。ある種、逃げ場があった。日本で(両親のことで)いろんなことがあって追いかけられたり、好奇の目に晒されたりすることもあって。もちろん特別に接してくれるときもあるから悪いことばかりじゃないんだけど、やっぱり親としては、あまり特別扱いされすぎるのもよくないって思いますよね。私たち母親としても。
クリス:きっと樹木さんもそう思っていたんですよね。
内田:図らずも匿名性を持って子どもをニュートラルな環境で育てたっていう意味ではとてもよかったですね。
内田:今、子どもが3人いるんですけど、育てるときに親として子どもに何をしてあげられるのだろうって考えたときに、結局1人で歩けるように促すだけ。それしかできないじゃないですか。それがしたいことでもありますよね。
クリス:そうですよね。
内田:だから荒治療ではあったけど、わりと早めに孤独とか、ひとりで歩くことの面白さもさみしさも両方知れたのはあったのかな。
クリス:そのとき、どこで自分は生きていけばいいのって葛藤はありました?
内田:母親は早くから自由を授けてくれたばかりに、自由ってすごくフリーで身軽な気持ちじゃなくて、すごく重たいものなんだって感覚(がありました)。
クリス:そう受け取っている也哉子さんがいいですよね。
内田:いいのかな(笑)。
樹木との生活を思い出し、内田は「1つだけ母の中ではっきりしていたのは、食べ物はとにかく手作りで、シンプルかつ余計なものが入っていないもの、いわゆる一汁一菜を作ってくれた」と話す。
内田:作り方を教えてくれて、とても潔いというか。私は子育てをしていると、自分がしてもらえなかった分、あれもこれも、いっぱい手厚くやりたくなっちゃって、空回りしちゃって「あなた過干渉よ」って母親によく言われたんですけど。
クリス:自分の家族ができると自分の小さい頃ももう1回考えなおしたりしますよね。親子っていうものを。
内田:本当にそうですね。
クリス:3人のお子さんを育てられてきて。
内田:2人は成人しちゃって凧の糸が切れたようにどっか行っていますけど(笑)。次男だけが残って13歳になってどんどん自我が芽生えてきましたね。
クリス:アーティスティックなお子さんですよね。
内田:お勉強よりはアートのほうに興味があって、絵を描いたりしていますね。
内田:いろんな難が世界中であったのは事実で、それはとても心を痛める部分ではあるけれど、私は何かそういう大変なことが起こったときに、裏側からも見てみる癖が小さい頃からあるんです。悲しいことなんだけどブライトサイドは何なのかって思ったときに、なかなか一緒にいられない家族とうんざりするほど一緒にいられた。
クリス:そうですよね(笑)。
内田:そのときにいろんな絵を描いたりとかものと作ったりとか。
クリス:特異な時間だったけど、もう1回家族とか大事なこととかを再構築するというか。
内田:自分の心の中のごちゃごちゃとなってしまったものを分類できて整理できた感じはあったのかな。無駄にしたくないっていう気持ちでついそういうポジティブなものを一生懸命に探そうとしていたかもしれないですね。
内田はコロナ禍で「今っていう瞬間は、こんなに今なんだ」と実感したという。
内田:外側からなるべく動かないでってある種ルールがあったことによって、この今というモーメントを味わえる静寂な時間だった。いろいろ焦ることもあたんだけど、焦ってもどこにもたどり着けない。今を見つめることの豊かさを感じられましたね。でも徐々に解除される方向に行ったからであって、あのまま何年も続いていたら、もっと心の中も大変なことになったと思います。
クリス:時間の質って、自分だけではどうにもできない部分がありますよね。
内田:把握しきれないというか。世の中との対比で自分の体内時計も含めて決まっていたようなことがあるから。ましてや子どもって動物そのものというか、起きて時間のルーティンがあって。大人だったら「まあ、いいか」とか気分で流せちゃうところを子どもという生ものがいてくれたことで、なんとなくそのルーティンを守れたってこともないですか?
クリス:そうですね。子どもと一緒にいる時間って何をしようかなってすごく考えましたよね。
クリスはコロナ禍を経て「必ずしもずっと一緒にいることだけが親と子どもの時間ではない」と思うようになったという。
クリス:離れていても気持ちがちゃんとあると、子どもが感じていられていたらいいんじゃないかって。
内田:話が戻っちゃうけど、私はこういう家庭環境に生まれて、重たいとかこの枠さえなければってことはたくさんあったけど、結果的に何かそういう足かせがあることで、そこじゃないどこかを想像できるというか。対比として。
『TALK TO NEIGHBORS』は毎週1組のゲストを迎え、よりじっくりと、より濃密なトークをお届けする。J-WAVEでは毎週月曜から木曜の13時から、ポッドキャストは毎週金曜日に配信。
内田が登場したのは、クリス智子がお届けする『TALK TO NEIGHBORS』。この番組は毎週1組、クリスが今会いたい人、声を聞きたい人を迎えてお届けする30分のトークプログラム。月曜から木曜はラジオでオンエアされ、翌金曜日には放送された内容に加えて、限定トークも含むポッドキャストが配信される。
ここでは初回となった4月1日(月)のオンエアをテキストで紹介する。
「外国に行くと、何者でもないすがすがしさがあった」
昔から付き合いがある内田とクリス。最近も一緒に食事をしたという親しい仲であり、実はお互いの子どもが同じ学校だったママ友でもあることも明かした。最初の話題は「人生の転機」について。クリスは「自分で舵を取って進むほうではなく、来たものをどうしていこうかと考えるタイプ」と話すと、内田も「似ているかもしれない」と同調する。
内田:自分から何か目標とか夢を持って進んで来たという実感は、残念ながら1回もなく(笑)。私は個性的な父と母のもとで生まれ育ったので、どうしても受け身にならざるを得なかった人生でしたね。
クリス:内田裕也さんと樹木希林さんですからね。
内田:両親は離婚はしていなかったけどずっと別居をしていて、どきどき訪れる父が大変情熱的で、結果破天荒で(笑)。今思うと面白かったと思えるけど、その渦中にいる子どものときはいろいろ思い悩むこともありましたね。母に対しても、別々に暮らしながらも夫婦である、あるいは家族であるってことをそこまで尊重するのかってことを問いただしてみたりと、いろんな葛藤があって。
内田は9歳から10歳でニューヨークの郊外で暮らした経験があり、「日本にいると、どうしても両親が芸能人というある種のカラーコンタクトを通して見られることが多かった」と語る一方で「でも外国に行くと、何者でもないすがすがしさがあった」と当時の心境を口にする。
内田:すごく楽だったし、その両方の世界を私に授けてくれたっていうのは母にすごく感謝しています。ある種、逃げ場があった。日本で(両親のことで)いろんなことがあって追いかけられたり、好奇の目に晒されたりすることもあって。もちろん特別に接してくれるときもあるから悪いことばかりじゃないんだけど、やっぱり親としては、あまり特別扱いされすぎるのもよくないって思いますよね。私たち母親としても。
クリス:きっと樹木さんもそう思っていたんですよね。
内田:図らずも匿名性を持って子どもをニュートラルな環境で育てたっていう意味ではとてもよかったですね。
自由は、重たいもの
樹木の子育ては放任主義だったと内田。「母がフルタイムで仕事をしていたから、私は1人の時間が多かった。でも母は私をあまり子ども扱いしなかったので、その分、私は早くから頼れるのは自分しかいない(という意識が芽生えた)」と語る。内田:今、子どもが3人いるんですけど、育てるときに親として子どもに何をしてあげられるのだろうって考えたときに、結局1人で歩けるように促すだけ。それしかできないじゃないですか。それがしたいことでもありますよね。
クリス:そうですよね。
内田:だから荒治療ではあったけど、わりと早めに孤独とか、ひとりで歩くことの面白さもさみしさも両方知れたのはあったのかな。
クリス:そのとき、どこで自分は生きていけばいいのって葛藤はありました?
内田:母親は早くから自由を授けてくれたばかりに、自由ってすごくフリーで身軽な気持ちじゃなくて、すごく重たいものなんだって感覚(がありました)。
クリス:そう受け取っている也哉子さんがいいですよね。
内田:いいのかな(笑)。
樹木との生活を思い出し、内田は「1つだけ母の中ではっきりしていたのは、食べ物はとにかく手作りで、シンプルかつ余計なものが入っていないもの、いわゆる一汁一菜を作ってくれた」と話す。
内田:作り方を教えてくれて、とても潔いというか。私は子育てをしていると、自分がしてもらえなかった分、あれもこれも、いっぱい手厚くやりたくなっちゃって、空回りしちゃって「あなた過干渉よ」って母親によく言われたんですけど。
クリス:自分の家族ができると自分の小さい頃ももう1回考えなおしたりしますよね。親子っていうものを。
内田:本当にそうですね。
クリス:3人のお子さんを育てられてきて。
内田:2人は成人しちゃって凧の糸が切れたようにどっか行っていますけど(笑)。次男だけが残って13歳になってどんどん自我が芽生えてきましたね。
クリス:アーティスティックなお子さんですよね。
内田:お勉強よりはアートのほうに興味があって、絵を描いたりしていますね。
コロナ禍で、心の中が整理できた
続いて、話題は「子どもとの付き合い方」について。内田は、コロナ禍は子育てや生活の視点を整理したきっかけになったと語る。内田:いろんな難が世界中であったのは事実で、それはとても心を痛める部分ではあるけれど、私は何かそういう大変なことが起こったときに、裏側からも見てみる癖が小さい頃からあるんです。悲しいことなんだけどブライトサイドは何なのかって思ったときに、なかなか一緒にいられない家族とうんざりするほど一緒にいられた。
クリス:そうですよね(笑)。
内田:そのときにいろんな絵を描いたりとかものと作ったりとか。
クリス:特異な時間だったけど、もう1回家族とか大事なこととかを再構築するというか。
内田:自分の心の中のごちゃごちゃとなってしまったものを分類できて整理できた感じはあったのかな。無駄にしたくないっていう気持ちでついそういうポジティブなものを一生懸命に探そうとしていたかもしれないですね。
内田はコロナ禍で「今っていう瞬間は、こんなに今なんだ」と実感したという。
内田:外側からなるべく動かないでってある種ルールがあったことによって、この今というモーメントを味わえる静寂な時間だった。いろいろ焦ることもあたんだけど、焦ってもどこにもたどり着けない。今を見つめることの豊かさを感じられましたね。でも徐々に解除される方向に行ったからであって、あのまま何年も続いていたら、もっと心の中も大変なことになったと思います。
クリス:時間の質って、自分だけではどうにもできない部分がありますよね。
内田:把握しきれないというか。世の中との対比で自分の体内時計も含めて決まっていたようなことがあるから。ましてや子どもって動物そのものというか、起きて時間のルーティンがあって。大人だったら「まあ、いいか」とか気分で流せちゃうところを子どもという生ものがいてくれたことで、なんとなくそのルーティンを守れたってこともないですか?
クリス:そうですね。子どもと一緒にいる時間って何をしようかなってすごく考えましたよね。
クリスはコロナ禍を経て「必ずしもずっと一緒にいることだけが親と子どもの時間ではない」と思うようになったという。
クリス:離れていても気持ちがちゃんとあると、子どもが感じていられていたらいいんじゃないかって。
内田:話が戻っちゃうけど、私はこういう家庭環境に生まれて、重たいとかこの枠さえなければってことはたくさんあったけど、結果的に何かそういう足かせがあることで、そこじゃないどこかを想像できるというか。対比として。
『TALK TO NEIGHBORS』は毎週1組のゲストを迎え、よりじっくりと、より濃密なトークをお届けする。J-WAVEでは毎週月曜から木曜の13時から、ポッドキャストは毎週金曜日に配信。
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2024年4月8日28時59分まで
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番組情報
- TALK TO NEIGHBORS
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