ウガンダ発のアパレルブランド「RICCI EVERYDAY」創業者の仲本千津さんが、アフリカに目を向けるようになったきっかけやブランド立ち上げに至った経緯、さらには今後のビジョンなどについて語った。
仲本さんは1984年生まれの39歳。銀行員としてキャリアをスタートし、2015年にウガンダの直営工場で製造したアフリカンプリントの布を使ったバッグなどを取り扱うライフスタイルブランド「RICCI EVERYDAY」を設立した実業家だ。
仲本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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仲本:アフリカンプリントはウガンダ固有のものではなく、アフリカ全土に出回っている布です。ルーツはインドネシアの布地「バティック」。その技術がオランダによってガーナ共和国に伝えられ、その後アフリカ中に広がりました。今では、頭にターバンとして巻いたり、お洋服を作ったり、あるいは、子どもをおんぶするときのおんぶ紐やエプロンに形を変えたりと、アフリカの人たちの生活に欠かせないアイテムとして活用されています。生地はコットン100%。幅が大体120cm程度で、長さは5.5mで一反となります。柄はどんどん新しいものが登場していて、このタイミングを逃したら二度と出会えないのでは?と思わせるくらい布屋さんの在庫がコロコロと変わります。そのため、自分の好きな柄はどれだろうと物色するのが宝探しのような感覚で、いつもワクワクさせられるんです。
このアフリカンプリントとの出会いから、ブランド創業に至るまでにはどのような紆余曲折があったのだろうか?活動の原点は高校時代に遡る。
仲本:進路に悩んでいた高校生のある日、世界史の授業で先生が日本人初の国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子さんのドキュメンタリービデオを上映してくれたんですね。そのときに「すごい人がいる!」と衝撃を受け、「私もこういう人になりたい」と思ったのが私の原点です。その後、緒方さんが国連難民高等弁務官になられる前は大学で国際関係の教鞭を執られていたことを知り、私も国際関係を勉強しようと考えて大学へ進学しました。大学の学部では国際法を学び、それでは飽き足らずに大学院にも進み、政治学の側面から研究を重ねました。
大学院卒業後、本当はNGOで働きたかったのですが、「アフリカの貧困をなくしたい」「紛争解決したい」などと青臭いことを言っても、実際にどう解決するべきなのか、そもそも社会がどうやって動いているのか、まったく知らなかったんですよね。そこで「一度社会に出てみよう」と考え、お金の周りを知れば社会の構造が見えてくるはずですし、また、若手をどんどん海外へ送り出す当時の業界のスタンスから「アフリカへ行くチャンスがあるかも」と期待を抱いて、銀行を就職先に選んだわけです。
仲本:地震が発生した直後は、自分や職場のチームのことしか考えられず、とにかく家に帰ることを目標に動いていました。無事に帰宅した翌日、テレビを観たら改めて大変な状況になっていると知り、多くの方が志半ばで亡くなったことをぼんやりと考えていたんですね。そのときに「自分もいつ死ぬかわからない」「このまま死ぬんだとしたらそんな人生、嫌だな」と思ったんです。また、「私、アフリカで仕事がしたかったんだよな」とも考えて。自分のやりたいことをこれ以上先延ばしにするのはやめようと決めて、そこから数か月間、NGOや在外の大使館などを中心に働けるポストを探して転職活動をしていました。
震災の経験を経て自分の生き方を見つめ直した仲本さん。26歳でメガバンクを退職後、笹川アフリカ協会(現ササカワ・アフリカ財団)へ入職すると、銀行員時代とは全く異なる生活が彼女を待っていた。
仲本:毎月一回、アフリカ出張へ行くような生活にガラりと変わりました。アフリカには10数か国行かせてもらっていたんですけど、特にウガンダがすごく素敵な国で。人もいいし、治安もさほど悪くなく「ここに住みたい」と思うようになりました。そんな中、2014年4月に上司から「ウガンダに駐在するか?」と言われて「やったー!」と喜び、その2か月後にはウガンダへ飛び立ったんです。現地では、平日にウガンダ全土を車で駆け巡り、農家を回って農業の指導をするようなNGOの仕事をしていました。土日には「自分はアフリカで何ができるのか」という想いのもと、色んな人に会ったり、様々な場所へ訪れたりしていたのですが、あるとき、友人がローカルマーケットへ連れて行ってくれたんですね。そこでウロウロしているとパッと目に飛び込んできたのが、アフリカンプリントを取り扱うお店でした。カラフルな布が床から天井まで積みあがり、壁一面を埋め尽くしていて「なにこれ!?」と友だちと吸い込まれるかのようにその部屋へ入っていき、「あの柄が可愛い!」などと盛り上がっているうちに、2~3時間その場に居座ったことを覚えています(笑)。
その後、私を訪ねて現地にやってきた他の友人たちもその布屋さんへ案内して、自分の好きな布柄選びを楽しんでもらっていたんですけど、みんな口を揃えて「かわいい」と言うんですよ。でも、当時の日本のファッションマーケットにおいて、アフリカンプリントがあまり出回っていなくて。「なんでこんなにみんなかわいいって言ってるのに日本にないんだろう?」と疑問に感じ、「これはビジネスになるかもしれない」と気付いたんですよね。
仲本:私は縫製やデザインの勉強をしてこなかったので、自分では作れません。だから「誰かに作ってもらわなくてはいけない」と思い、人探しを始めたわけです。NGOでウガンダの農村部を巡って気付いたのが、女性が縁の下の力持ちになって家庭やコミュニティを支えているということ。この経験から、ビジネスを立ち上げるときは同国の女性を絶対に巻き込んで、彼女たちが輝く場所を作りたいと思っていました。そんな考えから誰か一緒にやってくれる女性はいないかと探していたら、友人がナカウチ・グレースというウガンダ人女性を紹介してくれて、家庭訪問をさせてもらったんです。彼女は4人の子どもを抱えたシングルマザーで、私と出会った頃は1か月10ドルしかもらえない仕事に就いて生活をやりくりしていました。彼女は子どもたちを大学まで進学させたい、健康に育ってほしいという気持ちがすごく強くて、自分の生活を変えようとしていたんです。
また、お家を案内してもらう中で、彼女が豚を買っていることがわかりました。その理由を尋ねると、豚一頭を育てると、子ども一人の一学期分の学費とほとんど同額で取引されるらしいんです。しかも、その豚からは7~8匹の子豚が生まれる。子豚は餌代をかけず、残飯さえ与えていれば大きく育てることができる。大きく育ったら、また子豚を産ませてもいいし、売って学費を納めてもいい。要するに彼女は豚を運用していたんですね。そのときに「この人は自分の事業に巻き込みたい」と思いました。しかし、残念ながら、彼女はミシンやデザインの技術は全く持っていなかったので、とにかくポテンシャル採用というか。やる気はあったからとりあえず参画してもらいました。その後、現地で青年海外協力隊として活動していた日本人の方から、別々に2人の女性を紹介してもらいました。一人はミシンでとても素敵に商品を作れる人、もう一人はレザーを綺麗に縫える人だったんです。この人たちと一緒ならいい商品ができるんじゃないかと思い、彼女たちも巻き込んで、小さな工房を借りてサンプルづくりをスタートしました。
仲本:うちで働いている女性たちは都市部に暮らすシングルマザーや紛争から逃れてきた人たちなど様々な背景を持っているのですが、残念ながらそういった人たちがウガンダでまともな仕事に就くチャンスはゼロに近いです。そもそもこの国では若年層が就職できないという課題が大きく取り沙汰されていて。みんな自営業でタクシーの運転手や荷物を運ぶ仕事などをしているんですけど、本当に日銭暮らしなんですよね。だから、彼女たちにとっては仕事があること自体すごく有難いという感覚らしく、本当に一生懸命に丁寧に仕事に向き合ってくれているという印象を受けます。
あと、現地の人たちはモノが完成してしまえば、もうそれでOKで、「明日壊れてもお客様のほうで直しながら使ってください」というスタンスで仕事をしているんですけど、日本人の感覚からすると、明日壊れるようなモノはもはや商品ではありません。だから「それでは仕事として成り立っていない」という考え方を理解してもらうのが難しかったですね。最低でも1年、2年は使えるモノじゃないともはや商品ではないということを伝えると「え!?」と驚かれるんですけど、そのために必要な工夫や技術の話をすると、新しい知識を得られるチャンスに対して前向きな彼女たちは「すごい」「面白い」というふうに受け止めて、どんどん取り入れようとしてくれる。だから私たちは、日々品質を向上させることができているんだと思います。
仲本:母は専業主婦として生きてきた人です。ビジネスのことは全くわからないだろうから、とにかく商品を販売してくれさえすればいいと思っていたのですが、その予想をいい意味で裏切ってくれました。たとえば、在庫を検品したり、納品書を書いて取りまとめたり。そういった業務を母は自分で考えてサクサクッとやっていて、すごいと感じました。それと、母は何週間も前から準備をして、当日あたふたすることなく迎える段取り力があったんですよね。でもそれって、専業主婦だからこそ持ち合わせている力のような気がするんですよ。私は四人きょうだいなんですけど、子どもが四人もいると、たとえば、誰がいつ風邪を引くかもわかりません。そのため、何が起こっても大丈夫なようにできることはどんどん先に進めていくという感覚で、ずっと主婦をしてきたと思うんです。その能力がビジネスに活かされているように感じました。
ウガンダの女性や実の母親を巻き込みながら展開されたRICCI EVERYDAYは、コロナ禍で打撃を受けたアパレル業界においても、順調に業績を伸ばしているという。では仲本さんは、ブランド成長の先にどんな未来を見据えているのだろうか。
仲本:ウガンダにおいてクラフトと呼ばれる手工芸品を作ることが一大産業になるように、様々な職人さんを巻き込みながら商品づくりをしていきたいと思っています。今までは私たちRICCI EVERYDAYの工房の中だけでバッグやお洋服を作ってきたわけですが、ウガンダには、たとえばレザーを使ってバッグを作る人たちや、ユネスコ無形文化遺産に登録されている樹皮布「バーククロス」でお洋服に仕立てる技術者がいるのですが、そういった職人さんたちを巻き込みながら日本含む世界のお客さまと繋いでいき、いつか「ウガンダ=ものづくりで有名な国」と認知されるくらい、クラフト産業を活性化させていきたいです。
(構成=小島浩平)
仲本さんは1984年生まれの39歳。銀行員としてキャリアをスタートし、2015年にウガンダの直営工場で製造したアフリカンプリントの布を使ったバッグなどを取り扱うライフスタイルブランド「RICCI EVERYDAY」を設立した実業家だ。
仲本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
活動の原点は、緒方貞子さんのドキュメンタリービデオ
仲本さんを乗せて走り出した「BMW iX1 xDrive30 xLine」。まずは、RICCI EVERYDAYの軸となる布地「アフリカンプリント」とはどんなものなのか、創業者の口から語ってもらった。このアフリカンプリントとの出会いから、ブランド創業に至るまでにはどのような紆余曲折があったのだろうか?活動の原点は高校時代に遡る。
仲本:進路に悩んでいた高校生のある日、世界史の授業で先生が日本人初の国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子さんのドキュメンタリービデオを上映してくれたんですね。そのときに「すごい人がいる!」と衝撃を受け、「私もこういう人になりたい」と思ったのが私の原点です。その後、緒方さんが国連難民高等弁務官になられる前は大学で国際関係の教鞭を執られていたことを知り、私も国際関係を勉強しようと考えて大学へ進学しました。大学の学部では国際法を学び、それでは飽き足らずに大学院にも進み、政治学の側面から研究を重ねました。
大学院卒業後、本当はNGOで働きたかったのですが、「アフリカの貧困をなくしたい」「紛争解決したい」などと青臭いことを言っても、実際にどう解決するべきなのか、そもそも社会がどうやって動いているのか、まったく知らなかったんですよね。そこで「一度社会に出てみよう」と考え、お金の周りを知れば社会の構造が見えてくるはずですし、また、若手をどんどん海外へ送り出す当時の業界のスタンスから「アフリカへ行くチャンスがあるかも」と期待を抱いて、銀行を就職先に選んだわけです。
3.11をきっかけに一念発起
「BMW iX1 xDrive30 xLine」は千鳥ヶ淵、竹橋を通過し、仲本さんがかつて勤務していたメガバンクの本店がある東京・丸の内エリアへとやってきた。思い出されるのは新人時代。銀行員としての仕事に奮闘する一方で、自分らしさやアフリカへの想いとはどこか距離が生まれる日々を過ごしていたという。そんな中で迎えた2011年3月11日。仲本さんの運命が動き出す。仲本:地震が発生した直後は、自分や職場のチームのことしか考えられず、とにかく家に帰ることを目標に動いていました。無事に帰宅した翌日、テレビを観たら改めて大変な状況になっていると知り、多くの方が志半ばで亡くなったことをぼんやりと考えていたんですね。そのときに「自分もいつ死ぬかわからない」「このまま死ぬんだとしたらそんな人生、嫌だな」と思ったんです。また、「私、アフリカで仕事がしたかったんだよな」とも考えて。自分のやりたいことをこれ以上先延ばしにするのはやめようと決めて、そこから数か月間、NGOや在外の大使館などを中心に働けるポストを探して転職活動をしていました。
震災の経験を経て自分の生き方を見つめ直した仲本さん。26歳でメガバンクを退職後、笹川アフリカ協会(現ササカワ・アフリカ財団)へ入職すると、銀行員時代とは全く異なる生活が彼女を待っていた。
仲本:毎月一回、アフリカ出張へ行くような生活にガラりと変わりました。アフリカには10数か国行かせてもらっていたんですけど、特にウガンダがすごく素敵な国で。人もいいし、治安もさほど悪くなく「ここに住みたい」と思うようになりました。そんな中、2014年4月に上司から「ウガンダに駐在するか?」と言われて「やったー!」と喜び、その2か月後にはウガンダへ飛び立ったんです。現地では、平日にウガンダ全土を車で駆け巡り、農家を回って農業の指導をするようなNGOの仕事をしていました。土日には「自分はアフリカで何ができるのか」という想いのもと、色んな人に会ったり、様々な場所へ訪れたりしていたのですが、あるとき、友人がローカルマーケットへ連れて行ってくれたんですね。そこでウロウロしているとパッと目に飛び込んできたのが、アフリカンプリントを取り扱うお店でした。カラフルな布が床から天井まで積みあがり、壁一面を埋め尽くしていて「なにこれ!?」と友だちと吸い込まれるかのようにその部屋へ入っていき、「あの柄が可愛い!」などと盛り上がっているうちに、2~3時間その場に居座ったことを覚えています(笑)。
その後、私を訪ねて現地にやってきた他の友人たちもその布屋さんへ案内して、自分の好きな布柄選びを楽しんでもらっていたんですけど、みんな口を揃えて「かわいい」と言うんですよ。でも、当時の日本のファッションマーケットにおいて、アフリカンプリントがあまり出回っていなくて。「なんでこんなにみんなかわいいって言ってるのに日本にないんだろう?」と疑問に感じ、「これはビジネスになるかもしれない」と気付いたんですよね。
ウガンダの女性を巻き込んで始動したビジネス
アフリカンプリントにビジネスの可能性を感じた仲本さんは、2015年にRICCI EVERYDAYを設立。現在、同ブランドのアイテムはウガンダ共和国にある直営工房にて、仲本さん率いる現地で暮らす17名の女性と1名の男性が製造しているのだが、創業に際してどのように仲間集めを行ったのだろうか?仲本:私は縫製やデザインの勉強をしてこなかったので、自分では作れません。だから「誰かに作ってもらわなくてはいけない」と思い、人探しを始めたわけです。NGOでウガンダの農村部を巡って気付いたのが、女性が縁の下の力持ちになって家庭やコミュニティを支えているということ。この経験から、ビジネスを立ち上げるときは同国の女性を絶対に巻き込んで、彼女たちが輝く場所を作りたいと思っていました。そんな考えから誰か一緒にやってくれる女性はいないかと探していたら、友人がナカウチ・グレースというウガンダ人女性を紹介してくれて、家庭訪問をさせてもらったんです。彼女は4人の子どもを抱えたシングルマザーで、私と出会った頃は1か月10ドルしかもらえない仕事に就いて生活をやりくりしていました。彼女は子どもたちを大学まで進学させたい、健康に育ってほしいという気持ちがすごく強くて、自分の生活を変えようとしていたんです。
また、お家を案内してもらう中で、彼女が豚を買っていることがわかりました。その理由を尋ねると、豚一頭を育てると、子ども一人の一学期分の学費とほとんど同額で取引されるらしいんです。しかも、その豚からは7~8匹の子豚が生まれる。子豚は餌代をかけず、残飯さえ与えていれば大きく育てることができる。大きく育ったら、また子豚を産ませてもいいし、売って学費を納めてもいい。要するに彼女は豚を運用していたんですね。そのときに「この人は自分の事業に巻き込みたい」と思いました。しかし、残念ながら、彼女はミシンやデザインの技術は全く持っていなかったので、とにかくポテンシャル採用というか。やる気はあったからとりあえず参画してもらいました。その後、現地で青年海外協力隊として活動していた日本人の方から、別々に2人の女性を紹介してもらいました。一人はミシンでとても素敵に商品を作れる人、もう一人はレザーを綺麗に縫える人だったんです。この人たちと一緒ならいい商品ができるんじゃないかと思い、彼女たちも巻き込んで、小さな工房を借りてサンプルづくりをスタートしました。
日本とウガンダの“ものづくり”の違いに直面
立ち上げ時のメンバーは、ナカウチさんと2人の女性、そして仲本さんの計4名。日本とは文化や常識の異なるウガンダの人たちとものづくりをするには、やはり相応の苦労があったようだ。仲本:うちで働いている女性たちは都市部に暮らすシングルマザーや紛争から逃れてきた人たちなど様々な背景を持っているのですが、残念ながらそういった人たちがウガンダでまともな仕事に就くチャンスはゼロに近いです。そもそもこの国では若年層が就職できないという課題が大きく取り沙汰されていて。みんな自営業でタクシーの運転手や荷物を運ぶ仕事などをしているんですけど、本当に日銭暮らしなんですよね。だから、彼女たちにとっては仕事があること自体すごく有難いという感覚らしく、本当に一生懸命に丁寧に仕事に向き合ってくれているという印象を受けます。
あと、現地の人たちはモノが完成してしまえば、もうそれでOKで、「明日壊れてもお客様のほうで直しながら使ってください」というスタンスで仕事をしているんですけど、日本人の感覚からすると、明日壊れるようなモノはもはや商品ではありません。だから「それでは仕事として成り立っていない」という考え方を理解してもらうのが難しかったですね。最低でも1年、2年は使えるモノじゃないともはや商品ではないということを伝えると「え!?」と驚かれるんですけど、そのために必要な工夫や技術の話をすると、新しい知識を得られるチャンスに対して前向きな彼女たちは「すごい」「面白い」というふうに受け止めて、どんどん取り入れようとしてくれる。だから私たちは、日々品質を向上させることができているんだと思います。
日本で販路を拡大した、母・律枝さん
工房のあるウガンダを離れられない仲本さんに代わり、日本での販路開拓を担ったのが、母・仲本律枝さんだった。立ち上げ当時まだ無名のブランドだったにもかかわらず、地元静岡の大きな百貨店でのポップアップストア開催を取り付けた律枝さん。もともと敏腕キャリアウーマンだったのかと言えば、実はそうではないようだ。仲本:母は専業主婦として生きてきた人です。ビジネスのことは全くわからないだろうから、とにかく商品を販売してくれさえすればいいと思っていたのですが、その予想をいい意味で裏切ってくれました。たとえば、在庫を検品したり、納品書を書いて取りまとめたり。そういった業務を母は自分で考えてサクサクッとやっていて、すごいと感じました。それと、母は何週間も前から準備をして、当日あたふたすることなく迎える段取り力があったんですよね。でもそれって、専業主婦だからこそ持ち合わせている力のような気がするんですよ。私は四人きょうだいなんですけど、子どもが四人もいると、たとえば、誰がいつ風邪を引くかもわかりません。そのため、何が起こっても大丈夫なようにできることはどんどん先に進めていくという感覚で、ずっと主婦をしてきたと思うんです。その能力がビジネスに活かされているように感じました。
ウガンダの女性や実の母親を巻き込みながら展開されたRICCI EVERYDAYは、コロナ禍で打撃を受けたアパレル業界においても、順調に業績を伸ばしているという。では仲本さんは、ブランド成長の先にどんな未来を見据えているのだろうか。
仲本:ウガンダにおいてクラフトと呼ばれる手工芸品を作ることが一大産業になるように、様々な職人さんを巻き込みながら商品づくりをしていきたいと思っています。今までは私たちRICCI EVERYDAYの工房の中だけでバッグやお洋服を作ってきたわけですが、ウガンダには、たとえばレザーを使ってバッグを作る人たちや、ユネスコ無形文化遺産に登録されている樹皮布「バーククロス」でお洋服に仕立てる技術者がいるのですが、そういった職人さんたちを巻き込みながら日本含む世界のお客さまと繋いでいき、いつか「ウガンダ=ものづくりで有名な国」と認知されるくらい、クラフト産業を活性化させていきたいです。
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