キーボーディスト、プロデューサーのKan Sanoが、J-WAVEでSKY-HIと対談。Sanoが、自身の音楽のルーツなどについて語った。
Kan Sanoが登場したのは、J-WAVEで放送中の番組『DIVE TO THE NEW WORLD』(ナビゲーター:SKY-HI)。オンエアは4月22日(土)。
SKY-HI:幼少期はどんな感じだったんですか? 鍵盤弾きの方はおしなべてみなさん幼少期に鍵盤に触り出すと思うんですが。
Sano:僕はピアノレッスンみたいなのをあまり受けていなかったので、独学でやり始めて。だからいわゆるピアニストの人たちとちょっと違っていて、最初はギターから始めたんですよね。ギターを弾きながら自分もちょっと曲を書いて歌うみたいな。Mr.Childrenとかザ・ビートルズとかそういうのに憧れていたので。それが小学校5、6年とかですね。
SKY-HI:小学校5、6年でギターを手にして歌うって、わりとハードル高くないですか?
Sano:うん、周りに全然そういう友だちもいないし、しかも本当に神奈川の田舎に住んでいたので。Jリーグとかサッカーがはやっていて、僕もけっこうスポーツが好きだったんですけど、音楽をやるようになって一気にそっちにシフトして、いまに至るという感じですね。
SKY-HI:最初に「音楽だ!」ってハマった原体験はなんですか?
Sano:はっきり覚えているのは、小学校5年生の遠足の帰りのバスのなかで、女子生徒たちがミスチルをかけたんですよね。そのときサザンオールスターズの『涙のキッス』とか槇原敬之の『SPY』とかいろいろかけていたんですけど、ミスチルの『innocent world』をかけたときに「これすごい」「この曲なんだ、ヤバいぞ」みたいな。そのときに初めて音楽に「あ、これいいかも」と思って。
SKY-HI:なるほど。
Sano:それで家に帰ってから親に言ってCDショップに連れて行ってもらって、初めて買ったのがCDシングル『innocent world』です。それが始まりと言えば始まりです。
SKY-HI:そのときに「職業にしよう」みたいなことも思っていたんですか?
Sano:思っていました。だから小学校の卒アルにも「将来の夢はミュージシャンになる」と書いていました。
SKY-HI:いいなあ。そのときにバンドを組もうとはならなかったんですか?
Sano:バンドを組みたかったんですけど、メンバーがいなかったので。だから音楽に興味もない友だちをいっぱい集めて「お前ちょっとタンバリンやってくれ」みたいな感じでやらせたりしていましたけど(笑)。
SKY-HI:自分よりちょっと(年齢が)下になってくると、そういうアーティストがボカロPになっていったというのが流れとしてあると思っていて。パッと浮かぶのは米津玄師さん。Kan Sanoさんはそのまま楽器の演奏を極めていく方向にいったんですね。
Sano:楽器は1人でずっと弾いていて。高校2年とか3年ぐらいになってくると、地元の大学のジャズ研の人とかとバンドをやるようになって。そのころはけっこうライブをやっていました。
SKY-HI:そこくらいから、なんとなくみんなが知っているKan Sanoができあがりつつあると。
Sano:確かにいまにつながっていますね。
SKY-HI:正直な話、自分はけっこう近くて。
Sano:一緒だ。2022年に『Tokyo State Of Mind』というアルバムを作って、その前は『Susanna』というアルバムなんですけど、もう『Susanna』ぐらいから恥ずかしいですね。
SKY-HI:俺も最近出したやつは自分でも気に入っていて「いいな」と思っているんですけど、2作前はギリかなあ。3作前とかはちょっとしんどいところがありますね。
Sano:そこは完全に一緒です。
SKY-HI:ちょっとうれしいな、あまりそういう方に会わなかったので。もちろんラッパーとか「出るころには自分のなかで古くなっちゃっている」という悩みの人もいますけど。
Sano:それもありますよね。そのタイムラグがしんどいみたいなね。だからあまり昔の作品は聴かないですよね。
SKY-HI:そうなっちゃいますよね。そのなかでも聴けるお気に入りはあると思いますけど。
Sano:たしかにありますね。たとえば3つ前の『Ghost Notes』というアルバムの『My Girl』は、いまでもライブでやっていて、『My Girl』はそういう恥ずかしさがあまりなくて、どちらかというと、僕のなかではジャズスタンダードみたいになっているんです。「昔の誰かが作ったヒット曲」みたいな感じになっていて。だから自分から完全に離れているというか、自分が作った感じがしないというか。
SKY-HI:だとしたら自立が早すぎないですか(笑)。それこそミスチルが20年前の曲で「もうみんなのものになっちゃった」というのはわかるんですけど。
Sano:4年前かな。早いですかね?
SKY-HI:たぶん早いです(笑)。
Sano:その感覚はあまりないですか?
SKY-HI:自意識なのでその感覚はあまりないかも。リリックが自分のことだから、日記を読み返す感覚はありますね。
Sano:たぶんリリックの内容にもよるんだと思う。
SKY-HI:確かに。
Sano:なかなかチャレンジな仕事でした。だって山下達郎さんの曲をさかいゆうさんと僕がカバーするって、ハードル上げすぎというか「そんな大変な仕事ある?」と思いながら(笑)。自分が本当に好きで影響を受けているアーティストだし、好きな曲だし、めっちゃ有名な曲だし。
SKY-HI:山下達郎さんをKan Sanoさんがやるって大変だろうなという気はすごくしました。原曲との距離感というか。台本に(書かれている質問で)「自分がやりたいことをすでに達郎さんがやっていたことに気づいた、と語られていますが、Kan Sanoさんと達郎さんが共通してやりたかったことはなんですか?」と。
Sano:ハーモニーの感覚とかがいちばん大きいですけど、僕がやっているようなコードの押さえかた、テンションノートとかジャズやソウルで使われているような音使いをするんですけど、それが‘70年代とか、昔の日本のフォークとかの時代って、そういうハーモニーはなかったんですけど、達郎さんとかユーミンさんが出てきて、そういうハーモニーがどんどん使われるようになって。僕はフェンダーローズという楽器をよく使うんですけど、そういう楽器の使い方とか、そういう洋楽から学んだものを日本のポップスのなかで使うみたいな。
SKY-HI:すごく近似値が高いのはわかる気がします。
Sano:それを何十年も前からやっていたという。
SKY-HI:かつてのオールディーズ日本の音楽のクオリティというか、ワールドクラスクオリティのすごさに最近驚愕しています。
Sano:だからレコードを作るのが好きなんですよね。ライブだとその場で終わっちゃうけど、レコードはずっと残っていくので。時代とともに評価も変わるし。作った音楽はずっと同じなんですけど、時代が変わると聴かれ方が変わっていくので。いまは物理的にサブスクで聴いたりとかそういうリスニング環境の変化もあるし。そういうなかでずっとレコードって残っていくから、それはいいですよね。
SKY-HI:確かに。レガシーですもんね。そのとき作っていた人は、作曲、プレス、流通全員、こんなことになるとは思ってないわけですからね(笑)。
Sano:絶対に思ってないと思う(笑)。
SKY-HI:僕、中1、中2のときにグリーン・デイがすごく好きだったんです。コロナ禍を経て、20年を経てブームが再燃しているんですけど、そういうことはあります? 中学生のときに聴いていたものの再ブームとか。
Sano:30代に入ってからめちゃくちゃありますね。30代前半で、10代~20代前半のころハマっていたものにもう1回ハマるみたいな。
SKY-HI:まったく一緒じゃないですか(笑)。
Sano:僕はそこにあまりとどまりすぎるのはよくないなと思って。新しい音楽をあまり聴かなくなっていた時期があって、昔のものばかり聴いて、最近のものとかチェックしなくなった時期があって、それはよくないなと思って。それはどちらかというといまもそうなのかな? だから新しいものを意識的に聴くようにしているんです。毎月サブスクチェックしてプレイリストを作って気に入った曲を入れておいて車で聴くみたいな。
SKY-HI:めっちゃわかる(笑)。どっちかわからなくなるときがたまにあります。すごく聴きたくて聴いているものがスタートで、ずっとそのはずなんだけど、心のどこかに「新譜聴かなきゃ、チェックしなきゃ」という気持ちはないかなとモヤッとするときがあります。
Sano:昔好きだったものって放っておいても聴き返すんですけど、新譜は意識して聴くようにしています。それが30代に入ってからです。10代のころに自分に刺さった「これかっこいいな」と思ったものって、いま聴いてもかっこいいんです。
SKY-HI:抜けないですよね。
Kan Sanoの最新情報は、公式サイトまで。
『DIVE TO THE NEW WORLD』は国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”していくプログラム。放送は毎週土曜23時から。
Kan Sanoが登場したのは、J-WAVEで放送中の番組『DIVE TO THE NEW WORLD』(ナビゲーター:SKY-HI)。オンエアは4月22日(土)。
音楽の原体験はミスチルだった
SKY-HIがKan Sanoの音楽ルーツにせまった。SKY-HI:幼少期はどんな感じだったんですか? 鍵盤弾きの方はおしなべてみなさん幼少期に鍵盤に触り出すと思うんですが。
Sano:僕はピアノレッスンみたいなのをあまり受けていなかったので、独学でやり始めて。だからいわゆるピアニストの人たちとちょっと違っていて、最初はギターから始めたんですよね。ギターを弾きながら自分もちょっと曲を書いて歌うみたいな。Mr.Childrenとかザ・ビートルズとかそういうのに憧れていたので。それが小学校5、6年とかですね。
SKY-HI:小学校5、6年でギターを手にして歌うって、わりとハードル高くないですか?
Sano:うん、周りに全然そういう友だちもいないし、しかも本当に神奈川の田舎に住んでいたので。Jリーグとかサッカーがはやっていて、僕もけっこうスポーツが好きだったんですけど、音楽をやるようになって一気にそっちにシフトして、いまに至るという感じですね。
SKY-HI:最初に「音楽だ!」ってハマった原体験はなんですか?
Sano:はっきり覚えているのは、小学校5年生の遠足の帰りのバスのなかで、女子生徒たちがミスチルをかけたんですよね。そのときサザンオールスターズの『涙のキッス』とか槇原敬之の『SPY』とかいろいろかけていたんですけど、ミスチルの『innocent world』をかけたときに「これすごい」「この曲なんだ、ヤバいぞ」みたいな。そのときに初めて音楽に「あ、これいいかも」と思って。
SKY-HI:なるほど。
Sano:それで家に帰ってから親に言ってCDショップに連れて行ってもらって、初めて買ったのがCDシングル『innocent world』です。それが始まりと言えば始まりです。
SKY-HI:そのときに「職業にしよう」みたいなことも思っていたんですか?
Sano:思っていました。だから小学校の卒アルにも「将来の夢はミュージシャンになる」と書いていました。
SKY-HI:いいなあ。そのときにバンドを組もうとはならなかったんですか?
Sano:バンドを組みたかったんですけど、メンバーがいなかったので。だから音楽に興味もない友だちをいっぱい集めて「お前ちょっとタンバリンやってくれ」みたいな感じでやらせたりしていましたけど(笑)。
SKY-HI:自分よりちょっと(年齢が)下になってくると、そういうアーティストがボカロPになっていったというのが流れとしてあると思っていて。パッと浮かぶのは米津玄師さん。Kan Sanoさんはそのまま楽器の演奏を極めていく方向にいったんですね。
Sano:楽器は1人でずっと弾いていて。高校2年とか3年ぐらいになってくると、地元の大学のジャズ研の人とかとバンドをやるようになって。そのころはけっこうライブをやっていました。
SKY-HI:そこくらいから、なんとなくみんなが知っているKan Sanoができあがりつつあると。
Sano:確かにいまにつながっていますね。
自身の曲は聴き返せなくなるタイプ
「どのくらい経つと、自分が作った曲を聴き返すのが恥ずかしくなる?」という話題になった。SKY-HI:正直な話、自分はけっこう近くて。
Sano:一緒だ。2022年に『Tokyo State Of Mind』というアルバムを作って、その前は『Susanna』というアルバムなんですけど、もう『Susanna』ぐらいから恥ずかしいですね。
SKY-HI:俺も最近出したやつは自分でも気に入っていて「いいな」と思っているんですけど、2作前はギリかなあ。3作前とかはちょっとしんどいところがありますね。
Sano:そこは完全に一緒です。
SKY-HI:ちょっとうれしいな、あまりそういう方に会わなかったので。もちろんラッパーとか「出るころには自分のなかで古くなっちゃっている」という悩みの人もいますけど。
Sano:それもありますよね。そのタイムラグがしんどいみたいなね。だからあまり昔の作品は聴かないですよね。
SKY-HI:そうなっちゃいますよね。そのなかでも聴けるお気に入りはあると思いますけど。
Sano:たしかにありますね。たとえば3つ前の『Ghost Notes』というアルバムの『My Girl』は、いまでもライブでやっていて、『My Girl』はそういう恥ずかしさがあまりなくて、どちらかというと、僕のなかではジャズスタンダードみたいになっているんです。「昔の誰かが作ったヒット曲」みたいな感じになっていて。だから自分から完全に離れているというか、自分が作った感じがしないというか。
SKY-HI:だとしたら自立が早すぎないですか(笑)。それこそミスチルが20年前の曲で「もうみんなのものになっちゃった」というのはわかるんですけど。
Sano:4年前かな。早いですかね?
SKY-HI:たぶん早いです(笑)。
Sano:その感覚はあまりないですか?
SKY-HI:自意識なのでその感覚はあまりないかも。リリックが自分のことだから、日記を読み返す感覚はありますね。
Sano:たぶんリリックの内容にもよるんだと思う。
SKY-HI:確かに。
山下達郎のやってきたこと、Kan Sanoのやりたいこと─共通点は?
Kan Sanoは2022年にさかいゆうとともに、名曲『プラスティック・ラブ』『SPARKLE』などをカバーしたアルバム『CITY POP LOVERS』に参加した。当時の心境を振り返る。Sano:なかなかチャレンジな仕事でした。だって山下達郎さんの曲をさかいゆうさんと僕がカバーするって、ハードル上げすぎというか「そんな大変な仕事ある?」と思いながら(笑)。自分が本当に好きで影響を受けているアーティストだし、好きな曲だし、めっちゃ有名な曲だし。
SKY-HI:山下達郎さんをKan Sanoさんがやるって大変だろうなという気はすごくしました。原曲との距離感というか。台本に(書かれている質問で)「自分がやりたいことをすでに達郎さんがやっていたことに気づいた、と語られていますが、Kan Sanoさんと達郎さんが共通してやりたかったことはなんですか?」と。
Sano:ハーモニーの感覚とかがいちばん大きいですけど、僕がやっているようなコードの押さえかた、テンションノートとかジャズやソウルで使われているような音使いをするんですけど、それが‘70年代とか、昔の日本のフォークとかの時代って、そういうハーモニーはなかったんですけど、達郎さんとかユーミンさんが出てきて、そういうハーモニーがどんどん使われるようになって。僕はフェンダーローズという楽器をよく使うんですけど、そういう楽器の使い方とか、そういう洋楽から学んだものを日本のポップスのなかで使うみたいな。
SKY-HI:すごく近似値が高いのはわかる気がします。
Sano:それを何十年も前からやっていたという。
SKY-HI:かつてのオールディーズ日本の音楽のクオリティというか、ワールドクラスクオリティのすごさに最近驚愕しています。
Sano:だからレコードを作るのが好きなんですよね。ライブだとその場で終わっちゃうけど、レコードはずっと残っていくので。時代とともに評価も変わるし。作った音楽はずっと同じなんですけど、時代が変わると聴かれ方が変わっていくので。いまは物理的にサブスクで聴いたりとかそういうリスニング環境の変化もあるし。そういうなかでずっとレコードって残っていくから、それはいいですよね。
SKY-HI:確かに。レガシーですもんね。そのとき作っていた人は、作曲、プレス、流通全員、こんなことになるとは思ってないわけですからね(笑)。
Sano:絶対に思ってないと思う(笑)。
SKY-HI:僕、中1、中2のときにグリーン・デイがすごく好きだったんです。コロナ禍を経て、20年を経てブームが再燃しているんですけど、そういうことはあります? 中学生のときに聴いていたものの再ブームとか。
Sano:30代に入ってからめちゃくちゃありますね。30代前半で、10代~20代前半のころハマっていたものにもう1回ハマるみたいな。
SKY-HI:まったく一緒じゃないですか(笑)。
Sano:僕はそこにあまりとどまりすぎるのはよくないなと思って。新しい音楽をあまり聴かなくなっていた時期があって、昔のものばかり聴いて、最近のものとかチェックしなくなった時期があって、それはよくないなと思って。それはどちらかというといまもそうなのかな? だから新しいものを意識的に聴くようにしているんです。毎月サブスクチェックしてプレイリストを作って気に入った曲を入れておいて車で聴くみたいな。
SKY-HI:めっちゃわかる(笑)。どっちかわからなくなるときがたまにあります。すごく聴きたくて聴いているものがスタートで、ずっとそのはずなんだけど、心のどこかに「新譜聴かなきゃ、チェックしなきゃ」という気持ちはないかなとモヤッとするときがあります。
Sano:昔好きだったものって放っておいても聴き返すんですけど、新譜は意識して聴くようにしています。それが30代に入ってからです。10代のころに自分に刺さった「これかっこいいな」と思ったものって、いま聴いてもかっこいいんです。
SKY-HI:抜けないですよね。
Kan Sanoの最新情報は、公式サイトまで。
『DIVE TO THE NEW WORLD』は国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”していくプログラム。放送は毎週土曜23時から。
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2023年4月29日28時59分まで
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番組情報
- DIVE TO THE NEW WORLD
-
毎週土曜23:00-23:54