アーティスト、僧侶、LGBTQ+活動家として活躍する西村宏堂さんが、僧侶になった経緯やLGBTQ+の活動を始めたきっかけ、これからのビジョンなどについて語った。
西村さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
西村:パーソンズは色々な国の留学生が集まる学校でした。バーレーン、クウェート、コスタリカ、プエルトリコ、南アフリカ、ミャンマーなど……。一人ひとり価値観も、表現するものもバラバラで、ファッションだってそれぞれ全然違っていました。たとえば、金髪と赤いリップに白いドレスのマリリンモンローみたいな格好の子もいれば、カチカチ音がするタップシューズを履いてくる子もいた。そんなふうに、毎日がファッションショーみたいで、個性をどれだけ爆発させられるかの勝負をしているようで、すごく楽しかったですね。
当時の私はファインアートの学部に在籍し、絵を描いたり、彫刻を作ったり、パフォーマンスアートをやったりしていました。入学当初は、どういう将来に進みたいか明確には見えていませんでしたが、3年生のときにミスユニバースの世界大会でメイクをなさっていたメイクアップアーティストさんのアシスタントになる機会があって。そのときに、人の顔にメイクをし、一人ひとりの変化を助けることが自分にとってのアートではないかと思ったんです。幼稚園の頃から、私は「お姫様ごっこ」が好きでしたし、ほかの人を美しく自信が持てるように励ますことも好きでした。なので、自分が昔から好きだったことと、学んでいたアートとメイクが融合した方向に進んでいったんですよね。
パーソンズでファインアートを専攻する一方、学校の外では撮影やショーの現場でメイクの勉強に勤しんでいたという西村さん。その努力が実を結び、のちにミス・ユニバースのメイクチームに参加。そして、ミスUSA、ミス・ユニバース、ミス・ユニバース ジャパンのメイク指導から大会でのメイクまでを手掛ける、“美のエキスパート”として辣腕を振るうことになった。
西村:子どもの頃、男の子たちがみんなの前で、恥ずかしがらずに着替えていることが納得がいきませんでした。「子どもだからって恥ずかしくないなんて思わないでほしい」と抗議するかのように、机の下かカーテンにくるまって着替えたのを覚えています。そこから小学校に上がると、呼び方が「こうどうちゃん」から「西村くん」に変わり、自分らしさが失われてしまったような気がしました。「男の子」と見られるようになって、自分が本当の自分じゃないところにいってしまうのではないかという戸惑いがありましたね。
特につらかったのが、給食のあとの時間。みんな外へ遊びに行って教室には私一人だけ。「私って楽しい人間のはずなのに、なんでこんな寂しい思いをしなきゃいけないんだろう」と、胸がキューッとなるようなつらさを感じました。そんなときはお絵描きをしたり、「自分はおかしくないんだ」と言い聞かせたりして、なんとかその場をしのいでいました。
実家がお寺で、家業を継ぐ選択肢も用意されていたものの、小さい頃からディズニープリンセスやセーラームーンに憧れていたこともあり、「髪を剃るなんて絶対に嫌!」と思っていたという西村さん。そんな仏教に拒否反応を示していた彼を変えたのは、母親のある一言だった。
西村:母の言った「モーツァルトが嫌いなのであれば、モーツァルトの曲をしっかりと勉強し、自分で弾けるようになった上で、どこが嫌いか指摘するべき。それをせずに『嫌い』と言うのは偏見に過ぎないし、意味のない批判だよ」という話を思い出しました。私は今まで、周りの人から「お坊さんだから髪剃るんじゃないの?」「お経の練習してるの?」と期待されるのが嫌で、そのせいもあって、仏教について食わず嫌いになっていました。ですが、母からこのように言われ、たしかに勉強してみないとわからないなと思い、修行に参加することにしたんです。
西村:たとえば、香炉をまたぎ、煙で身体を清めてからお堂に入るという作法があるのですが、男性は左足でまたぎ、女性は右足でまたぐんですね。そのため、「私はどっちでやればいいんだろう?」と悩みました。また、そもそも同性愛者が僧侶になっていいのかとも考えていて。それに、私はメイクをしたり、キラキラしたものを身につけることが好きなんですけど、僧侶の戒律の中に「着飾ってはいけない」という文言があるので、そういったことはもうできないのかと不安に思っていました。
そんなことを考えているうちに修行も佳境になり、みんなから尊敬されている僧侶の先生が教えにいらっしゃいました。そこで、その先生に自分の疑問をぶつけてみることにしました。まず香炉の作法に関して伺ったところ、「作法は教えのあとにできたもの。あくまでも大事なのは、『皆が平等に救われる』という法然上人の教えなので、右でも左でも好きなほうでいいですよ」とお答えいただきました。次に、同性愛者であることも「まったく問題ないです」とおっしゃいました。最後にキラキラしたものを身に着けることについて伺ったのですが、「僧侶の姿は時代とともに進化していて、現在お坊さんの中にはお医者さんもいれば、教師もいる。そういう人たちは白衣を着たり、腕時計を巻いたりしている。皆が平等に救われるという教えを伝えられるのであれば、たとえ、キラキラしているものを身に着けていたとしても、腕時計をしていることと何が違いましょうか」とおっしゃっていただきました。
先生のお話を聞き、「自分らしくいていいんだ」と安心しましたし、何よりも、伝統や慣習にとらわれず本当に大事なことをやっていこうとする浄土宗の指導者の寛容さを感じました。こういった宗派なのであれば、安心して僧侶になれると思いましたね。
西村:私がLGBTQ+の活動をするようになったのは、「増上寺で浄土宗のLGBTQ+シンポジウムをやるから公演をしてほしい」と依頼されたことがきっかけです。そのときは、自分が同性愛者であると公表することに躊躇いがありました。父もまた、私が同性愛者であると広く周知することで、仏教のコミュニティーからよく思われないのではないかと心配し、「シンポジウムには出演しないほうがいいのではないか」と言われました。でも、私のような同性愛者がセクシュアリティを恥ずかしいものであると隠していたら、日本は変わっていかない。同性愛者がどんなことに悩み、どんなことを望んでいるのか伝えていかなければ、LGBTQ+の方々をとりまく環境は何も変わらないと思い、お引き受けすることにしました。そこから今の活動を開始したわけです。
かつて僧侶の修行をしていた頃は「お坊さんとして役割があるのか」と自分の価値に疑問を感じていましたが、仏教の教えと絡めてLGBTQ+の発信をすることであれば全然できるし、むしろ今は「私だからこそできること」だと感じています。
“ハイヒールを履いたお坊さん”の行動力とメッセージは世界各地へ広がりを見せ、2021年には米TIME誌の「次世代リーダー」に選出されている。そんな西村さんにとっての「未来への挑戦」とは。
西村:私は自分のことをシンデレラの魔法使いのおばあさん、もしくは、メリー・ポピンズみたいな人間だと思っているんです。というのも、変化が必要な人、気付かなければいけないことがある人のもとへ舞い降りていき、メイクや仏教の教えや美しさを通じて、その人の可能性を開いてあげたり、応援したりすることが好きなんですよね。今までそういった活動は、著書を通して行ってきましたが、これからは自分の番組をはじめとした映像コンテンツでも伝えていきたいですし、あとは、絵本も描いてみたい。そんなふうに、発信の方法を楽しく、そして自分らしく広げていけたらと思っています。
『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を聞く。オンエアは毎週土曜 11:00-11:30。公式サイトはこちら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。
(構成=小島浩平)
西村さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
NYの美術大学へ留学─個性が輝く世界だった
東京の街を走り出した「BMW i4 eDrive40i M Sport」。車窓に流れる都内のビル群を眺めながら西村さんは、二十歳のときにニューヨークへ渡って入学した母校「パーソンズ美術大学」での日々を回顧する。当時の私はファインアートの学部に在籍し、絵を描いたり、彫刻を作ったり、パフォーマンスアートをやったりしていました。入学当初は、どういう将来に進みたいか明確には見えていませんでしたが、3年生のときにミスユニバースの世界大会でメイクをなさっていたメイクアップアーティストさんのアシスタントになる機会があって。そのときに、人の顔にメイクをし、一人ひとりの変化を助けることが自分にとってのアートではないかと思ったんです。幼稚園の頃から、私は「お姫様ごっこ」が好きでしたし、ほかの人を美しく自信が持てるように励ますことも好きでした。なので、自分が昔から好きだったことと、学んでいたアートとメイクが融合した方向に進んでいったんですよね。
パーソンズでファインアートを専攻する一方、学校の外では撮影やショーの現場でメイクの勉強に勤しんでいたという西村さん。その努力が実を結び、のちにミス・ユニバースのメイクチームに参加。そして、ミスUSA、ミス・ユニバース、ミス・ユニバース ジャパンのメイク指導から大会でのメイクまでを手掛ける、“美のエキスパート”として辣腕を振るうことになった。
セクシュアリティを隠さないと…幼少期に抱いた葛藤
ニューヨークでの思い出話に花を咲かせているうちに、西村さんを乗せた車は、港区南麻布の「有栖川宮記念公園」に到着。東京生まれで、近隣の幼稚園へ通っていた西村さんにとってこの公園は、思い出が詰まったなじみ深い場所だ。懐かしい空間に足を踏み入れ、幼稚園のあとに毎日遊びに来ていたこと、隣接するアイスクリーム店で母親からいつもアイスを買ってもらっていたことなど、幼少期の記憶が蘇る。そんな中、「子どもの頃、私は自分のセクシュアリティをとにかく隠さなきゃいけないと思っていました」と、自身の性と向き合い始めた頃のエピソードも披露してくれた。西村:子どもの頃、男の子たちがみんなの前で、恥ずかしがらずに着替えていることが納得がいきませんでした。「子どもだからって恥ずかしくないなんて思わないでほしい」と抗議するかのように、机の下かカーテンにくるまって着替えたのを覚えています。そこから小学校に上がると、呼び方が「こうどうちゃん」から「西村くん」に変わり、自分らしさが失われてしまったような気がしました。「男の子」と見られるようになって、自分が本当の自分じゃないところにいってしまうのではないかという戸惑いがありましたね。
特につらかったのが、給食のあとの時間。みんな外へ遊びに行って教室には私一人だけ。「私って楽しい人間のはずなのに、なんでこんな寂しい思いをしなきゃいけないんだろう」と、胸がキューッとなるようなつらさを感じました。そんなときはお絵描きをしたり、「自分はおかしくないんだ」と言い聞かせたりして、なんとかその場をしのいでいました。
「髪を剃るなんて絶対に嫌!」-そこから僧侶になった理由
次に向かったのは、港区芝公園に建つ名刹・増上寺。メイクアップアーティストとして既に世界的な評価を受けていた西村さんが、2015年に浄土宗の僧侶となるべく修行を積んだ場所だ。実家がお寺で、家業を継ぐ選択肢も用意されていたものの、小さい頃からディズニープリンセスやセーラームーンに憧れていたこともあり、「髪を剃るなんて絶対に嫌!」と思っていたという西村さん。そんな仏教に拒否反応を示していた彼を変えたのは、母親のある一言だった。
西村:母の言った「モーツァルトが嫌いなのであれば、モーツァルトの曲をしっかりと勉強し、自分で弾けるようになった上で、どこが嫌いか指摘するべき。それをせずに『嫌い』と言うのは偏見に過ぎないし、意味のない批判だよ」という話を思い出しました。私は今まで、周りの人から「お坊さんだから髪剃るんじゃないの?」「お経の練習してるの?」と期待されるのが嫌で、そのせいもあって、仏教について食わず嫌いになっていました。ですが、母からこのように言われ、たしかに勉強してみないとわからないなと思い、修行に参加することにしたんです。
修行の中で学んだ、浄土宗の寛容さ「自分らしくいていいんだ」
こうして踏み出した僧侶への第一歩。しかし、男女で作法が異なる修行の内容に、「男性でもあり女性でもある」という認識を持つ西村さんは頭を悩ませることになる。西村:たとえば、香炉をまたぎ、煙で身体を清めてからお堂に入るという作法があるのですが、男性は左足でまたぎ、女性は右足でまたぐんですね。そのため、「私はどっちでやればいいんだろう?」と悩みました。また、そもそも同性愛者が僧侶になっていいのかとも考えていて。それに、私はメイクをしたり、キラキラしたものを身につけることが好きなんですけど、僧侶の戒律の中に「着飾ってはいけない」という文言があるので、そういったことはもうできないのかと不安に思っていました。
そんなことを考えているうちに修行も佳境になり、みんなから尊敬されている僧侶の先生が教えにいらっしゃいました。そこで、その先生に自分の疑問をぶつけてみることにしました。まず香炉の作法に関して伺ったところ、「作法は教えのあとにできたもの。あくまでも大事なのは、『皆が平等に救われる』という法然上人の教えなので、右でも左でも好きなほうでいいですよ」とお答えいただきました。次に、同性愛者であることも「まったく問題ないです」とおっしゃいました。最後にキラキラしたものを身に着けることについて伺ったのですが、「僧侶の姿は時代とともに進化していて、現在お坊さんの中にはお医者さんもいれば、教師もいる。そういう人たちは白衣を着たり、腕時計を巻いたりしている。皆が平等に救われるという教えを伝えられるのであれば、たとえ、キラキラしているものを身に着けていたとしても、腕時計をしていることと何が違いましょうか」とおっしゃっていただきました。
先生のお話を聞き、「自分らしくいていいんだ」と安心しましたし、何よりも、伝統や慣習にとらわれず本当に大事なことをやっていこうとする浄土宗の指導者の寛容さを感じました。こういった宗派なのであれば、安心して僧侶になれると思いましたね。
2021年には米TIME誌の「次世代リーダー」に選出
LGBTQ+活動家としてこれまでニューヨーク国連人口基金本部、イエール大学、スタンフォード大学、増上寺などで講演を行ってきた西村さんだが、活動を始めるにあたり葛藤もあったようだ。西村:私がLGBTQ+の活動をするようになったのは、「増上寺で浄土宗のLGBTQ+シンポジウムをやるから公演をしてほしい」と依頼されたことがきっかけです。そのときは、自分が同性愛者であると公表することに躊躇いがありました。父もまた、私が同性愛者であると広く周知することで、仏教のコミュニティーからよく思われないのではないかと心配し、「シンポジウムには出演しないほうがいいのではないか」と言われました。でも、私のような同性愛者がセクシュアリティを恥ずかしいものであると隠していたら、日本は変わっていかない。同性愛者がどんなことに悩み、どんなことを望んでいるのか伝えていかなければ、LGBTQ+の方々をとりまく環境は何も変わらないと思い、お引き受けすることにしました。そこから今の活動を開始したわけです。
かつて僧侶の修行をしていた頃は「お坊さんとして役割があるのか」と自分の価値に疑問を感じていましたが、仏教の教えと絡めてLGBTQ+の発信をすることであれば全然できるし、むしろ今は「私だからこそできること」だと感じています。
西村:私は自分のことをシンデレラの魔法使いのおばあさん、もしくは、メリー・ポピンズみたいな人間だと思っているんです。というのも、変化が必要な人、気付かなければいけないことがある人のもとへ舞い降りていき、メイクや仏教の教えや美しさを通じて、その人の可能性を開いてあげたり、応援したりすることが好きなんですよね。今までそういった活動は、著書を通して行ってきましたが、これからは自分の番組をはじめとした映像コンテンツでも伝えていきたいですし、あとは、絵本も描いてみたい。そんなふうに、発信の方法を楽しく、そして自分らしく広げていけたらと思っています。
『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を聞く。オンエアは毎週土曜 11:00-11:30。公式サイトはこちら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。
(構成=小島浩平)
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