手話通訳を取り入れるライブでの難しさや工夫などを、思い出野郎Aチームの高橋 一と手話通訳者のペン子が語った。
2人が登場したのはJ-WAVEで放送された番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。オンエアは12月8日(木)。
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あっこゴリラ:思い出野郎Aチームのライブで手話通訳を担当しているのがペン子さんなんですよね。それを2021年のライブからやられていると。
高橋:2021年の年末から今年もやるライブはペン子さんにずっと帯同していただいています。
あっこゴリラ:日本の音楽ライブでの手話通訳はまだ少ないと思うんですけど、そもそも手話通訳をライブに取り入れようと思ったきっかけって何だったんですか。
高橋:コロナ禍で長い間ライブができなくなってたんですけど、去年の11月に久しぶりにワンマンライブをやろうってことになったときにせっかくだからサポートミュージシャンを加えてデラックス編成にすることになったんです。そのときに僕らが所属するレーベルのスタッフが「手話通訳とかどう?」みたいに軽くぱっと訊かれて、前から海外ではヒップホップのライブだったりで(手話通訳があることは知っていて)。
あっこゴリラ:ケンドリック・ラマーとかチャンス・ザ・ラッパーとかのライブで手話通訳がいるみたいですよね。
高橋:自分たちがやるって発想がなかったけど、軽い気持ちで何の当てもなくどうやってやったらいいかも分からないままとりあえず決めて、それで手話通訳が始まりました。
手話通訳を入れると決めた思い出野郎Aチームは「なんとなくライブで同時通訳をしてくれるのでは」というイメージしか持ってなかったという。
高橋:いざライブで手話を付けてもらおうと思っていろんな手話通訳の方に相談しに行ったらいろんな問題が出てきた中で、運良くペン子さんに声を掛けていただき、そこからガッツリ入っていただきました。
あっこゴリラ:手話って簡単にすぐ訳せるものでもないと聞いたことがあるんですけど。
ペン子:日本語と日本手話って全く違う言語で文法とか語順も違うので、私たち手話通訳者は日本語を聞いて、1回頭の中で翻訳して手話の語順に合わせて出しています。
ペン子:自分の仕事が震災によってスケジュールが真っ白になっているときに、バンドマンが体ひとつで車に乗って被災地に支援にいっているのを見て、悔しくて。せっかく入りたかった音楽業界に入ったのに何もやれてないと思っていて、ふとテレビを見たら手話通訳の人が一生懸命に手を動かして何かを伝えていて、そのときにピンときて「これやりたい」「これで手話を覚えたら何かあったときに私も支援に行けるかもしれない」と思ってそこから始まりました。
あっこゴリラ:そこから楽曲を手話に落とし込んでいくことをやられてたんですか。
ペン子:最初は全くしてないですね。ただ手話通訳者になりたいってところから入って、自分が音楽の通訳をするとは思ってなかったです。それをやるようになったきっかけは2014年にthe HIATUSの日本武道館でやったライブに手話通訳として誘ってもらったことです。
あっこゴリラ:日常会話の手話と楽曲の手話って全く違うものですか。
ペン子:難しさが全然違いました。普通の会話を通訳するときも大変な苦労はあるんですけど、楽曲はメロディーもあるしテンポもあるから通訳するときに制約が多くて難しいんですよね。
高橋:だから、思い出野郎Aチームのライブで手話通訳を1年やってみて、まだまだ手探りというか課題も多いし、正直ろう者の方への完璧な情報のインフラにはまだできてないかもしれないですけど、少なくとも聴者で普段音楽を聴きにくる人たちに少しでも興味を持ってもらったりとか、手話通訳があるんだってことを知ってもらえるきっかけになればと思って進めています。
手話は国によって異なる。あっこゴリラは、例えば英語の歌詞はどのように日本手話に翻訳するのかとペン子に質問する。
ペン子:the HIATUSの楽曲を手話通訳したときは、ボーカルの細美武士さんが書いていただいた元々ある英語の歌詞の日本語の対訳をもとに手話に翻訳していきました。
あっこゴリラ:その作業ってすごく時間がかかりますか。
ペン子:かかりますね。
高橋:僕も初めて手話の対訳をしてもらうときに、意外と音楽の歌詞って音に頼っていたりとかダブルミーニングにしてたりするなって思いました。例えばダブルミーニングを手話で伝えるときは同時には2つの意味を言えないからどちらを伝えるかとか、そういうことを整理していかなきゃいけないので、全部手話通訳の方と相談しながら曲の解釈を詰めていきました。僕自身も何となく歌詞を書いていたりするものは、本当は何を伝えているんだとあらためて整理する機会になりました。
ペン子:まず日本語の歌詞をいったん手話に翻訳して、そのあと楽曲に合わせてその翻訳が尺に合うかとかそういうことを確認して、いろいろとやり直していくと、1曲これでいけると完成するまでに20日間くらいかかります。
高橋:最初は歌詞をタイプしてメールで送ると手話チームから「ここってどういう意味ですか?」とか「ここはどういう気持ちですか?」って細かい質問が返ってきて、それに僕が「ここはこういう気持ちです」とか返信して。あと風景の描写とかも例えば僕が「木を見ている」と歌ったとしたらそれは木の下から見上げてるのか、遠くから木を眺めているのかとかそういうことも含めて細かく解釈のピンとをお互いで合わせていきなら手話にしてもらっています。
あっこゴリラ:歌詞を書いたときは、そこまで考えずに書いたものもあったりとかするから。
高橋:結果的に本来の手話通訳をやってもらうこととは別で、自分も自分の制作とか歌詞を見つめる機会になりました。
あっこゴリラ:ペン子さんは曲のニュアンスとか解釈の仕方とかってどうやってるんですか。
ペン子:都度、こちらで歌詞を読んで曲をたくさん聴いて解釈を深めていく時間は持つんですけど、曲を書いた人の意思とか込められている思いから外れてしまうわけにはいかないので、歌詞の意味とかはきちんと確認をして、そのあとにどんどん繰り返し聴いて、自分の中に曲を染み込ませていってそこから翻訳のイメージを膨らませていっていますね。
あっこゴリラはライブに手話通訳を取り入れることで、表現の幅が広がっている気がすると話す。
高橋:聴者からしても奥行きが広がっているような気がするし、ステージ上から表現される言語が2つになるから、単純にパフォーマンスとしてもパワーが2倍になっているように思うんですよね。ただ一方でそれはあくまで僕たち聴者のことなので、ろう者の方からしたらもう少し情報のインフラとしてちゃんと必要なものだと思っています。ライブの手話通訳はダンスみたいだ、とか面白がるものでもないから。そこは情報としてやってもらうということではあるんですけど、ただすごく勉強不足だったから、実際に知ってみると興味深いことだったり、勉強になることだったり、単純に違う言語だけど同じテーマについて一緒に音に合わせてやることで、表現としてエネルギーが増えたことはあります。
最後に「目指すライブのかたち」について高橋とペン子がこう語る。
高橋:僕たちは2009年に多摩美術大学で結成して、今年で13年目になります。年齢を重ねて、ろう者の方に限らずいろんな人がいて、俺たちってものすごくマジョリティだったんだな、と感じました。だから、よりフラットに分け隔てなく楽しめるライブの場所にできればいいなと思っています。特に僕たちはソウルとかファンクが好きで影響を受けているから、そういう音楽を作ってきた人たちって差別と戦ったりとかいろんなことと戦いながらやってきたから、無関係じゃないと思っているので、そういうことも含めて第一歩として手話通訳の人に入ってもらったりもしているんですけど、今後はより多くの人に開かれた場所を作って、みんなが楽しめたらいいなと思います。
ペン子:日本の社会だと手話通訳ってまだまだ珍しい存在だったりして、特に音楽の現場だとまだ進んでいないので、今はとにかく一緒に活動をさせてもらって手話通訳に慣れてもらう、知ってもらう活動を続けていけたらと思っています。
思い出野郎Aチームは12月29日(木)に東京・Spotify O-EASTで開催のイベント「Erection -15th Anniversary Party」に出演。手話通訳としてペン子も参加する。
思い出野郎Aチームの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
J-WAVE『SONAR MUSIC』は、月~木の22:00-24:00にオンエア。
2人が登場したのはJ-WAVEで放送された番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。オンエアは12月8日(木)。
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日本語と日本手話は、言語として全く違う
BTSなど海外でもメジャーアーティストたちが手話通訳を取り入れているなか、昨年から思い出野郎Aチームもライブで手話通訳を取り入れたという。高橋:2021年の年末から今年もやるライブはペン子さんにずっと帯同していただいています。
あっこゴリラ:日本の音楽ライブでの手話通訳はまだ少ないと思うんですけど、そもそも手話通訳をライブに取り入れようと思ったきっかけって何だったんですか。
高橋:コロナ禍で長い間ライブができなくなってたんですけど、去年の11月に久しぶりにワンマンライブをやろうってことになったときにせっかくだからサポートミュージシャンを加えてデラックス編成にすることになったんです。そのときに僕らが所属するレーベルのスタッフが「手話通訳とかどう?」みたいに軽くぱっと訊かれて、前から海外ではヒップホップのライブだったりで(手話通訳があることは知っていて)。
あっこゴリラ:ケンドリック・ラマーとかチャンス・ザ・ラッパーとかのライブで手話通訳がいるみたいですよね。
高橋:自分たちがやるって発想がなかったけど、軽い気持ちで何の当てもなくどうやってやったらいいかも分からないままとりあえず決めて、それで手話通訳が始まりました。
手話通訳を入れると決めた思い出野郎Aチームは「なんとなくライブで同時通訳をしてくれるのでは」というイメージしか持ってなかったという。
高橋:いざライブで手話を付けてもらおうと思っていろんな手話通訳の方に相談しに行ったらいろんな問題が出てきた中で、運良くペン子さんに声を掛けていただき、そこからガッツリ入っていただきました。
あっこゴリラ:手話って簡単にすぐ訳せるものでもないと聞いたことがあるんですけど。
ペン子:日本語と日本手話って全く違う言語で文法とか語順も違うので、私たち手話通訳者は日本語を聞いて、1回頭の中で翻訳して手話の語順に合わせて出しています。
簡単にはいかない歌詞の手話通訳
ペン子が手話を始めたきっかけは2011年の東日本大震災だった。大学卒業後にライブハウスに就職したペン子。その矢先にこの震災が起こったという。ペン子:自分の仕事が震災によってスケジュールが真っ白になっているときに、バンドマンが体ひとつで車に乗って被災地に支援にいっているのを見て、悔しくて。せっかく入りたかった音楽業界に入ったのに何もやれてないと思っていて、ふとテレビを見たら手話通訳の人が一生懸命に手を動かして何かを伝えていて、そのときにピンときて「これやりたい」「これで手話を覚えたら何かあったときに私も支援に行けるかもしれない」と思ってそこから始まりました。
あっこゴリラ:そこから楽曲を手話に落とし込んでいくことをやられてたんですか。
ペン子:最初は全くしてないですね。ただ手話通訳者になりたいってところから入って、自分が音楽の通訳をするとは思ってなかったです。それをやるようになったきっかけは2014年にthe HIATUSの日本武道館でやったライブに手話通訳として誘ってもらったことです。
あっこゴリラ:日常会話の手話と楽曲の手話って全く違うものですか。
ペン子:難しさが全然違いました。普通の会話を通訳するときも大変な苦労はあるんですけど、楽曲はメロディーもあるしテンポもあるから通訳するときに制約が多くて難しいんですよね。
高橋:だから、思い出野郎Aチームのライブで手話通訳を1年やってみて、まだまだ手探りというか課題も多いし、正直ろう者の方への完璧な情報のインフラにはまだできてないかもしれないですけど、少なくとも聴者で普段音楽を聴きにくる人たちに少しでも興味を持ってもらったりとか、手話通訳があるんだってことを知ってもらえるきっかけになればと思って進めています。
手話は国によって異なる。あっこゴリラは、例えば英語の歌詞はどのように日本手話に翻訳するのかとペン子に質問する。
ペン子:the HIATUSの楽曲を手話通訳したときは、ボーカルの細美武士さんが書いていただいた元々ある英語の歌詞の日本語の対訳をもとに手話に翻訳していきました。
あっこゴリラ:その作業ってすごく時間がかかりますか。
ペン子:かかりますね。
高橋:僕も初めて手話の対訳をしてもらうときに、意外と音楽の歌詞って音に頼っていたりとかダブルミーニングにしてたりするなって思いました。例えばダブルミーニングを手話で伝えるときは同時には2つの意味を言えないからどちらを伝えるかとか、そういうことを整理していかなきゃいけないので、全部手話通訳の方と相談しながら曲の解釈を詰めていきました。僕自身も何となく歌詞を書いていたりするものは、本当は何を伝えているんだとあらためて整理する機会になりました。
より多くの人に開かれた場所を作りたい
ペン子は思い出野郎Aチームの1曲を手話翻訳で仕上げるために20日間くらいはかかると明かす。ペン子:まず日本語の歌詞をいったん手話に翻訳して、そのあと楽曲に合わせてその翻訳が尺に合うかとかそういうことを確認して、いろいろとやり直していくと、1曲これでいけると完成するまでに20日間くらいかかります。
高橋:最初は歌詞をタイプしてメールで送ると手話チームから「ここってどういう意味ですか?」とか「ここはどういう気持ちですか?」って細かい質問が返ってきて、それに僕が「ここはこういう気持ちです」とか返信して。あと風景の描写とかも例えば僕が「木を見ている」と歌ったとしたらそれは木の下から見上げてるのか、遠くから木を眺めているのかとかそういうことも含めて細かく解釈のピンとをお互いで合わせていきなら手話にしてもらっています。
あっこゴリラ:歌詞を書いたときは、そこまで考えずに書いたものもあったりとかするから。
高橋:結果的に本来の手話通訳をやってもらうこととは別で、自分も自分の制作とか歌詞を見つめる機会になりました。
あっこゴリラ:ペン子さんは曲のニュアンスとか解釈の仕方とかってどうやってるんですか。
ペン子:都度、こちらで歌詞を読んで曲をたくさん聴いて解釈を深めていく時間は持つんですけど、曲を書いた人の意思とか込められている思いから外れてしまうわけにはいかないので、歌詞の意味とかはきちんと確認をして、そのあとにどんどん繰り返し聴いて、自分の中に曲を染み込ませていってそこから翻訳のイメージを膨らませていっていますね。
あっこゴリラはライブに手話通訳を取り入れることで、表現の幅が広がっている気がすると話す。
高橋:聴者からしても奥行きが広がっているような気がするし、ステージ上から表現される言語が2つになるから、単純にパフォーマンスとしてもパワーが2倍になっているように思うんですよね。ただ一方でそれはあくまで僕たち聴者のことなので、ろう者の方からしたらもう少し情報のインフラとしてちゃんと必要なものだと思っています。ライブの手話通訳はダンスみたいだ、とか面白がるものでもないから。そこは情報としてやってもらうということではあるんですけど、ただすごく勉強不足だったから、実際に知ってみると興味深いことだったり、勉強になることだったり、単純に違う言語だけど同じテーマについて一緒に音に合わせてやることで、表現としてエネルギーが増えたことはあります。
最後に「目指すライブのかたち」について高橋とペン子がこう語る。
高橋:僕たちは2009年に多摩美術大学で結成して、今年で13年目になります。年齢を重ねて、ろう者の方に限らずいろんな人がいて、俺たちってものすごくマジョリティだったんだな、と感じました。だから、よりフラットに分け隔てなく楽しめるライブの場所にできればいいなと思っています。特に僕たちはソウルとかファンクが好きで影響を受けているから、そういう音楽を作ってきた人たちって差別と戦ったりとかいろんなことと戦いながらやってきたから、無関係じゃないと思っているので、そういうことも含めて第一歩として手話通訳の人に入ってもらったりもしているんですけど、今後はより多くの人に開かれた場所を作って、みんなが楽しめたらいいなと思います。
ペン子:日本の社会だと手話通訳ってまだまだ珍しい存在だったりして、特に音楽の現場だとまだ進んでいないので、今はとにかく一緒に活動をさせてもらって手話通訳に慣れてもらう、知ってもらう活動を続けていけたらと思っています。
思い出野郎Aチームは12月29日(木)に東京・Spotify O-EASTで開催のイベント「Erection -15th Anniversary Party」に出演。手話通訳としてペン子も参加する。
思い出野郎Aチームの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
J-WAVE『SONAR MUSIC』は、月~木の22:00-24:00にオンエア。
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