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ボブ・マーリーはなぜラブ&ピースを歌ったのか?「音楽」「思想」「功績」から徹底解剖

ボブ・マーリーはなぜラブ&ピースを歌ったのか?「音楽」「思想」「功績」から徹底解剖

レゲエ音楽に精通する音楽ライターの池城美菜子さんが、ボブ・マーリーの歩みを解説した。

池城さんが登場したのはJ-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。番組では、毎回ゲストを迎え、様々なテーマを掘り下げていく。ここでは、「没後40年 ボブ・マーリーはなぜラブ&ピースを歌ったのか!?」をテーマにお届けした、5月11日(火)のオンエア内容をテキストで紹介する。

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スカとレゲエの違い

カリブ海の島国・ジャマイカで生まれたレゲエミュージック。その先駆者の1人であり、世界に広めたと言われるのが、ボブ・マーリー。番組では、そんなボブ・マーリーを特集した。

ゲストには、ブラックミュージックに造詣(ぞうけい)が深く、ジャマイカへも何度も訪れている音楽ライターの池城美菜子さんが登場。池城さんは、元々『レゲエマガジン』という日本にレゲエを広めた雑誌の編集部からキャリアをスタートし、ジャマイカに関する書籍も執筆されている。

あっこゴリラ:現地ジャマイカでのボブ・マーリーとは、どういう存在なのでしょうか?
池城:レゲエの神様とも言われ、国民的英雄です。ナショナルヒーローと言って、国から認定されている人間国宝的な人です。
あっこゴリラ:すごい! 今日は、そんなボブ・マーリーの歌の背景には何があったのかを、「レゲエという音楽面」「ラスタファリという思想面」「ボブの功績」の3つの側面から解き明かそうと思います。まず、「音楽面」から聞いていきたいのですが、番組では、以前スカについて特集しましたが、スカとレゲエはまた違うんですか?
池城:50年代にジャマイカで発祥したのが「スカ」ですが、もともとは酒屋がお酒を売るためにお店の前に大きなスピーカーを出して、アメリカの音楽を流していたことが前身になります。ジャズやR&Bなどをかけていたのですが、そこからジャマイカ人が自分たちで歌い出したのがはじまりです。
あっこゴリラ:へえ~!
池城:はじめはダンスミュージックで踊りやすいスカだったのが、暑すぎてみんな踊れなくなって、ゆっくりなテンポになっていったというかわいいエピソードがあります(笑)。そこに、ジャマイカの独立とかいろんな気運が重なって、メッセージ性の強いものがレゲエになったという流れですが、基本的には一つの音楽なんです。レゲエの中にまだスカはあるし、いまスカをやっている人はレゲエをやっているという意識があるはずです。
あっこゴリラ:なるほど~。ボブ・マーリーは1945年生まれということなんですが、彼が音楽をやり始めたころは、スカが主流だったんでしょうか?
池城:そうですね。当時は、そのときに流行っている音楽をやるっていうのが主流でした。ジャマイカ音楽の黎明期と重なり、有名なレーベルスタジオ「スタジオ・ワン」でザ・ウェイラーズとしてデビューしました。
あっこゴリラ:ボブ・マーリーの楽曲でスカとレゲエの音楽的な違いに迫りたいと思います。例えばデビューシングルの『Judge Not』はスカで、『Three Little Birds』はレゲエですが、聴き比べてみると、やっぱりスカの方がリズムが早いですよね。
池城:そうですね。あと、どちらも2拍目と4拍目を強調する裏打ちが特徴で、違いがわかりやすい部分だと思います。

【Lee Scratch Perry『Soul Rebel(feat.Bob Marley)』を聴く】

あっこゴリラ:当時のジャマイカでは、黒人はどんな状況にあったのでしょうか?
池城:1962年にイギリスから独立するも、それまで約300年間イギリス領だったため白人が上流階級で、黒人は貧しく大変だったと思います。
あっこゴリラ:ボブ・マーリーは17歳でデビューしましたが、それまではどんな人生を歩んできたんですか?
池城:白人の父と黒人の母の間に生まれたミックスで、セント・アンという山奥のトタン屋根で生活していました。10歳のときにお父さんが亡くなっているのですごく苦労しています。
あっこゴリラ:白人と黒人のミックスというのは、当時のジャマイカにおいてどんな存在だったんですか?
池城:そういう人たちは多かったです。ただ肌の色が薄い方が得をするようなことは、当時のジャマイカではありました。
あっこゴリラ:そうなんですね。そんななか、彼はどんな風にキャリアを築いていったのでしょうか?
池城:12歳のときにお母さんと一緒に仕事を求めてトレンチタウンへ移住します。ボブ・マーリーは生い立ちは厳しいものの、音楽のキャリアは非常にラッキーで、かつ周りに恵まれていたと思います。60年代は一番人気のスタジオ・ワンに属し、幼馴染のピーター・トッシュとバニー・ウェイラーとのトリオ「ウェイラーズ」でデビューします。
あっこゴリラ:音楽的なキャリアとしては、けっこうトントン拍子にいった感じなのかな。
池城:最初から才能があったので、抜きん出ていたんだと思います。スタジオ・ワンを離れたあとは、1967年に鬼才プロデューサー、リー・スクラッチ・ペリーと組むようになり、ここで名曲の数々をレコーディングします。
あっこゴリラ:なるほど~。
池城:その後、国際的なデビューをするにあたって、1972年にアイランド・レコードのクリス・ブラックウェルからテコ入れを行われます。ボブ・マーリー自身も海外で活躍したいという気持ちがあったようです。当時イギリスにはジャマイカからの移民がたくさんいて、イギリスではすでにスカやレゲエが流行っていたことも大きかったと思います。

【Bob Marley &The Wailers『War/No More Trouble』を聴く】

ラスタファリ思想とは

続いてのテーマは、「ボブ・マーリーを作った思想“ラスタファリ”」。池城さん曰く、ボブ・マーリーを理解する上でかなり重要なものだという。

あっこゴリラ:ラスタファリとはどんなものなのでしょうか?
池城:全世界的に起きていたアフリカ回帰の運動と結びついた思想、新興宗教です。
あっこゴリラ:これはやっぱり公民権運動とかと関係あるんですか?
池城:そうですね。公民権運動のなかでアメリカにしてもイギリスにしてもジャマイカにしても黒人は無理やり連れてこられたわけだから、“じゃあ帰りましょう”っていう動きがあって、差別がなくならないため60年代までずっと続いていました。その運動のジャマイカでの大きいものが、ラスタファリズムです。なので、宗教なんですけど、社会的運動でもあります。
あっこゴリラ:なるほど~。具体的に、ラスタファリ思想にルールなどあるのでしょうか?
池城:髪を切らないことやベジタリアン、ナイヤビンギという太鼓を叩きながら瞑想するといったライフスタイルなどです。あとレゲエを聴く人は、あなたと私という概念がなくて、「I&I」という思想があります。

【Bob Marley & The Wailers『Redemption Song』を聴く】

あっこゴリラ:この曲では、どんなことを歌っているんですか?
池城:「救いの歌」というタイトルで、自由の歌だといっています。はじめは奴隷として連れてこられたけど、私たちの精神は自由なんだというボブ・マーリー側のことを歌っているメッセージソングになっています。「精神的な奴隷になっちゃいけない」とか「ミサイルで脅かされても負けるな」みたいなちょっと予言ぽいことも歌っていて、スピリチュアルな曲だし、いまの私たちにもすごく響くメッセージが入っている曲です。
あっこゴリラ:本当に予言みたいですよね。すごい。ボブ・マーリーがラブ&ピースを歌うのもこの思想が背景にあるからなんですよね。
池城:はい。平和への祈りもあるし、自由になるために、自分の権利を守るために戦うためのラブ&ピースなんです。
あっこゴリラ:これ、すごく大事なポイントですよね。

一貫して政治闘争を批判、平和と貧困を訴えた

白人と黒人のミックスとして生まれ、黒人差別の激しかった時代のジャマイカでラスタファリという思想に出会い、ラブ&ピースを歌い始めたボブ・マーリー。ここからは、「ボブ・マーリーは世界をどう変えたか」について迫った。

あっこゴリラ:かなり大きなテーマですが、ボブが生きた60〜70年代のジャマイカは、政治的にだいぶ不安定な状況だったんですよね?
池城:いまでも貧富の差が激しい国ですが、70年代もかなり激しくて、独立をしたはいいけれどもその分いろんなことが不安定になり、政権争いが激しくなります。ボブ・マーリーも家がギャングに狙われるという暗殺未遂も起こりました。
あっこゴリラ:やっぱり影響力があるから狙われちゃうんですね。ボブ・マーリーは、政治的にどんな立場をとっていたんですか?
池城:基本的には中立です。当時あまりにも政権争いが白熱してしまったので、音楽で鎮めようと、ジャマイカの国立競技場で開催されたワンラブ・ピース・コンサートで、当時抗争を繰り返していた2大政党の党首2人をステージ上に招き、満員の観客の前で和解の握手をさせたんです。これがやっぱり一番有名な偉業だし、象徴的な出来事だと思います。
あっこゴリラ:これ、すごいことですよね。私が音楽を好きな理由でもあるし、胸を打たれる瞬間なんですよね。
池城:うんうん。なかなかできることではないですよね。
あっこゴリラ:社会情勢は曲にも影響を与えたのでしょうか?
池城:一貫して政治闘争を批判し、平和と貧困を訴えていました。

【Bob Marley & The Wailers『One Love/People Get Ready –Medley』を聴く】

世界中をツアーで周り、そのメッセージを伝えてきたボブ・マーリーだが、ガンに侵され、1981年5月11日、36歳の若さでこの世を去った。いまやレゲエミュージックはユネスコ世界文化遺産に登録され、近年でもドレイクやリアーナなどメジャーなポップシーンで未だにリバイバルされ続ける世界的な音楽となっている。

あっこゴリラ:レゲエは日本でもずっと熱いシーンという印象がありますが、世界的には今、どんな立ち位置の音楽になるのでしょうか?
池城:私の意見では、もうポップミュージックの形態の一つだと思います。なので、レゲエアーティストとして歌っている人もいれば、ドレイクやアリアナ・グランデのように取り入れてる人もいるんだと思います。後進国から出てきた音楽としては、最大の音楽だと思います。


J-WAVE『SONAR MUSIC』は月~木の22:00-24:00にオンエア。

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