メディアアーティストで筑波大学准教授の落合陽一が、「ポストコロナと2030年の世界」をテーマにトークした。
落合が登場したのは、10月9日(土)の「J-WAVE INNOVATION WORLD FESTA 2021 supported by CHINTAI(通称「イノフェス」)。テクノロジーと音楽の日本最大級のクリエイティブ・フェスティバルだ。6回目を迎える今年は、「ACTION FOR A NEW ERA!」をテーマに、豪華トークセッションとテクノロジーで拡張したライブパフォーマンスをお届けした。
落合:SDGsとかパリ協定とかESGとかGDPRの話って、ヨーロッパやアメリカあたりから流れてきますよね? いまアメリカと中国でぶつかっているのも、なぜかといえば、ITサービスでぶつかっている情報の層があるから。たとえばアリババとテンセントがメッチャ強いとか、アップル、フェイスブック、マイクロソフト、グーグル、アマゾン、みんな強い。その下に、たとえば「どこで半導体を作っているんだっけ?」というと、中国で「世界の工場」として機能している層があって、その下に、資源をどこが持っているかというとアフリカや中東から掘り返したものを使っているんです。
そういった状況のなか「資源をどこから掘ってくるのか?」「環境負荷はどこでかかっているのか?」「SDGsの押し付けはグローバルサウス(現代資本主義による負の影響を受ける国や地域)にいっているんじゃないか?」という議論が起きているという。
落合:SDGs、ESGと言っている人たちは、一体どうして2030年に向けてそれをやっているのかというと、たとえば投資したり利潤につなげたり、おそらくそういった活動をどうサイクル化していくかが重要でやっているんです。
『朝日小学生新聞』でSDGsに関する記事を書いたという落合は、小学生に「SDGsって僕らの生活になにか意味があるの?」と訊かれた場合には「ない」と答えていると明かした。
落合:意味はもちろんあるんですよ? ただ「小学生がSDGsにどういう関係性があるの?」というと、SDGsは投資家が再投資するための仕組みとして重要なのであって、一人ひとりが生活をよくするためにSDGsがどうこうというのは、たぶん“SDGsウォッシュ(見せかけ)”にしかならないというのがあります。その上で再投資がおこなわれるようなSDGsはどうなんだろうとか、そういったものを考えているところって、ほぼ投資家相手の考え方であって、それをじゃあどうやって我々の普段の生活につなげていけるだろう、というのは考えないといけないパラダイムです。
落合は50年に1回は「やりがい」「助け合い」「幸せ」「永続性」「地球と人類」といったことを訴える人々が出てくるとして、1970年代にもその言説は大いに流行したのだと説明した。
落合:1970年と2020年でなにが違うというと、テクノロジーと、格差社会がいき過ぎているせいで安全、安心に暮らせなくなってきた先進国もなかにはある。分断がすごく進んでいるというのは間違いないし、テクノロジーが進んできたのも間違いない。当時となにが一番違うかと言ったら、限界費用ゼロでインターネットにアクセスできるものがすごく増えてきた。ただ、そのことによって末端ユーザーまで可処分所得や可処分時間が奪われているのも間違いない変化だと思います。
落合は「標準がなくなってくる時代を生きている」として、人の個性は「パラメーター」にすぎないのだと自身の考えを語った。
落合:腕の数や手の数、目の数も耳が聞こえるかどうかもパラメーターにすぎないと思っているんです。あらゆるものがパラメーター化してくるのはデジタルやテクノロジーの恩恵。我々のあらゆる属性値はパラメーターになっていくわけです。「脚があるかないか」は別に問題ではない、脚は作れる。
落合が関わるプロジェクトのひとつに、乙武洋匡を義足で歩行に導くことを目指す「OTOTAKE PROJECT」があり、これは「車いすを選んでもいいし、脚をつけて歩いてもいい。パラメーターを変えてもいいというプロジェクト」だと説明した。
落合:2030年に向かうまでに、人間においてなにをパラメーター化して、なにをパラメーター化しないのか、というのはすごく重要な課題になっていく。その上でいままで統一性がすごく求められていた社会から、おそらく多様性が求められる社会になる。でも多様性が注目される社会においてすごく重要なのは、ディスコミュニケーションだと思うんです。ある多様性があったときに、じゃあその多様性と多様性のあいだで言葉が通じるのかとなったら、おそらく通じないんじゃないかと。
落合は、厚生労働省と経済産業省の委員会に出席してディスカッションをした際に「落合さんの言っている多様性は狭すぎる」と指摘されたという。身体障がいや年齢、宗教、性別、所得格差などの多様性を考えていた落合だったが、「落合さんの言う多様性は法の内側の多様性」だと怒られたのだそうだ。
落合:じゃあ犯罪を犯した人はどうなのかとか、社会復帰できない人をどう考えるのかとか、そういった多様性まで含めて考えでいくと多様性って無限に広がっていくんです。たとえばSNS上で多様性と言って燃え上がっている人たちは、おそらく法の内側か狭い倫理観の内側だけで多様性で盛り上がっていて、「じゃあ、あなたの家の近くで犯罪を犯した人を受け入れることができますか?」っていう疑問にどう答えるのかというと、意外とそんなに広い多様性でもないと。どの多様性をどうやって選択していくかということがおそらく、すごく重要なことになってきます。
落合:たとえば五輪のときの表彰台とかは再生プラスチックでできていましたよね。ああいうことを考えながらコンピューターサイエンスとマテリアルサイエンスが出会っていくところに、おそらく「脱炭素」の話がめちゃくちゃあるんです。コンピューターサイエンスが出会った材料科学や生命科学みたいなところが、ここから一気に伸びていきながらサステナビリティを考えていくことが次の時代のキーテーマになると思います。炭素をどうやって固定して、我々が日々生きていくのかというのはひとつのキーワードで。たとえば固定した炭素を燃やしたら戻っちゃうので、じゃあいまある木をどう切ってそれを生活のなかで使ってまた木を切ってもう1回使って……。木を切るって悪いことのように小学校のときに習っているんですが、木はサイクルしてかつ、それをゴミにしなければそれが炭素を固定し続けるかなり有用な方法なんです。おそらく2020年から2030年の我々の生活って、すごくたくさん木製品が増えると思います。「なに言ってるんだよ」とみんな思うでしょ? でも木製品めっちゃ増えるんです。気づいたらコンビニでもらっているプラスチックは全部木になってますからね。木にすれば0円だけどプラスチックにすると30円とか言われる時代になってきます。捨てられない木をどうやってたくさん作っていくかがひとつのキーワードです。
落合:18世紀はクラフトとパーソナライズの時代で、全体普遍性のなかでコミュニケーションを消費しながらみんなが生きていた。20世紀ではデザインしてどうやってマスに作って価格を下げてコンテンツを消費するかという時代があった。それでようやくポストコロナで21世紀の目が開けてきたので、たぶんここで言われるデザインだったものはテクノロジーであるし、マスだったものはパーソナライゼーションである。そうしたときに個人別にものを作ったり、コミュニケーションを消費すると言っても、18世紀的なコミュニケーション消費じゃなくて、たぶんそのコミュニケーションによって生まれる新しい経済価値やパラダイムを作っていかないといけない時代感になる。そのなかでひとつのキーワードはおそらく「自然」。自然や自然社会とどう対話していくか、もしくはひとつの社会として閉じることはできないので、それは資本主義にESG、SDGs、PRIの枠組みをはめて、どうやって資本主義と効率的に付き合っていくかということを考えながら、我々は負荷を減らしつつ、たぶんいろいろなものが出てくると。ワンセンテンスで「どんなお話だった?」という話でまとめるとするならば「2030年までに我々の身の回りに木が増えます」っていうことです。
(写真=アンザイミキ)
落合が登場したのは、10月9日(土)の「J-WAVE INNOVATION WORLD FESTA 2021 supported by CHINTAI(通称「イノフェス」)。テクノロジーと音楽の日本最大級のクリエイティブ・フェスティバルだ。6回目を迎える今年は、「ACTION FOR A NEW ERA!」をテーマに、豪華トークセッションとテクノロジーで拡張したライブパフォーマンスをお届けした。
なぜSDGsが必要なのか? 「環境のため」だけじゃない
落合はまず、2030年のことを考えたときに「誰が法と倫理の話をしているのかを考える必要がある」と語った。落合:SDGsとかパリ協定とかESGとかGDPRの話って、ヨーロッパやアメリカあたりから流れてきますよね? いまアメリカと中国でぶつかっているのも、なぜかといえば、ITサービスでぶつかっている情報の層があるから。たとえばアリババとテンセントがメッチャ強いとか、アップル、フェイスブック、マイクロソフト、グーグル、アマゾン、みんな強い。その下に、たとえば「どこで半導体を作っているんだっけ?」というと、中国で「世界の工場」として機能している層があって、その下に、資源をどこが持っているかというとアフリカや中東から掘り返したものを使っているんです。
そういった状況のなか「資源をどこから掘ってくるのか?」「環境負荷はどこでかかっているのか?」「SDGsの押し付けはグローバルサウス(現代資本主義による負の影響を受ける国や地域)にいっているんじゃないか?」という議論が起きているという。
落合:SDGs、ESGと言っている人たちは、一体どうして2030年に向けてそれをやっているのかというと、たとえば投資したり利潤につなげたり、おそらくそういった活動をどうサイクル化していくかが重要でやっているんです。
『朝日小学生新聞』でSDGsに関する記事を書いたという落合は、小学生に「SDGsって僕らの生活になにか意味があるの?」と訊かれた場合には「ない」と答えていると明かした。
落合:意味はもちろんあるんですよ? ただ「小学生がSDGsにどういう関係性があるの?」というと、SDGsは投資家が再投資するための仕組みとして重要なのであって、一人ひとりが生活をよくするためにSDGsがどうこうというのは、たぶん“SDGsウォッシュ(見せかけ)”にしかならないというのがあります。その上で再投資がおこなわれるようなSDGsはどうなんだろうとか、そういったものを考えているところって、ほぼ投資家相手の考え方であって、それをじゃあどうやって我々の普段の生活につなげていけるだろう、というのは考えないといけないパラダイムです。
落合は50年に1回は「やりがい」「助け合い」「幸せ」「永続性」「地球と人類」といったことを訴える人々が出てくるとして、1970年代にもその言説は大いに流行したのだと説明した。
落合:1970年と2020年でなにが違うというと、テクノロジーと、格差社会がいき過ぎているせいで安全、安心に暮らせなくなってきた先進国もなかにはある。分断がすごく進んでいるというのは間違いないし、テクノロジーが進んできたのも間違いない。当時となにが一番違うかと言ったら、限界費用ゼロでインターネットにアクセスできるものがすごく増えてきた。ただ、そのことによって末端ユーザーまで可処分所得や可処分時間が奪われているのも間違いない変化だと思います。
人の個性はパラメーター。「あるか、ないか」は問題ではない
落合は「標準がなくなってくる時代を生きている」として、人の個性は「パラメーター」にすぎないのだと自身の考えを語った。
落合:腕の数や手の数、目の数も耳が聞こえるかどうかもパラメーターにすぎないと思っているんです。あらゆるものがパラメーター化してくるのはデジタルやテクノロジーの恩恵。我々のあらゆる属性値はパラメーターになっていくわけです。「脚があるかないか」は別に問題ではない、脚は作れる。
落合が関わるプロジェクトのひとつに、乙武洋匡を義足で歩行に導くことを目指す「OTOTAKE PROJECT」があり、これは「車いすを選んでもいいし、脚をつけて歩いてもいい。パラメーターを変えてもいいというプロジェクト」だと説明した。
落合:2030年に向かうまでに、人間においてなにをパラメーター化して、なにをパラメーター化しないのか、というのはすごく重要な課題になっていく。その上でいままで統一性がすごく求められていた社会から、おそらく多様性が求められる社会になる。でも多様性が注目される社会においてすごく重要なのは、ディスコミュニケーションだと思うんです。ある多様性があったときに、じゃあその多様性と多様性のあいだで言葉が通じるのかとなったら、おそらく通じないんじゃないかと。
落合は、厚生労働省と経済産業省の委員会に出席してディスカッションをした際に「落合さんの言っている多様性は狭すぎる」と指摘されたという。身体障がいや年齢、宗教、性別、所得格差などの多様性を考えていた落合だったが、「落合さんの言う多様性は法の内側の多様性」だと怒られたのだそうだ。
落合:じゃあ犯罪を犯した人はどうなのかとか、社会復帰できない人をどう考えるのかとか、そういった多様性まで含めて考えでいくと多様性って無限に広がっていくんです。たとえばSNS上で多様性と言って燃え上がっている人たちは、おそらく法の内側か狭い倫理観の内側だけで多様性で盛り上がっていて、「じゃあ、あなたの家の近くで犯罪を犯した人を受け入れることができますか?」っていう疑問にどう答えるのかというと、意外とそんなに広い多様性でもないと。どの多様性をどうやって選択していくかということがおそらく、すごく重要なことになってきます。
プラスチックが木製品に
落合は2020年初頭に今後のコロナ禍による社会の変化について訊かれた際に、食事に集中するために席ごとに仕切りのあるラーメン店「一蘭」を例に出して、「『世界総一蘭化』するんじゃない?」とコメントしたそうだ。落合の予想通り、現在はアクリル板の仕切りが当然のように使用されている。そんな落合が今度は「今後は木製品が大量に使われるようになる」と予言してみせた。落合:たとえば五輪のときの表彰台とかは再生プラスチックでできていましたよね。ああいうことを考えながらコンピューターサイエンスとマテリアルサイエンスが出会っていくところに、おそらく「脱炭素」の話がめちゃくちゃあるんです。コンピューターサイエンスが出会った材料科学や生命科学みたいなところが、ここから一気に伸びていきながらサステナビリティを考えていくことが次の時代のキーテーマになると思います。炭素をどうやって固定して、我々が日々生きていくのかというのはひとつのキーワードで。たとえば固定した炭素を燃やしたら戻っちゃうので、じゃあいまある木をどう切ってそれを生活のなかで使ってまた木を切ってもう1回使って……。木を切るって悪いことのように小学校のときに習っているんですが、木はサイクルしてかつ、それをゴミにしなければそれが炭素を固定し続けるかなり有用な方法なんです。おそらく2020年から2030年の我々の生活って、すごくたくさん木製品が増えると思います。「なに言ってるんだよ」とみんな思うでしょ? でも木製品めっちゃ増えるんです。気づいたらコンビニでもらっているプラスチックは全部木になってますからね。木にすれば0円だけどプラスチックにすると30円とか言われる時代になってきます。捨てられない木をどうやってたくさん作っていくかがひとつのキーワードです。
分断を乗り越えるために
落合は2030年の心構えとして話しておきたいとして、アジャイルソフトウェア開発宣言の一節を引用して「左記のことがらに価値があることを認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく」という姿勢を使って対話をし続けることでしか分断を乗り越える方法はないのではないかと訴えた。落合:18世紀はクラフトとパーソナライズの時代で、全体普遍性のなかでコミュニケーションを消費しながらみんなが生きていた。20世紀ではデザインしてどうやってマスに作って価格を下げてコンテンツを消費するかという時代があった。それでようやくポストコロナで21世紀の目が開けてきたので、たぶんここで言われるデザインだったものはテクノロジーであるし、マスだったものはパーソナライゼーションである。そうしたときに個人別にものを作ったり、コミュニケーションを消費すると言っても、18世紀的なコミュニケーション消費じゃなくて、たぶんそのコミュニケーションによって生まれる新しい経済価値やパラダイムを作っていかないといけない時代感になる。そのなかでひとつのキーワードはおそらく「自然」。自然や自然社会とどう対話していくか、もしくはひとつの社会として閉じることはできないので、それは資本主義にESG、SDGs、PRIの枠組みをはめて、どうやって資本主義と効率的に付き合っていくかということを考えながら、我々は負荷を減らしつつ、たぶんいろいろなものが出てくると。ワンセンテンスで「どんなお話だった?」という話でまとめるとするならば「2030年までに我々の身の回りに木が増えます」っていうことです。
(写真=アンザイミキ)
イベント情報
- J-WAVE INNOVATION WORLD FESTA 2021 supported by CHINTAI
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10月9日(土)
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