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没後10年。たった2枚のアルバムで世界を魅了した、 エイミー・ワインハウスの歩みを振り返る

没後10年。たった2枚のアルバムで世界を魅了した、 エイミー・ワインハウスの歩みを振り返る

J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。番組では、毎回ゲストを迎え、様々なテーマを掘り下げていく。

3月2日(火)のオンエアでは、シンガーの向井太一と音楽ライターの池城美菜子さんがゲストに登場。「没後10年 エイミー・ワインハウス再発見!」をテーマにお届けした。

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愛され続ける伝説のシンガー、エイミー・ワインハウス

活動期間7年、たった2枚のアルバムで世界を魅了した21世紀のイギリスを代表するアーティスト、エイミー・ワインハウス。グラミー賞の主要3部門を受賞しトップアーティストの仲間入りをしながらも2011年、27歳で惜しくもこの世を去ってから今年で10年が経つ。

「事実しか歌えない」と語り、破天荒でありながら、繊細な生き様をリアルに表現した歌詞。そして、世界最高のシンガーの1人と言われるトニー・ベネットからも称賛を受ける、エモーショナルな歌声。その死後も、レディ・ガガ、ジャスティン・ビーバー、アデルなど多くのトップスターがその影響を口にし、いまだに愛され続ける伝説のシンガーである。

ゲストに、シンガーの向井太一、音楽ライターの池城美菜子さんを迎え、改めて、エイミー・ワインハウスの偉大さを深掘りした。

1983年、ロンドンにてユダヤ人の両親の元に生まれたエイミー。ジャズ好きだった両親の元、エラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラなど古き良きジャズミュージックに囲まれて育ったという。幼い頃から歌うことが好きだったエイミーは、14歳からソングライティングを始め、16歳の頃、クラスメイトがレコード会社担当者にデモテープを手渡したことがきっかけとなりキャリアがスタート。

その後2003年、20歳のときにアルバム『Frank』でデビュー。彼女が愛してきたレトロなジャズとポップス、ソウル、ヒップホップの融合とも言える作品は、多くのレヴューで激賞され、ブリット・アワードにおいては2部門でノミネート。同じくイギリスのシンガー・アデルは、このアルバムについて「もし、エイミーと『Frank』がなかったら、100%ギターを弾いてないわ」と語るほど、イギリスでは鮮烈なデビューを飾った。

しかし、知名度が上がると同時に、当時のボーイフレンドの影響で薬物に溺れるように。さらに10代から抱えていた摂食障害とアルコール中毒、世界一過激なイギリスのパパラッチ文化も相まって歌手活動はおろかプライベートも不安定な状態に陥っていく。

そんななか、2006年、エイミーの名を世界に轟かせる楽曲が誕生。それが、マーク・ロンソンがプロデューサーを務め、リハビリ施設への入所を断固として拒否したことを歌った代表曲『Rehab』。この曲が収録された2ndアルバム『Back To Black』は、全英チャート1位。さらに全米チャートでも2位を獲得。第50回グラミー賞では、最優秀新人賞/最優秀レコード賞/最優秀楽曲賞という主要3部門を含む最多5部門を受賞。世界の音楽シーンに旋風を巻き起こした。

しかしその後、さらに加速したマスメディアによるゴシップ報道やプライベートの不安定さが拍車をかけ、新たな作品はリリースされないまま、2011年7月23日、自宅にて帰らぬ人となる。死後、レディ・ガガは「売れない頃、みんなが私を見て、かわいさに欠けるとか声が低すぎるとか変だとか言ってきたなかで彼女が唯一の希望だった」と回想するなど、エイミーが遺した歌、そしてオリジナルなスタイルは今も愛され、希望を与え続けている。

あっこゴリラ:お二人がエイミーの音楽に出会ったのはいつですか?
向井:僕は、確か中学生くらいのときに『Back To Black』がリリースされて、当時はサブスクとかもなかったので、CDショップに視聴しに行くのが日課になってて(笑)。そこで『Back To Black』のジャケットに惹かれて、存在も知らないままなんとなく聴いたのがきっかけですね。それで、一聴き惚れしました。
あっこゴリラ:池城さんは?
池城:私は当時ニューヨークに住んでて、ボブマーリーのリスニングセッションにいたときにサンプルCDを貰って。
あっこゴリラ:おお~!
池城:アメリカの音楽ファンよりちょっと早いくらいのタイミングで知りました。
あっこゴリラ:向井さんが衝撃を受けたエイミー・ワインハウスの曲は?
向井:大ヒットした曲『Rehab』ですね。当時、僕はダンスホールレゲエにどっぷりハマっていて、彼女の歌声がきっかけでソウルやジャズなどにハマっていきました。

番組では、AMY WINEHOUSE『Rehab』をオンエアした。



あっこゴリラ:私もこの『Rehab』が、エイミー・ワインハウスで初めて聴いた曲です。『Back To Black』の一曲目で、ジャケからしてハイファイなのかなって思ったら、全然違っていい意味でめっちゃ裏切られましたね。
向井:わかります。新しい出会いというか、エイミーがきっかけで声に惚れるアーティストがめちゃめちゃ増えましたね。いろんな出来事のきっかけになったアーティストで、本当にどっぷりハマりました。
あっこゴリラ:池城さんが初めて衝撃を受けたエイミー・ワインハウスの曲は?
池城:サンプルCDを聴いて、とにかく全曲びっくりしましたね。あと、先ほど向井さんがダンスホールレゲエからって話してましたが、それってけっこう自然なことなんです。というのも、プロデューサーのサラーム・レミがレゲエとヒップホップとソウルをつなげた人なので、ジャンルは違えど土台は一緒だったのでダンスホールレゲエの耳を持ってる人も惹かれたんだと思います。
向井:なるほど~。じゃあ、必然的だったんですね。
池城:その流れで私が選んだ曲は、『You Know I’m No Good』です。当時は、白人が黒人の音楽をやるって差別みたいな感じの空気があって、それに対するヒップホップの回答がエミネムだったじゃないですか。
あっこゴリラ:はい。
池城:エイミーはソウルとかジャズ側の回答なんですよね。特にこの曲は、歌っている内容的に衝撃でしたね。

番組では、AMY WINEHOUSE『You Know I’m No Good』をオンエアした。

デビューアルバム『Frank』、当時の評価は……

ここからは、エイミー・ワインハウスが生前に残したアルバム2枚について話を訊いた。

あっこゴリラ:まずは2003年、20歳でリリースされたデビューアルバム『Frank』。池城さん、このアルバムは当時どんな評価だったのでしょうか?
池城::ニューヨークにいたので私もオンタイムではないんですが、やっぱりイギリスの中ではすごく評価が高かったです。正直アメリカではそんなに評判だったわけではないですね。イギリスでは、全英アルバムチャート最高位13位というブレイク前夜の1枚といえます。
あっこゴリラ:まだこの頃はイギリスの中でって感じだったんですね。ちなみにサラーム・レミは、この『Frank』からプロデュースで入ったんですよね。
池城:そうですね。
あっこゴリラ:ここで、池城さんが考えるデビューアルバム『Frank』の重要曲を教えてください。
池城:『In My Bed』です。

番組では、AMY WINEHOUSE『In My Bed』をオンエアした。



あっこゴリラ:この曲って、Nasのサンプリングですよね?
池城:サンプリングというよりは、この曲は元々サラーム・レミが作ってるんです。
あっこゴリラ:そうなんだ!
池城:サラーム・レミは今後、このトラックに他のアーティストが乗っかってくるのがわかっていたので、自分が手掛けてるエイミーにはじめから歌わせたんです。
あっこゴリラ:へえ~! もうこれをやっている時点でアメリカでもっとヒットしてもよかったんじゃないのって思っちゃいますね。
池城:本当そうですよね。
あっこゴリラ:でも、新人のエイミーにNasのこのビートをやらせるってすごいプロデュースですよね。やっぱり彼の功績は大きかったと思いますか?
池城:サラーム・レミはエイミー以前に、イギリスで女性アーティストを売り出すため全米から何人か出してるんですよ。だから売り出し方もわかってるし、裏話として人間不信に陥っているローリン・ヒルが電話するくらい人間が大きな方なので、そういうのもあってもちろん音楽的なサポートもあるし、アーティスト性を引き出すという意味では最良の人だったんだと思います。
あっこゴリラ:この時期のエイミーは、まだ依存症に陥る前だったんですか?
池城:いえ、もうボロボロでした。ボロボロというか、彼女は契約が早かったので、10代の後半から大人っぽい生活をしていて、そのなかでお酒を覚えてしまって。この頃はすでにアルコールの問題があったようです。

番組では、AMY WINEHOUSE『There is no greater love』をオンエアした。

今年、2007年のライブ音源がストリーミング解禁

27歳という若さでこの世を去ったエイミー・ワインハウス。ここからは、彼女の生前ラストアルバムとなってしまった2006年の2ndアルバム『Back To Black』について訊いた。

あっこゴリラ:この作品で全英チャート1位、全米チャート2位を獲得。グラミー賞で主要3部門を獲得したエイミーの代表作になりますが、最大のヒット曲である『Rehab』が収録されているのもこのアルバムですよね。やはりこの曲は衝撃的でしたか?
池城:内容は重いんですけど、フックがすごくキャッチーでアメリカのラジオでもよくかかっていました。いわゆるアル中カミングアウト曲で、鮮烈でしたね。
あっこゴリラ:リバビリ施設への入所を断固拒否した経験を歌っているんですよね。
池城:これ、断固拒否って話になってるんですけど、実はマネージャーが施設に車で連れていって、でも本人が逃げちゃったっていうのが本当のところです。
向井:へえ~!!
あっこゴリラ:そうだったんだ!
池城:周りは本当に心配してたんですよね。
あっこゴリラ:なぜリハビリが必要なほどの状態になってしまったのでしょうか?
池城:2003年のファーストアルバムと同時期に交際が再び始まった、腐れ縁的な前夫ブレイクの影響で、アルコールと薬物依存症に。依存体質のエイミーは彼のすることは全部一緒にしたいという思いと、注目されることへのストレスで拍車がかかり一時期は音楽もできない状態になります。そこで友人、家族らがリハビリ施設へ入れようとしたんですね。
あっこゴリラ:切なくなっちゃいますね。彼女は、楽曲で主にどんなことを歌っているのでしょうか?
池城:ほぼほぼ恋愛のことで、恋愛も依存的で、それも共依存みたいな感じで20代前半のわりにはあまり幸せな恋愛ではなかったんですよね。『Back To Black』も、「あなたがそっちに行っちゃうのなら私は暗闇に落ちてくわ」みたいな曲です。

番組では、AMY WINEHOUSE『Love Is A Losing Game』をオンエアした。



2006年の2ndアルバム『Back To Black』の世界的ヒットの後、アルコール、そして薬物依存症が加速。ステージに立つこともままならなくなり、2011年、27歳でその生涯に幕を閉じることになるエイミー・ワインハウス。ここまで彼女を追い込んだものは何だったのだろうか。

池城:才能は特大だったと思うんですけど、繊細過ぎるハートの持ち主だった。シンガーとして成長したいけど、ここまで世界的に有名になることは望んでなかったんじゃないかなと。なので、その状況に気持ちが追いつかなかったのではないかと思っています。最後の2年は、メディアに追い回されていてゴシップ面ばかり取り上げられていました。ドキュメンタリー映画を観ると、四六時中カメラのフラッシュの中にいることがわかります。

エイミーが生前遺したアルバムは2枚だけだが、実は、彼女が亡くなった2011年に未発表曲集『Lioness:Hidden Treasures』がリリースされている。デビュー前から生前最後の曲まで収録されているこのアルバムには、彼女のアイドルでグラミー賞を獲ったときの司会だったトニー・ベネットとの共演曲も収録されている。

番組では、Tony Bennett,AMY WINEHOUSE『Body and Soul』をオンエアした。



そして没後10年の今年、2007年のライブ音源『I Told You I Was Trouble: Live In London』がストリーミング解禁された。池城さんは以前、ニューヨークでのライブを観たことがあるという。エイミーのライブの魅力について訊いた。

池城:お酒飲みながらだったからちょっとハラハラした場面もありましたけど、圧倒的な歌声と、マーク・ロンソンと曲を作ったミュージシャンがバックアップしていたので本当に素晴らしくて、存在感がほかにいない感じでした。

番組では、AMY WINEHOUSE『Tears Dry On Their Own(I Told You I Was Trouble: Live In London)』をオンエアした。

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