劇団ゴジゲンの主宰である松居大悟がナビゲートする、J-WAVEで放送中の『JUMP OVER』。ラジオ、映画、演劇、音楽などの枠を越えた企画を発信し続けている。
2月17日、24日(水)の放送では、クリープハイプの尾崎世界観がゲスト出演。ここでは24日のオンエアから、松居が尾崎の小説『母影』(新潮社)について掘り下げた部分や、松居がまたクリープハイプと一緒に作品を作りたいと提案した部分を紹介する。
【前回記事】尾崎世界観、小説『母影』の主人公を“自分から遠い人物”にした理由は? 松居大悟が聞く
『母影』【あらすじ】
小学校でも友だちをつくれず、居場所のない少女は、母親の勤めるマッサージ店の片隅で息を潜めている。お客さんの「こわれたところを直している」お母さんは、日に日に苦しそうになっていく。カーテンの向こうの母親が見えない。少女は願う。「もうこれ以上お母さんの変がどこにも行かないように」。
(新潮社公式サイトより)
『母影』は、iPhoneで書いてポメラ(テキスト入力に特化したデジタルメモ)で清書したそうだ。作品づくりにあたっては、「簡単に映画とかにならないものにしたかった」と話す。
尾崎:リアルな話をすると、子どもが主人公の(映画)作品って難しいでしょ? お客さん呼べないとか。有名な人を呼ばないといけないけど、今の日本にはそういう作品はないだろうと思って。
松居:そうそう。難しいね。
尾崎:だったら小説しかできないことなんじゃないかなと思ったし、そういうのも考えたな。
松居:『母影』に出てくるのは子どもよりもすごくまっさらな主人公な気がしていて。それは尾崎くんの中にあるの?
尾崎:あるけど、それを無理して引きずり出した。磨いていく感じだね。汚い奴をどうにかああいうふうにするっていう。だから、うそではあるんだよね、きっと。違うものをあとからなんとか形にしていくっていう。そういう作業もすごく面白かったから。評価としてリアリティーがないとか言われたりするけど、そこを突き詰めるのも大事なんだけど、自分の中でそれをやりたいっていう衝動があったから、やったということかな。小説に関しては、まず自分のやりたいことを書ききれるかどうか、保証がないから。
松居:小説ってその人のスピードで読んで、読み終わっても、自分にとって大切な感覚だったら呟いたりしなかったりとか。エゴサしてもそんなに出てこなかったりとか。難しくない? 「届いているかどうかが感じとりづらい芸術なんだな」と思って。
尾崎:たしかにね。語る人は語るけど、本当に届いているか保証はないよね。語る人は、それを専用にやっている人だから。でも、小説は音楽より評価が言葉になるかな。
松居:ああ、なるほど。
尾崎:音楽は「いい!」「好き!」って言うだけでいいんだけど……。
松居:いろんな言葉の使い方をしてね。
尾崎:そう。小説は言語になるものだから。数が多くなかったとしても(そういう反応を)求めていたところもあったのかな。
松居:たしかにお笑いとかライブとかだと褒めたたえる表現が少なくて、「笑った」とか「嫌だった」とかになってしまうから。
尾崎:そうそう。(お笑いとかライブは)手を挙げたり飛び跳ねたり、手を叩いて笑ったり。だからそういうのは表現することも受けることも身体的だよね。コロナ禍でライブがなくなってからよく思ったかな。体を使って表現して、体を使って受け止めていたんだなって。自粛期間中は文章しか書いていなかったから「いいな」って言われても文字でしか返ってこないから。
「松居さんの作品は登場人物やエピソードは自分に引き寄せているのに、描き方はカメラアングルで言うと俯瞰で見せているような気がします。だから登場人物を見守るような気持ちで楽しめました。一方、尾崎さんの作品は登場人物やエピソードを他者への観察から構築されていて、ご自身とは離れた世界として明確に置いているのに、描き方はずっと手持ちカメラで追いかけているよう。だから登場人物そのものに私自身が憑依したような気分で読めました。おふたりが小説を書かれるときはカメラアングル的なことは考えたりされますか?」
尾崎:音楽だけやってたらこんな感想来ないよ(笑)。小説を書いたことの良さのひとつでもありますよね。たしかにな、と思う感想でした。僕の小説は映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいなもんだからね。手持ちカメラのアングルだから気持ち悪くなっちゃう(笑)。
松居:たしかに近すぎて。
尾崎:自分でも近すぎてわからなくなるし。
松居:顔のしわが見える感じがする。
尾崎:たしかに自分自身でも視点に酔う感じがあったかもしれない。
松居:それは意識して?
尾崎:そうとしか書けなかったかもしれない。なるべく低い視点で子どもの目線で書きたかった。大人の全体像だと足のほうが見えているかなとか、そういうふうに世の中の下の部分ばかりを見ていく感覚。
松居:俺はもしかしたらその逆で、背景とかを自分の設定にしていて、その近くに行くと恥ずかしいから、けっこう引いて、水道の水がポタポタ垂れている感じとか、ここには光がどういうふうに入っていてとか、ちょっと俯瞰にしていたのかな。
尾崎:松居くんの場合は水が垂れていくところもしっかり構図が決まっていて、その中で水だけが動いているって感覚でしょ?
松居:そうそう。
尾崎:自分は水が出てくる瞬間をその真下で見るような感じだから、それが何かわからない。水道かもわからないし、それを引きで見たところで主人公は水道だとはっきり理解できない。でも近すぎるからこそ別のものに変換できるというか。
尾崎はその表現を『母影』を例に説明する。
尾崎:『母影』には「おばあちゃんのおっぱいが学校のネットにぶら下がっている石鹸みたいだ」って描写があるんだけど、そういうのも普通に「おばあちゃんのおっぱい」って言うよりも、その感じがすごく伝わるように、一回遠ざける。わからないっていう思考を挟むことによって、それをすごくわかってもらえる。
松居:思考回路として、「なんだろう、あれに似てる」とかってことかな。
尾崎:普段、違和感があると思うんだよね。“このもの”って言っていることに対しても心のどこかで、「その前後に感覚があるんだけどな」ってことを、ちょっとでも出したいなと思ってたな。
松居:迷ったり考えたりしている過程も、大人になればなるほど覚えていて考えなくなっていく言葉、みたいなものがそこにはないから。
尾崎:大人になって言葉にしていくってことは、言葉を捨てていくってことだからね。言葉になった時点でかなりの量の気持ちが捨てられていくわけだから。映画でも「カット」という時点でそのシーンにしたっていうことだからね。それを表現したかったな。
「松居さんの小説発売時のインタビューで尾崎さんは「クリープハイプの『鬼』のミュージックビデオで、クリープハイプと松居くんでやれることはもうやり切ったという感覚がある」と言われていましたが、おふたりが一緒に何かを作ることはもうないのでしょうか?」
松居は2012年から2016年までクリープハイプとミュージックビデオの制作などで関わっている。
松居:クリープハイプと5年くらいやってたけど、その5年間で自分の中での表現の根本とかもけっこう生まれて。クリープハイプと出会う前は童貞の男ばかりを描いていたけど、クリープハイプの曲は女性が主人公ということで女性を描きはじめて、そこからずっとそうなっていったし、けっこう揺さぶられたと思う。
尾崎:『鬼』が自分の中では完成形だったから。かなり気合いが入っていたでしょう?
松居:撮影自体が久しぶりだったから、『鬼』をやるぞってなってめちゃくちゃイキってというか。気合い入れたもんね。
尾崎:また、松居くんと何かやれるのであれば。
松居:自分とクリープハイプの関係って誰が止めてるの?
尾崎:止めてないよ(笑)。
松居:クリープハイプとはいろいろやってきて、それから5年くらい経ってそれぞれの場所でお互いが進化して。今、自分は腕を回してるんだよね。
尾崎:回してるの!? そんな感じもしないけどね。
松居:ほら(実際に腕を回す)。
尾崎:(笑)。でも、やっていただけるのであれば。
松居:役者がストーリーを演じてその中でミュージシャンの演奏シーンがあったりっていうミュージックビデオはけっこうマネされてるからね。
尾崎:役者とミュージシャンがぶつかったりするやつね。それはやりつくしちゃったからね。
松居:でも、僕たちが一緒にやることを待ってる人がいるみたいですよ。
尾崎:それはうれしいことですよね。今までやってきたことが確実に残ったってことだから。作品ってそうやってずっと受け止めてくれる人がいるからいいよね。同じ温度感で保ってくれているわけでしょ。
今年のクリープハイプの目標はアルバムを作ることだそう。尾崎は今後、松居と一緒に何かしらの作品を作りたいと提案。松居は「今、その内容が電波に乗ったから」と、尾崎との約束を固いものにする。
尾崎:いいものを作ってほしいな。
松居:クリープハイプとやるときは常に緊張感もあり、前作を超えねばと思っているので、まず『鬼』を超えなければいけないしとか思うと、頑張らねばいかんな。
クリープハイプは3月3日(水)に東京ガーデンシアターで振替公演となるライブ「大丈夫、一つになれないならせめて二つだけでいよう」を開催予定。尾崎は3月26日(金)に東京・中野サンプラザホールで講談師・六代目 神田伯山と「ライブナタリー “六代目 神田伯山×クリープハイプ”」に出演する。
クリープハイプの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
2月17日、24日(水)の放送では、クリープハイプの尾崎世界観がゲスト出演。ここでは24日のオンエアから、松居が尾崎の小説『母影』(新潮社)について掘り下げた部分や、松居がまたクリープハイプと一緒に作品を作りたいと提案した部分を紹介する。
【前回記事】尾崎世界観、小説『母影』の主人公を“自分から遠い人物”にした理由は? 松居大悟が聞く
『母影』は簡単に映画にならないものにしたかった
前回に引き続き、松居は第164回芥川賞候補作となり先日刊行され尾崎の小説『母影』について掘り下げる。『母影』【あらすじ】
小学校でも友だちをつくれず、居場所のない少女は、母親の勤めるマッサージ店の片隅で息を潜めている。お客さんの「こわれたところを直している」お母さんは、日に日に苦しそうになっていく。カーテンの向こうの母親が見えない。少女は願う。「もうこれ以上お母さんの変がどこにも行かないように」。
(新潮社公式サイトより)
『母影』は、iPhoneで書いてポメラ(テキスト入力に特化したデジタルメモ)で清書したそうだ。作品づくりにあたっては、「簡単に映画とかにならないものにしたかった」と話す。
尾崎:リアルな話をすると、子どもが主人公の(映画)作品って難しいでしょ? お客さん呼べないとか。有名な人を呼ばないといけないけど、今の日本にはそういう作品はないだろうと思って。
松居:そうそう。難しいね。
尾崎:だったら小説しかできないことなんじゃないかなと思ったし、そういうのも考えたな。
松居:『母影』に出てくるのは子どもよりもすごくまっさらな主人公な気がしていて。それは尾崎くんの中にあるの?
尾崎:あるけど、それを無理して引きずり出した。磨いていく感じだね。汚い奴をどうにかああいうふうにするっていう。だから、うそではあるんだよね、きっと。違うものをあとからなんとか形にしていくっていう。そういう作業もすごく面白かったから。評価としてリアリティーがないとか言われたりするけど、そこを突き詰めるのも大事なんだけど、自分の中でそれをやりたいっていう衝動があったから、やったということかな。小説に関しては、まず自分のやりたいことを書ききれるかどうか、保証がないから。
小説は音楽より評価が言葉になる
小説と音楽は、受け手の反応にも違いがあると尾崎は感じている。音楽は、ライブをすれば観客の熱狂を間近に見ることができるが、小説はそうではない。松居も自分が小説を刊行して、「届いているかどうかが感じとりづらい芸術なんだな」と感じたそうだ。松居:小説ってその人のスピードで読んで、読み終わっても、自分にとって大切な感覚だったら呟いたりしなかったりとか。エゴサしてもそんなに出てこなかったりとか。難しくない? 「届いているかどうかが感じとりづらい芸術なんだな」と思って。
尾崎:たしかにね。語る人は語るけど、本当に届いているか保証はないよね。語る人は、それを専用にやっている人だから。でも、小説は音楽より評価が言葉になるかな。
松居:ああ、なるほど。
尾崎:音楽は「いい!」「好き!」って言うだけでいいんだけど……。
松居:いろんな言葉の使い方をしてね。
尾崎:そう。小説は言語になるものだから。数が多くなかったとしても(そういう反応を)求めていたところもあったのかな。
松居:たしかにお笑いとかライブとかだと褒めたたえる表現が少なくて、「笑った」とか「嫌だった」とかになってしまうから。
尾崎:そうそう。(お笑いとかライブは)手を挙げたり飛び跳ねたり、手を叩いて笑ったり。だからそういうのは表現することも受けることも身体的だよね。コロナ禍でライブがなくなってからよく思ったかな。体を使って表現して、体を使って受け止めていたんだなって。自粛期間中は文章しか書いていなかったから「いいな」って言われても文字でしか返ってこないから。
小説における「カメラアングル」語る
尾崎の『母影』と、松居の小説『またね家族』(講談社)を読んだリスナーから、物語を描写するカメラアングルについて質問が届いた。「松居さんの作品は登場人物やエピソードは自分に引き寄せているのに、描き方はカメラアングルで言うと俯瞰で見せているような気がします。だから登場人物を見守るような気持ちで楽しめました。一方、尾崎さんの作品は登場人物やエピソードを他者への観察から構築されていて、ご自身とは離れた世界として明確に置いているのに、描き方はずっと手持ちカメラで追いかけているよう。だから登場人物そのものに私自身が憑依したような気分で読めました。おふたりが小説を書かれるときはカメラアングル的なことは考えたりされますか?」
尾崎:音楽だけやってたらこんな感想来ないよ(笑)。小説を書いたことの良さのひとつでもありますよね。たしかにな、と思う感想でした。僕の小説は映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいなもんだからね。手持ちカメラのアングルだから気持ち悪くなっちゃう(笑)。
松居:たしかに近すぎて。
尾崎:自分でも近すぎてわからなくなるし。
松居:顔のしわが見える感じがする。
尾崎:たしかに自分自身でも視点に酔う感じがあったかもしれない。
松居:それは意識して?
尾崎:そうとしか書けなかったかもしれない。なるべく低い視点で子どもの目線で書きたかった。大人の全体像だと足のほうが見えているかなとか、そういうふうに世の中の下の部分ばかりを見ていく感覚。
松居:俺はもしかしたらその逆で、背景とかを自分の設定にしていて、その近くに行くと恥ずかしいから、けっこう引いて、水道の水がポタポタ垂れている感じとか、ここには光がどういうふうに入っていてとか、ちょっと俯瞰にしていたのかな。
尾崎:松居くんの場合は水が垂れていくところもしっかり構図が決まっていて、その中で水だけが動いているって感覚でしょ?
松居:そうそう。
尾崎:自分は水が出てくる瞬間をその真下で見るような感じだから、それが何かわからない。水道かもわからないし、それを引きで見たところで主人公は水道だとはっきり理解できない。でも近すぎるからこそ別のものに変換できるというか。
尾崎はその表現を『母影』を例に説明する。
尾崎:『母影』には「おばあちゃんのおっぱいが学校のネットにぶら下がっている石鹸みたいだ」って描写があるんだけど、そういうのも普通に「おばあちゃんのおっぱい」って言うよりも、その感じがすごく伝わるように、一回遠ざける。わからないっていう思考を挟むことによって、それをすごくわかってもらえる。
松居:思考回路として、「なんだろう、あれに似てる」とかってことかな。
尾崎:普段、違和感があると思うんだよね。“このもの”って言っていることに対しても心のどこかで、「その前後に感覚があるんだけどな」ってことを、ちょっとでも出したいなと思ってたな。
松居:迷ったり考えたりしている過程も、大人になればなるほど覚えていて考えなくなっていく言葉、みたいなものがそこにはないから。
尾崎:大人になって言葉にしていくってことは、言葉を捨てていくってことだからね。言葉になった時点でかなりの量の気持ちが捨てられていくわけだから。映画でも「カット」という時点でそのシーンにしたっていうことだからね。それを表現したかったな。
クリープハイプ×松居大悟の作品は今後生まれる?
別のリスナーからはこんなメッセージが届いた。「松居さんの小説発売時のインタビューで尾崎さんは「クリープハイプの『鬼』のミュージックビデオで、クリープハイプと松居くんでやれることはもうやり切ったという感覚がある」と言われていましたが、おふたりが一緒に何かを作ることはもうないのでしょうか?」
松居は2012年から2016年までクリープハイプとミュージックビデオの制作などで関わっている。
松居:クリープハイプと5年くらいやってたけど、その5年間で自分の中での表現の根本とかもけっこう生まれて。クリープハイプと出会う前は童貞の男ばかりを描いていたけど、クリープハイプの曲は女性が主人公ということで女性を描きはじめて、そこからずっとそうなっていったし、けっこう揺さぶられたと思う。
尾崎:『鬼』が自分の中では完成形だったから。かなり気合いが入っていたでしょう?
松居:撮影自体が久しぶりだったから、『鬼』をやるぞってなってめちゃくちゃイキってというか。気合い入れたもんね。
松居:自分とクリープハイプの関係って誰が止めてるの?
尾崎:止めてないよ(笑)。
松居:クリープハイプとはいろいろやってきて、それから5年くらい経ってそれぞれの場所でお互いが進化して。今、自分は腕を回してるんだよね。
尾崎:回してるの!? そんな感じもしないけどね。
松居:ほら(実際に腕を回す)。
尾崎:(笑)。でも、やっていただけるのであれば。
松居:役者がストーリーを演じてその中でミュージシャンの演奏シーンがあったりっていうミュージックビデオはけっこうマネされてるからね。
尾崎:役者とミュージシャンがぶつかったりするやつね。それはやりつくしちゃったからね。
松居:でも、僕たちが一緒にやることを待ってる人がいるみたいですよ。
尾崎:それはうれしいことですよね。今までやってきたことが確実に残ったってことだから。作品ってそうやってずっと受け止めてくれる人がいるからいいよね。同じ温度感で保ってくれているわけでしょ。
今年のクリープハイプの目標はアルバムを作ることだそう。尾崎は今後、松居と一緒に何かしらの作品を作りたいと提案。松居は「今、その内容が電波に乗ったから」と、尾崎との約束を固いものにする。
尾崎:いいものを作ってほしいな。
松居:クリープハイプとやるときは常に緊張感もあり、前作を超えねばと思っているので、まず『鬼』を超えなければいけないしとか思うと、頑張らねばいかんな。
クリープハイプは3月3日(水)に東京ガーデンシアターで振替公演となるライブ「大丈夫、一つになれないならせめて二つだけでいよう」を開催予定。尾崎は3月26日(金)に東京・中野サンプラザホールで講談師・六代目 神田伯山と「ライブナタリー “六代目 神田伯山×クリープハイプ”」に出演する。
クリープハイプの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
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