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細野晴臣は「得体の知れないもの」を探っていく。その考え方と音楽キャリアを辿る

細野晴臣は「得体の知れないもの」を探っていく。その考え方と音楽キャリアを辿る

J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。番組では、毎回ゲストを迎え、様々なテーマを掘り下げていく。

2020年12月8日(火)のオンエアでは、ライターの門間雄介がゲストに登場。「奥深き細野晴臣の世界!」をテーマにお届けした。

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細野晴臣の偉大さは?

細野晴臣は、1969年、バンド「エイプリルフール」のベーシストとしてメジャーデビュー。その後、日本語ロックの礎を築いた「はっぴいえんど」、テクノポップで世界進出を果たした「YMO」、さらに、ソングライターとして多くの歌謡曲をヒットさせ、現在も現役バリバリのミュージシャンとして活動する、すごすぎる73歳である。

星野 源、コーネリアス、never young beach、Yogee New Wavesなど各世代のアーティストがリスペクトを公言していたり、『SONAR MUSIC』でも何度も名前が挙がっている。

今回はゲストに評伝『細野晴臣と彼らの時代』の著者であるライターの門間雄介を迎え、細野の魅力に迫った。

あっこゴリラ:なぜこの本を作ろうと思ったんですか?
門間:もともと細野さんの純粋な一ファンで、特にはっぴいえんど時代の熱心なリスナーでした。2012年に細野さんの歴史を辿る本を自分で書いてみたいと思い、細野さんのスタジオに押しかけるように訪ねていってお願いしました。そして、快諾してもらい本を書くことになりました。それから8年間経ってようやく完成に至りました。
あっこゴリラ:おお~! 8年ですか。すごい!
門間:はっぴいえんどから始まって、ものすごい音楽の変遷を辿ってきているので、歴史を掘れば掘るほどどんどん謎が増えていって。
あっこゴリラ:あはははは。これは徹底的にやらないとってなったんですね。
門間:軽率な気持ちでお願いしに行くべきではなかったなと思いましたね。途中、何度反省したことか。
あっこゴリラ:でも、8年かけてやっと出版までいったんですね。しかも、この本の発売に寄せたコメントで、細野さんは「もうこれ以上、話すことはないです」と仰っているそうですね。
門間:本当に光栄です。
あっこゴリラ:そこまで言わせるくらい細野さんに近づいた門間さんから見て、そのすごさはどこにあると思いますか?
門間:細野さんはこの音楽キャリアの中で、それまで誰も成し得なかったことを何度も成し遂げています。さらに、今まで様々なジャンルを横断してきたにもかかわらず、そのどれもが細野さんの音楽になっています。この二つが細野さんの偉大なところなのかなって思います。
あっこゴリラ:何かの再評価ブームが起こるたびに、高確率で、細野さんの名前が出てくる印象がありますが、実際これまでどれくらい音楽性が変化しているんですか?
門間:ざっくり分けると、日本語ロック、シンガーソングライター、シティポップ、テクノ、アンビエント、エレクトロニカ、現在はブギウギやカントリーなどをやられています。

日本語ロックを切りひらいた日本語ロック細野晴臣

ここからは、「6曲でわかる細野晴臣」と題して、細野晴臣の歴史と共にその時代の代表曲を紹介した。

・はっぴいえんど『風をあつめて』(1971年リリース)

あっこゴリラ:この曲は有名ですよね。ビギナーも知ってる方多いんじゃないかな。はっぴいえんどは当時、日本語ロックの礎を築いたって言われていますよね。
門間:1966年にビートルズが初来日して、そこから急にビートルズのようなグループサウンズだったり、その後のニューロックだったり、一気にロックバンドが増えていきました。みんなビートルズのように“英語で歌わなきゃいけない”みたいに考えてロックをやっていたところに、突然はっぴいえんどが“日本人は日本語で歌うべきだ”って、明確に宣言してやり始めたんです。
あっこゴリラ:かっこよすぎる。はっぴいえんどは、細野さんがベーシストとして参加しているバンドなんですよね。
門間:はい。細野さんはリーダーでもあり、大瀧詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さんらと4人で結成したバンドです。ただ単に日本語でロックをすればいいわけではなくて、日本語でロックすることを試行錯誤し、文化的な土台の上にちゃんとロックを築き上げていき成功したバンドです。
あっこゴリラ:この『風をあつめて』は、細野さんがボーカルなんですよね。
門間:はい。もちろんベースも弾いてますが、実はギターも細野さんだし、オルガンもそうで、この曲にはドラムの松本さんと細野さんの二人しか関わってないです。なので、もうこの頃には日本語ロックの先を見据えて、シンガーソングライターに興味が移ってきていたんだと思います。

番組では、はっぴいえんど『風をあつめて』をオンエアした。



・細野晴臣『恋は桃色』(1973年リリース)

あっこゴリラ:先ほどの『風をあつめて』の2年後の曲ですね。ずばり、この曲を選んだ理由は?
門間:この曲は、細野さんのソロの初アルバム『HOSONO HOUSE』の収録曲になりますが、このアルバムは「日本初の宅録作品」とも呼ばれています。その名の通り、細野さんのご自宅に機材を持ち込んでレコーディングされたものです。
あっこゴリラ:細野さん、日本初がめちゃ多くないですか。
門間:そうですね。いろんな先駆者として細野さんがいるんですよね。
あっこゴリラ:先ほど、バンドの先を見てるとおしゃってましたが、詳しく教えてもらえますか?
門間:実は、さっきの『風をあつめて』にもすでに見えていたんですが、はっぴいえんどでのロックサウンドから、シンガーソングライターに興味が移っていきます。70年代に世界的に出だしたシンガーソングライターサウンドを追及していきます。なので、わりとアコースティックの響きのする音楽ですよね。
あっこゴリラ:うんうん。
門間:自分で曲も作って歌って、プロデュースもしてっていうのは新しかったと思います。
あっこゴリラ:この後、また音楽性が変わるんですよね?
門間:はい。そこが細野さんのおもしろいところで、細野さんは音楽に対する考え方について「わかってしまったものに興味はない。わからないもの、得体の知れないものに興味がある」と言っていて、2〜3年で興味が移り変わって、作品に昇華して理解したら、次に行ってしまうんです。
あっこゴリラ:すごい。なんか羨ましいです。あはははは。

番組では、細野晴臣『恋は桃色』をオンエアした。



トロピカルから一転、テクノへ

時代によって音楽性がどんどん変化していく細野晴臣。その後、どんな音になっていくのだろうか。

・細野晴臣『Roochoo Gumbo』(1976年リリース)

あっこゴリラ:続いての曲は?
門間:トロピカル三部作と言われているうちの一つ、1976年のアルバム『泰安洋行』から『Roochoo Gumbo』です。
あっこゴリラ:さっきまでとガラッと変わって、独特ですね。
門間:この曲は、ニューオーリンズのサウンドに沖縄の三線と民謡がミクスチャーされた、当時誰も考え付かなかったような革新さがあります。
あっこゴリラ:かっこいい! しかも目を付けているのが民謡ってところがすごいですよね。
門間:目の付け所が良いし、早いし、鋭いですよね。細野さん自身が、「自分はリスナーだ」ってよく言っていて、自分でいろいろ聴いてきた膨大な音楽の中からこうやってチョイスして、それまでにないミックスを考え出したってことだと思います。
あっこゴリラ:本当に音楽が大好きな方なんだな~って思いますね。なぜロックからトロピカル方面に行ったんでしょうか? それまで評価されていたのに、そこからトロピカルに行くって、相当勇気いりますよね。
門間:そうですね。だから、1976年に作られたこの『泰安洋行』っていうアルバムは、作った当時はわりと評判は良くなかったんですよね。それまでいた聴き手が離れていってしまったんです。
あっこゴリラ:そうなんだ~。でも、そこからまた変わっていくんですよね?
門間:はい。この後、YMOを始めるんです!

番組では、細野晴臣『Roochoo Gumbo』をオンエアした。



・YMO『ABSOLUTE EGO DANCE』(1979年リリース)

あっこゴリラ:ずばり、この曲を選んだ理由は?
門間:この曲は、YMOの最も売れたアルバムの収録曲で、その中で細野さんの代表曲ということもあって、最近のライブでも必ずやっている曲です。
あっこゴリラ:トロピカルから一転、なぜテクノに行ったんでしょうか?
門間:正直、トロピカル期は売り上げが落ちていたんですよね。あまりにも進み過ぎた音楽を作ってしまったので、聴き手が離れていって、一緒に音楽をやっていた人すらも“これはちょっとわからない”ってなって、孤独になっていた時期だったんです。
あっこゴリラ:そっか~。今だったら、バチバチにかっこいいってわかるのにね。
門間:そんな状況に追い込まれた細野さんが、それまでやってきたエキゾチックサウンドを“どうやったらみんなに聴いてもらえるか”と考えた時に、当時流行していたディスコミュージックとミックスしたらウケるんじゃないかとトライしたのが、YMOだったんです。
あっこゴリラ:YMOのメンバーは、なんでこのメンバーになったんですか?
門間:実は、トロピカル三部作の最終作『はらいそ』に坂本龍一さんと高橋幸宏さんが参加していて、その流れからYMOが結成されました。
あっこゴリラ:ここからまた音楽性がかわるんですよね?
門間:次は、アンビエントです!

番組では、YMO『ABSOLUTE EGO DANCE』をオンエアした。



細野晴臣の魅力、“常にいまが一番かっこいい!”

その後、細野晴臣の音楽はどのように変化していったのだろうか。

・細野晴臣『PLEOCENE』(1989年リリース)

あっこゴリラ:なぜアンビエントへ向かっていったと思いますか?
門間:YMOが国内でも海外でも評価されて、とてつもなく多忙になって、さらにその時期、はっぴいえんどの松本隆さんの声掛けで歌謡曲も手がけておりパンク寸前で、どこかに逃げ場がほしいと思っていたと細野さんは言っていました。
あっこゴリラ:そうだったんですね。
門間:そんな中、音楽ビジネスそのものに嫌気が差し、「もう誰も聴かない音楽を作ろう」となって、こういったアンビエントミュージックに向かっていきます。誰かに聴かせる音楽ではなくて、もっと内面的な音楽を作るようになります。
あっこゴリラ:現在、アンビエントが再評価され、当時の作品が脚光を浴びることを細野さんはどう思っているのでしょうか?
門間:当時、自分の癒しのために作っていた部分もあるので、近年再評価されていることはご存じなんですけど、そこに対してあまり関心はもってないみたいです。ただ、当時の細野さんが癒しを求めて音楽を作っていたように、「こんな時代だから心の安らぎを求めているのでは?」と仰っていました。

番組では、細野晴臣『PLEOCENE』をオンエアした。



・細野晴臣『The House Of Blue Lights』(2013年リリース)

門間:この曲は1944年のブギウギ曲のカバーになります。もう、一人の人が作ってる音楽キャリアじゃないですよね(笑)。
あっこゴリラ:あはははは。めちゃめちゃおもしろい! この曲を選んだ理由は?
門間:アンビエントの時代があって、だいぶ経ってからですけど、2000年代後半から、自分で歌って、生演奏するっていうところに回帰します。この曲は、最新の細野さんのスタイルがわかる一曲だと思います。今もライブのクライマックスで演奏するのがこの曲なんですよね。
あっこゴリラ:へえ~!
門間:どんどん研ぎ澄まされていって、今のライブの洗練度が凄いです。50年のキャリアの中で、今のライブが一番いいって言っていますね。
あっこゴリラ:本を書くにあたって、なぜこのブギウギをやることになったかお聞きしたんですか?
門間:細野さんはもともとライブが嫌いだったんですけど、2005年くらいに呼ばれてライブをやる機会があって、それをきっかけに“歌と演奏は楽しんじゃないか”ってようやく発見したそうなんです。
あっこゴリラ:それをキャリア40年くらいで気付いたんですね。あはははは。
門間:YMOではコンピューターで打ち込みとかもやっていたけど、やっぱり生演奏は楽しいってところにたどり着いたんですね。すごくシンプルなところに戻っていったってことですよね。

番組では、細野晴臣『The House Of Blue Lights』をオンエアした。



最後に、細野晴臣の魅力はどこにあるのか訊いてみた。

門間:レジェンドと言われているのに、いまも現役であり続けているところだと思います。一昨年にイギリス、昨年はアメリカでライブされていますが、若い海外のオーディエンスが行列を作り、「HARUOMI〜!」と叫んでいるのを見て、やっぱり現役のミュージシャンなんだなって思いました。いまのアーティストとして捉えられているし、“常にいまが一番かっこいい!”、そこに細野さんの魅力があると思います。

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