J-WAVEで放送中の番組『MITSUBISHI JISHO MARUNOUCHI MUSICOLOGY』(ナビゲーター:グローバー)。ゲストを迎え、1組の「レジェンド・ミュージシャン」をテーマに音楽談義を繰り広げるこの番組。7月6日(土)のオンエアでは、今年バンド結成30周年を迎えたTHE YELLOW MONKEYを特集。ゲストに9mm Parabellum Bulletの菅原卓郎さん(Vo/Gt)と、音楽ライター・増田勇一さんを迎え、その魅力に迫りました。
【radikoで聴く! 吉井和哉の歌詞はソロ活動を経てどう変わった?(2019年7月13日28時59分まで)】
■THE YELLOW MONKEYとの出会い
菅原さんと増田さんに、それぞれのTHE YELLOW MONKEYとの出会いを訊きました。
菅原:10歳とか11歳ぐらいの頃です。僕は山形の生まれで、田舎なのでどこに行くにも車に乗っていたんですけど、ラジオから『太陽が燃えている』が流れたんです。バンド名から小学生の想像力で、「米米CLUBみたいな感じで、黄色いスーツを着た人たちが大量にいて、演ってるんだろう」っていう想像をしてました(笑)。
増田:最高ですね(笑)! そのイメージ、二度と戻ってこない。
グローバー:(笑)。そこから、どうやってハマっていきましたか?
菅原:そのあと『JAM』をラジオで聴いて、シングルのCDを買いました。ちょうどその頃ベスト盤が出たので、それを友だちと貸したり借りたりしながら聴いてました。
グローバー:当時は、THE YELLOW MONKEYのどんなところが好きでした?
菅原:今、好きだと感じる部分と同じですね。華やかなところとか、チャラチャラっとしてるように見せて歌詞が胸に刺さってくるところとか。全部、最初から好きでした。一番好きな曲は『バラ色の日々』か『SO YOUNG』です。
■インディーズ時代のTHE YELLOW MONKEYは...
増田さんは、ヘヴィ・メタル/ハード・ロック専門誌『BURRN!』などの編集を経て、現在はフリーランスで活動しています。仕事でもTHE YELLOW MONKEYとか関わっており、結成される前からメンバーを知っていたそうです。
増田:僕はメンバー各々の前のバンドの頃、ジャパニーズ・メタル・シーンで活躍していた頃から薄っすらと付き合いがあったんです。初めて知った頃は、吉井さんはベースでしたし。彼がいたバンドは「静岡のモトリー・クルー」という異名を取ってました(笑)。HEESEYのいたバンドは「東京のラット」だったのかな。曲を初めて聴いたのは、今と同じ顔ぶれが揃った最初のインディーズ盤『BUNCHED BIRTH』の試聴音源を送ってくれました。
「うちの雑誌じゃできないや」と思いつつ、グッとくるものがあり、レコード評論は上げたのだとか。
増田:もちろんです。最初から「好きなこと全部やってるな」って感じがすごくしました。それからしばらくは、仕事で関わる機会がなかったんです。会社を辞めてフリーになってから付き合いが深くなりました。アルバム『PUNCH DRUNKARD』の頃でした。
■菅原卓郎が選ぶTHE YELLOW MONKEYのロックな曲
菅原さんがTHE YELLOW MONKEYの楽曲の中から、「この曲にロック・スピリットを感じるぜ!」というテーマでTOP 3を選びました。
3位:『パンチドランカー』
菅原:この曲はギターリフだけで構成されてるんです。歌謡曲だと、そうじゃないですよね。J-POPはコード進行があって、AORみたいなものから流れてきたものがあると思います。でも、この曲はギターから始まって、ギターソロがあって、すごくシンプルなサビのコーラスがあって、「これはロックンロールでしかないだろう」と感じますね。
2位:『TVのシンガー』
菅原:これもギターリフですよね。EMMAさんは構え方、立ち姿がギターのことを何も知らないキッズでも「すげえカッコいいギタリストだ」って、一発でわからせてくれました。あんなに低くして弾けないんですよ。「あんなポーズでどうやって弾いたらいいんだ」っていう壁がまずあるんです(笑)。
1位:『天国旅行』
菅原:長いイントロがついてるんですけど、ライブで初めて観たときに、吉井さんがひとりで1分以上ずっとギターを掻きむしって、そこからやっと曲に入るんです。僕が10歳、11歳でTHE YELLOW MONKEYを聴き始めた頃は、日本にそんな曲はなかったんです。「天国に行くんだよ」って言うんだけど「いや、でも本当は行きたくないんだよ」みたいな歌詞でもあると思うんです。身近なことを歌ってるわけじゃないけれど、そういう葛藤があって「そこに挑まなきゃいけないんだ」という曲ですね。
オンエアでは他にも、ソロ活動を経て吉井和哉の作風はどう変わったかなど、アツい考察が繰り広げられました。ぜひradioで聴いてみてください。
7月13日(土)のオンエアでも、引き続きTHE YELLOW MONKEYを特集します。J-WAVEで17時から。どうぞお楽しみに。
【この記事の放送回をradikoで聴く(2019年7月13日28時59分まで)】
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聞き直せます。
【番組情報】
番組名:『MITSUBISHI JISHO MARUNOUCHI MUSICOLOGY』
放送日時:毎週土曜 17時-17時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/musicology/
【radikoで聴く! 吉井和哉の歌詞はソロ活動を経てどう変わった?(2019年7月13日28時59分まで)】
■THE YELLOW MONKEYとの出会い
菅原さんと増田さんに、それぞれのTHE YELLOW MONKEYとの出会いを訊きました。
菅原:10歳とか11歳ぐらいの頃です。僕は山形の生まれで、田舎なのでどこに行くにも車に乗っていたんですけど、ラジオから『太陽が燃えている』が流れたんです。バンド名から小学生の想像力で、「米米CLUBみたいな感じで、黄色いスーツを着た人たちが大量にいて、演ってるんだろう」っていう想像をしてました(笑)。
増田:最高ですね(笑)! そのイメージ、二度と戻ってこない。
グローバー:(笑)。そこから、どうやってハマっていきましたか?
菅原:そのあと『JAM』をラジオで聴いて、シングルのCDを買いました。ちょうどその頃ベスト盤が出たので、それを友だちと貸したり借りたりしながら聴いてました。
グローバー:当時は、THE YELLOW MONKEYのどんなところが好きでした?
菅原:今、好きだと感じる部分と同じですね。華やかなところとか、チャラチャラっとしてるように見せて歌詞が胸に刺さってくるところとか。全部、最初から好きでした。一番好きな曲は『バラ色の日々』か『SO YOUNG』です。
■インディーズ時代のTHE YELLOW MONKEYは...
増田さんは、ヘヴィ・メタル/ハード・ロック専門誌『BURRN!』などの編集を経て、現在はフリーランスで活動しています。仕事でもTHE YELLOW MONKEYとか関わっており、結成される前からメンバーを知っていたそうです。
増田:僕はメンバー各々の前のバンドの頃、ジャパニーズ・メタル・シーンで活躍していた頃から薄っすらと付き合いがあったんです。初めて知った頃は、吉井さんはベースでしたし。彼がいたバンドは「静岡のモトリー・クルー」という異名を取ってました(笑)。HEESEYのいたバンドは「東京のラット」だったのかな。曲を初めて聴いたのは、今と同じ顔ぶれが揃った最初のインディーズ盤『BUNCHED BIRTH』の試聴音源を送ってくれました。
「うちの雑誌じゃできないや」と思いつつ、グッとくるものがあり、レコード評論は上げたのだとか。
増田:もちろんです。最初から「好きなこと全部やってるな」って感じがすごくしました。それからしばらくは、仕事で関わる機会がなかったんです。会社を辞めてフリーになってから付き合いが深くなりました。アルバム『PUNCH DRUNKARD』の頃でした。
■菅原卓郎が選ぶTHE YELLOW MONKEYのロックな曲
菅原さんがTHE YELLOW MONKEYの楽曲の中から、「この曲にロック・スピリットを感じるぜ!」というテーマでTOP 3を選びました。
3位:『パンチドランカー』
菅原:この曲はギターリフだけで構成されてるんです。歌謡曲だと、そうじゃないですよね。J-POPはコード進行があって、AORみたいなものから流れてきたものがあると思います。でも、この曲はギターから始まって、ギターソロがあって、すごくシンプルなサビのコーラスがあって、「これはロックンロールでしかないだろう」と感じますね。
2位:『TVのシンガー』
菅原:これもギターリフですよね。EMMAさんは構え方、立ち姿がギターのことを何も知らないキッズでも「すげえカッコいいギタリストだ」って、一発でわからせてくれました。あんなに低くして弾けないんですよ。「あんなポーズでどうやって弾いたらいいんだ」っていう壁がまずあるんです(笑)。
1位:『天国旅行』
菅原:長いイントロがついてるんですけど、ライブで初めて観たときに、吉井さんがひとりで1分以上ずっとギターを掻きむしって、そこからやっと曲に入るんです。僕が10歳、11歳でTHE YELLOW MONKEYを聴き始めた頃は、日本にそんな曲はなかったんです。「天国に行くんだよ」って言うんだけど「いや、でも本当は行きたくないんだよ」みたいな歌詞でもあると思うんです。身近なことを歌ってるわけじゃないけれど、そういう葛藤があって「そこに挑まなきゃいけないんだ」という曲ですね。
オンエアでは他にも、ソロ活動を経て吉井和哉の作風はどう変わったかなど、アツい考察が繰り広げられました。ぜひradioで聴いてみてください。
7月13日(土)のオンエアでも、引き続きTHE YELLOW MONKEYを特集します。J-WAVEで17時から。どうぞお楽しみに。
【この記事の放送回をradikoで聴く(2019年7月13日28時59分まで)】
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聞き直せます。
【番組情報】
番組名:『MITSUBISHI JISHO MARUNOUCHI MUSICOLOGY』
放送日時:毎週土曜 17時-17時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/musicology/
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