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平成カルチャーを振り返る! 渋谷系、エヴァ…次世代のキーワードは「持たない」こと?

平成カルチャーを振り返る! 渋谷系、エヴァ…次世代のキーワードは「持たない」こと?

J-WAVEの番組『BKBK(ブクブク)』(ナビゲーター:大倉眞一郎、原カントくん)。本や映画に詳しい大倉眞一郎と、複数のメディアに携わる編集者・プロデューサーの原カントくんが、大人が興味を惹かれるモノについて縦横無尽に語り合います。4月23日(火)の放送では、平成のカルチャーを振り返りました。


■最初の10年が強烈だった平成

平成元年はJ-WAVE開局の翌年。そのころの大倉は、広告代理店のラジオ局という部署で、昭和天皇崩御の際は真っ先に駆けつける立場でした。しかしその後大倉は仕事ですぐアメリカ、イギリスと海外に8年間行くことになったために、平成の元号と西暦が合致しないのだとか。一方の原は、「平成は最初の10年の印象が強烈だった」といいます。

:90年代は今でも語り継がれるトピックがたくさんあって。1989年に平成が、そして90年代がはじまって、95年にオウム真理教サリン事件、阪神淡路大震災、97年に酒鬼薔薇の事件があったり強烈に残ってるんです。
大倉:当時はネットは普及してなかったので、ロンドンのオフィスに朝大量のファックスが送られてきていて、「一体何事?」とテレビをつけたら大変なことになっていて。あのときはまだ距離感がありました。

平成は文字通り「景気もお給料も平らになったムード」という原ですが、バブルを経験した大倉は当時をこのように振り返りました。

大倉:バブルでいいことがあったかといえば、僕はまるで何もなかったんだけど(笑)、ロンドンで過ごした7年間に日本人がどんどん帰って行くんですよ。地銀とかも大変なことなって支店がなくなって。ロンドンにキャバクラみたいなところがあったんですけど、それまでは入れない状態だったのが、日本人が帰ってしまうのでスイスイ入れるようになって(笑)。

一方の原は就職氷河期の世代。バブル崩壊後の変化をこう語ります。

:僕は就職活動をしていたのが97、98年くらいなんですけど、そのころは就職氷河期で大変でした。大倉さんのときとはえらい違いだと思います。
大倉:じゃあカントくんは就職氷河期を生き抜いた男?
:でもそこまでマスコミの方が言うような閉塞感はなかったですね。今までの大企業もピンチになっていって、確かに就職は(それまでより)難しかったと思いますけど、全員大学を出て大企業に入るもの、というのがバブルと一緒に崩れていって、自分で会社を立ち上げる人が増えたり、多様な選択肢が提示されておもしろかったですね。


■平成のエポックメイキングな出来事は?

続いて平成時代でエポックメイキングなできごとについて。原はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を挙げました。

:エンタメ作品では『新世紀エヴァンゲリオン』ですね。単なるアニメから社会時評に飛び火していって、あれって1995年なんですよ。エヴァンゲリオンが自分のなかではサブカルチャーが終わったときというか、マニアックなカルチャー、オタクのカルチャーが表に出ていく分水嶺になっていたと思うんですよね。
大倉:時代の流れに乗ったというか、「エバンジェリスト」という言葉自体が福音派ですからついそっちも想像しちゃうんですけど、僕は全然知らないんです。
:大変な騒ぎになったんですよ。そのエヴァの監督が『シン・ゴジラ』を平成の最後のほうで撮っているというのがおもしろいですよね。

大倉は平成を象徴するできごととして、村上春樹の作風の変化について指摘しました。

大倉:村上春樹は昭和と平成の作家ですけど、「村上春樹の小説が変わったな」というタイミングが平成だと思うんです。
:『ねじまき鳥クロニクル』のころですか?
大倉:『ねじまき鳥クロニクル』は平成なんです。『ダンス・ダンス・ダンス』は昭和なんです。それが変わった感じが印象としてあります。トーンが変わったというか。
:重いテーマになった気はしますよね。
大倉:隠喩だらけの、何だこれは!?と思いながらページを先にめくらせる読ませ方は「ねじまき鳥」あたりからかと。
:羊三部作が終わって、「ねじまき鳥」にいって、村上春樹はオウム真理教の事件を受けて『アンダーグラウンド』を書いたり、ノンフィクションを書いたり、確かに作風が変わったなと思います。


■渋谷系から透けてみえる、平成の終わりの価値観の変化

トーク後半は、原が編集に関わった『雑誌ケトル』最新号で特集した「渋谷系が大好き!」をフックに、平成時代に変わった価値観について語りました。

:渋谷系って、渋谷HMVの名物カリスマバイヤーが「この音楽が推しだ」とジャンルもバラバラなものを並べたものが、オシャレな若者の間で爆発的にヒットして、そんなような括りで「渋谷系」という呼ばれ方になったんです。
大倉:じゃあカルチャー全般のムーブメントだったんですね。
:そうです。デザインも含めて。だから渋谷系の流れは音楽だけじゃなくどんどんデザインや文学、街の作り方にも流れていって、今いい具合に消化されていて、その源流をたどる特集になっています。
大倉:今に繋がる流れというのは、ある種の“軽さ”なんですか?
:軽さというか、渋谷系がなぜこんなに流行ったのかは、いろいろな人に訊いてもよくわかってなくて。一説によると、ピチカート・ファイヴとフリッパーズ・ギターとオリジナル・ラヴが渋谷系御三家なんですけど、(フリッパーズ・ギターの)小山田圭吾さんも「渋谷系ってこれから流行るらしいですよ」と他人事のように語っていたくらい、本人も意識してない状況だったそうです。

平成の始まりに起きた渋谷系ブーム。当時と比べて失われたものはモノへの考え方だといいます。

:平成が始まってすぐ渋谷系という流れができて、当時は「何かを集めることがエラい」って文化があったと思うんです。レコードを集めるとか、スニーカーを集めるとか、ジーンズとか。平成が終わる今はもう音楽はサブスクリプションサービスで、車はシェアしてるし、家もシェアで、集めるカルチャーはなくなってるなと、特集を作りながら面白いと思いましたね。
大倉:それはすごく面白い分析だね。最近僕は仕事で10代、20代の若い人にインタビューすることが多いんですけど、みんな持たないんですよ。下手すると、冷蔵庫もテレビも、なんにも持たない。
:それはわかりますね。僕もCD全部、捨てちゃいましたもん。
大倉:捨てるなよ(笑)。そこは僕は渋谷系かもしれない、CDが全然捨てられないんだよね。

いよいよ終わる平成。どんなカルチャーが印象に残ったか、振り返ってみてはいかがでしょうか。

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【番組情報】
番組名:『BKBK』
放送日時:毎週火曜 26時30分-27時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/bkbk/

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