音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」
sumika・片岡健太、「これは中毒性がある」と感じた瞬間とは

sumika・片岡健太、「これは中毒性がある」と感じた瞬間とは

J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。3月9日(土)のオンエアでは、sumikaの片岡健太さんがゲストに登場。音楽にハマったきっかけを明かしました。


■ギターで初めて父親を越えた

何にも熱中できない少年時代を過ごしていた片岡さん。唯一熱中できたブロック遊びで理想の家を作っていたということで、高校3年生の夏頃までは建築士を目指して製図の学校に行こうとしていました。

片岡:音楽か建築士か悩んで、僅差で音楽が勝って今に至ります。
クリス:なぜ僅差で音楽が勝ったんだろう?
片岡:そのときにすっごい仲が良かったバンド仲間がいて。彼が音楽の専門学校に行くことになって。「一緒に登下校しようよ」と言われて、僕チョロいんで「いいねえ」って(笑)。

何にも熱中できなかった片岡さんが、最初に音楽に触れたきっかけは何だったのでしょうか?

片岡:小学4年生のときに、父親が自分で弾く用にアコースティックギターを買ってきて。家で父親がギターを弾くのを聴かなきゃいけない時間があったんです(笑)。晩ご飯を食べた後に、父さんがリサイタルをやるんですよ。
クリス:コンサートやるんだ。
片岡:それでアコギをよく聴いてたんですけど「お前も弾けるだろうから、コード教えてやるよ」って言われたのが4年生のときです。
クリス:それで弾けるようになったの?
片岡:ギターを弾くようになりました。

片岡さんが最初にコピーしたのはスピッツの『チェリー』。しかし、Fコードが弾けず苦戦したため、父親が持っていた楽譜から比較的簡単なものを選び、村下孝蔵さんの『初恋』をコピーしました。

片岡:うちの父親も、基本的に熱しやすく冷めやすいんです。僕の性格は多分父親譲りだと思うんですけど、いろんなことを始めるんです。キャンプも釣りもそば打ちも道具は揃えるんですけど三日坊主で。ギターも「学生時代に弾いてたからそれを見せてやろう」っていう気持ちで弾いてたんです。でも僕がだんだん弾けるようになって気付くんですけど、うちの父親は実はFコードを弾けないんです(笑)。
クリス:押さえられないんだ?
片岡:だから村下孝蔵さんをひたすら弾いてたと思うんです(笑)。なので、初めて父親を越えられた瞬間がアコースティックギターを弾いたときでした。そういう小さな成功体験のようなものを得られたのが小学生のときでした。
クリス:小学生のときにすでに親を越えたと?
片岡:そうですね。小6くらいで抜きました。
クリス:お父さん嫌だろうね。そんなふうに小6の息子が「親父を越えたぜ」って。
片岡:(笑)。それまでは帰ってきたら「お前ギター弾く練習しろよ」って言ってたんですけど、僕がFコード弾けるようになった瞬間に「音楽で夢なんか見るんじゃねえ!」って言われました(笑)。
クリス:(笑)。
片岡:手のひら返しでした。いきなり敵になりました。


■みんなに認めてもらえた初ライブ

それからギターを弾き続けていた片岡さん。初めてのライブは、中学3年生のときのお別れ会でした。

片岡:中3になったらそういうライブがあるのは、なんとなく知っていて。中2くらいから「お別れ会に出れるんだったら準備だけしておこう」と。隠キャラだったんで出る気は無かったんですけど。
クリス:万が一、そういう場面が来たことを考えてね?
片岡:「準備しておくに越したことはないな」と、中2くらいからバンドの真似事のようなことを始めました。
クリス:バンドメンバーは同じ学校の人だったの?
片岡:そうです。みんなが部活動をやってる時間にバンドができる人たちなので、体育の面で言うと落ちこぼれた人たちというか(笑)。日陰キャラたちです。
クリス:分かります。それでどんな曲をやってたの?
片岡:こっそりやってた割にはHi-STANDARDとかSNAIL RAMPとか。そんなイケイケなバンドサウンドの曲をやってました。

そうして迎えた初ライブで、音楽の中毒性に気付きます。

片岡:日陰キャラだった僕が「片岡君って中学3年間音楽やってたんだ」と、みんなに認めてもらえたのがそのお別れ会だったんです。「これは中毒性あるな」と。「ステージに立って、人の評価が180度変わる瞬間がライブの中にあるんだ」と知ったので、その気持ちを絶やさないまま高校に入学して、軽音楽部があったので入って、いきなりバンドを5個くらい組んでました。

その頃は、すべてのバンドでギターを担当していた片岡さん。ボーカルになったきっかけについてこう話します。

片岡:高校1年生の最後に、僕がギターで、ベース・ボーカル、ドラムがいるという3ピースのバンドを組んでたんですけど、ベース・ボーカルの奴が「ベースが難しすぎてこの曲歌えないから健ちゃん歌ってよ」と言われて。それが初めてですね。
クリス:それはなんていう曲ですか?
片岡:GOING STEADYの『もしも君が泣くならば』という曲です。とにかくずっとベースが動いている曲です。
クリス:その頃はミュージシャンになろうという気持ちはあったんですか?
片岡:「これで生きていけたら最高だな」とは思いつつ、「そんなに甘くはないだろうな」とも思っていました。


■sumika結成秘話

初ライブで音楽の中毒性に魅了され、今に至る片岡さん。番組では、sumikaの結成秘話も語ってくれました。

片岡:もともと、ドラムの荒井(智之)くんとギターの黒田(隼之介)くんと僕は前身バンドから一緒で。もうひとりベースがいたんですけど、違う仕事をしたいという話になって。残りの3人はまだ音楽を続けたいと。ベースの彼が一旦休みたいと言うんだったら、「違うバンド名で新たに始めよう」というのが、sumikaが始まったきっかけですね。それが2013年でした。
クリス:そのときはまだ小川(貴之)くんは入っていなかった?
片岡:そうですね。毎回ゲストメンバーを迎えてライブをしていて、小川くんがそのときピアノボーカルのバンドをやっていて。それでライブを観ていいなと思ったので、「鍵盤を弾いてコーラスしてほしいな」とお誘いして、1年ぐらいはサポートとしてゲストメンバーで入って、1年経って2015年に正式にオファーしました。
クリス:ベーシストは基本的にサポートの方でやっているんですね?
片岡:そうですね。2013年に結成するときに、バンドで音を鳴らすうえでベースの音は欠かせないので、ベーシストを探していたんですけど、誘う人誘う人みんなに断られて……人望無いんだなって(笑)。割り切って、ベーシストによって同じ曲やってても全然違うように聴こえるし、ボーカルを歌う上でドラムとベースと音がこう合わさると「こういうボーカルに聴こえるんだ」とか「こういう歌い方ができるんだ」と新たな発見もあって。今では、ゲストミュージシャンを迎えるやり方をやっているからこそ、sumikaの刺激的な音を作れているのかなと思います。

ベーシストによって、曲に合うベースを考えてもらっていると片岡さん。メンバー以外のエッセンスが入ることが「sumikaらしさ」と明かし、新しい曲ができあがるたびに、作ったsumikaのメンバーも驚いているとも教えてくれました。

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【番組情報】
番組名:『SAPPORO BEER OTOAJITO』
放送日時:毎週土曜 18時-18時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/otoajito/

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