J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:藤田琢己)。12月4日(火)のオンエアでは、DAOKOとのコンビでお届けしました。
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は12月12日(水)にニューアルバム『ANTI ANTI GENERATION』をリリースするRADWIMPSを特集しています。
【1回目】RADWIMPS、結成のきっかけはティッシュ配り!? メンバーが語る運命的な出来事
今回はメンバーの野田洋次郎さん(Vo./Gt.)、桑原彰さん(Gt.)、武田祐介さん(Ba.)の3人に藤田がインタビューした模様とともに、彼らの魅力に迫りました。(※ドラムの山口智史さんは現在、持病のため休養中です)
■作りたい音楽に技術が追いつかなかった
2日目のオンエアでは、メジャーデビュー以降の彼らの軌跡に迫りました。『25コ目の染色体』は、いかにしてデビュー曲に決まったのでしょうか?
藤田:自分たちの中でなんとなく「これ!」っていう曲はあったんですか?
野田:『25コ目の染色体』はけっこう前に決まってたかもね。「この曲でいきたいね」っていうのは。アルバム目がけてレコーディングはしてたんですけど、「一応デビュー曲は大事だよ」って言われてたから、「まぁこれかな」って感じだった。
シングル『25コ目の染色体』を2005年11月にリリースしてデビュー。翌年2月には、同曲と同時に作っていたという、1stアルバム『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』をリリースしました。
その『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』は、制作が大変だったそう。その理由を、野田さんは「そんなに上手くないバンドだったから、俺らは」と振り返ります。藤田は、当時からテクニカルなバンドだという印象を持っていましたが、メンバーによると「難しいことをしすぎた」のだとか。
野田:(実力が)伴ってない中で、自分たちが目指すところが高くて、実力に見合わない何かをやろうと……。のちのち、それがよかったのかもしれないですけど。やりたいことに自分たちの力が追いついてくるとすごいおもしろかったけど、最初はレコーディング自体が大変だったよね。
武田:レコーディングは悲惨だったね(笑)。
デビューから現在までRADWIMPSのレコーディングを手がけてきたディレクターには、「おまえら、ライブで弾けない曲をレコーディングしようとするな」と言われたそうです。メンバーはパートごとにレコーディングするつもりでしたが、それは許されず、すべて一斉に演奏する“一発録り”を行いました。
野田:歌もブロック毎に録っていけたら嬉しいんだけど、「それおまえライブで歌えねぇじゃん」って言われて。「ツルッと歌えないんだったら変えな」って言われて(笑)。まぁ本当に育てられた感じがありましたね。
レコーディングで技術を駆使すれば、どんな複雑な音楽も作れますが、ディレクターはまだ若いRADWIMPSの将来性を考えて、厳しく育てたのかもしれません。
一発録りは、それ以降もずっと続いています。「何か気に食わないことがあると、またスタジオを取ってまるまる録り直す」と野田さん。『me me she』『夢番地』『オーダーメイド』など、何度も録り直しを繰り返した曲も少なくないのだとか。ちなみに『有心論』のイントロ歌詞は、本来は曲中に入っていませんでした。一発録りが終わってから野田さんの中に湧いたものの、「あれは録り直せないな」と、イントロとして付け加えたという貴重な話も明かしました。
■作っては捨てる、地獄の日々
2006年に『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』をリリース後、立て続けにシングル『ふたりごと』『有心論』『セツナレンサ』を発表。同年12月には、アルバム『RADWIMPS 4〜おかずのごはん〜』をリリース。
ハイペースの曲作りに加え、ライブ会場もどんどん大きくなり、すべてが順調だったのですが(この時を「第一次ノッてるぜレコーディング・ブーム」と言う野田さん)、そこから3年半ほどバンドは停滞期に入ります。
野田:その3年半くらいは、ほぼ毎日スタジオには入ってたんだよね。作ろう作ろうとしてて、でも作っては捨ててみたいなことをやってて。その間に世の中的には(RADWIMPSが広まってきていて)……。
藤田:「ホントかな?」みたいなことを言ってたよね。
野田:そうそう。実感なかった。
藤田:オリコン1位に。
野田:そう、『オーダーメイド』で初めて1位になって。それが実はどん底期だったんですよ、俺らとしては(笑)。その3年半でその1枚のシングルしか出してないから(笑)。
藤田:山あり谷あるなぁ(笑)
野田:やばかったよね。今でも覚えてる。『オーダーメイド』がオリコン1位を取りましたよ、って日についにストライキを起こして、桑原が。スタジオに来なかったの覚えてる?
桑原:覚えてる(笑)。
野田:沈黙のスタジオ(笑)。
毎日スタジオに入って作曲をするうちに、「だんだん何もできなくなってきてしまった」と桑原さん。当時を「地獄だったね……」と振り返りました。
■「このバンド、もう無理だ」とメンバーに言われた野田は…
そんなことがあって、野田さんは「ある時点で、曲作りは一切ひとりでやるって決めた」と言います。それと同時にバンドを主導していく責任感が生まれたそうです。
藤田:そこは何かひとつ、自分の中で大きなものがあった?
野田:このままじゃ解散するなと思ったから。単純にやってられないし、俺も。たぶんメンバーも思ってたし。それぞれに一回ずつくらい言われたんですよ、「洋次郎、ごめん。俺もう無理だ、このバンド」って。「俺はもうおまえの足しか引っ張らい」みたいな。それがけっこうデカかったですね。
藤田:それぞれ乗り越えてますね(笑)。
野田:ね。まぁ、あのときにスパッとやめてたら、もっと今ふつうに仲良く遊んでたのかもしれない(笑)。
一同:(笑)。
野田:それを諦めて、一緒にバンドをやるってことを決めたっていうか。
その壁を突破してからは、音楽を鳴らしているときが自分たちを一番結びつけている感じが強くなり、音楽をやっている時が一番楽しいと野田さんは語ります。
野田:やめなくてよかったです。
楽曲の裏話から解散危機の深い話まで、貴重な話が聴けるオンエアとなりました。
【3回目】RADWIMPS・野田洋次郎、映画『君の名は。』以降で曲作りはどう変わった?
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ『radiko.jpプレミアム』(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は『radiko.jpタイムフリー』機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は12月12日(水)にニューアルバム『ANTI ANTI GENERATION』をリリースするRADWIMPSを特集しています。
【1回目】RADWIMPS、結成のきっかけはティッシュ配り!? メンバーが語る運命的な出来事
今回はメンバーの野田洋次郎さん(Vo./Gt.)、桑原彰さん(Gt.)、武田祐介さん(Ba.)の3人に藤田がインタビューした模様とともに、彼らの魅力に迫りました。(※ドラムの山口智史さんは現在、持病のため休養中です)
■作りたい音楽に技術が追いつかなかった
2日目のオンエアでは、メジャーデビュー以降の彼らの軌跡に迫りました。『25コ目の染色体』は、いかにしてデビュー曲に決まったのでしょうか?
藤田:自分たちの中でなんとなく「これ!」っていう曲はあったんですか?
野田:『25コ目の染色体』はけっこう前に決まってたかもね。「この曲でいきたいね」っていうのは。アルバム目がけてレコーディングはしてたんですけど、「一応デビュー曲は大事だよ」って言われてたから、「まぁこれかな」って感じだった。
シングル『25コ目の染色体』を2005年11月にリリースしてデビュー。翌年2月には、同曲と同時に作っていたという、1stアルバム『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』をリリースしました。
その『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』は、制作が大変だったそう。その理由を、野田さんは「そんなに上手くないバンドだったから、俺らは」と振り返ります。藤田は、当時からテクニカルなバンドだという印象を持っていましたが、メンバーによると「難しいことをしすぎた」のだとか。
野田:(実力が)伴ってない中で、自分たちが目指すところが高くて、実力に見合わない何かをやろうと……。のちのち、それがよかったのかもしれないですけど。やりたいことに自分たちの力が追いついてくるとすごいおもしろかったけど、最初はレコーディング自体が大変だったよね。
武田:レコーディングは悲惨だったね(笑)。
デビューから現在までRADWIMPSのレコーディングを手がけてきたディレクターには、「おまえら、ライブで弾けない曲をレコーディングしようとするな」と言われたそうです。メンバーはパートごとにレコーディングするつもりでしたが、それは許されず、すべて一斉に演奏する“一発録り”を行いました。
野田:歌もブロック毎に録っていけたら嬉しいんだけど、「それおまえライブで歌えねぇじゃん」って言われて。「ツルッと歌えないんだったら変えな」って言われて(笑)。まぁ本当に育てられた感じがありましたね。
レコーディングで技術を駆使すれば、どんな複雑な音楽も作れますが、ディレクターはまだ若いRADWIMPSの将来性を考えて、厳しく育てたのかもしれません。
一発録りは、それ以降もずっと続いています。「何か気に食わないことがあると、またスタジオを取ってまるまる録り直す」と野田さん。『me me she』『夢番地』『オーダーメイド』など、何度も録り直しを繰り返した曲も少なくないのだとか。ちなみに『有心論』のイントロ歌詞は、本来は曲中に入っていませんでした。一発録りが終わってから野田さんの中に湧いたものの、「あれは録り直せないな」と、イントロとして付け加えたという貴重な話も明かしました。
■作っては捨てる、地獄の日々
2006年に『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』をリリース後、立て続けにシングル『ふたりごと』『有心論』『セツナレンサ』を発表。同年12月には、アルバム『RADWIMPS 4〜おかずのごはん〜』をリリース。
ハイペースの曲作りに加え、ライブ会場もどんどん大きくなり、すべてが順調だったのですが(この時を「第一次ノッてるぜレコーディング・ブーム」と言う野田さん)、そこから3年半ほどバンドは停滞期に入ります。
野田:その3年半くらいは、ほぼ毎日スタジオには入ってたんだよね。作ろう作ろうとしてて、でも作っては捨ててみたいなことをやってて。その間に世の中的には(RADWIMPSが広まってきていて)……。
藤田:「ホントかな?」みたいなことを言ってたよね。
野田:そうそう。実感なかった。
藤田:オリコン1位に。
野田:そう、『オーダーメイド』で初めて1位になって。それが実はどん底期だったんですよ、俺らとしては(笑)。その3年半でその1枚のシングルしか出してないから(笑)。
藤田:山あり谷あるなぁ(笑)
野田:やばかったよね。今でも覚えてる。『オーダーメイド』がオリコン1位を取りましたよ、って日についにストライキを起こして、桑原が。スタジオに来なかったの覚えてる?
桑原:覚えてる(笑)。
野田:沈黙のスタジオ(笑)。
毎日スタジオに入って作曲をするうちに、「だんだん何もできなくなってきてしまった」と桑原さん。当時を「地獄だったね……」と振り返りました。
■「このバンド、もう無理だ」とメンバーに言われた野田は…
そんなことがあって、野田さんは「ある時点で、曲作りは一切ひとりでやるって決めた」と言います。それと同時にバンドを主導していく責任感が生まれたそうです。
藤田:そこは何かひとつ、自分の中で大きなものがあった?
野田:このままじゃ解散するなと思ったから。単純にやってられないし、俺も。たぶんメンバーも思ってたし。それぞれに一回ずつくらい言われたんですよ、「洋次郎、ごめん。俺もう無理だ、このバンド」って。「俺はもうおまえの足しか引っ張らい」みたいな。それがけっこうデカかったですね。
藤田:それぞれ乗り越えてますね(笑)。
野田:ね。まぁ、あのときにスパッとやめてたら、もっと今ふつうに仲良く遊んでたのかもしれない(笑)。
一同:(笑)。
野田:それを諦めて、一緒にバンドをやるってことを決めたっていうか。
その壁を突破してからは、音楽を鳴らしているときが自分たちを一番結びつけている感じが強くなり、音楽をやっている時が一番楽しいと野田さんは語ります。
野田:やめなくてよかったです。
楽曲の裏話から解散危機の深い話まで、貴重な話が聴けるオンエアとなりました。
【3回目】RADWIMPS・野田洋次郎、映画『君の名は。』以降で曲作りはどう変わった?
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ『radiko.jpプレミアム』(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は『radiko.jpタイムフリー』機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/