J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:藤田琢己)。9月3日(月)のオンエアでは、emmaとのコンビでお届け! ここでは「FEATURE TOPICS」のコーナーをご紹介します。
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー。この週は、10月31日からジャパンツアーを行うポール・マッカートニーを大特集しました。
イギリス・リヴァプール生まれで現在76歳。1960年代にザ・ビートルズとして世界を席巻し、ロックの礎を築いた誰もが知るロックスター、ポール・マッカートニー。ギネス世界記録では、「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として認定され、母国イギリスからは名誉勲章を与えられるほどの偉人です。
emma:私も大好きです。76歳でこれだけエネルギッシュなのはすごいと思うし、私も元気づけられます!
■自らの記録を破る快進撃…一躍スターに
1942年6月18日、第2次世界大戦の最中、イギリス・リヴァプールでアマチュアミュージシャンの父ジェームスと、母メアリーの間に生を受けます。エルヴィス・プレスリーを中心としたアメリカのロックンロールに夢中になり、自分と同じくロックに影響を受けた、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと共にザ・ビートルズを結成。
1962年にシングル『Love Me Do』でデビュー。ジョン・レノンと共にソングライティング・コンビ「レノン=マッカートニー」としてオリジナル曲を制作。職業作曲家が曲を作るのがメインだった当時、シンガーが自分たちで曲を作るのは珍しかったそう。また戦略的に作られたマッシュルーム・ヘアー、スーツ、演奏後には必ずお辞儀をするというスタイルは、瞬く間にイギリスの若者の心を掴み、1stアルバム『Please Please Me』はイギリスのメロディ・メーカー誌で30週連続1位を記録。そしてこの1位を引きずり降ろしたのは、自らの2ndアルバム『With The Beatles』でした。
一気にスターダムを駆け上がったザ・ビートルズは1964年にアメリカ進出も果たし、その人気は世界中に広がり、「ビートルマニア」と呼ばれる熱狂的なファンを世界中に生み出しました。1966年には初来日、今ではロックの聖地とされている日本武道館を史上初めてライブ会場として使用し、その衝撃は今でも歴史として語り継がれています。
emma:飛行機から降りてくる映像とか、すごく印象ありますね。私はもちろん生まれてなかったですけど。
藤田:またメンバーだけを映すんじゃなくて、熱狂してるお客さんを映して、彼らがどれだけ騒がれてるかをアピールするっていうね。
emma:日本中が夢中でしたよね!
■名曲『Yesterday』誕生秘話
そんなザ・ビートルズの名曲のひとつ『Yesterday』にはこんな有名な話があります。この曲はポールが夢の中で聴こえてきたメロディを元に作った曲。しかしあまりにもよく出来ていたので、「これって誰かの曲じゃないよね?」と周りに訊いて回ったそう。観客の声援があまりにうるさすぎて、自分たちの演奏がまともに聴こえなかったというライブにおいても、この曲をポールがアコースティックギター1本で歌うと、会場が静まり返るという現象が起きていたそうです。『Yesterday』はポールの代表曲となり、今でもライブでは必ず歌われ、当時と同じように数万人が静まり返る特別な曲になっています。
1966年にザ・ビートルズはライブ活動を終わらせます。ここまでがいわゆる「ザ・ビートルズ・アイドル時代」と区切られ、以降はスタジオにこもって音源を制作するアーティスト時代へと突入していきます。
■創作活動の原点は「喪失」
1967年にアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』をリリース。「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandと名乗る架空のバンドの設定で演奏したら……」というポールのアイデアで生まれたこのアルバムは、ロック史上最も重要な一枚とされ、今では歴史的名盤となっています。
1967年はバンドにとって転機となる年でした。ザ・ビートルズをデビュー前から支え続けたマネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなります。これをきっかけにバンドの舵取りはうまくいかなくなり、終焉へと向かってしまいます。この頃からポールが主導権を握り、必死でバンドを存続させようと努力しますが、徐々に他のメンバーと対立するように……。
結局、バンドは空中分解を起こし、ポールは1970年4月10日、イギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」を通し、バンドからの脱退を表明しました。ポールの代表曲のひとつ『Let It Be』はザ・ビートルズの解散直前、思い悩んでいたときに作った曲。ポールがバンドの行く末を案じていたとき、14歳のときに病気で亡くなった母メアリーが枕元にあらわれ、「Let It Be(なすがままに)」と声をかけてくれたことから作られた曲です。
その頃から現在のキャリアにおいて、ポールの創作活動の原点としてあるのが、「喪失」。『Yesterday』も母親のことを歌った曲であると後のインタビューで語っています。14歳の多感な時期に母親を亡くしたことは、ポールにとって大きな出来事でした。同じくジョン・レノンも10代で母親を事故で亡くしており、自分と同じ境遇のジョンと一緒に音楽を作ることは、彼にとって特別なことでした。
しかしバンドを失い、仲間との別れを経験することに。この喪失こそが、この先においても彼を動かす原点となっていきます。……というところで1日目はここまで。ポール・マッカートニー特集は続きます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー。この週は、10月31日からジャパンツアーを行うポール・マッカートニーを大特集しました。
イギリス・リヴァプール生まれで現在76歳。1960年代にザ・ビートルズとして世界を席巻し、ロックの礎を築いた誰もが知るロックスター、ポール・マッカートニー。ギネス世界記録では、「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として認定され、母国イギリスからは名誉勲章を与えられるほどの偉人です。
emma:私も大好きです。76歳でこれだけエネルギッシュなのはすごいと思うし、私も元気づけられます!
■自らの記録を破る快進撃…一躍スターに
1942年6月18日、第2次世界大戦の最中、イギリス・リヴァプールでアマチュアミュージシャンの父ジェームスと、母メアリーの間に生を受けます。エルヴィス・プレスリーを中心としたアメリカのロックンロールに夢中になり、自分と同じくロックに影響を受けた、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと共にザ・ビートルズを結成。
1962年にシングル『Love Me Do』でデビュー。ジョン・レノンと共にソングライティング・コンビ「レノン=マッカートニー」としてオリジナル曲を制作。職業作曲家が曲を作るのがメインだった当時、シンガーが自分たちで曲を作るのは珍しかったそう。また戦略的に作られたマッシュルーム・ヘアー、スーツ、演奏後には必ずお辞儀をするというスタイルは、瞬く間にイギリスの若者の心を掴み、1stアルバム『Please Please Me』はイギリスのメロディ・メーカー誌で30週連続1位を記録。そしてこの1位を引きずり降ろしたのは、自らの2ndアルバム『With The Beatles』でした。
一気にスターダムを駆け上がったザ・ビートルズは1964年にアメリカ進出も果たし、その人気は世界中に広がり、「ビートルマニア」と呼ばれる熱狂的なファンを世界中に生み出しました。1966年には初来日、今ではロックの聖地とされている日本武道館を史上初めてライブ会場として使用し、その衝撃は今でも歴史として語り継がれています。
emma:飛行機から降りてくる映像とか、すごく印象ありますね。私はもちろん生まれてなかったですけど。
藤田:またメンバーだけを映すんじゃなくて、熱狂してるお客さんを映して、彼らがどれだけ騒がれてるかをアピールするっていうね。
emma:日本中が夢中でしたよね!
■名曲『Yesterday』誕生秘話
そんなザ・ビートルズの名曲のひとつ『Yesterday』にはこんな有名な話があります。この曲はポールが夢の中で聴こえてきたメロディを元に作った曲。しかしあまりにもよく出来ていたので、「これって誰かの曲じゃないよね?」と周りに訊いて回ったそう。観客の声援があまりにうるさすぎて、自分たちの演奏がまともに聴こえなかったというライブにおいても、この曲をポールがアコースティックギター1本で歌うと、会場が静まり返るという現象が起きていたそうです。『Yesterday』はポールの代表曲となり、今でもライブでは必ず歌われ、当時と同じように数万人が静まり返る特別な曲になっています。
1966年にザ・ビートルズはライブ活動を終わらせます。ここまでがいわゆる「ザ・ビートルズ・アイドル時代」と区切られ、以降はスタジオにこもって音源を制作するアーティスト時代へと突入していきます。
■創作活動の原点は「喪失」
1967年にアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』をリリース。「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandと名乗る架空のバンドの設定で演奏したら……」というポールのアイデアで生まれたこのアルバムは、ロック史上最も重要な一枚とされ、今では歴史的名盤となっています。
1967年はバンドにとって転機となる年でした。ザ・ビートルズをデビュー前から支え続けたマネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなります。これをきっかけにバンドの舵取りはうまくいかなくなり、終焉へと向かってしまいます。この頃からポールが主導権を握り、必死でバンドを存続させようと努力しますが、徐々に他のメンバーと対立するように……。
結局、バンドは空中分解を起こし、ポールは1970年4月10日、イギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」を通し、バンドからの脱退を表明しました。ポールの代表曲のひとつ『Let It Be』はザ・ビートルズの解散直前、思い悩んでいたときに作った曲。ポールがバンドの行く末を案じていたとき、14歳のときに病気で亡くなった母メアリーが枕元にあらわれ、「Let It Be(なすがままに)」と声をかけてくれたことから作られた曲です。
その頃から現在のキャリアにおいて、ポールの創作活動の原点としてあるのが、「喪失」。『Yesterday』も母親のことを歌った曲であると後のインタビューで語っています。14歳の多感な時期に母親を亡くしたことは、ポールにとって大きな出来事でした。同じくジョン・レノンも10代で母親を事故で亡くしており、自分と同じ境遇のジョンと一緒に音楽を作ることは、彼にとって特別なことでした。
しかしバンドを失い、仲間との別れを経験することに。この喪失こそが、この先においても彼を動かす原点となっていきます。……というところで1日目はここまで。ポール・マッカートニー特集は続きます。
【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
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