音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」
マイケル・ジャクソン、奇跡のアルバム『BAD』 誕生秘話に、西寺郷太が迫る!

マイケル・ジャクソン、奇跡のアルバム『BAD』 誕生秘話に、西寺郷太が迫る!

J-WAVEで放送中の番組『J-WAVE SELECTION』。6月24日(日)のオンエアでは、9年前の6月25日にこの世を去ったマイケル・ジャクソンの特集『J-WAVE SELECTION Kakaku.com THE TRUE STORY OF MICHAEL JACKSON』(ナビゲーター:西寺郷太)を放送。マイケルの1987年に発売されたアルバム『BAD』から彼の功績と魅力を探り、このアルバムの制作に深く関わったミュージシャンで、シンクラヴィア奏者でもあるクリストファー・カレルさんへのインタビューをお送りしました。


■夢の楽器「シンクラヴィア」の存在が大きい『BAD』

西寺:この『BAD』というアルバムは、マイケルの単独作詞作曲の割合が一番多いアルバムなんです。それが僕がこのアルバムを考えるときのポイントで、全11曲中、9曲がマイケル・ジャクソンの単独名義なんです。何でそんなことができたのかというと、シンクラヴィアという楽器の誕生と、それを取り入れたことが大きなポイントです。

シンクラヴィアはキーボードとパソコンが一緒になったような楽器で、今ではラップトップPCで代用できるようなものですが、小学生の勉強机に鍵盤が乗ったような大きさで、当時1億円もして夢の楽器といわれていました。

西寺は、シンクラヴィアの存在も大きいアルバム『BAD』を最初に聴いたときの当時の感想を振り返りました。

西寺:『BAD』を聴いたときの最初の印象は「音がかたいな」ということでした。70年代はディスコが流行っていて優秀なドラマーが生演奏したり、生のベーシストの腕利きのミュージシャンが取り合いになるような時代でした。80年代になり、レコーディング機材やドラムマシンが進化し、どんどんコンピューターでリズムを管理する時代になりました。ただパソコンやドラムマシンで音楽を作る場合、ドラマーを頼むお金がなくてドラムマシンでやってみようというパターンもわりとあったんです。ですから、マイケルのように潤沢な資金がありいろいろとチョイスできる人が、こんな形のコンピュータ的なリズムの曲を出すという発想が、当時の僕にはすごく新鮮だったんですね。マイケルはこの時期、自分の頭の中で鳴っているサウンドをそのまま具現化したいという欲望にかられていました。当時それができるのがシンクラヴィアしかなかった。そのシンクラヴィアを操ることができた珍しいミュージシャンがクリストファー・カレルさんでした。


■マイケルは「変わった音」を求めて…

クリストファー・カレル、西寺郷太
カレルさんは、マイケルとの出会いをこう振り返ります。

カレル:マイケルが「シンクラヴィアを教えてほしいと言っている」というので彼の家に行きました。スタジオに入ると彼が挨拶をして「シンクラヴィアを学びたい」と。彼は「他の人に頼るのがだんだん疲れてきた」ということで、少なくとも自分の曲のアイディアはシンクラヴィアでやりたかったんです。最初マイケルは「僕はテクノロジーのことは何も知らないんです」と言うので、僕は「問題ないですよ」と言ったものの、「フロッピーディスクをここに入れて」というと「フロッピーディスクって何?」と、実は彼はカセットテープレコーダーさえかろうじて使えるかどうかというレベルでした(笑)。それから毎日、4年間、彼の自宅に通うようになりました。

実際マイケルとの作業はどのようにすすめられたのでしょうか?

カレル:彼は私に変わった音を作ってほしかったのです。
西寺:じゃあ『BAD』の心臓の音とか、『Speed Demon』のサウンドとか、あれもカレルさんが担当されたのですか?
カレル:そうです。私の仕事は、彼のインスピレーションになるようなサウンドを作ることでした。なので毎日音を作ってそれをグルーブに変えて、そのサウンドをデモンストレーションする形で彼に渡していました。テープに録音して彼のベッドルームのドアの下に置いて、家に帰る。そして午前2時くらいに家に着くと、彼から電話がかかってくるんです。バックに音楽が目一杯のボリュームでかかっていて、「これは君がやったの? 最高! これを曲にしなきゃ!」という感じで、あるときは「クリス最高だよ! これを録音しなきゃね。あ、大変だ! (ペットの)バブルスが粗相してる、じゃあね!」とか(笑)。毎日そういう感じでした(笑)。
西寺:(笑)。


■ソングライターとして充実した時期

続いてふたりは、この時期のマイケルについてトーク。「ソングライターとして充実した時期」という見解で共通しました。

カレル:(サウンドについて)僕がどんなものを持ってくるかワクワクしながらも、マイケルは自分が何がほしいかというのがはっきりわかっている人でした。
西寺:彼の長い音楽人生の中でも、ソングライターとしてすごく充実した時期だったなというのが僕の感想です。
カレル:私もそう思います。
西寺:それはジャンルレスだったからだと思うんです。ジャミングというか。
カレル:これはいろいろなことの組み合わせでそうなったんだと思います。まずテクノロジーが存在して、マイケル自身もピークの時期で、何もコピーする必要がなかった。競争相手もいない、だから何でも創造することができて、予算も問題ない。ソロになったこともあり、同時に全部それが時期的に組み合わさった非常にユニークな時期だったと思うんです。その当時、彼は自分のアイデアにとても自信があったんです。『BAD』は前作の『Thriller』と違うものを作りたいと思っていて、もっと生なストリートサウンドで粗い感じを彼は求めていて、『Thriller』のようにプロデュースされたものではなく、エッジのあるものを求めていたので、この時期のクィンシー・ジョーンズとマイケルはちょっと意見が食い違っていたし、時期的にもシンクラヴィアがメインなので音自体もユニークでした。


■「BAD WORLD TOUR」はぶっつけ本番のような形!

またこんなエピソードも。

カレル:アルバム制作も終盤、残されたことはミキシングとかなので、自分の仕事は減るだろうと思い、マイケルに「じゃあ僕はツアーの準備をはじめたほうがいいかな?」と訊くと、マイケルは「ダメダメ、ツアーの前にまずはアルバムが完全にいい形でやらなければツアーは失敗するから、アルバムにフォーカスしよう」と。1ヶ月後に同じことを訊いても同じ回答で、3回訊いたと思います。ある日、スタジオからうちに帰って夜11時のニュースをみると、「速報! マイケル・ジャクソン・ワールド・ツアー決定!」と日にちが出ていて、それを見て「ええ?」って(笑)。3ヶ月後なのに何もない、バンドもないで、みんなパニックになって電話が鳴り続けていました(笑)。

ちなみにカレルさんによると、ワールド・ツアー前のバンドでのリハーサルはたった1回で、ぶっつけ本番のような形だったそう。そしてそのあと1989年まで世界中をめぐる「BAD WORLD TOUR」がはじまります。カレルさんはツアー中のエピソードを話してくれました。

カレル:マイケルがいつでも曲を作れるように、シンクラヴィアのシステム自体をホテルにつけました。部屋の家具を全部だしてシンクラヴィアでレコーディングできるようにしていたんですが、決して使いませんでしたね(笑)。たった1回だけ「レコーディングしたい」って電話がきて、私のテクニシャンが来て確認すると、故障して使えなかったんです。それでマイケルに「テクニシャンが直して明日レコーディングできるから」と言うと「OK」と言って、それで終わりで結局戻ってきませんでした(笑)。

カレルさんは、現在、日本の伊豆で暮らしています。通訳を担当してくれたリエさんはカレルさんの奥様で、『BAD WORLD TOUR』で来日した際に通訳を担当していて、それがきっかけで結婚したのだそう。カレルさんは現在も音楽活動を続けており、西寺は「日本にいらっしゃるので、カレルさんと音楽を作ったりできるんじゃないかと。これをスタートにいろいろ広がりがあるのでは」と語りました。

最後に西寺は、こう総括しました。

西寺:『BAD』は誰にも真似できないオリジナリティがグッと詰まったアルバムでした。周囲からは反対されたり、「え?」と思われたり、「こんなの無理だろ」と言われたところも乗り越えた。作曲家としてそれまでの自分だったり、黒人、白人、黄色人種といった、人種の“こうあるべき”という先入観を、マイケルは越えて壊していったから、その姿勢が奇跡のアルバムを作ることに至ったんだと。改めてマイケル・ジャクソンはすごいなと思います。

マイケルの魅力が詰まった『BAD』、ぜひ改めて聴いてみてください。

この記事の放送回をradikoで聴く
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。

【番組情報】
番組名:『J-WAVE SELECTION』
放送日時:毎週日曜22時-22時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/jwaveplus/

この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。

  • 新規登録簡単30
  • J-meアカウントでログイン
  • メールアドレスでログイン