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現代サッカー界の父、ヨハン・クライフの生涯

J‐WAVE金曜朝の番組「~JK RADIO~TOKYO UNITED」のワンコーナー「WORDS FROM THE FIELD」(ナビゲーター:GAKU‐MC)。先月、この世を去ったサッカー界のレジェンド、ヨハン・クライフ氏の生涯を振り返りました。

ヨハン氏は昨年の10月に肺がんを患っていることを公表。今年の2月には「闘病は前半を2-0で終えた。まだ試合は終わっていないが、私は勝利するだろう」とサッカーに例えて順調な回復ぶりを表現していたのですが、3月24日にこの世を去ってしまいました。享年68歳。クライフ氏は長いリーチ、見事なトラップ、360度に確保された視野で、美しい動きをするサッカープレヤーでした。

1947年にオランダのアムステルダムで生まれたヨハン氏。クライフ氏がアヤックスと契約したのが15歳。トップチームデビューは17歳。次のシーズンには得点王に。アヤックスも快進撃を続け、リーグ優勝6回。カップ戦も4度優勝、さらにヨーロッパチャンピオンズカップ3連覇を成し遂げました。

クライフ氏の背番号は14番。あまり人気のある番号とはいえなかったのですが、クライフ氏がつけて活躍したことで14番を付ける選手が増えました。例えば、2010年のワールドカップで活躍した中村憲剛選手も14番でした。

その後、73年にバルセロナに移籍し、素晴らしい成績を数多く残したクライフさん。中でも伝説として残っているのは、74年のワールドカップ西ドイツ大会。この大会でオランダのキャプテンを務めたクライフ氏は、ミケロス監督と共に“トータルフットボール”という戦術で世界を魅了しました。決勝では西ドイツに敗れて準優勝でしたが、オランダのサッカーは優勝チームよりも大きなインパクトを残したと言われています。

次のワールドカップ、アルゼンチン大会でもクライフ氏の活躍が期待されていましたが、78年のワールドカップには出場せず、その後、アメリカや母国のオランダでプレーして84年に引退。

その後はアヤックスで監督を務めた後、88年にはバルセロナの監督に就任。当時、バルセロナは成績が低迷し、リーグ戦の優勝から遠ざかっていました。そのピンチに招聘(しょうへい)されたのがクライフ氏。リーグ4連覇、さらにヨーロッパのタイトルなども獲得しました。名言もたくさん残っているのですが、中でも象徴的なのは「美しく敗れることを恥だと思うな。無様に勝つことを恥だと思え」。楽しいサッカーで世界中にサッカーを愛する子どもたちを増やしたクライフ氏は、まさに現代サッカー界の父なのです。

【関連サイト】
「WORDS FROM THE FIELD」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/original/tokyounited/archives/words-from-the-field/

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