花柳界を知る人・岩下尚史 「昔の人は接待で敵と仲良くしていた」

J-WAVE夜の番組「LOHAS TALK」(ナビゲーター:小黒一三)。4/24のオンエアでは、『芸者論・神々に扮することを忘れた日本人』の著者・岩下尚史さんがゲストに登場し、東京の花柳界について話しました。

芸者の世界、いわゆる“花柳界”をよく知る岩下さん。現在は作家として活動していますが、以前は新橋演舞場の企画室長として、そこで毎年開催される『東をどり』の制作に携わっていました。新橋の芸者たちの技芸披露の場として、大正14年に建てられた新橋演舞場。そこで働いていた岩下さんはたくさんの芸者さんと親交があるそうです。

東京の花柳界が一番繁盛していたのは関東大震災前の大正時代。戦後の昭和35年頃が2度目のピークで、当時都内には50ヶ所も花柳界があったそうです。岩下さんは、最近の花柳界の衰退を「日本人の考え方がどこか幼稚になったのとシンクロしている」といいます。「衰退を不景気のせいにする人もいますが、バブルのときもパッとしませんでした。経済的なことではなくて、男たちの心持ちが変わってきたからだと思います」(岩下さん)。

昔の新橋や赤坂の花柳界は仕事や接待の場として賑わっていました。そこでの旦那の振る舞いから相手の器量を知るのが当時の宴会の意義だったそう。「そして1番やっていたのは、敵を懐柔(かいじゅう)すること。今の人たちは、意見の合わない人とは組まないで、敵味方をはっきりさせてしまう。昔は敵ほど仲良くしようとして、お茶屋や料亭に呼んで接待していた。そこでお客ができないところを補うのが芸者だった」(岩下さん)。

これには「新橋で遊んでた人は大人だったんですね」と、小黒さんも感心した様子。昔の人は、芸者遊びも仕事の一環だったようです。

【関連サイト】
「LOHAS TALK」オフィシャルサイト
http://www.j-wave.co.jp/blog/lohastalk/

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