J-WAVEが2025年8月15日(金)にオンエアしたJ-WAVE『~JK RADIO~ TOKYO UNITED』(ナビゲーター:ジョン・カビラ)が、第63回ギャラクシー賞ラジオ部門選奨を受賞しました。この日は、日本と同じ“枢軸国”だったドイツとイタリアの番組通信員に、現地での終戦、敗戦の日の捉え方を訊きました。また、歌手の森山良子が登場し、沖縄の壮大な風景と戦争の歴史を紡いだ名曲『さとうきび畑』に込めた思いを語り、スタジオライブを披露。ここではオンエアの模様をテキストで紹介します。(J-WAVE NEWS編集部/2026年6月)
日本では8月15日を「終戦の日」とし、さまざまな追悼行事が行われるが、終戦や敗戦にまつわる日は国によって異なる。たとえば、アメリカは日本がポツダム宣言の降伏文書に正式に調印した9月2日を「対日戦勝記念日」、通称「VJ Day(Victory over Japan Day)」としている。
では、第二次世界大戦において、日本と同じく枢軸国として連合国軍と戦ったドイツやイタリアでは、終戦記念日をどう位置づけているのだろうか。まずはドイツ・ミュンヘンの番組通信員、町田 文さんに話を訊いた。
ジョン:ドイツの終戦記念日は5月8日で、連合国では「ヨーロッパ戦勝記念日」、通称「VEデー(Victory in Europe Day)」となっていますが、ドイツではどういう日として捉えられているのでしょうか?
町田:この日はドイツが無条件降伏し、ヨーロッパの第二次世界大戦が終わった日を指し、ドイツでは「解放の日」と呼ばれています。長年、旧東ドイツでは5月8日が祝日だった過去もありますが、いまでは平日扱いされています。なぜ、ドイツ全体で祝日になっていないかというと、ドイツは終戦後、アメリカ、イギリス、フランス、そして旧ソ連の4カ国に分割統治されており、その分割の始まり、またはナチスからの解放として見るのかという捉え方が、地域によって異なったという背景があります。
ジョン:なるほど。一部では「ファシズムからの解放の日」というニュアンスもあるのですね。2025年は終戦80年という節目になりますが、ドイツでは5月8日に特別な催しが行われたのでしょうか?
町田:はい、ありました。今年は特別に、ベルリンのみ5月8日が祝日扱いになりました。ベルリンでは記念式典が行われて、シュタインマイヤー大統領が連邦議会で演説を行いました。その内容は、ナチスと戦ったアメリカ、イギリス、フランス、旧ソ連への感謝の意です。また、現代政治にも触れて、プーチン大統領とトランプ大統領が国際秩序を乱していることを批判しました。ほかにも、ベルリンに限らずドイツ各地で、地域や教会が主催する平和を主張するイベントなどが行われました。
ジョン:日本の終戦の日は、主に「戦没者のみなさんへの追悼」というニュアンスがある感じがしますが、「ファシズム、ナチスからの解放」というと、かなり違うのではと思います。式典では、どのような思いが語られるのでしょうか?
町田:戦争を行う主な目的は「領土拡大」だと思いますが、ドイツの場合は領土だけでなく、ナチズム思想の拡大、ユダヤ人のような社会的少数者の迫害を行ったことが、いまでも国家の大きな反省として残っています。そのため、5月8日に限らず、大統領は戦争関連の施設や記念碑を訪れて反省と謝罪、そして平和の重要性を強調しています。
ジョン:最後に、平和に対する考え方のこの流れを、どうご覧になっているか伺えますか?
町田:ドイツの平和に対する考え方がガラッと変わったのは、ウクライナ戦争ではないかなと思います。私自身、初めて戦争を身近に感じましたし、“移住”が脳裏をよぎった出来事でもありました。実は、ドイツには2011年まで徴兵制があって、アラフォー世代までの男性は軍事経験を持っています。ドイツ議会では、14年間なかった徴兵制を「2026年からまた復活させよう」と議論されて、準備が行われています。そうなると、いまの若者たちや子どもたちが将来、国防に使われるリスクが高まってくるので、国民は残念ながらそういう緊張感を感じています。
ジョン:国家安全のため、市民の命を守るためには「そういう状況は致し方ない」という理解が広まりつつある、という状況でしょうか?
町田:そうですね。仕方がなく復活させるという感じです。
村本:厳密に言うと、4月25日は終戦の日というよりも、ナチスの占領やファシズム政権からの解放が始まった日、いわゆる「終わりの始まり」という位置づけになります。連合軍がやってくる前に、ミラノなどの北イタリアの都市がイタリアの活動家たちによって解放されたのが4月25日だったので、国はこの日を「イタリアの解放記念日」と定めて、祝日となりました。解放記念日は、ナチスによる占領やファシズム政権の終わりを祝う意味もありますが、自由のために戦って命を落とした反ファシズムの活動家たちの勇気を称え、「それを忘れずに後世へ伝えていこう」という貴重な意味も持ち合わせています。
ジョン:なるほど。4月25日、イタリアではどのようなイベントが行われているのでしょうか?
村本:たとえばローマでは、憲兵隊の国歌の演奏とともにイタリアの大統領による戦没者記念碑への献花などの追悼式が行われます。ほかの都市でも、地方自治体や地方の政治家による、さまざまな追悼式が行われています。
ジョン:その日は祝日ということですが、市民のみなさんはどのように過ごされるのですか?
村本:平和を願うプラカードや、「Peace」と書かれたレインボーフラッグを手にした人々が、『Bella ciao』というイタリアのパルチザンたちを称えた歌を歌いながら街を練り歩きます。これは活動家たちの勇気を称えるとともに、「今後も自由や平和を願って、抑圧勢力には抵抗していきましょう」という、団結のような意味があります。ほかに人気があるのは、イタリアの空軍がイタリアの国旗の色である緑と白と赤を空に描くアクロバット飛行で、毎年多くの人が集まって、スマホで動画を撮影してSNSにアップしたりしていますね。
ジョン:2025年は終戦、解放から80年という節目ですが、何か特別な催しはありましたか?
村本:いまは各地で戦争が起こるなど世の中が不安定な状態で、国民のあいだではそういうことに対する懸念があるので、たとえばパレスチナのガザで起こっている悲惨な状況へのデモ隊の訴えかけのような活動がけっこう目立ちましたね。
ジョン:過去に対する考え方も含め、国家の安全や戦争に対する考え方は、どういうふうにご覧になっていますか?
村本:戦争はやっぱりしたくない、平和を願うという気持ちは強いですが、実際のところは不法滞在の外国人による犯罪が増えていて、一般の市民の生活が脅かされているという事情があります。ですから、イタリアに限らないとは思いますが、ヨーロッパ全体が「自国ファースト」な考え方になっているように思います。
ジョン:この曲は、シャンソンの世界で大活躍されていた寺島尚彦さんが作詞・作曲した曲ですよね?
森山:そうです。私が20歳くらいのときに、コンサートでシャンソンの方たちがバックを務めてくださるという時期がありまして、そこでみなさんとすごく仲よしになりました。そのころ、私はアメリカンポップスやフォークソングのような「歌っているのが楽しい」曲ばかり歌っていたのですが、ある日、寺島先生が私の家までいらして「良子ちゃん、こういう譜面があるんだけど、ぜひ良子ちゃんに歌ってほしい」とおっしゃったんです。私は「ありがとうございます」と答えて、譜面をいただいたはいいものの、広げてみたら知らない世界で、本当に驚愕したと言いましょうか……。そういう歌に触れたことがなかったものですから「とても私に歌いきれる歌ではない」と思いました。でも、せっかくいただいたものだからお戻しするのも、と思ってずっとしまってあったんです。そのときにちょうどアルバムのレコーディングをしていたので、スタジオに譜面を持って行って、当時のディレクターさんに「こういう曲をいただいたばかりだけど、どうでしょう?」と言ったら、その譜面を広げて「良子ちゃん、これは素晴らしい歌だから、すぐにレコーディングしましょう」とおっしゃって、レコーディングに組み込んだんですね。
ジョン:たしか、このアルバムは『カレッジ・フォーク・アルバム No.2』ですよね。
森山:そうですね。これまでそういう曲を歌ったことがなかったですし、私は戦後生まれで戦争のことを考えたことも一度もなく、ぬくぬくと育ってきたので抵抗感があったんですけど、一度レコーディングをして世の中に出るわけです。それでも私は「自分にはとても歌えない」とステージは引っ込めてしまうのですが、「何かリクエストはありますか?」と言うと、アルバムで聴いていらっしゃるお客様が必ず『さとうきび畑』とおっしゃるんですね。そこで歌うことになるんですけど、「まだ自分が未熟で、この歌の大きさをまったく理解できていない」という気持ちが自分のなかであって、本当に封印してきたみたいな感じでした。
いまや、多くの人が知る『さとうきび畑』。森山が「歌っていこう」と思ったきっかけは、母の言葉だったそう。
森山:湾岸戦争が起こったころに母から「コンサートを観ているけど、いつもあなたはチャラチャラした歌ばかり歌って。あなたには歌うべき歌がちゃんとあるじゃないの」と言われ、「『さとうきび畑』を指しているんだ」ということがよくわかったんです。それで恐る恐る、また譜面を引っ張り出してきて、「歌ってみよう」という自分の意思をはっきりと出しながら歌うようにしました。そうしたらかたちの見えない“さとうきび畑くん”が私の肩にポンポンと手を置いて、「そんなに難しく考えることないよ。ただ詞とメロディをお客様に届けるだけでいいんだよ」と言ってくれて、そこからすごく心の重みが取れました。「戦争のことを切々と歌わなければいけないわけではなく、戦争を知らずに育った私が、この曲でみなさんと平和への願いを共有できれば、それでいいんだ」と思ったら急に心が軽くなって、それからは必ずコンサートでは歌うようになりました。
森山のスタジオライブを聴いてジョンは、「森山さんの唯一無二の澄み切った声がつむぐ、父を戦争で失った子どもの、会ったことのない父への尽きぬ思い。“ざわわ”と風に鳴るさとうきび、それは“ざわわ”と心を震わせる。戦争による喪失への尽きぬ悲しみ。胸打つパフォーマンスでした」と、声を震わせる。
ジョン:“ざわわ”という言葉には、すごく深い意味がありますね。
森山:そうですね。寺島尚彦さんが演奏旅行で沖縄に行かれたときに、摩文仁の丘で「みなさんの足の下には、まだ戦没者の遺骨が眠ったままになっています」とガイドさんが説明してくださったときに、とても大きな風が吹いたらしいんです。寺島先生のお友だちも戦争で亡くなっているので、とても思いの深い感情が風とともに吹いてきて「あれは何だったんだろう」とずいぶん長いあいだお考えになって、“ざわわ”という言葉を考えついたと伺いました。
ジョン:そして、2002年には『紅白歌合戦』のステージで、息子さんの森山直太朗さんと『さとうきび畑』を披露しています。平和へのメッセージを歌い継ぐ、語り継ぐことへの思いをお聞かせいただけますか。
森山:私が歌わなくなったらなくなってしまうのでは、困ると思います。ずっとずっと、みなさんに歌い継いでいってほしい、本当に大切な曲だと思っています。
そんな森山の父・森山 久は、サンフランシスコ生まれのジャズトランペッターだ。父が日本に来た理由を、当時のアメリカの状況とともに語る。
森山:大学でホルンを勉強していたんですけど、大恐慌で「卒業しても日系人には仕事がない」とすぐわかったらしいです。そのころ、サンフランシスコと横浜を行き来している船に乗っているミュージシャンの方たちと仲よしになって、「東京はジャズブームだから、いくらでも仕事があるよ」と言っていただいて、トランペットひとつと小さなスーツケースだけ持って出稼ぎに来たんですけど、結局は居着いてしまったという。
ジョン:そして、連合軍向けの宣伝放送「東京ローズ」のプロジェクトにも参画されていたそうですね。
森山:はい。とてもいろいろなことに引き込まれながら生きてきて、アメリカ人から見たら日系人だけど、日本から見ると日本人ではない。でも、日本に来たら日本語を覚えながら日本人になりたいという、複雑な青春時代を送ったと思います。
ジョン:戦争についてお父様やお母様から伝え聞いたことはありますか?
森山:私の父は通訳として、広島に原爆投下のすぐあとに、カメラマンの方と何人かの兵隊さんたちと視察に入って、すさまじい場所をくまなく視察しています。(原爆投下から)1週間も経っていないころに入ったそうですが、いろいろなところを巡ったことは、私は母からすごくあとになって聞きました。父は心の中に色々なことを秘めながら生きていたと思います。
ジョン:そうですか……。80回目の終戦の日に『さとうきび畑』をあらためて歌っていただきましたが、いまどういう思いでしょうか?
森山:コンサートのときも必ず歌っていますし、この歌は歌い継がれていかなければいけない曲なので、今日こうしてこのスタジオからみなさんにお届けできてよかったなと。みなさんとも、平和を共有できたらうれしいなと思います。
ジョン:平和のためには、何が必要なのでしょう?
森山:人間は平等で「どっちが偉い」とか「どっちが下」とかではありませんが、この地球という場所を誰かが区分けしたことで、いがみ合ったり、意地悪な思いや強欲な思いが育ったりしていってしまう気がします。地球は誰のものでもなかったはずで、我々人類もそこからやってきたものですから、欲深さをそのまま出すのでなく、もっともっと進化して、もっともっと素敵な存在にならないといけないと思います。
ジョン:素晴らしいパフォーマンス、そしてメッセージの数々、本当にありがとうございました。
『~JK RADIO~ TOKYO UNITED』のコーナー「TOKYO CROSSING」では、世界各地の番組通信とマルチにコネクト。時事問題から生活の実情まで世界中の視点を並列して探っていく。放送は毎週金曜6時40分ごろから。
さまざまな意味合いを持つイタリアの「解放の日」
2025年8月15日(金)放送の『~JK RADIO~ TOKYO UNITED』では、“QUEST FOR PEACE”と題し、戦後80年の節目にさまざまな話題をピックアップした。日本では8月15日を「終戦の日」とし、さまざまな追悼行事が行われるが、終戦や敗戦にまつわる日は国によって異なる。たとえば、アメリカは日本がポツダム宣言の降伏文書に正式に調印した9月2日を「対日戦勝記念日」、通称「VJ Day(Victory over Japan Day)」としている。
では、第二次世界大戦において、日本と同じく枢軸国として連合国軍と戦ったドイツやイタリアでは、終戦記念日をどう位置づけているのだろうか。まずはドイツ・ミュンヘンの番組通信員、町田 文さんに話を訊いた。
ジョン:ドイツの終戦記念日は5月8日で、連合国では「ヨーロッパ戦勝記念日」、通称「VEデー(Victory in Europe Day)」となっていますが、ドイツではどういう日として捉えられているのでしょうか?
町田:この日はドイツが無条件降伏し、ヨーロッパの第二次世界大戦が終わった日を指し、ドイツでは「解放の日」と呼ばれています。長年、旧東ドイツでは5月8日が祝日だった過去もありますが、いまでは平日扱いされています。なぜ、ドイツ全体で祝日になっていないかというと、ドイツは終戦後、アメリカ、イギリス、フランス、そして旧ソ連の4カ国に分割統治されており、その分割の始まり、またはナチスからの解放として見るのかという捉え方が、地域によって異なったという背景があります。
ジョン:なるほど。一部では「ファシズムからの解放の日」というニュアンスもあるのですね。2025年は終戦80年という節目になりますが、ドイツでは5月8日に特別な催しが行われたのでしょうか?
町田:はい、ありました。今年は特別に、ベルリンのみ5月8日が祝日扱いになりました。ベルリンでは記念式典が行われて、シュタインマイヤー大統領が連邦議会で演説を行いました。その内容は、ナチスと戦ったアメリカ、イギリス、フランス、旧ソ連への感謝の意です。また、現代政治にも触れて、プーチン大統領とトランプ大統領が国際秩序を乱していることを批判しました。ほかにも、ベルリンに限らずドイツ各地で、地域や教会が主催する平和を主張するイベントなどが行われました。
ジョン:日本の終戦の日は、主に「戦没者のみなさんへの追悼」というニュアンスがある感じがしますが、「ファシズム、ナチスからの解放」というと、かなり違うのではと思います。式典では、どのような思いが語られるのでしょうか?
町田:戦争を行う主な目的は「領土拡大」だと思いますが、ドイツの場合は領土だけでなく、ナチズム思想の拡大、ユダヤ人のような社会的少数者の迫害を行ったことが、いまでも国家の大きな反省として残っています。そのため、5月8日に限らず、大統領は戦争関連の施設や記念碑を訪れて反省と謝罪、そして平和の重要性を強調しています。
ジョン:最後に、平和に対する考え方のこの流れを、どうご覧になっているか伺えますか?
町田:ドイツの平和に対する考え方がガラッと変わったのは、ウクライナ戦争ではないかなと思います。私自身、初めて戦争を身近に感じましたし、“移住”が脳裏をよぎった出来事でもありました。実は、ドイツには2011年まで徴兵制があって、アラフォー世代までの男性は軍事経験を持っています。ドイツ議会では、14年間なかった徴兵制を「2026年からまた復活させよう」と議論されて、準備が行われています。そうなると、いまの若者たちや子どもたちが将来、国防に使われるリスクが高まってくるので、国民は残念ながらそういう緊張感を感じています。
ジョン:国家安全のため、市民の命を守るためには「そういう状況は致し方ない」という理解が広まりつつある、という状況でしょうか?
町田:そうですね。仕方がなく復活させるという感じです。
イタリアの終戦の日は「活動家たちの勇気を称える1日」
イタリアの終戦の日は4月25日。現地ではどのような日として捉えられているのかを、ローマ在住の番組通信員、村本幸枝さんは次のように語る。村本:厳密に言うと、4月25日は終戦の日というよりも、ナチスの占領やファシズム政権からの解放が始まった日、いわゆる「終わりの始まり」という位置づけになります。連合軍がやってくる前に、ミラノなどの北イタリアの都市がイタリアの活動家たちによって解放されたのが4月25日だったので、国はこの日を「イタリアの解放記念日」と定めて、祝日となりました。解放記念日は、ナチスによる占領やファシズム政権の終わりを祝う意味もありますが、自由のために戦って命を落とした反ファシズムの活動家たちの勇気を称え、「それを忘れずに後世へ伝えていこう」という貴重な意味も持ち合わせています。
ジョン:なるほど。4月25日、イタリアではどのようなイベントが行われているのでしょうか?
村本:たとえばローマでは、憲兵隊の国歌の演奏とともにイタリアの大統領による戦没者記念碑への献花などの追悼式が行われます。ほかの都市でも、地方自治体や地方の政治家による、さまざまな追悼式が行われています。
ジョン:その日は祝日ということですが、市民のみなさんはどのように過ごされるのですか?
村本:平和を願うプラカードや、「Peace」と書かれたレインボーフラッグを手にした人々が、『Bella ciao』というイタリアのパルチザンたちを称えた歌を歌いながら街を練り歩きます。これは活動家たちの勇気を称えるとともに、「今後も自由や平和を願って、抑圧勢力には抵抗していきましょう」という、団結のような意味があります。ほかに人気があるのは、イタリアの空軍がイタリアの国旗の色である緑と白と赤を空に描くアクロバット飛行で、毎年多くの人が集まって、スマホで動画を撮影してSNSにアップしたりしていますね。
ジョン:2025年は終戦、解放から80年という節目ですが、何か特別な催しはありましたか?
村本:いまは各地で戦争が起こるなど世の中が不安定な状態で、国民のあいだではそういうことに対する懸念があるので、たとえばパレスチナのガザで起こっている悲惨な状況へのデモ隊の訴えかけのような活動がけっこう目立ちましたね。
ジョン:過去に対する考え方も含め、国家の安全や戦争に対する考え方は、どういうふうにご覧になっていますか?
村本:戦争はやっぱりしたくない、平和を願うという気持ちは強いですが、実際のところは不法滞在の外国人による犯罪が増えていて、一般の市民の生活が脅かされているという事情があります。ですから、イタリアに限らないとは思いますが、ヨーロッパ全体が「自国ファースト」な考え方になっているように思います。
名曲は「私には歌いきれない」と封印されていた
この日の『~JK RADIO~ TOKYO UNITED』の終盤には、歌手の森山良子が出演。住民を巻き込む激しい地上戦が繰り広げられ、アメリカ兵を含む約20万人が亡くなった沖縄と戦争をテーマにした楽曲『さとうきび畑』について語り、スタジオライブを披露した。ジョン:この曲は、シャンソンの世界で大活躍されていた寺島尚彦さんが作詞・作曲した曲ですよね?
森山:そうです。私が20歳くらいのときに、コンサートでシャンソンの方たちがバックを務めてくださるという時期がありまして、そこでみなさんとすごく仲よしになりました。そのころ、私はアメリカンポップスやフォークソングのような「歌っているのが楽しい」曲ばかり歌っていたのですが、ある日、寺島先生が私の家までいらして「良子ちゃん、こういう譜面があるんだけど、ぜひ良子ちゃんに歌ってほしい」とおっしゃったんです。私は「ありがとうございます」と答えて、譜面をいただいたはいいものの、広げてみたら知らない世界で、本当に驚愕したと言いましょうか……。そういう歌に触れたことがなかったものですから「とても私に歌いきれる歌ではない」と思いました。でも、せっかくいただいたものだからお戻しするのも、と思ってずっとしまってあったんです。そのときにちょうどアルバムのレコーディングをしていたので、スタジオに譜面を持って行って、当時のディレクターさんに「こういう曲をいただいたばかりだけど、どうでしょう?」と言ったら、その譜面を広げて「良子ちゃん、これは素晴らしい歌だから、すぐにレコーディングしましょう」とおっしゃって、レコーディングに組み込んだんですね。
ジョン:たしか、このアルバムは『カレッジ・フォーク・アルバム No.2』ですよね。
森山:そうですね。これまでそういう曲を歌ったことがなかったですし、私は戦後生まれで戦争のことを考えたことも一度もなく、ぬくぬくと育ってきたので抵抗感があったんですけど、一度レコーディングをして世の中に出るわけです。それでも私は「自分にはとても歌えない」とステージは引っ込めてしまうのですが、「何かリクエストはありますか?」と言うと、アルバムで聴いていらっしゃるお客様が必ず『さとうきび畑』とおっしゃるんですね。そこで歌うことになるんですけど、「まだ自分が未熟で、この歌の大きさをまったく理解できていない」という気持ちが自分のなかであって、本当に封印してきたみたいな感じでした。
いまや、多くの人が知る『さとうきび畑』。森山が「歌っていこう」と思ったきっかけは、母の言葉だったそう。
森山:湾岸戦争が起こったころに母から「コンサートを観ているけど、いつもあなたはチャラチャラした歌ばかり歌って。あなたには歌うべき歌がちゃんとあるじゃないの」と言われ、「『さとうきび畑』を指しているんだ」ということがよくわかったんです。それで恐る恐る、また譜面を引っ張り出してきて、「歌ってみよう」という自分の意思をはっきりと出しながら歌うようにしました。そうしたらかたちの見えない“さとうきび畑くん”が私の肩にポンポンと手を置いて、「そんなに難しく考えることないよ。ただ詞とメロディをお客様に届けるだけでいいんだよ」と言ってくれて、そこからすごく心の重みが取れました。「戦争のことを切々と歌わなければいけないわけではなく、戦争を知らずに育った私が、この曲でみなさんと平和への願いを共有できれば、それでいいんだ」と思ったら急に心が軽くなって、それからは必ずコンサートでは歌うようになりました。
遠い未来にも歌い継いでいってほしい『さとうきび畑』
ここで、森山は『さとうきび畑』をスタジオライブで披露した。森山のスタジオライブを聴いてジョンは、「森山さんの唯一無二の澄み切った声がつむぐ、父を戦争で失った子どもの、会ったことのない父への尽きぬ思い。“ざわわ”と風に鳴るさとうきび、それは“ざわわ”と心を震わせる。戦争による喪失への尽きぬ悲しみ。胸打つパフォーマンスでした」と、声を震わせる。
ジョン:“ざわわ”という言葉には、すごく深い意味がありますね。
森山:そうですね。寺島尚彦さんが演奏旅行で沖縄に行かれたときに、摩文仁の丘で「みなさんの足の下には、まだ戦没者の遺骨が眠ったままになっています」とガイドさんが説明してくださったときに、とても大きな風が吹いたらしいんです。寺島先生のお友だちも戦争で亡くなっているので、とても思いの深い感情が風とともに吹いてきて「あれは何だったんだろう」とずいぶん長いあいだお考えになって、“ざわわ”という言葉を考えついたと伺いました。
ジョン:そして、2002年には『紅白歌合戦』のステージで、息子さんの森山直太朗さんと『さとうきび畑』を披露しています。平和へのメッセージを歌い継ぐ、語り継ぐことへの思いをお聞かせいただけますか。
森山:私が歌わなくなったらなくなってしまうのでは、困ると思います。ずっとずっと、みなさんに歌い継いでいってほしい、本当に大切な曲だと思っています。
そんな森山の父・森山 久は、サンフランシスコ生まれのジャズトランペッターだ。父が日本に来た理由を、当時のアメリカの状況とともに語る。
森山:大学でホルンを勉強していたんですけど、大恐慌で「卒業しても日系人には仕事がない」とすぐわかったらしいです。そのころ、サンフランシスコと横浜を行き来している船に乗っているミュージシャンの方たちと仲よしになって、「東京はジャズブームだから、いくらでも仕事があるよ」と言っていただいて、トランペットひとつと小さなスーツケースだけ持って出稼ぎに来たんですけど、結局は居着いてしまったという。
ジョン:そして、連合軍向けの宣伝放送「東京ローズ」のプロジェクトにも参画されていたそうですね。
森山:はい。とてもいろいろなことに引き込まれながら生きてきて、アメリカ人から見たら日系人だけど、日本から見ると日本人ではない。でも、日本に来たら日本語を覚えながら日本人になりたいという、複雑な青春時代を送ったと思います。
ジョン:戦争についてお父様やお母様から伝え聞いたことはありますか?
森山:私の父は通訳として、広島に原爆投下のすぐあとに、カメラマンの方と何人かの兵隊さんたちと視察に入って、すさまじい場所をくまなく視察しています。(原爆投下から)1週間も経っていないころに入ったそうですが、いろいろなところを巡ったことは、私は母からすごくあとになって聞きました。父は心の中に色々なことを秘めながら生きていたと思います。
ジョン:そうですか……。80回目の終戦の日に『さとうきび畑』をあらためて歌っていただきましたが、いまどういう思いでしょうか?
森山:コンサートのときも必ず歌っていますし、この歌は歌い継がれていかなければいけない曲なので、今日こうしてこのスタジオからみなさんにお届けできてよかったなと。みなさんとも、平和を共有できたらうれしいなと思います。
ジョン:平和のためには、何が必要なのでしょう?
森山:人間は平等で「どっちが偉い」とか「どっちが下」とかではありませんが、この地球という場所を誰かが区分けしたことで、いがみ合ったり、意地悪な思いや強欲な思いが育ったりしていってしまう気がします。地球は誰のものでもなかったはずで、我々人類もそこからやってきたものですから、欲深さをそのまま出すのでなく、もっともっと進化して、もっともっと素敵な存在にならないといけないと思います。
ジョン:素晴らしいパフォーマンス、そしてメッセージの数々、本当にありがとうございました。
『~JK RADIO~ TOKYO UNITED』のコーナー「TOKYO CROSSING」では、世界各地の番組通信とマルチにコネクト。時事問題から生活の実情まで世界中の視点を並列して探っていく。放送は毎週金曜6時40分ごろから。
この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。
番組情報
- ~JK RADIO~ TOKYO UNITED
-
毎週金曜9:00-11:30
-
ジョン・カビラ
