大阪・関西万博の大屋根リングを木造にした理由とは? 設計を手掛けた建築家・藤本壮介が語る

建築家の藤本壮介さんが、2025年に開催された大阪・関西万博のデザインプロデューサーを務めた経緯や設計を手掛けた「大屋根リング」に込めた思いなどについて語った。

藤本さんは1971年北海道生まれ。東京大学工学部建築学科を卒業後、2000年に藤本壮介建築設計事務所を設立。現在は東京を拠点とし、パリ、中国・深圳、仙台に事務所を構え、国内外合わせて数十個の建築プロジェクトを同時並行で推進する日本を代表する建築家だ。

藤本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。

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建築の原風景は、幼少期に過ごした「森の風景」

藤本さんを乗せた「BMW X3 20d xDrive M Sport」は六本木ヒルズを出発。その車中にて、幼少期から大学進学までの思い出を語り始めた。

藤本: 一番古い記憶は、3歳くらいの頃でしょうか。とにかくものを作るのが好きで、粘土をこねて恐竜をたくさん作り、家の中に並べている写真が残っています。小学校2年生のときには、旭川市の隣にある「東神楽町」という自然豊かな町へ引っ越しました。そこからは、もの作りを楽しみつつも、雑木林や田んぼのあぜ道、河原といった自然の中でひたすら遊んでいたのを覚えています。子どもの頃って不思議なのが、ただひたすら遊んでいるだけじゃないですか。でもそれゆえに、体験が身体に深く刻まれていくんですよね。

こうした生まれ育った環境を客観的に見られるようになったのは、大学進学のために上京してからです。故郷と初めて距離ができ、東京との対比もあって「自分はあんなすごいところで育っていたんだ」と気付きました。さらに建築を学び始めてからは、建築の視点で自分の生い立ちを俯瞰して見るようになり、かつて何も考えずに遊んでいた森の環境こそが、実は建築の発想にダイレクトに繋がっているとわかりました。僕にとって「森の風景」は建築の原風景なんです。森そのものを作るのではなく、建築で「森のような場所」をどう作るか。また、建築と自然をどう繋ぎ合わせるか。そんな着想を授けてくれた「東神楽町」は、僕にとって一番の根っことなる場所と言えます。

アインシュタインに憧れ、物理学者を夢見た高校時代

旭川の高校に通っていた藤本さんだが、当時は建築の道に進もうとは思っておらず、物理学を専攻しようと考えていたという。そんな折に出合った一冊の本が後の運命を大きく変えることになる。

藤本: 高校時代、父の書斎でアインシュタインの相対性理論について一般向けに分かりやすく書かれた古い本を見つけ、衝撃を受けたんです。「アインシュタインって、かっこいい!」と感銘を受けるとともに、物理が得意だったこともあって「これは、もしかして物理学者になれってことじゃないか!?」と運命を感じ、東大の理科一類に入学しました。ところが、意気揚々と出席した最初の物理の授業。先生が説明をし始めたら「あれ?」って。日本語でしゃべってるのはわかるんだけど、内容がさっぱり理解できない。「これは完全に間違えた……」と。挫折というようなものではなく、もうあまりにもレベルが違い過ぎて、初日に爽やかに諦めました(笑)。

その日からあまり記憶がないのですが、進路に迷ったとき、ふわっと浮上してきたのが「建築」でした。そのまま何となくの感覚で建築学科に入ると、すぐに、20世紀初頭に現代建築を主導した建築家であるル・コルビュジエとルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの存在を知りました。2人が手掛けた建築を初めて見たときは「これが建築なの!? こんなすごいことをやった人がいたんだ」と驚いたことを覚えています。しかも彼らが活躍した時期が、アインシュタインが相対性理論を提唱したタイミングと少し重なっていたこともあって、「ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエは『建築界のアインシュタイン』なんだ」と思って。であれば、僕が熱狂できる分野なのではないかとポジティブにマインドが切り替わり、一気に建築にのめり込んでいきました。

神楽坂は「パリ以上にヒューマンスケールの魅力がある街」

「BMW X3 20d xDrive M Sport」は神楽坂に到着。藤本さんがつい最近まで住み、事務所も構えていたこの街の魅力とは?

藤本: 神楽坂は広過ぎず狭過ぎず、パリ以上にヒューマンスケール(人が活動するのに心地よい尺度)の魅力がある街だと思います。メインの神楽坂通りがあり、裏道には様々なお店と路地が組み合わさっていて、いつまでも歩いていられる。北海道から出てきて違和感を覚えず、むしろ東京を大好きになったのはこの何とも言えない親密な雰囲気があったからです。人工物でできている街なのに、自分が育った北海道の森の中の印象にすごく近いんですよね。自分が程よく包まれている安心感と、どこに向かっても歩いていける開放感が同居している場所だと思います。

僕が「東京日仏学院」の増築を担当させていただいた際、美しい森に囲まれた環境を残し、建物の配置に気を配りつつ、さらに神楽坂の路地を思わせる階段と空中路地をたくさん作りました。建物でありながら街のような、美しい木々の間をすり抜けていくような。そんな場所を目指したんです。

大阪・関西万博に参画した理由

なおも都内を走る「BMW X3 20d xDrive M Sport」。東京の景色を眺めながら、思いは大阪の夢洲へ。25年4月から半年間にわたって開催された大阪・関西万博。一大国家プロジェクトへの参画と大屋根リング設計の背景にはどんな志(こころざし)があったのか。

藤本: 最初に会場デザインプロデューサーの打診をいただいたのは、2020年の春した。当時はコロナ禍が始まり、緊迫した世界状況から「分断」という言葉が盛んに叫ばれている時期でした。こうした中、世界中の国々が一箇所に集まって半年間共に過ごす万博は、世界情勢を鑑みるに奇跡的なことだと感じたんです。であれば、コロナ禍が収束した後に開催する2025年大阪・関西万博は「多様な世界が繋がることができる」という力強い希望のメッセージを世界に発信する場となり、それはとんでもなく価値があることだと考え「やります」とお受けすることに決めました。やる以上は、「多様な世界が繋がることができる」というメッセージを、誰が見ても受け取れるような会場構成にしたいと思って。開催予定地をぐるぐると回って色々とスケッチしているうちに「もしかしてこの丸は、多様な世界が集まる場所としての象徴になるんじゃないか」となり、あのピュアな円(リング)の構想が生まれました。

大屋根リングといえば、大阪・関西万博のシンボルとして知られている。壮大なスケールの木造建築には、伝統と持続可能な社会の共存を願う藤本さんの力強いメッセージが込められていた。

藤本: 木造にすることは早い段階から決めていました。建築業界においてはここ10年ほど、サステナビリティの観点から「大規模な木造建築」が世界的な潮流となっています。僕自身、各国で木造の超高層ビルやアリーナが建築される動きについて驚きをもって見ていました。そんな背景もあって、今この時代に巨大な建造物を作るのであれば、20世紀の技術である鉄骨やコンクリートよりも、これからの持続可能な社会の象徴である「木」を用いることに価値を感じたのです。加えて、日本にはおそらく世界一と言っていい伝統的な木造技術があります。この千年以上紡がれてきた伝統技術を現代に蘇らせて、最新の持続可能な木造建築と組み合わせることは、日本ならではの力強いメッセージとして世界に発信できるということで「木造でいきましょう」と決めました。

大屋根リングは一周2kmの巨大構造物ということもあって、当初「高速道路の高架みたいに見えてしまったら居心地が悪そう」という懸念があったんですよ。しかし実際に作ってみると、約3.6mという住宅に近い柱間隔に設計したことが功を奏し、ダイナミックさがありながら、木の温かみと居心地のよさを感じられる空間に仕上がったと思います。

何者でもなかった時代に過ごした思い出の街

藤本さんを乗せた「BMW X3 20d xDrive M Sport」は最後に、中野坂上から西新宿五丁目にかけてのエリアに到着。大阪・関西万博を終えた今やってきたのは、建築家になる以前、まだ何者でもなかった頃の自分を思い出す街だった。

藤本: もともとは、丸ノ内線で東大の本郷キャンパスへ通うのに便利だったことから、中野坂上近辺に住み始めました。大学卒業後の6~7年間、何もしてないプラプラしていた時期があったんですけど、その期間もずっとここにいましたし、最初に事務所を開設したのもこのエリアでした。何もしていない頃は、これから建築家になるんだとしたらどういう建築を作ろうか、これからの時代どんな建築が求められるのか、みたいなことを部屋の中や街をプラプラ歩きながらひたすら考える日々でした。こうした何物でもない時期を経て、建築家としての大切なキャリアの初期を過ごした場所なので、すごく記憶に残っているんですよね。

一大国家プロジェクトを完遂しても、日本を代表する建築家に休息のときはない。現在、国内外で数十個のプロジェクトを進める藤本さんだが、彼にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何なのか。尋ねると、こんな答えが返ってきた。

藤本: 昔は「新しい建築を作り出すぞ!」というパッションが自分の中心でしたが、今は「歴史を受け継ぎ、少しばかりの自分なりの新しい貢献をして未来に受け渡していく」という意識が強くなっています。建築には数千年の歴史があり、全てやり尽くされているようにも思えます。しかし、それでも何か新しい試みをし、未来へのインスピレーションを残していくことが、僕にとっての大きな挑戦です。また、万博において大屋根リングが竣工したことも素晴らしいことだったのですが、やはり一番感激したのは、リングの下で人々が思い思いに楽しんでいる光景を見たときでした。そんなふうに、建物が完成した瞬間よりも、そこに人が集まって楽しそうに過ごしてくれる姿を見ることが、僕にとって何よりの喜びなのです。

(構成=小島浩平)

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