映像作家・OSRINが、前週・6月13日(金)の放送に続いてゲストとして登場し、再び山田健人とトークを繰り広げた。
OSRINが登場したのは、6月20日(金)放送のJ-WAVE『THE PLAYBACK』(ナビゲーター:山田健人)。
【前週の記事】King Gnu『白日』MVを手がけたOSRIN、山田健人と“映像作家”トーク!
山田:今週はライブみたいな話にも広げて話せたらなと。
OSRIN:そうだね。
山田:ライブは最近、音楽ライブに限った話をすると、King Gnuのファンクラブツアーがありましたよね。あれはなにかやったの?
OSRIN:あれは総合じゃなくて美術の演出と、ついでに光の演出みたいなのをしていたかな。
山田:Zeppとかだよね。
OSRIN:あとは配信があったから、そこら辺のスイッチまわりという、またちょっと違う役割でやっていました。
山田:それでいうと、大きなのは2024年に5大ドームやっていたよね。
OSRIN:「King Gnu Dome Tour『THE GREATEST UNKNOWN』」が2024年だったね。
山田:ライブづくりはどうですか?
OSRIN:俺、たぶん総合演出をやり始めたのがここ最近、3年以内で。最初は東京ドーム2デイズやるときに、「いきなりやる」となってダッチ(山田)に泣きついて。「どうやってみんなに伝えているの?」って(笑)。照明ってどうやって言えばいいの、みたいなことを事務所まで行って訊きました。
山田:うちに来たときか、あったね。
OSRIN:それ以来、デカいのが続いてやらせてもらっているんだけど。毎回「もう次はない」と思っているね。もうアイデア出ないなと思っているけど、映像とは違ってめちゃくちゃ楽しいですね。
山田:違ったよさはあるよね。現場の興奮具合で言うとね。King Gnuをやるというのは大変そうですよね。まあ、本人らがいろいろ言う感じでもないか。
OSRIN:そういう大変さはないけど、やっぱり「バンドを見せる」という、バンドらしさのままをどう演出で支えるか、みたいなね。
山田:King Gnuは立ち位置なんかも、そんなに移動する感じでもないしね。
OSRIN:映像演出からライブ演出にいくパターンって、俺そんなに聞かないんだ。そもそも一緒にアーティストと上がっていく、私たちはそういう時代だったじゃないですか。
山田:なんとなくそういう時代もあったね。
OSRIN:ダッチはそれをやるのが、すごく早いイメージがあったんだよね。
山田:たぶん、俺が最初。このラジオだけの話にしてもらいたいけど、まず映像演出という言葉を作ったの、俺。
OSRIN:絶対に嘘(笑)。
山田:いやいや、俺。ちなみに俺は相当早かったよ。
OSRIN:絶対に嘘ですよ。
山田:2016年とかのレベルだよ?
OSRIN:その前からあったでしょ?
山田:我々のやっているようなVJを映像演出と言うように、映像の演出という概念としてはもちろん、かつてからあった。だけど、照明とかも含めてVJというよりもっと計算されていて「これは映像演出なんだ」と、言葉をさもかっこつけて使い出したの、俺は早いと思っている。逆に、もはや映像演出ってもう言ってない、もうやめてる。卒業もしてる。入学も早かったから。ライブに手を出してみるのは、けっこう早かったんじゃないですか。
OSRIN:そうそう、yahyelのライブ。
山田:もともとで言ったらそうか。
OSRIN:観に行ったときに、最後に赤をバーンと出してきやがってと思いながら。まだ全然、仲よくもなかったときに。
山田:はいはい。
OSRIN:King Gnuと対バンしていたんだよね、昔。
山田:Srv.Vinciでしょ。Srv.Vinciと我々のyahyelと、あとWONKじゃない? 代々木の小さなライブハウスでスリーマンみたいな感じになった日があったのは覚えている。
OSRIN:それがある種、目の前でやられていて。俺がMILLENNIUM PARADEのライブの演出……総合までいかないやつを映像の演出をやっていて。それはすごく、結局、観ていた景色がyahyelだったりとかしていたんだよ。どういうふうになにを背負って、というのをいろいろ考えるけれども、わりと自然な流れだったなという感じがしますけどね。
山田:たしかにね。質問の答えになりました?
OSRIN:なった。そういえば最初からやっていたわと思って。
山田:そうだね、意外と長い。
しかし、山田自身、最近は映像作家以外のことに挑戦し始めているという。
山田:「映像作家の山田健人がナビゲート」って言ってるけど、そもそも映像をやってないから。島ごと変わっちゃっているから、移住しちゃっているから(笑)。
OSRIN:俺は変わったと思ってないよ。
山田:でも、ほぼ撮影をやってないんだよね。つい、おととい撮ったんだけど。
OSRIN:撮ってるじゃん。
山田:いや、それが今年初めての撮影ね。もう6月よ? 2024年はたぶん3本ぐらいしかミュージックビデオやってない。ミュージックビデオというか、CMとかもやってないから、2024年は撮影を3回しかやってない。今年はこのペースだとこの1本と、あと撮影という意味では11月に1個やるのが決まっていて。それの公開は来年なんだけど。今年は2回かな。
OSRIN:どういう縛り方しているの? 帰ってきてよ。
山田:野良猫みたいだね。野良猫じゃないな、飼い猫が外に出て「2、3日戻らないね」みたいな。俺もそういうつもりで出て行ったんですけど、行ったら2年ぐらい帰ってない。
OSRIN:俺もそう思うことあるよ。楽しいのはわかるけど、ステージをつくるとか、たくさんの人数で一瞬をつくりにいくっていう。その封じ込めるよさと、発散するよさ、みたいなのはありますけど、思うところはあるよね。
山田:たとえば、なんですか?
OSRIN:山田健人って、俺のなかでは先輩なんですよ。ダッチがなにかを先にやって、俺がそれを眺めて「そういうのができるんだ、こうやろうかな」とか、20代は特にそういう指標であったというか。それがあったので、自分も頑張って生きていたんですけど、もうなんか隣の島? なのか、土地なのかわからないけど、僕も半分、その島に船で行くことはあるんですけど。
山田:たまに来てます。
OSRIN:たまに行きますけど「観たいな」という。
山田:留学ぐらいの感じなので。
山田:ライブハウスからスタジアムまで、ひと通りやってきている部分もあるので。もちろん、いろいろなアーティストさんの力があってね。まだやりたいことや僕が考えることも、この数年でまた変わってきていると思うんですよね。ライブ演出、どういうライブをつくろうという部分がね。まだ試したいこととか、やってみたいことはたしかにあるから。
OSRIN:なるほどね。
山田:それがフィールド的に海外とかっていうのも、あり得なくはないかなと。
OSRIN:いいっすね。
山田:いちおう見えてる……まあでも急に引き返すかもしれないんだよね。
OSRIN:それが冒険だよね。
山田:いま冒険しているのかも。だって、映像作家ほぼやめているからね、それはだいぶ冒険だよね。30歳越えで。
OSRIN:キャリア捨てるとやばいからね。
山田:まあ、捨ててはないけど(笑)。
OSRIN:1回、箱にしまうみたいな。
山田:たしかに。映像作家・山田健人のことを誰も知らない世界、ではあるね。特にライブ業界のスタッフのみなさんとか諸先輩方は。まったく知らないから「誰やねん」みたいな。
OSRIN:いいね。
山田:「すみません、山田健人と申します!」というところから始まったからね(笑)。「第二の演出家人生」感はそういう意味ではあるね。
OSRIN:近いうちに見られるってこと? その頂じゃないけど、ある種、到達点みたいな。
山田:どうですかね。1、2年ぐらいかな。少なくとも1年ぐらいは投資してもいいかなと思ってる。もうちょっとなにも考えずに、終わりをやってみようという期間になっている。
OSRIN:若いじゃん。
山田:たしかに若いかも。あまり自分のことを老けたと思ってないかも(笑)。それはきっと錯覚なんだけれども。体力的なものとか。でも、けっこう自分はご存じのとおり、リアリストなので、かなり現実的なことを考えているというか。海外に住むとしたら、この1、2年ぐらいで行っておくべきだなとも考えているし。
OSRIN:なるほどね。
山田:自分が40、50歳とかでこの仕事をしている可能性がそんなに高くないとも思っているから。あと体力的な部分もね。ライブづくりはけっこう大変じゃないですか。本番前1週間とかは特に。
OSRIN:長いしね。
山田:体力的限界みたいなものがいずれきそうだから、とかもありますね。
OSRIN:停滞とか慣れが嫌いな人だよね。
山田:自分のなかの“極み”みたいなものを勝手に決めて、なんとなくそこにワンタッチしたら、すぐに飽きちゃう。スポーツやプログラミングとかも全部そうだった。
OSRIN:その感じ、わからんでもないね。
山田:飽きたからやめるとか変えるというよりも、そのころには違うことに興味もあったりして、うまく活かしあえたりするという感じ。
OSRIN:違うアビリティをつけようとするよね。
山田:でも、音楽にまつわる仕事をやめることは、ないと思うんですけどね。そこだけは残ると思う。急に「小説書きます」は俺の場合は100パーセントないね。絵本もないと思う。音楽が好きでやっているのが大前提。
OSRIN:だいぶ俺と違うかもね。
山田:映像も、どちらかというと音楽でやっているので。
OSRIN:いちばんのお互いの違うところが出たかもしれない。俺は全然、音楽じゃなくてもいいんだよね。全部、俺は「お話」なんだと思う。お話ができれば俺、なんでもいいんだと思うんだ。
山田:お話を作るということだね。
OSRIN:舞台でもペーパーでもMVでも。それは全然、違うね。
山田:お話ビデオも1個出しているものね。
OSRIN:お話をいちばんやっているし、いちばん自由で楽しいかも。
山田:たしかに。いまの話はふたりのというか、我々の作風の違いを観たらすぐにわかるかもね。
映像作家でミュージシャンの山田健人が、さまざまな“見る”を言語化するプログラム『THE PLAYBACK』の放送は毎週金曜26時から。
OSRINが登場したのは、6月20日(金)放送のJ-WAVE『THE PLAYBACK』(ナビゲーター:山田健人)。
【前週の記事】King Gnu『白日』MVを手がけたOSRIN、山田健人と“映像作家”トーク!
6月27日(金)28時頃まで再生可能
東京ドーム2デイズから始まった演出の道
OSRINは、King GnuやMr.ChildrenのMVを手がけるクリエイティブレーベル・PERIMETRON所属の映像作家。ライブの総合演出も務めるOSRINは、当初、演出の手法を知るために山田のもとを訪れたこともあるという。山田:今週はライブみたいな話にも広げて話せたらなと。
OSRIN:そうだね。
山田:ライブは最近、音楽ライブに限った話をすると、King Gnuのファンクラブツアーがありましたよね。あれはなにかやったの?
OSRIN:あれは総合じゃなくて美術の演出と、ついでに光の演出みたいなのをしていたかな。
山田:Zeppとかだよね。
OSRIN:あとは配信があったから、そこら辺のスイッチまわりという、またちょっと違う役割でやっていました。
山田:それでいうと、大きなのは2024年に5大ドームやっていたよね。
OSRIN:「King Gnu Dome Tour『THE GREATEST UNKNOWN』」が2024年だったね。
山田:ライブづくりはどうですか?
OSRIN:俺、たぶん総合演出をやり始めたのがここ最近、3年以内で。最初は東京ドーム2デイズやるときに、「いきなりやる」となってダッチ(山田)に泣きついて。「どうやってみんなに伝えているの?」って(笑)。照明ってどうやって言えばいいの、みたいなことを事務所まで行って訊きました。
山田:うちに来たときか、あったね。
OSRIN:それ以来、デカいのが続いてやらせてもらっているんだけど。毎回「もう次はない」と思っているね。もうアイデア出ないなと思っているけど、映像とは違ってめちゃくちゃ楽しいですね。
山田:違ったよさはあるよね。現場の興奮具合で言うとね。King Gnuをやるというのは大変そうですよね。まあ、本人らがいろいろ言う感じでもないか。
OSRIN:そういう大変さはないけど、やっぱり「バンドを見せる」という、バンドらしさのままをどう演出で支えるか、みたいなね。
山田:King Gnuは立ち位置なんかも、そんなに移動する感じでもないしね。
「映像演出」という言葉について
続いて、ゲストのOSRINから山田への質問が飛び出した。山田は「映像演出」という言葉に、ある持論を持っているという。OSRIN:映像演出からライブ演出にいくパターンって、俺そんなに聞かないんだ。そもそも一緒にアーティストと上がっていく、私たちはそういう時代だったじゃないですか。
山田:なんとなくそういう時代もあったね。
OSRIN:ダッチはそれをやるのが、すごく早いイメージがあったんだよね。
山田:たぶん、俺が最初。このラジオだけの話にしてもらいたいけど、まず映像演出という言葉を作ったの、俺。
OSRIN:絶対に嘘(笑)。
山田:いやいや、俺。ちなみに俺は相当早かったよ。
OSRIN:絶対に嘘ですよ。
山田:2016年とかのレベルだよ?
OSRIN:その前からあったでしょ?
山田:我々のやっているようなVJを映像演出と言うように、映像の演出という概念としてはもちろん、かつてからあった。だけど、照明とかも含めてVJというよりもっと計算されていて「これは映像演出なんだ」と、言葉をさもかっこつけて使い出したの、俺は早いと思っている。逆に、もはや映像演出ってもう言ってない、もうやめてる。卒業もしてる。入学も早かったから。ライブに手を出してみるのは、けっこう早かったんじゃないですか。
OSRIN:そうそう、yahyelのライブ。
山田:もともとで言ったらそうか。
OSRIN:観に行ったときに、最後に赤をバーンと出してきやがってと思いながら。まだ全然、仲よくもなかったときに。
山田:はいはい。
OSRIN:King Gnuと対バンしていたんだよね、昔。
山田:Srv.Vinciでしょ。Srv.Vinciと我々のyahyelと、あとWONKじゃない? 代々木の小さなライブハウスでスリーマンみたいな感じになった日があったのは覚えている。
OSRIN:それがある種、目の前でやられていて。俺がMILLENNIUM PARADEのライブの演出……総合までいかないやつを映像の演出をやっていて。それはすごく、結局、観ていた景色がyahyelだったりとかしていたんだよ。どういうふうになにを背負って、というのをいろいろ考えるけれども、わりと自然な流れだったなという感じがしますけどね。
山田:たしかにね。質問の答えになりました?
OSRIN:なった。そういえば最初からやっていたわと思って。
山田:そうだね、意外と長い。
しかし、山田自身、最近は映像作家以外のことに挑戦し始めているという。
山田:「映像作家の山田健人がナビゲート」って言ってるけど、そもそも映像をやってないから。島ごと変わっちゃっているから、移住しちゃっているから(笑)。
OSRIN:俺は変わったと思ってないよ。
山田:でも、ほぼ撮影をやってないんだよね。つい、おととい撮ったんだけど。
OSRIN:撮ってるじゃん。
山田:いや、それが今年初めての撮影ね。もう6月よ? 2024年はたぶん3本ぐらいしかミュージックビデオやってない。ミュージックビデオというか、CMとかもやってないから、2024年は撮影を3回しかやってない。今年はこのペースだとこの1本と、あと撮影という意味では11月に1個やるのが決まっていて。それの公開は来年なんだけど。今年は2回かな。
OSRIN:どういう縛り方しているの? 帰ってきてよ。
山田:野良猫みたいだね。野良猫じゃないな、飼い猫が外に出て「2、3日戻らないね」みたいな。俺もそういうつもりで出て行ったんですけど、行ったら2年ぐらい帰ってない。
OSRIN:俺もそう思うことあるよ。楽しいのはわかるけど、ステージをつくるとか、たくさんの人数で一瞬をつくりにいくっていう。その封じ込めるよさと、発散するよさ、みたいなのはありますけど、思うところはあるよね。
山田:たとえば、なんですか?
OSRIN:山田健人って、俺のなかでは先輩なんですよ。ダッチがなにかを先にやって、俺がそれを眺めて「そういうのができるんだ、こうやろうかな」とか、20代は特にそういう指標であったというか。それがあったので、自分も頑張って生きていたんですけど、もうなんか隣の島? なのか、土地なのかわからないけど、僕も半分、その島に船で行くことはあるんですけど。
山田:たまに来てます。
OSRIN:たまに行きますけど「観たいな」という。
山田:留学ぐらいの感じなので。
クリエイターとしてのOSRINと山田健人の違い
ふたりは、今後の活動方針やお互いのクリエイターとしての意識の違いなどについて語り合った。山田:ライブハウスからスタジアムまで、ひと通りやってきている部分もあるので。もちろん、いろいろなアーティストさんの力があってね。まだやりたいことや僕が考えることも、この数年でまた変わってきていると思うんですよね。ライブ演出、どういうライブをつくろうという部分がね。まだ試したいこととか、やってみたいことはたしかにあるから。
OSRIN:なるほどね。
山田:それがフィールド的に海外とかっていうのも、あり得なくはないかなと。
OSRIN:いいっすね。
山田:いちおう見えてる……まあでも急に引き返すかもしれないんだよね。
OSRIN:それが冒険だよね。
山田:いま冒険しているのかも。だって、映像作家ほぼやめているからね、それはだいぶ冒険だよね。30歳越えで。
OSRIN:キャリア捨てるとやばいからね。
山田:まあ、捨ててはないけど(笑)。
OSRIN:1回、箱にしまうみたいな。
山田:たしかに。映像作家・山田健人のことを誰も知らない世界、ではあるね。特にライブ業界のスタッフのみなさんとか諸先輩方は。まったく知らないから「誰やねん」みたいな。
OSRIN:いいね。
山田:「すみません、山田健人と申します!」というところから始まったからね(笑)。「第二の演出家人生」感はそういう意味ではあるね。
OSRIN:近いうちに見られるってこと? その頂じゃないけど、ある種、到達点みたいな。
山田:どうですかね。1、2年ぐらいかな。少なくとも1年ぐらいは投資してもいいかなと思ってる。もうちょっとなにも考えずに、終わりをやってみようという期間になっている。
OSRIN:若いじゃん。
山田:たしかに若いかも。あまり自分のことを老けたと思ってないかも(笑)。それはきっと錯覚なんだけれども。体力的なものとか。でも、けっこう自分はご存じのとおり、リアリストなので、かなり現実的なことを考えているというか。海外に住むとしたら、この1、2年ぐらいで行っておくべきだなとも考えているし。
OSRIN:なるほどね。
山田:自分が40、50歳とかでこの仕事をしている可能性がそんなに高くないとも思っているから。あと体力的な部分もね。ライブづくりはけっこう大変じゃないですか。本番前1週間とかは特に。
OSRIN:長いしね。
山田:体力的限界みたいなものがいずれきそうだから、とかもありますね。
OSRIN:停滞とか慣れが嫌いな人だよね。
山田:自分のなかの“極み”みたいなものを勝手に決めて、なんとなくそこにワンタッチしたら、すぐに飽きちゃう。スポーツやプログラミングとかも全部そうだった。
OSRIN:その感じ、わからんでもないね。
山田:飽きたからやめるとか変えるというよりも、そのころには違うことに興味もあったりして、うまく活かしあえたりするという感じ。
OSRIN:違うアビリティをつけようとするよね。
山田:でも、音楽にまつわる仕事をやめることは、ないと思うんですけどね。そこだけは残ると思う。急に「小説書きます」は俺の場合は100パーセントないね。絵本もないと思う。音楽が好きでやっているのが大前提。
OSRIN:だいぶ俺と違うかもね。
山田:映像も、どちらかというと音楽でやっているので。
OSRIN:いちばんのお互いの違うところが出たかもしれない。俺は全然、音楽じゃなくてもいいんだよね。全部、俺は「お話」なんだと思う。お話ができれば俺、なんでもいいんだと思うんだ。
山田:お話を作るということだね。
OSRIN:舞台でもペーパーでもMVでも。それは全然、違うね。
山田:お話ビデオも1個出しているものね。
OSRIN:お話をいちばんやっているし、いちばん自由で楽しいかも。
山田:たしかに。いまの話はふたりのというか、我々の作風の違いを観たらすぐにわかるかもね。
映像作家でミュージシャンの山田健人が、さまざまな“見る”を言語化するプログラム『THE PLAYBACK』の放送は毎週金曜26時から。
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2025年6月27日28時59分まで
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番組情報
- THE PLAYBACK
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毎週金曜26:00-26:30