映像作家のOSRINが、同じく映像作家の山田健人とトークを繰り広げた。
OSRINが登場したのは、6月13日(金)放送のJ-WAVE『THE PLAYBACK』(ナビゲーター:山田健人)だ。
山田:出会いはなんでしたっけ?
OSRIN:いろいろなところで会って、お互いに顔は知っていて目が合ったら会釈、みたいな時間が記憶だと長かった気がする。我々みたいな仕事は同じ現場に出くわさないというか。
山田:監督同士ですから、監督が同じ現場にふたりいることはなかなかないからね。でも、明大前じゃないですか?
OSRIN:そう。Tempalayの『のめりこめ、震えろ。』という曲をダッチ(山田)が監督していたんです。うちのメンバーがプロデュースやら仕込みをやっていたので「うちの事務所に来るらしいよ、ダッチ」みたいになって「見たい」という気持ちになって、たぶん俺は見に行った。
山田:現場にも来てもらったもんね。美術部アシスタントみたいな。
OSRIN:美術部アシスタントと、大きな声を出す人みたいな(笑)。
山田:同じ現場にいることもあったね。PERIMETRONというのは、この番組を聴いているみなさんはご存じだと思いますが、OSRINさんをはじめとして、いまは何人ですか?
OSRIN:イメージでは9人弱(笑)。
山田:クリエイター、ものづくりに関わるみなさんからなる集団ですよね。Tempalayのミュージックビデオを撮るとなって、PERIMETRONチームと一緒にやりました。それがちゃんとした出会いか。そこから先、ちょくちょく会いますもんね。
OSRIN:映像の書き出しとか、テクニカルで細かいことをわざわざ電話して相談したりとかしていた記憶はあります。
山田:僕らみたいな人たちは「YouTubeにいかにして高画質な映像をアップロードできるか」というので日々戦っていますからね。YouTubeは映像を上げると必ず圧縮されるんです。YouTubeのサーバーの負担を軽くするためと思われますが、圧縮されてしまうので、僕らが頑張って作ったクオリティを観られることは厳密にはないんです。みなさんが観ているものはどの映像も劣化したものなんですけど、いかにしてその「圧縮バトル」をすり抜けて、劣化した感がないようにするかみたいな、ちょっとしたテクニックと知識とみたいな。
OSRIN:そういう話を映像の演出のほかのやつとしたことがなくて。どうでもよくはないんだけど、それって俺たち世代ならではだと思うんだよね。我々の手元で完パケすることがある時代というか。
山田:いつから映像の仕事をやっているんでしたっけ? ちなみに、前職の話は世の中にしているの?
OSRIN:さらっとしているよ。ホストクラブで働いていました。
山田:地元の名古屋でね。覇権はとっていた?
OSRIN:うちのグループはその時代、けっこう覇権だった。
山田:大きい声は出していたでしょ?
OSRIN:出してたよ。声は枯れてたけどね。
山田:やっていたことは、最近とそんなに変わらないということだね。
OSRIN:ホストが作ってくれた俺の人生みたいなところはあるからね。本気でホストもやっていたけど、名古屋芸術という大学でデザインを学んでいた身でもあったんです。途中からグラフィックじゃなくて勝手にカメラで遊び始めた、みたいなのがことの発端ですね。ホスト中ですけど。
山田:昼は学生で、夜はホスト。大変そうで。
OSRIN:全然、楽しかったですけどね。
OSRIN:ビデオシンセサイザー。
山田:モジュラーシンセですね。
OSRIN:えげつないニッチで、えげつない遠い分野というか。映像の分野なんですけど、はるか遠くの化石みたいなところを彼はすごく変な角度で触っていて。
山田:実は先週、モジュラーシンセ回をこの番組でやったんだよ。
OSRIN:それいいじゃん。
山田:でも、音のほう。実演というか、ライブとかしていました。OSRINがいま言ってくれていたのは、それのビデオ版というのが、実はこの世にごくわずかに存在していまして。細々と日陰のほうで。日本ではあんまり触っている人は多くないと思いますが、それをいくつか僕は持っていて。それこそ一緒にというか、OSRINが演出しているKing Gnuのライブで少しお手伝いとして、そういう機材を持って行ったりしてね。いまのところ、毎回持って行っているね。というか、どちらかというとそれ要員だもんね。
OSRIN:機材だと思っているので(笑)。
山田:機材だと思われて呼ばれていますけども。「機材です」という顔をして行って、機材の仕事をして帰ってくる、というのをやってます。すごくニッチで、たしかにその部分、その沼に僕はOSRINを引きずり込もうと、ちょっとずつね。
OSRIN:見事にね。
山田:引きずり込んだ、ということでいいですか?
OSRIN:毎日よ。毎日、世界中を見てる。
山田:そこまで来られたか。ヤフオクとかイーベイとかをはじめとする、ありとあらゆるサイトにその機材が出品されていないかチェックする作業のことを「世界を見渡す」と今後呼んでいこう。
OSRIN:それが日常、日課になっていて。それが俺のなかでは仕事じゃないときのモチベーションというか、本当に趣味に近い状況で。それを利用して何かを作ったりするのも、ライフワークに入ってきたな、みたいな感じですかね。
山田:映像は撮っているんですか?
OSRIN:最近、LAで撮ってきました。
山田:俺すれ違ったわ。
OSRIN:そうだね、LAいたのよ。
山田:俺もいてね。
OSRIN:めちゃ被ってたよ、だって「コーチェラ(・フェスティバル)」観に来てたでしょ?
山田:そうだ、「コーチェラ」のすぐあとか。
OSRIN:そうそう。4月の終わりのほう。「いるな」と思ったけど、まあ日本で会えばいいかと思って。
山田:それはなんのやつなんですか? (情報解禁は)まだですか?
OSRIN:まだだね。もうちょっとですけど、とあるアーティストです。普段やらないようなアーティストなんですけど、すごく面白くて。日本のアーティストだけど、クリエイティブディレクションみたいなものがUSの人たちで「一緒にやらないですか」というのをずっと言ってくれていて。「そんなに言ってくれるんだったら行くか」というのと「LAの制作会社ってどんなものかな」と思って、向こうの制作会社と仕事してみた。
山田:そういうのもやっている、ということですね。
山田:(OSRINから)「今日このあと時間ある?」という口説き文句みたいなのをさっきされて(笑)。「え、あまりないんですよね」という話をしたら「相談がある」というので。「じゃあ、このラジオのなかで話せばいいんじゃない?」と。
OSRIN:オーケー。簡単に言うと、引き続き1本作ると。
山田:とあるLAの案件ね。
OSRIN:とあるアーティストのね。2、3週間後に「もう1本撮りたい」と。そこは連続した内容じゃないけど、両A面なんだって。それこそ、さっき打ち合わせしていたんだけど。俺はもう1個のプランも見せてもらっていたから「これダッチ合うな」と思っていたのね。向こうに「誰か決まっているの?」という話をしたら「いや、決まっていなくて。自分らでどうにかやろうかなと思っていた」と言っていたから「いいのいるけどね」「本当に?」となって、勝手にダッチの作品を送って「彼はこういう人間で」と。
山田:勝手に進んでいたんだ(笑)。
OSRIN:そうそう。スタッフィングみたいなことをしていて「めちゃいいかも、素敵かも」という話になって。「じゃあ、1回話してみてくれない?」と言われて、いまここで話してる。
山田:ヤバいですね。で、それがいつでしたっけ?
OSRIN:7月の31日、8月1日のどっちか。
山田:ピンポイント系なんだね。どこで?
OSRIN:それは日本。いま全体の企画で言うと。わりとシンプルめの計算をしないといけない系。
山田:得意ジャンルですけど。
OSRIN:あなたの得意ジャンル。で、ホワイトアンドブラックで撮りたいという。
山田:海外にいる可能性が……。
OSRIN:やば! 日本にいろよ。
山田:ちなみに誰なの?
OSRIN:それは言えない。
山田:電波に乗せないから。
OSRIN:この夢が叶ったら、そうしたら連続で出るわけだから「このことかな」とわかってくれるかもしれない。
山田:じゃあ、そういうことにしておこう。のちほどちゃんと話しましょう。
OSRIN:わかりました。
山田:俺もなんでダメそうかを言えなかった(笑)。
OSRIN:言えないことだらけなんだよ(笑)。
OSRINは次週6月20日(金)の『THE PLAYBACK』にも引き続きゲスト出演する。映像作家でミュージシャンの山田健人が、さまざまな“見る”を言語化するプログラム『THE PLAYBACK』の放送は毎週金曜26時から。
OSRINが登場したのは、6月13日(金)放送のJ-WAVE『THE PLAYBACK』(ナビゲーター:山田健人)だ。
OSRINと山田健人の出会い
OSRINは、King GnuやMr.ChildrenのMVを手がけるクリエイティブレーベル・PERIMETRON所属の映像作家。山田の同業者ということもあり、この日は制作に関する話題で盛り上がった。山田:出会いはなんでしたっけ?
OSRIN:いろいろなところで会って、お互いに顔は知っていて目が合ったら会釈、みたいな時間が記憶だと長かった気がする。我々みたいな仕事は同じ現場に出くわさないというか。
山田:監督同士ですから、監督が同じ現場にふたりいることはなかなかないからね。でも、明大前じゃないですか?
OSRIN:そう。Tempalayの『のめりこめ、震えろ。』という曲をダッチ(山田)が監督していたんです。うちのメンバーがプロデュースやら仕込みをやっていたので「うちの事務所に来るらしいよ、ダッチ」みたいになって「見たい」という気持ちになって、たぶん俺は見に行った。
Tempalay "のめりこめ、震えろ。" (Official Music Video)
OSRIN:美術部アシスタントと、大きな声を出す人みたいな(笑)。
山田:同じ現場にいることもあったね。PERIMETRONというのは、この番組を聴いているみなさんはご存じだと思いますが、OSRINさんをはじめとして、いまは何人ですか?
OSRIN:イメージでは9人弱(笑)。
山田:クリエイター、ものづくりに関わるみなさんからなる集団ですよね。Tempalayのミュージックビデオを撮るとなって、PERIMETRONチームと一緒にやりました。それがちゃんとした出会いか。そこから先、ちょくちょく会いますもんね。
OSRIN:映像の書き出しとか、テクニカルで細かいことをわざわざ電話して相談したりとかしていた記憶はあります。
山田:僕らみたいな人たちは「YouTubeにいかにして高画質な映像をアップロードできるか」というので日々戦っていますからね。YouTubeは映像を上げると必ず圧縮されるんです。YouTubeのサーバーの負担を軽くするためと思われますが、圧縮されてしまうので、僕らが頑張って作ったクオリティを観られることは厳密にはないんです。みなさんが観ているものはどの映像も劣化したものなんですけど、いかにしてその「圧縮バトル」をすり抜けて、劣化した感がないようにするかみたいな、ちょっとしたテクニックと知識とみたいな。
OSRIN:そういう話を映像の演出のほかのやつとしたことがなくて。どうでもよくはないんだけど、それって俺たち世代ならではだと思うんだよね。我々の手元で完パケすることがある時代というか。
山田:いつから映像の仕事をやっているんでしたっけ? ちなみに、前職の話は世の中にしているの?
OSRIN:さらっとしているよ。ホストクラブで働いていました。
山田:地元の名古屋でね。覇権はとっていた?
OSRIN:うちのグループはその時代、けっこう覇権だった。
山田:大きい声は出していたでしょ?
OSRIN:出してたよ。声は枯れてたけどね。
山田:やっていたことは、最近とそんなに変わらないということだね。
OSRIN:ホストが作ってくれた俺の人生みたいなところはあるからね。本気でホストもやっていたけど、名古屋芸術という大学でデザインを学んでいた身でもあったんです。途中からグラフィックじゃなくて勝手にカメラで遊び始めた、みたいなのがことの発端ですね。ホスト中ですけど。
山田:昼は学生で、夜はホスト。大変そうで。
OSRIN:全然、楽しかったですけどね。
山田がOSRINを“沼”に引きずり込んだもの
近況について話し合うふたりだったが、OSRINにとって山田が「あること」の師匠だと話す。OSRIN:ビデオシンセサイザー。
山田:モジュラーシンセですね。
OSRIN:えげつないニッチで、えげつない遠い分野というか。映像の分野なんですけど、はるか遠くの化石みたいなところを彼はすごく変な角度で触っていて。
山田:実は先週、モジュラーシンセ回をこの番組でやったんだよ。
OSRIN:それいいじゃん。
山田:でも、音のほう。実演というか、ライブとかしていました。OSRINがいま言ってくれていたのは、それのビデオ版というのが、実はこの世にごくわずかに存在していまして。細々と日陰のほうで。日本ではあんまり触っている人は多くないと思いますが、それをいくつか僕は持っていて。それこそ一緒にというか、OSRINが演出しているKing Gnuのライブで少しお手伝いとして、そういう機材を持って行ったりしてね。いまのところ、毎回持って行っているね。というか、どちらかというとそれ要員だもんね。
OSRIN:機材だと思っているので(笑)。
山田:機材だと思われて呼ばれていますけども。「機材です」という顔をして行って、機材の仕事をして帰ってくる、というのをやってます。すごくニッチで、たしかにその部分、その沼に僕はOSRINを引きずり込もうと、ちょっとずつね。
OSRIN:見事にね。
山田:引きずり込んだ、ということでいいですか?
OSRIN:毎日よ。毎日、世界中を見てる。
山田:そこまで来られたか。ヤフオクとかイーベイとかをはじめとする、ありとあらゆるサイトにその機材が出品されていないかチェックする作業のことを「世界を見渡す」と今後呼んでいこう。
OSRIN:それが日常、日課になっていて。それが俺のなかでは仕事じゃないときのモチベーションというか、本当に趣味に近い状況で。それを利用して何かを作ったりするのも、ライフワークに入ってきたな、みたいな感じですかね。
山田:映像は撮っているんですか?
OSRIN:最近、LAで撮ってきました。
山田:俺すれ違ったわ。
OSRIN:そうだね、LAいたのよ。
山田:俺もいてね。
OSRIN:めちゃ被ってたよ、だって「コーチェラ(・フェスティバル)」観に来てたでしょ?
山田:そうだ、「コーチェラ」のすぐあとか。
OSRIN:そうそう。4月の終わりのほう。「いるな」と思ったけど、まあ日本で会えばいいかと思って。
山田:それはなんのやつなんですか? (情報解禁は)まだですか?
OSRIN:まだだね。もうちょっとですけど、とあるアーティストです。普段やらないようなアーティストなんですけど、すごく面白くて。日本のアーティストだけど、クリエイティブディレクションみたいなものがUSの人たちで「一緒にやらないですか」というのをずっと言ってくれていて。「そんなに言ってくれるんだったら行くか」というのと「LAの制作会社ってどんなものかな」と思って、向こうの制作会社と仕事してみた。
山田:そういうのもやっている、ということですね。
番組内で情報解禁前の仕事の相談
OSRINは「番組の収録前に持ちかけた」という相談ごとについて話すことに。情報解禁前の内容ということもあり、ところどころ言葉を伏せながらの会話となった。山田:(OSRINから)「今日このあと時間ある?」という口説き文句みたいなのをさっきされて(笑)。「え、あまりないんですよね」という話をしたら「相談がある」というので。「じゃあ、このラジオのなかで話せばいいんじゃない?」と。
OSRIN:オーケー。簡単に言うと、引き続き1本作ると。
山田:とあるLAの案件ね。
OSRIN:とあるアーティストのね。2、3週間後に「もう1本撮りたい」と。そこは連続した内容じゃないけど、両A面なんだって。それこそ、さっき打ち合わせしていたんだけど。俺はもう1個のプランも見せてもらっていたから「これダッチ合うな」と思っていたのね。向こうに「誰か決まっているの?」という話をしたら「いや、決まっていなくて。自分らでどうにかやろうかなと思っていた」と言っていたから「いいのいるけどね」「本当に?」となって、勝手にダッチの作品を送って「彼はこういう人間で」と。
山田:勝手に進んでいたんだ(笑)。
OSRIN:そうそう。スタッフィングみたいなことをしていて「めちゃいいかも、素敵かも」という話になって。「じゃあ、1回話してみてくれない?」と言われて、いまここで話してる。
山田:ヤバいですね。で、それがいつでしたっけ?
OSRIN:7月の31日、8月1日のどっちか。
山田:ピンポイント系なんだね。どこで?
OSRIN:それは日本。いま全体の企画で言うと。わりとシンプルめの計算をしないといけない系。
山田:得意ジャンルですけど。
OSRIN:あなたの得意ジャンル。で、ホワイトアンドブラックで撮りたいという。
山田:海外にいる可能性が……。
OSRIN:やば! 日本にいろよ。
山田:ちなみに誰なの?
OSRIN:それは言えない。
山田:電波に乗せないから。
OSRIN:この夢が叶ったら、そうしたら連続で出るわけだから「このことかな」とわかってくれるかもしれない。
山田:じゃあ、そういうことにしておこう。のちほどちゃんと話しましょう。
OSRIN:わかりました。
山田:俺もなんでダメそうかを言えなかった(笑)。
OSRIN:言えないことだらけなんだよ(笑)。
OSRINは次週6月20日(金)の『THE PLAYBACK』にも引き続きゲスト出演する。映像作家でミュージシャンの山田健人が、さまざまな“見る”を言語化するプログラム『THE PLAYBACK』の放送は毎週金曜26時から。
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2025年6月20日28時59分まで
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番組情報
- THE PLAYBACK
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毎週金曜26:00-26:30