「そもそも“応援”とは何をしているのか?」をテーマに哲学研究者の永井玲衣さんと、J-WAVEの番組『PEOPLE’S ROASTERY』をナビゲートする長井優希乃が哲学対話をおこなった。
この内容をお届けしたのは、『PEOPLE’S ROASTERY』のワンコーナー「MY FIELD NOTE」。日替わりでさまざまなゲストが出演するコーナーで、水曜日は「哲学」をテーマに、哲学研究者の永井玲衣さんとトークをする。ポッドキャストでも配信中だ。
1:よく聞くこと
2:自分の言葉で話す
3:「人それぞれ」で諦めない
今回の問いは「そもそも“応援”とは何をしているのか?」だ。まずは応援という言葉が持つイメージについて語り合う。
永井:応援っていろいろあると思うのですが、パッと思いつくのはスポーツの応援ですよね。ただ、私はあまりスポーツを見ないし母校もスポーツが強くなかったんですよ。応援をあまりしたことがないかも。
長井:私はこれまでめちゃくちゃ応援してきましたし、されてきました(笑)。中高の女子バスケ部は当時応援がなかったし、すごく弱かったんですよ。それで途中から「応援がないから弱いんじゃないか」という話になったんです。
永井:仮説が立ったんですね。
長井:それで、他校を参考にしていろんな応援をしたんですけど、連綿と続く他校の応援には敵いませんでしたね。ただ、やっぱりシュートを決めたときに「ナイスシュート!」と言ってもらえるとすごく嬉しいの。もう一度頑張ろうって思える。静かだとつらい気持ちになってくるんですよね。
永井:選手同士で声をかけあう応援ってことですか?
長井:ベンチにいる人が応援していましたね。ベンチにいる人が応援していないと「何もしていない」と思われるのかな?
永井:それって応援の核心な気がします。1つは加勢する、励ますみたいな人を後押しする役割と、同時に応援している人自身が参加感を持つというのが、応援の効能としてありそうだなと思いました。
永井:声に出して表現しないと応援といえないのかな?
長井:難しいですね。それはスポーツの特性もあると思います。たとえば目を輝かせてみんなが祈って見てくれていても、バスケをしているときはそれを感じられないんですよ。感じられるのが耳だから、とにかく声を出そうということなのかなと思います。
永井:なるほど。
長井:一方で、ライブだと右手を挙げて振ったりしますよね。あれも1つの応援だと思うんですよね。
永井:たしかに。自分が応援しているものは何かなと考えていたんですけど、私は“本”というものを応援しているんですよ。出版社、書店とかを応援しているんですけど、だからといって書店を見かけても「頑張れ!」と言うわけじゃないんですよね。たとえば、街にある個人書店を見つけたら絶対に本を買うとかです。
長井:グッズを買って応援したり、配信活動をしている人に投げ銭をしたりする人がいますよね。本屋さんで一番できる応援は何かと考えたとき、経営を応援すること(本を買う)ですから、そこと繋がりますね。
永井:そうですね。いずれにせよ、外に向けて表現しないと実質的な応援にならないのかな?「陰ながら応援しています」といった言葉がありますよね。それって応援といえないのかな?
長井:心のなかで思っているだけでも嬉しいのですが、あえて言葉に出してもらえるともっと嬉しいですよね。「好きだよ」と同じような感覚で「応援しています」と言葉にしてもらえると、思いが直接伝わりますよね。恋愛だとだんだん形にするのが義務になってくる。たとえば、どれだけお金を使ったかが指標になってしまうと、つらくなってきますけども、応援もそれに似ているなと思ったの。
永井:面白い。「(応援の)声が出てないよ!」とか「これだけお金を出さないと応援と言えない」とか、一定の枠外のものを応援とみなさないということですね。
長井:そうなんですよ。応援したいし、ポジティブな気持ちを持っているのに「それは応援とは言わない」と言われた瞬間、「好きなのに!」ってなる。心のなかの応援ってあるはずなのに、現代だと形にすることが“いいこと”がありますよね。特に「推し」の意味合いだとありませんか?
永井:そこ(推し)で加速した感じはあるかも。
「応援とは祈ることだと思っています。それに気付いたのは、転職のために以前いた職場を辞めたときでした。
日本の同僚からは『新しい職場でも頑張ってね』と言われることが多かったのに対して、メールでやりとりしていた海外の人たちからは『新生活が明るいものでありますように』といったメッセージが多かったです。自分が誰かを応援するときも『勝てますように』と祈りのメッセージに変換できるなと思いました」
長井:誰かのためを思って祈るんだ。たしかに、私が心から応援するときの気持ちと祈りは似ている。
別のリスナーからは、応援が自身の活力にもなるというメッセージが綴られていた。
「私は応援している人がたくさんいます。我が子はもちろんですが、推しの応援は朝から晩までSNSでしています。誰かを応援していることで自分も元気をもらっている気がします」
長井:SNSで言葉にされているのかなと思うんだけど、自分のなかでの祈りを誰かのために思ってやることで、自分も元気になる。それが応援。
永井:ちょっとわかるかも。誰かを応援していることってすごくピュアにポジティブな気持ちを送っている気がするんですよね。応援って最初は加勢、相手の力にならなくちゃいけないって感覚があったんだけど、心のなか、しかも自分が勇気をもらえるってだけでも応援と言っていいとなると、幅が広いですよね。
長井優希乃と哲学研究者の永井玲衣さんがさまざまなテーマで語り合う本コーナー。「当たり前」や「無意識」をときほぐすテーマ設定で、ポッドキャストも配信している。
・テーマ「タメ口はなぜ嫌がられるのか?」
・テーマ「怖いと分かっていても、見てしまうのはなぜか?」
・テーマ「脇汗はなぜ恥ずかしいのか?」
この内容をお届けしたのは、『PEOPLE’S ROASTERY』のワンコーナー「MY FIELD NOTE」。日替わりでさまざまなゲストが出演するコーナーで、水曜日は「哲学」をテーマに、哲学研究者の永井玲衣さんとトークをする。ポッドキャストでも配信中だ。
応援することで“関わり”を持つことができる
哲学対話では、以下の3つの約束事を設定して語り合う。1:よく聞くこと
2:自分の言葉で話す
3:「人それぞれ」で諦めない
今回の問いは「そもそも“応援”とは何をしているのか?」だ。まずは応援という言葉が持つイメージについて語り合う。
永井:応援っていろいろあると思うのですが、パッと思いつくのはスポーツの応援ですよね。ただ、私はあまりスポーツを見ないし母校もスポーツが強くなかったんですよ。応援をあまりしたことがないかも。
長井:私はこれまでめちゃくちゃ応援してきましたし、されてきました(笑)。中高の女子バスケ部は当時応援がなかったし、すごく弱かったんですよ。それで途中から「応援がないから弱いんじゃないか」という話になったんです。
永井:仮説が立ったんですね。
長井:それで、他校を参考にしていろんな応援をしたんですけど、連綿と続く他校の応援には敵いませんでしたね。ただ、やっぱりシュートを決めたときに「ナイスシュート!」と言ってもらえるとすごく嬉しいの。もう一度頑張ろうって思える。静かだとつらい気持ちになってくるんですよね。
永井:選手同士で声をかけあう応援ってことですか?
長井:ベンチにいる人が応援していましたね。ベンチにいる人が応援していないと「何もしていない」と思われるのかな?
永井:それって応援の核心な気がします。1つは加勢する、励ますみたいな人を後押しする役割と、同時に応援している人自身が参加感を持つというのが、応援の効能としてありそうだなと思いました。
“推し活”も応援の1つの形
応援には決まった掛け声を求められるケースもある。永井さんは周囲との一体感が必要ではないかと推測するなか、もう1つの疑問を投げかける。永井:声に出して表現しないと応援といえないのかな?
長井:難しいですね。それはスポーツの特性もあると思います。たとえば目を輝かせてみんなが祈って見てくれていても、バスケをしているときはそれを感じられないんですよ。感じられるのが耳だから、とにかく声を出そうということなのかなと思います。
永井:なるほど。
長井:一方で、ライブだと右手を挙げて振ったりしますよね。あれも1つの応援だと思うんですよね。
永井:たしかに。自分が応援しているものは何かなと考えていたんですけど、私は“本”というものを応援しているんですよ。出版社、書店とかを応援しているんですけど、だからといって書店を見かけても「頑張れ!」と言うわけじゃないんですよね。たとえば、街にある個人書店を見つけたら絶対に本を買うとかです。
長井:グッズを買って応援したり、配信活動をしている人に投げ銭をしたりする人がいますよね。本屋さんで一番できる応援は何かと考えたとき、経営を応援すること(本を買う)ですから、そこと繋がりますね。
永井:そうですね。いずれにせよ、外に向けて表現しないと実質的な応援にならないのかな?「陰ながら応援しています」といった言葉がありますよね。それって応援といえないのかな?
一定の基準から外れると応援とは言わない?
答えに辿り着かずとも、ぐるぐると考えを巡らすのが哲学対話の醍醐味だ。応援は“恋愛”と通ずる部分があるのではないかと長井は指摘する。長井:心のなかで思っているだけでも嬉しいのですが、あえて言葉に出してもらえるともっと嬉しいですよね。「好きだよ」と同じような感覚で「応援しています」と言葉にしてもらえると、思いが直接伝わりますよね。恋愛だとだんだん形にするのが義務になってくる。たとえば、どれだけお金を使ったかが指標になってしまうと、つらくなってきますけども、応援もそれに似ているなと思ったの。
永井:面白い。「(応援の)声が出てないよ!」とか「これだけお金を出さないと応援と言えない」とか、一定の枠外のものを応援とみなさないということですね。
長井:そうなんですよ。応援したいし、ポジティブな気持ちを持っているのに「それは応援とは言わない」と言われた瞬間、「好きなのに!」ってなる。心のなかの応援ってあるはずなのに、現代だと形にすることが“いいこと”がありますよね。特に「推し」の意味合いだとありませんか?
永井:そこ(推し)で加速した感じはあるかも。
応援とは“祈り”に近い行為なのか?
心のなかの応援とは、どういった行為を指すのか。永井さんはリスナーから寄せられたメッセージを紹介する。「応援とは祈ることだと思っています。それに気付いたのは、転職のために以前いた職場を辞めたときでした。
日本の同僚からは『新しい職場でも頑張ってね』と言われることが多かったのに対して、メールでやりとりしていた海外の人たちからは『新生活が明るいものでありますように』といったメッセージが多かったです。自分が誰かを応援するときも『勝てますように』と祈りのメッセージに変換できるなと思いました」
長井:誰かのためを思って祈るんだ。たしかに、私が心から応援するときの気持ちと祈りは似ている。
別のリスナーからは、応援が自身の活力にもなるというメッセージが綴られていた。
「私は応援している人がたくさんいます。我が子はもちろんですが、推しの応援は朝から晩までSNSでしています。誰かを応援していることで自分も元気をもらっている気がします」
長井:SNSで言葉にされているのかなと思うんだけど、自分のなかでの祈りを誰かのために思ってやることで、自分も元気になる。それが応援。
永井:ちょっとわかるかも。誰かを応援していることってすごくピュアにポジティブな気持ちを送っている気がするんですよね。応援って最初は加勢、相手の力にならなくちゃいけないって感覚があったんだけど、心のなか、しかも自分が勇気をもらえるってだけでも応援と言っていいとなると、幅が広いですよね。
長井優希乃と哲学研究者の永井玲衣さんがさまざまなテーマで語り合う本コーナー。「当たり前」や「無意識」をときほぐすテーマ設定で、ポッドキャストも配信している。
・テーマ「タメ口はなぜ嫌がられるのか?」
・テーマ「怖いと分かっていても、見てしまうのはなぜか?」
・テーマ「脇汗はなぜ恥ずかしいのか?」
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